第十四話: 空の向こう
透真とふたり、岩羽の崖に戻ってきたときには、
すでに辺りは暗くなっていた。
避難していた人たちは一足先にそれぞれの家に帰ったようで、
崖に並ぶ洞穴からは、仄かに橙色の灯りが辺りを照らしていた。
ホーマンさんの家の前に降り立ち、透真がゆっくりと私を下ろす。
「透真、ありがとう」
「あ、ああ……」
薄暗くて顔はあまり見えない。
けれど、透真の声はどこか疲れているようだった。
(無理もないよね……)
体はあまり動かしてなくても、きっと気疲れしているはず。
加えて私を抱えながら空を移動してきたのだから、疲れていないわけがない。
そっ……。なでなで。
「?! ……音凪?」
くんっと腕を伸ばして、透真の頭を撫でた。
透真はびっくりして目を丸くしている。
「ふふっ」
何だか今日は久しぶりに、透真の表情がくるくる変わってるのを見た気がする。
「ネ〜ナ〜!」
洞穴の中から、フアナが呼ぶ声が響いた。
私は透真の頭を撫でるのをやめて、フアナが待つ中へと入っていった。
「フアナ、どうしたの?」
籠を真ん中にして立つ、フアナとフアンくん。
(あれ?)
フィンの姿がない。
そう思ったとき、フアナが籠の縁を両手で掴んだ。
「フィンが寝ちゃって下ろせないのよぉ」
初めて見るフアナの困った顔。
フアナもこういう表情するんだ。
なんて思いながら、私はそーっと籠の中を覗いた。
「すぅ……すぅ……」
籠の中で、フィンは小さく丸まって眠っていた。
籠の底はそんなに広くはなくて、少し窮屈そう。
(フィンも疲れたよね)
魔物を止めたあの力。
あれはきっと、魔法のひとつ。
今までフィンが魔法を使ったところなんて見たことはなかった。
元々使えたのだとしたら、たぶん、
もっと早く使っていただろう。
(慣れない力の消耗は大きいはず)
透真も、フィンも。
みんな、自分にできることを精一杯していた。
フィンの寝顔にそう実感する。
胸の奥には柔らかな波が広がって、
気づけばそっと微笑んでいた。
(……よし、フィンを籠から出してあげなきゃ)
手を空けるため、
傘を腕輪に変化させていたときだった。
——スッ。
後ろからやってきた人影——
透真が、少し屈んで籠の中に両手を入れて、
そのままゆっくりと、フィンを持ち上げた。
「透真、私が抱っこするよ」
透真も疲れてるみたいだから。
そう思って両手を広げたけれど、
透真は小さく首を振った。
「フィンの手、見てみ?」
フィンの手?
透真の腕の中で丸まるフィン。
言われるがまま、その小さな子の手を見ると、
(……あっ)
柔らかそうな白い手は、
透真の服をしっかりと握っていた。
ふと。
透真と再会した日の夜を思い出した。
あのときは今と反対で、私の服をぎゅっと掴んでいて——
「ふふっ。甘えん坊さんだね」
眠ってるのに、ちゃんと掴むんだもん。
愛らしさに頬が緩む。
「やっぱりまだまだお子ちゃんねぇ」
フィンを見ながらニヤつくフアナ。
だけどその声の大きさはいつもより控えめだった。
フアナの不器用な優しさに、
私はまた「ふふっ」と声をこぼした。
「音凪、戻ろう」
「うん」
透真の言葉にこくんと頷き、
フアナとフアンくんに向き直った。
「フアナ、フアンくん。またね」
ふたりに手を振って、振り返ろうとすると、
「ネナ待って」
フアナがぎゅっと抱きついた。
(どうしたんだろう?)
