第十六話:不穏の漣(前)
しばらく海を眺め、海風に体が冷えはじめた頃、
「行こう」
透真のその一言で私たちは海に背を向けて、乗船場へと向かった。
「ここだけ、まっかだね〜」
目の前の建物を、
フィンが不思議そうに見上げた。
海のそばに立つ、一際大きな赤い建物。
ドアを開けると——
「パパ〜! まーだー?」
「取引先の確認は……」
「次の街のギルドで……」
家族で来ている人。
商人のような人たち。
私たちと同じ、武器を携えた冒険者たち。
この世界で見たことない密度で、
多くの人々がそこにはいた。
(こんなに人がいたんだ……)
リベルタに着いてからここに来るまでは、そこまで人は多くはなかった。
少なくとも、自分たちのペースで町を歩けるほどには。
タイミングがよかったのかもしれない。
帰りはもっと人が増えているかも。
「受付はあそこだな」
そう言った透真の目線を追う。
目に入ったのは、
二箇所の窓口と、その前に並ぶ人々。
順番が来るまでは時間がかかりそうだ。
(乗船券、買えるかな……?)
私たちは少しだけ足早に、最後尾へと並んだ。
***
一時間ほど経ったとき、
ようやく私たちの順番が回ってきた。
(やっとだ……)
ほっと、息をつく。
並びはじめた頃は、フィンも楽しそうにおしゃべりをしていた。
けれど、三十分も経つと退屈そうに体を揺らしたり、
「あとちょっと?」「海いきたい」と言いはじめた。
並ぶのは透真に任せて、フィンを外に連れ出してあげればよかったと後悔した。
だけど、その時には前の組がもう二組だけだった。
だから、すぐに順番が回ってくるだろうと、
そのまま一緒に並び続けた。けれど、
(まさか、前の人たちが二十分も掛かると思わなかった……)
聞こえた話によると、
前の人たちが乗る予定の船が、トラブルに遭ったらしい。
そのため、運航の目処が立たず揉めていた。
それは結局この場では解決せず、
前の人たちは別の職員さんに連れられて、奥の部屋へと消えていった。
「大変お待たせいたしました」
受付のお姉さんの申し訳なさそうな声。
私は"大変なお仕事だなぁ"と思いながら口を開いた。
「プルーヴィア行きの船に乗りたいのですが……」
「プルーヴィアですね。少々お待ちください。
……ちょうど明後日出ますね。
乗船のご予約をされますか?」
日も近く空き状況も問題ないようで、
私はほっと胸を撫で下ろした。
お姉さんの問いに、迷わず頷く。
「三名様ですね。
お部屋は何室必要でしょうか?」
「いっし」
「二室で」
私が答えようとすると、横から透真が遮って答えた。
節約、絶対した方がいいと思うんだけどな……。
(透真……ちょっとお金遣い、荒くなった気がする)
ジトっとした目で透真を見る。
私の視線に気づいた透真が困った顔で笑う。
高校を卒業するときには、
節約のために「一緒に部屋借りよう」って言ってくれた透真。
その透真が惜しみなくお金を使うのが、私には不思議だった。
(でも、理由もなく贅沢したいとか、そういうこと考える人ではないし……)
気にはなったけど、深く考えるのはやめた。
「二室でよろしいでしょうか?」
「はい」
「かしこまりました。
それでは、こちらに身分証のご提示をお願いいたします」
そう言ってお姉さんが指し示したのは、四角い石版。
そこには丸い紋様が描かれている。
(……ここに、乗せればいいのかな?)
身分証を取り出して、石版に乗せる。
ピッ。
「!」
高い電子音。
聞き覚えのある音に、胸が高鳴る。
——これは、交通系ICカードの音!
