第十六話:不穏の漣(後)
「〜♪」
鼻歌を唄う男性の瞳が、
私を捉えていたことには気づかなかった——。
***
《???視点》
深夜二時。
町の明かりは消え、
波の揺れる音だけが微かに響いていた。
静寂に包まれた町の路地裏。
闇の中で、二人の男が向かい合っていた。
「久しぶり」
薄ら笑いを浮かべる男が片手を上げて、そう声を掛けた。
声を掛けられた男は眉間に皺を寄せながら、静かにその男を一瞥する。
「そんなに睨まないでよ。さっきのこと怒ってんの?」
何も答えず、ただ睨み続ける男に、軽そうな男は「あ〜やだやだ」と首を振った。
「こっちだってお前が急にいなくなって大変なんだからさぁ」
「少しは反省しろよ〜」
と、両手を上げて大袈裟に困ったふりをする男に、不機嫌そうな男はボソッと答えた。
「……連絡はしただろ」
「最後の連絡から結構経ってるけどね!」
くわっと噛み付くように反応した男は、堰を切ったように文句を言い始めた。
「しかも二週間くらいでリベルタに着くって連絡寄越したくせに全然こないしさぁ……!
こっちはあのバカたちの後始末やら何やらで大変な中お前の動向も気にしてたわけよ?
知ってる? あいつらがこの短期間のうちに何回研究室を爆破したか。
八回だよ、八回。二週間で! ほぼ二日に一回!」
捲し立てている男は指を二本立て、黙って聞いている男の前に突き出した。
「分かってたでしょ? あいつらが相当なイカれ集団だって。
俺たちだけじゃ荷が重いっつーの!」
「うるさい。バレるだろ」
「遮音も認識阻害も掛けたっての!!」
大声を上げた男は、ゼーハーと大きく肩を上下させている。
苛立った様子で自身の髪をぐしゃぐしゃと掻き乱すと、
表情を一変させ、心配そうな顔で寡黙な男を見つめた。
「普段のお前なら、それくらい気付くだろ? 一体、どうしたんだよ?」
「……」
「それに、最後の連絡を寄越すまでは短い時間だけでも戻ってきてたのに……。
本当に何があったわけ?」
心配そうにしている男の問いに、寡黙な男は沈黙を貫く。
何も言わず、明後日の方向を見つめる寡黙な男に、もう一人の男は大きく溜息を吐いた。
「言うつもりがないのか、言えないのか知らないけどさぁ」
男はそこまで言うと、声を低くした。
「ティティが怒り狂ってる」
その言葉に、寡黙な男の眉がピクリと動いた。
その様子を呆れた顔で見つめる男は、寡黙な男の肩をポンッと叩く。
「早く戻って来てよ〜。
ティティを宥めんの、大変なんだから」
げんなりした顔で「頼むからさぁ」と続けた男に、寡黙な男はゆっくりと口を開いた。
「どうせ、あと少しだ」
伏し目がちに呟く男。睫毛が揺れる。
男の瞳は、どこか哀しそうだった。
「ふーん……
その言葉、信じるからね」
哀しげな男の様子に、それ以上言う気も起きなかったのだろう。
「ティティにも伝えとく」
そう言い残した男は、スゥ—ッと闇の中に姿を消していった。
路地裏に、再び静寂が訪れる。
一人残された男は、足元を睨んだ。
強く握りしめた拳が、僅かに震えていた。
《???視点》end.
***
(温かい……)
心地よい温もり。
腕の中に抱えるそれは、冷えた体を優しく温めてくれる。
(ふわふわで……きもちいい……)
手には柔らかな感触。
私はその温もりをもっと感じたくて、ぎゅっと抱きしめた。
「ネ、ネナぁ……」
腕の中から、苦しそうな声が聞こえた。
小さな体が私の腕の中でもぞもぞと動く。
私はハッとして身を起こした。
「フィ、フィン! 大丈夫?!」
「けほっ、けほっ」
(そうだ、昨日はフィンと寝たんだった……!)
苦しそうに咳き込むフィンの背中を摩りながら、何度も「ごめんね」と謝る。
謝り続ける私にフィンは、「だいじょーぶぅ……」と気丈に笑った。
私は机の上に置いてあった飲み水を手に取り、フィンに渡す。
それを両手で受け取ったフィンは、小さい喉をゴクゴクと鳴らして飲んだ。
「ぷはー!」
水を飲んだフィンはコップから顔を離して大きく息を吸った。
咳も止まったみたいで、私はホッと胸を撫で下ろした。
「本当にごめんね、フィン」
「だいじょうぶ!」
笑顔で私の頭をぽんぽんと撫でながら慰めるフィン。
(苦しかったのはフィンなのに、私を気遣ってくれるなんて……)
フィンの優しさにじーんと感動していると、フィンがふいーっと目を逸らした。
「……でも、あしたはトーマとねる」
ぼそっと、フィンが呟いた。
「……!」
トラウマを与えてしまったようだ。
私はしょぼしょぼと肩を落とした。
すっかり目が覚めた私たちは、着替えて出かける準備を始めた。
ラウハからは随分と南に歩いてきた。
それでも、まだ朝晩は冷え込む。
空気を入れ替えるために、私は窓を開けた。
「さ、さむい……」
開けた瞬間、冷たい風が吹き込んでくる。
フィンはしゅばっと滑り込むように、一人ベッドの中に潜った。
私はすぐに窓を閉めて上着を羽織り、
昨日フロントで借りてきた魔石ストーブを起動させた。
(あったかぁい……)
魔力がなくても使えるこのストーブは、
元の世界にある電気ストーブとよく似ていた。
そのおかげで、説明書がなくても使い方はすぐに分かった。
私はしばらくストーブの前で、ぬくぬくとしていた。
十分くらい経った頃、
コンコンと部屋をノックする音がした。
「はーい!」
フィンがぱたぱたとドアに駆け寄ると、「透真。入っていいか?」と言う声が聞こえた。
「トーマだ!」
フィンがドアを開けて透真の腰に飛びつく。
透真はフィンを優しく受け止めると、笑って「おはよう」と頭を撫でた。
私も立ち上がって、透真に声をかけた。
「おはよう、透真」
「音凪……」
私の声に反応した透真が顔を上げる。
ふたりの元に踏み出そうとした足が、
ぴたりと止まった。
「……おはよう」
透真の声が、わずかに掠れた。
一瞬の間と、揺れた瞳。
(今のは、どういう……)
胸がざわつく。
廊下から入り込んでくる冷気が、
肌を掠めた。
まるで何かを警告しているかのように——。
第十六話
覗く深海-不穏の漣- 完