フアナの言葉を待っていると、
フアナはゆっくりと顔を上げて、
私の顔を見つめた。
「このあとみんなでお祭りするの。
あたしが作るスープ、おいしいんだから。
——ネナも、食べにきてくれるでしょぉ?」
期待のこもったフアナの瞳。
フアナはどうして、こんなにも私に懐いてくれてるのだろう。
不思議だけれど、嫌ではない。
(……くすぐったい、だけ)
私はそっと、フアナに笑いかけた。
「うん。楽しみにしてるね」
「!」
フアナはパッと表情を明るくさせて、
私から体を離すと、どんっと胸を張った。
「ふふん! 任せなさぁい!」
フアナはそう言うと、空になった籠を掴んで洞穴の奥に行った。
そして少し離れた場所でしゃがんで、何かを拾い集め始めた。
「?」
何を拾っているのだろう。
よく見ると、地面には木の実がいくつも転がっていた。
「安心して。ちゃんと洗うから」
ふいにフアンくんがそう言った。
(あの木の実を使うんだ……)
木の実のスープは初めてかもしれない。
ぼーっとそんなことを考えているうちに、
いつの間にかフアンくんはフアナの元へ向かっていた。
ふたりの仲の良さにほっこりしたところで、
次こそ振り向いた。
「……」
振り向いてすぐ見えたのは、
透真の何とも言えない表情。
「透真、どうしたの?」
「あ……いや」
「何でもない。行こう」
そう言ってはぐらかした透真。
私は首を傾げつつ、歩き出した透真の後を追った。
(ホーマンさん家の木の実だよな……あれ)
透真がそんなことを思いながら苦笑いをしていたことに、
私が気づくことはなかった。
***
その日は夜遅くまで、里の中心に灯りがともっていた。
フアナのスープの匂い。
楽しげな人々の声。
それらが岩羽の崖にそよぐ風に乗って、
当たり前ではなかった日常が戻ってきたことを報せていた。
——そして激闘から、一週間が経った。
私たちはフアナたちや二人のご両親、共に戦った鳥人たちに引き止められ、しばらく『岩羽の崖』での日々を満喫していた。
あの日から二日ほどは、お祭り騒ぎが続いた。
たくさんの人に声をかけられ、たくさんの笑顔とお土産に囲まれた。
あの朝、透真に木の実と果物をくれたお婆さんも、涙を流しながら
「ありがとう、ありがとう」
と、再び木の実を贈ってくれた。
その手の温もりに、私は心の奥底から——“この場所を守れてよかった”と思った。
残りの日々は、フアナたちと穏やかな時間を過ごしていた。
けれど、ここにずっと居るわけにもいかない。
——昨日、私たちは再び旅に出ることを伝えたのだった。
「ネーナぁ……ほんとぉに、行っちゃうの?」
フアナがしょんぼりした顔で見上げてくる。
ここは岩羽の崖から少し南に離れた場所。
フアナたちは集落の出入り口を越えて、わざわざ見送りに来てくれたのだ。
私はフアナの頬をそっと撫でた。
フアナは気持ちよさそうに頬をすり寄せてくる。
「うん、行くよ。——目指したい場所があるから」
フアナの琥珀の瞳が、悲しげに揺れた。
「うう〜。でもぉ……」
「フアナ。鳥人族のわしらが、人の自由を奪ってはいかん」
様子を見守っていたホーマンさんが、静かにフアナを嗜めた。
言葉は厳しいけれど、ホーマンさんの手は優しくフアナの頭を撫でている。
「うっ! わ、分かってるわよぉ〜!」
フアナはムスッと頬を膨らませて、顔を背けた。
(最後は、笑ってお別れしたかったんだけど……どうしよう……)
何とか、拗ねてしまったフアナの笑顔を取り戻せないかと思い悩んでいると、フアナがちらっと私を見た。
「また……会いにきてよね」
「! うんっ!」
私が笑って答えると、フアナも笑った。
「フィン! あんたもよ!」
「うん!」
この一週間でとても仲良くなったふたり。
フィンはいつの間にか「フアナ」と呼ぶようになっていて、フアナもそれを許していた。
「フアンくんも、また会おうね」
隣でフアナとフィンのじゃれあいを見ていたフアンくんに声をかける。
フアンくんは先に視線だけをこちらに注いで、視線を追いかけるように振り向いた。
「うん、ネナさん。 元気で」
「うんっ、フアンくんも」
ほんの少しだけ微笑むフアンくんに笑い返す。
「ホーマンさん、一週間お世話になりました」
透真と一緒にフアナたちを見ていたホーマンさんに、ぺこりとお辞儀をする。
「ホッホ! 世話になったのはわしらの方じゃて。
……本当に、助かったわい。——ありがとのぉ」
目尻に深い皺を刻んで微笑むホーマンさん。
胸の奥が、じんわりと温かくなるのを感じた。
「はい……!」
私は満面の笑みで、力強く返事をした。
「音凪、フィン。そろそろ」
透真が落ち着いた声で促した。
別れが名残惜しくて、気づけば予定よりも随分と時間が経ってしまっていた。
私は透真の顔を見つめて、ゆっくり頷いた。
そして、三人に体を向けた。
「それじゃあ……行きますね」
三人に別れを告げる。
すると、
——バサァッ!!
