第十五話:静寂の波間で(後)
「そろそろ出掛けるか」
おにぎりを食べたあと、
しばらく休憩をしていると、透真がおもむろに椅子から立ち上がって言った。
「先に部屋に行かなくても大丈夫?」
「大丈夫」
透真の言葉に、私もそっと立ち上がる。
「フィン、お出かけだよ」
「はあい」
フィンの手をやさしく握って、
先にドアの前まで移動していた透真の後に続こうとしたとき。
(……あ)
「フィン」
「なあに?」
「今日寝るの、一緒のベッドでいい?」
私はちらっと、ベッドに視線を移した。
(この大きさならふたりで寝れるだろうけど、念のため)
さっきフィンは「ひとりで寝れる」と胸を張っていた。
もしかしたら、一緒に寝るのは嫌かもしれない。
「お布団、借りてくる?」
続けてそう尋ねると、フィンは首を大きく横に振った。
「ネナといっしょにねる!」
笑ってそう言ってくれたフィンに、
私も「ふふっ」と笑い返した。
部屋を出て一階にある受付に向かう。
カウンターの前に着くと、透真は店主に声をかけた。
「すみません」
「どうかしたかい?」
と尋ねる店主に、透真は続けた。
「ギルドと乗船場の場所を教えてもらえませんか?」
ラウハの町からリベルタまでの道中、
たくさんの魔物や動物たちと遭遇した。
倒した魔物たちは透真の手によって解体され、
素材やお肉はスマホの中に収納してある。
その他にも、時々採集した薬草は使い道が分からない物が多く、素材と一緒に売るつもりだ。
そして、そのお金で乗船券を買う。
(自分で薬が作れたらよかったんだけど……)
時間があったら、本屋さんで専門書でも探してみようか。
ぼんやりとそんなことを思った。
「ギルドと乗船場ね。それなら……」
店主はカウンターの下でごそごそと何かを漁りはじめた。
そしてすぐに、一枚の紙をカウンターの上に置いた。
「この町の主要な建物が描いてある地図だ。これを持って行きな」
地図を覗くと、濃い灰色の線がシンプルに描かれていて、一箇所だけ赤い四角で塗られていた。
「赤がここ。今いる場所だ。
配ってるもんだから、返す必要はないぞ」
店主は地図を指差しながら教えてくれた。
私たちはお礼を言って、透真が地図を受け取った。
「いってらっしゃい」
私はもう一度ぺこりと頭を下げて、
三人で宿屋をあとにした。
***
「うわぁあ! みてみてっネナ!
海だよぉーー!!」
遠くに見えはじめた海に、フィンははしゃいだ。
ギルドで素材の換金を終えて、私たちは海へと向かった。
フィンにとって、海は初めてだった。
それこそ、毎日のように「あしたつく?」と聞いてくるほど、
リベルタに着くのを心待ちにしていた。
いざ着いたら、空腹の方が勝ってしまったようだけど……。
「はやくいこう〜!」
私の手を引いて足踏みするフィンの姿に、思わず笑みがこぼれる。
本当は先に乗船場へ向かうつもりだった。
けれど、こんなに目を輝かせたフィンを前にしては——
そんなこと、言えるはずもない。
透真の顔を見る。
私の気持ちをすぐに察した透真は、笑って小さく頷いた。
三人で波止場に近づいて行く。
ザァ……と波打つ音。
吸い込まれそうなほど、深い青。
陽光を受けた波が、
まるで宝石を散りばめたようにきらめいていた。
「うわぁ……」
フィンは瞳を輝かせ、感嘆の声を漏らした。
「フィン、初めての海はどう?」
私は海をじっと見つめ続けるフィンに尋ねた。
「おっきい!」
フィンは振り向くと、両腕をめいいっぱい広げて叫んだ。
子どもらしい言葉に、「そうだね」と笑った。
(懐かしい音……)
穏やかな潮騒の音に、ふと高校時代の思い出が過った。
高校生になって行動範囲が広がると、
私と透真はよく出歩くようになった。
アルバイトのない日が重なると、
「今日はここに行こう」なんて、
その日の気分で行き先を決めたりしていた。
そうして過ごす日々のなかで、よく行った場所のひとつが海だった。
養護施設から海は、徒歩二時間もかからない距離だった。
高校生なんて体力が余っているくらいで、
“そのくらいの距離なら”と、
散歩先の候補にすぐ上がった。
特別なことは何もしていない。
ただ、防波堤に並んで座って、ぼーっと海を眺めるのが好きだった。
(だけど……)
三年生になって、受験勉強が本格的に始まると、
海に行くこともなくなった。
奨学生として大学に進むには、努力するしかなかった。
アルバイトを辞める余裕もなく、
空いた時間はすべて勉強に費やした。
フィンを見守る透真の横顔を見る。
最後に海に行ったときにはまだ幼かった横顔が、
今ではすっかり大人の顔になった。
じーっと見つめる視線に気づいた透真が、
「どうした?」と首を傾げた。
「ううん。何でもないよ」
私はそう笑って、再び海を眺めた。
(顔つきは変わっても、表情はあの頃のまま)
『ネナさん、気をつけて。
——トーマさん』
——スッ。
無意識に、右手首の腕輪——傘に触れる。
フアンくんのあの言葉。
心の奥底でずっと引っ掛かっていた。
初めは、
「透真に気をつけろ」
そういう意味だと思っていた。でもたぶん、違う。
フアンくんが感じた何かは、きっと私が感じているものと一緒。
透真は——何かを隠してる。
それが何かは分からないけれど、
これだけは確信している。
(透真が、私を傷つけることはない)
——それだけは、信じられる。
だから、いい。
話したくなったときに、話してくれれば。
ザァ……。
小さな波が、テトラポッドの隙間に潜って消えていく。
海風に揺れる髪を、そっと耳に掛けた。
空に浮かぶ海鳥が、白い翼を広げる姿を見つめて……。
第十五話
覗く深海-静寂の波間で- 完




