第十八話:出立の浜辺(前)
深い海が、見つめている____
「ネナ〜?」
フィンの声にはっとする。
鼻をくすぐる繊維の匂いと、色とりどりの布地。
辺りはクラシックのような、優雅な音楽が流れていた。
私は慌てて笑顔をつくって、フィンの目線に合わせるようにしゃがみ込んだ。
「フィン、どうしたの?」
玩具屋さんを出たあと、私たちはたくさんある服屋さんの中で、一般人向けの洋服屋さんに入った。
今はそれぞれ、自分の服を選んでいたところ。
目線を合わせた私に、フィンは目線を下げた。
そして、私の手元に指をさして、
「それかうの?」
不思議そうに、尋ねた。
私は首を傾げて、自分の手元にある"それ"に視線を移した。
——?!
「や、やだっ」
手元にあったのは——下着。
それも、
薄くて、大事なところが隠せそうにないもの。
(どうしてこんなものを……?!)
慌てて陳列棚に戻す。
よく見れば、ここは下着コーナーだった。
顔が火照っていくのを感じる。
「やめるの?」
「あっ……う、うん。
間違っちゃった」
首を傾げるフィンに、ごまかすように笑いかける。
「教えてくれてありがとう、フィン」
顔の熱が引かないまま、急いでフィンを連れてその場を離れた。
「音凪?」
気づけば、男性向けの服が並ぶコーナーまで来ていた。
私たちに気づいた透真が声をかける。
その声に振り向くと、透真がわずかに肩を揺らした。
「ど……うした? 顔赤いけど……」
「な、なんでもないよ……」
なかなか引かない熱。
透真に指摘されて、ますます赤くなっている気がする。
(もうっ……本当にどうして、あんな下着なんて取っちゃったの)
「ちょっとだけ、暑いのかも」
両手を顔の前でぱたぱた仰いで、笑ってごまかす。
透真が「そうか?」と怪しんでいるけれど、気にしない。
——少しだけ、熱が引いてきたかも。
そうほっと息をついたときだった。
私たちのやり取りを見ていたフィンが、
「あのね」と、透真に話しかける。
(……えっ! ふぃ、フィン?!)
嫌な予感に、止めようとしたときには手遅れだった。
「ネナがさっき、小さいお洋服をまちがって取っちゃったんだよ〜。
こ〜んなかんじの、ひらひらのお洋服」
そう言ってフィンが指をさしたのは、小さい子用のワンピース。
(フィン! それ以上は、だめ!)
パニックのあまり、あわあわと手をばたつかせる。
けれど、心の叫びは声にならず——フィンには届かなかった。
「服はね、もっとペラペラしててね、さむそうだったの」
フィンはとてもていねいに説明をしてくれた。
世界が止まったかのような静寂。
——次の瞬間。
ぼぼぼっ。
引き始めた熱が、再び顔に集まってきた。
フィンの説明と、私の反応。
「……!」
透真ははっと息を飲んだ。
すぐに、じわっと頬が赤く染まっていく。
その反応に、余計に恥ずかしくなって——
目の奥がじんわりと熱くなる。
「……」
「……」
「? ネナ、トーマ。どうしたの?」
純粋な瞳が、私たちを不思議そうに見つめる。
私は「な、なんでもないよ」と笑って、フィンの頭をそっと撫でた。
そして、透真の顔を見つめて——
「ほんとうに、まちがえただけなの」
それだけ伝えて、女性用コーナーへと逃げていった……。
《フィン視点》
さっき間違えて、小さいお洋服を取っちゃったネナ。
心配そうにしていたトーマにそのことを教えてあげたら、ネナは顔を真っ赤にして別のところに行ってしまった。
(いったらだめだったのかな?)
ぼくはしょんぼりと肩を落とした。
横でトーマが大きく息を吐いて、びくりと体が跳ねた。
慌ててトーマに話しかける。
「ト、トーマ……ぼく、わるいことしちゃった?」
トーマも怒っているのかも。
そう心配になって聞いてみると、トーマは困った顔をして微笑んだ。
「フィンは悪いことしてない」
「気にしなくていい」
そう言って、ぼくの頭を撫でた。
トーマの表情で気づいた。
怒らせてしまったのではなく、困らせてしまったのだと。
「でも、トーマこまってる。
……ごめんなさい」
ぼくは謝った。
『悪いと思ったら、すぐに謝りなさい』
『そうしたら、その気持ちは相手に伝わる』
おじいちゃんがそう言っていたから。
フアナたちといたとき、それができなくて、くるしい気持ちになったから。
ぼくは頭を下げて、トーマの足元を見ていた。すると突然——
ふわり。
体が浮いた。
トーマがぼくのことを持ち上げていた。
「フィン」
ぼくを抱えたトーマは、いつものやさしい表情でぼくの名前を呼んだ。
ぼくはそれに応えるように、トーマの目をじっと見つめた。
「気にかけてくれて、ありがとな。
だけど本当に、フィンのせいじゃないんだ」
そう言ったトーマは、また眉を下げた。
どういうことだろう。
首を傾げていると、
「これは、俺と音凪の問題なんだ」
トーマはそう教えてくれた。
よく分からなくて、いっぱい考える。
(もしかして、あのことかな?)