フアナは勢いよく飛び立った。
「じゃあね〜!」
そう言って集落に戻って行くフアナ。
本当、自由だなぁと。
フアナらしさに思わず笑みがこぼれた。
「あ! 姉さんっ!」
フアンくんはフアナの後をついていこうとして、ぴたり。
私を見つめた。
横ではホーマンさんが、
「あいつを野放しにはできん!」と舞い上がる。
「お前さんたち、すまんの!
——達者でな!」
そそくさとそれだけ言い残して、フアナを追いかける。
慌ただしさに呆気に取られながらも、遠ざかるふたりに向かって小さく手を振った。
そして、
視界の端で、フアンくんの体がふわりと浮いた。
"フアンくんも行くんだろうな"
そう思っていると、私の耳元に顔を寄せて、囁いた。
「ネナさん、気をつけて。
——トーマさん」
フアンくんの言葉に、体が固まる。
透真に気をつける?
どういうこと……?
フアンくんに聞き返そうとした時、
「ネ〜ナぁああ!!」
フアナが遠くから私を呼ぶ声が聞こえた。
フアンくんはその間に「じゃあね」と言って、フアナの元へと飛び去って行く。
(聞きそびれちゃった……)
行き場をなくした手が宙をさまよう。
仕方ないと、私を呼ぶフアナの方を向く。
フアナは空の上でくるりと旋回しながら、ニヤリと笑った。
「トーマがネナのこと、好きだってぇえーー!!」
「ばっ!?!?」
"好きだってぇえーー!!"
フアナの声が、峡谷中に反響した。
私は目をぱちくりさせて、ゆっくりと透真に顔を向けた。
「ね、音凪さん……」
たじろぐ透真。その顔は仄かに赤い。
私はにこっと微笑んだ。
「——私も好きだよ」
「!」
透真が目を見開いて固まった。
くいっと、服を掴まれる感覚。
「ネナ、ぼくは? ぼくはっ?」
フィンが飛び跳ねながら尋ねる。
それは、もちろん——
「フィンも大好きだよ」
「ぼくもネナだ〜いすきっ!」
「……」
透真の遠い視線には、気づかないまま——
私はフィンと抱きしめ合った。
峡谷の空に、フアナの高笑いが鳴り響く。
「あーあ。かわいそー……」
フアンくんのそんな呟きは、照りつける太陽に溶けていった——
第十四話
羽ばたきの峡谷-空の向こう- 完
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
この第十四話をもって、第三章は完結となります。
連載中、毎日どなたかが覗いてくださっていることが本当に励みになっていました。
実は三章までは、連載開始時点で予約投稿を済ませていました。
ですが、アクセス数を確認することが習慣になり、自然と何度も本文を見返すようになり……
気づけば加筆修正を重ねていました。
結果として、当初よりも物語に厚みが出せたのではないかと思っています。
これもひとえに、読んでくださる皆さまのおかげです。
本当にありがとうございます。