(この世界で聞くことになるなんて……)
私がひっそり心の中で感動している間、透真とフィンも身分証を提示した。
「ご提示ありがとうございます。
それでは、確認させて頂きますね……——!」
私たちの情報を確認していたお姉さんが、
小さく肩を揺らして目を見開いた。
それはほんの一瞬のことで、
電子音に気を取られていた私が気づくことはなかった。
「お客様、申し訳ございません。
たった今、お部屋が埋まってしまいました」
「……えっ?」
突然のことに驚いて、思わず声が漏れる。
(そんなことあるんだ……)
タイミングが悪かった。
"どうしよう……"と困っていると、お姉さんがこんな提案をした。
「実は先日、貴賓室にキャンセルが出まして……。
そちらにご案内することも可能ですが、いかがいたしましょうか?」
「こちら、一室の中にお部屋が二部屋と、トイレ、バスルームがございます」
そう続けたお姉さん。
その顔はにこやかだけれど、私の心はもやもやする。
(貴賓室ってことは、すごく高いんじゃ……)
そんな不安を晴らすように、お姉さんはさらに続けた。
「すぐに別のお客様がご予約頂ければよかったのですが、未だに空いておりまして……。
既にお客様をお迎えする準備をしてしまっているので、
こちらとしても、入って頂ける方が有難いのです。
ですから、普通のお部屋と同じ金額でご案内いたしますよ」
そう言って、にこっと微笑んだ。
「え、でも……」
「プルーヴィアまでの残り寄港場所は、ここを含めて二箇所だけになりますから……。
このまま空室にしておくよりは、少しお値下げさせて頂いてでも入って頂きたいのです」
お姉さんは落ち着いた声で説明する。
けれど、なぜだろう。
必死さを感じる。それに、
(そうは言っても、特別な部屋を普通の部屋と同じ金額で借りるなんて……)
"そんなこと、本当にいいの?"と悩んでいると、
ジャラッ。
「それでお願いします」
透真は貨幣の入った袋を二つカウンターに乗せた。
(え……)
「透真……?!」
私は思わず透真を見上げた。
目が合うと、透真は少し困ったように笑う。
「こういうのは有り難く受け取ろう。
な?」
そう言って、私の頭をわしゃわしゃ撫でた。
「かしこまりました。
確認させて頂きますので、少々お待ちください」
お姉さんが袋を受け取ると、あれよあれよという間に手続きが進んでいく。
「はい。銀貨はちょうどでございました。
こちらでご予約は完了でございます」
(あ……完了しちゃった)
船の名前と乗船日時、乗船場所が書かれた紙を手渡される。
……終わってしまったものはしょうがない。
私はおずおずとその紙を受け取った。
(透真の言う通り、ありがたく受け止めよう。うん)
「ありがとうございます」
「こちらこそ、感謝いたします」
微笑んだお姉さんは、「それに……」と続ける。
「明後日を逃してしまいますと、次が一ヶ月後になりますから。
ご案内することが出来まして幸いです」
「え……」
(一ヶ月後……?)
そんなに本数少ないんだ……。
運がよかった。
私はお姉さんの計らいに、心の底から感謝した。
「それでは、船と設備の説明をさせて頂きますね。
リベルタからプルーヴィアまでは十日ほどの運航日程でございます。途中……」
(と、十日……?!)
十日も船に乗り続けるなんて……大丈夫だろうか。
フィンが飽きてしまうのではないか。
私たちも船は初めてだから、船酔いもするかもしれない。
不安に胸の奥がざわつきはじめた。
押し寄せる情報と感情の波に、
頭の中がぐるぐると回る。
お姉さんはそんなことはつゆ知らず。
淡々と説明は続いていった……。
***
「船、タイミングが良くてよかったね」
ご飯屋さんで頼んだ料理を待ちながら、私はふたりにそう話しかけた。
現在、時刻は夜の六時半。
あのあと私たちは少しだけ町を散策して、
早めの夕飯へとご飯屋さんに来ていた。
今日は予想外なことがたくさんあった。
けれど——
(悪いことじゃない)
美味しそうなご飯の匂いと人々の話し声に、ようやく肩の荷が下りた気がした。
「ぼく、おふね乗るの たのしみ!」
フィンがニコニコしながら足をぶらぶら揺らす。
その振動でテーブルがカタカタ揺れ始めた。
透真が「フィン、落ち着け」と言いながら、そっとフィンの足を押さえる。
そのまま、透真は視線を上げた。
「明日はどうする?
暫くは船だから、明日くらいは一日散策でもして、体動かしておくか?」
「うん、そうだね」
透真の提案に迷わず賛成する。
プルーヴィアまでは長い。
明日は存分に体を動かした方が良さそうだ。
(フィンには後半、ちょっと辛い船旅になっちゃうかも……)
苦笑いでフィンを見つめる私に、
フィンは笑顔のまま、きょとんと首を傾げた。
「お待たせしました〜!」
"明日、玩具屋さんでも探そうかな"と、
運ばれてきた料理を受け取りながら、こっそり予定の追加を思案した。
……。
夜ご飯を終え、しばらく談笑していると、
フィンがうとうとしはじめた。
今日は初めての海に興奮していたから、
きっといつも以上に疲れてしまったのだろう。
今にも寝てしまいそうなフィンを抱きかかえる透真を横目に、私はお支払いを済ませにカウンターまで向かった。
「5番テーブルね」
店員さんに銅貨を渡して精算を済ませる。
「ありがとうございました〜」
ぺこりと頭を下げながら「ごちそうさまでした」と言って、
ふたりの元へと踵を返した。そのとき——
トンッ。
「あっ」
後ろにいた人にぶつかってしまった。
「す、すみません……!」
私は慌てて頭を下げる。
すると、
「いいっていいって。
こっちこそ余所見しててごめんね〜」
返ってきたのは、肩の力が抜けるような軽い声。
顔を上げると、紫のローブを来た男の人が立っていた。
顔はフードに隠れていてよく見えないけど、
さっきの声色からして、怒ってはいないんだと思う。
ローブの男性はそのまま、
カウンターにいる店員さんに話しかけに行ってしまった。
(怖い人じゃなくてよかった……)
私は安堵の息をついて、再びふたりの元へと歩き出した。
ふっと、ローブの男性が振り向いた。