ふと、ある日のことを思い出した。
トーマがぼくたちのお家に初めてきた日、お風呂で話してくれたこと。
それなら、分かる。
ぼくはトーマに、こくりと頷いた。
トーマはにこっと笑って、ゆっくりぼくを下ろしてくれた。
足の裏に、かたい床の感触が戻ってきた。
「服選びの続きをしようか」
笑顔のトーマに、ぼくは「うんっ!」と大きく頷いて、
手に抱えるおもちゃの箱を、ぎゅっと抱えなおした。
***
トーマと一緒にお洋服を選んで、ネナが来るまえに買った。
途中、トーマと女の人用のお洋服がたくさんあるところにきた。
ぼくは"ネナを探してるのかな"と思ったけど、違ったみたい。
トーマはお洋服を何枚か取ると、
それも一緒に買っていた。
(ぜんぶ、ネナに似合いそうだった)
あとからきたネナは、トーマがもう買っていたことに驚いて、
「私が出したのに……」と、
ちょっと困った顔をしていた。
困った顔のまま、ネナも自分の服を買う。
お会計が終わると、トーマが「預かる」と言って『すまほ』を出した。
「ありがとう、透真」
ネナは笑って、買った服とお金の袋を渡す。
トーマが『すまほ』をぽちぽちしようとしたとき、ネナが「あっ」と声を出した。
「こっちは、透真の」
そう言ってネナが見せたのは、ネナの傘と似ている色の服。
トーマは目を丸くして、「これは……?」とネナに聞いた。
「透真の上着。
今着てるのは……
この世界だと、めずらしいみたいだから」
「それに」
ネナは一瞬、口をきゅっと結んだ。
そして、少しだけ何も言わない時間のあと。
「お気に入りの、上着だから」
ぽつり、続けた。
「替えがあれば、大事に着れるよね?」
ネナは視線だけ、透真を見上げるようにして聞いた。
ネナの言葉に、トーマはもっと目を大きくして——うれしそうに笑った。
「ありがとう、音凪」
トーマはすごく大事そうに、その服を受け取った。
ネナは安心したみたいに笑ってる。
いつものふたりに戻ったみたい。
胸がぽかぽか。
ぼくもうれしくなって、一緒に笑った。
***
お洋服屋さんを出て、海の方に向かって歩いていると、
トーマがふと立ち止まった。
お店の方を見ているトーマに、
ぼくとネナは首を傾げる。
「音凪」
トーマが振り向いた。
ネナは「どうしたの?透真」と聞く。
「ラウハで、『前髪切りたい』って言ってたよな。
あそこ、行ってみたら?」
そう言って、トーマは小さなお店を指さした。
「行ってもいいの?」
目を見開いたネナはそう聞くと、
「待たせちゃうかも」
と、心配そうに呟いた。
トーマはそんなネナに笑って、近くのベンチを見た。
「あそこでフィンと待ってる。
フィンも、そのおもちゃ使ってみたいだろ?」
トーマの言葉に、ぼくは胸がぴょんぴょん弾んだ。
ぱぁああっと、笑顔になる。
「うん!ぼく、これ使ってみたい!」
(あけるのたのしみ!)
ぼくは抱えていた箱を持ち上げて、じーっと見つめた。
「ふふっ。それなら、行ってくるね」
そう言ったあと、ネナは笑顔のまま少し考え込むようにして——
「せっかくなら……
ばっさり、切っちゃおうかなぁ」
さらさらの髪を摘んだ。
「え?」
驚くトーマの声。
見上げると、トーマはまた目を大きく見開いていた。
ネナはそんなトーマをちらっと見ると、口をにっこりとさせた。
「ふふ。なんてね」
摘んだ髪から、パッと手を離した。
冗談だった……のかな?
ネナの表情がいつもと違って、よく分かんない。
トーマも困った顔をしてる。
「透真、高校生のとき、
私の髪を結んだりするの……好きだったよね」
笑ってるのに、何だか悲しそうなネナ。
トーマは何も言わない。
そのままネナが続けた。
「また、あの頃くらいまで、
伸ばしてみようかなって」
ネナは髪を耳にかけて、トーマをまっすぐ見た。
きらりと、ネナの腕輪が光った。
ぼくもトーマを見上げる。
トーマは真剣な顔で、ネナを見つめていた。
「そうしたら——
また、結んでくれる?」
ごくり。
そんな音が聞こえた気がした。
ふたりは黙ったまま。
ザァザァと、風の音だけがする。
少しして、トーマが口を開けた。
「ああ」
悲しそうな顔で笑って。
《フィン視点》 end.




