第十三話:信じるのは、(後)
《フィン視点》
『フィン。俺の合図に合わせて眠らせるんだ』
トーマがぼくの手をつんとするたび、
ぼくは「眠って!」って叫ぶ。
白と黒がぶつかり合うモノクロの世界。
白い影——ネナは、ぼくの祈りに合わせて、
何度も、何度も、
……何度だって黒いのに向かっていく。
(ぼくの力が、足りないから……っ)
——ネナが、届かない。
ぼくが黒い影を深く眠らせることができれば、ネナは絶対に斬ってくれる。
ネナがどれだけ速くなっても、黒い影は気配に気づいて目を覚ます。
「おねがい……っ
ちゃんと眠ってええ!」
目からぽたぽたと涙がこぼれ落ちる。
黒い影は——また動く。
「ネナぁ、ネナぁああ!!」
誰か——ネナを助けて。
——。
強く願った瞬間、
懐かしい笑い声が聞こえた___。
《フィン視点》 end.
——
「……!!」
風の香り。核が沈んだ。
斬り込む。
カッ!!
「****!!」
ブォオオオ!!!
また弾かれた。
「っ」
遅い。まだ速さが足りない。
フィンの力に合わせて、何度も何度も核に突っ込む。
しかしその度、核は傘が届く寸前で爆風を巻き起こす。
もっと。もっと速く——
(核が完全に目を覚ます前に——!)
核は私の気配で目を覚ます。
そんなことは分かってる。
ただ私が、核が動くより先に斬ればいいだけ。ただそれだけ。
傘先を核に向ける。
体が受ける風を減らす。
大丈夫。視界は遮られない。
透けた傘の先、核が再び眠った。
(今度こそ……!)
核の目の前。
傘は軸を返し、私は腕を振り上げた。しかし、
「***ーっ!」
「くぅ……!」
また、傘は核に届かなかった。
咄嗟に開いた傘で衝撃を抑える。
(まだ遅い)
けれど、もうすでに傘の飛行で出せる速さは限界だ。
今以上の速度を出すためには、どうしたら——
「!」
私は傘を空へ突き刺すように力を込めた。
速度を上げるために、核より上空に一度身を引く。
そして——落下の力を利用する。
ふわっ。
草木の匂い。核が動きを止めた。
私は風の抵抗を減らすため、膝を折り身を小さくする。
隕石のように、速く、速く。
核に向かって落ちていく。
(今度こそ——斬る!!)
最小限の動きで傘を振りかぶる。
核が眼を開いた。翼をはためかす。
(絶対に、諦めない——!)
傘を振り抜く寸前——
……フッ。
——風が、凪いだ。
「*?!」
核が驚き身を震わす。刹那——
傘先が、空に火花を散らした。
——ザシュッ!!
核の首を、閃光が駆け抜けた。
「……*」
一瞬の静寂。
間もなくして、核の呻る声が響き渡った。
——血の噴き上がる気配が、背中越しに伝わってくる。
傘を開きながら、ひらりと後ろを振り返る。
傘にボタボタと降り注ぐ核の血。鉄の匂いが鼻を突いた。
核は、ゆっくりと地面に落ちていく——。
わずかに遅れて、周りの魔物たちも次々と脱力し、力なく地上へと落ち始めた。
——ビエント峡谷に、魔物の雨が降り注いだ。
「終わった……のか?」
そう、誰かが呟いた。
その呟きを皮切りに、空は歓喜と安堵の声に包まれた。
「勝った……! 勝ったぞ!!」
「やっと終わった! ——終わったんだ!」
空で無事を喜び、お互いの健闘を讃え合いながら抱き合う鳥人たち。
涙を流している人もいる。
怪我を負っている人もいる。
誰もが疲弊を顔に滲ませている。だけど——
みんな、笑顔だった。
私はそんな彼らを横目に、辺りをきょろきょろと見回す。
——大岩の側に、探していた姿があった。
「透真!」
一目散に透真の元へ飛んでいく。
そしてそのまま——
透真の胸に、飛び込んだ。
「音凪!」
透真は飛び込む私をしっかり受け止め、
勢いをいなすように回ると、ぎゅっと抱きしめた。
「——おかえり」
「ただいまっ」
透真の息が耳を掠めた。
お互いの無事を喜び合うように、
強く、強く抱きしめ合う。
(ああ、)
この温もりを感じられることが、当たり前ではないと、
——どれほど幸せなことなのだろうと、噛みしめていた。
透真の手が、そっと肩に触れた。そのとき。
「こほんっ!」
後ろから、わざとらしい咳払いが聞こえた。
その声に振り向くと、
ホーマンさんが眉を顰めて、私たち二人を見ていた。
「お前さんたち。
いちゃつくのは構わんが、そういうのは人目を憚るもんじゃぞ」
呆れた顔で注意するホーマンさんに、思わず首を傾げた。
空で抱擁し合う他の鳥人たちと同じなのに……。
私はしょんぼりしながら透真から身を離した。
透真は少しだけ耳を赤くしている。
「して、お前さんたち。なぜここにおる?」
ホーマンさんは岩陰を覗き込みながら尋ねた。
私は“もしかして”と思い、ホーマンさんの後ろから岩陰を覗く。
そこには——
「「……」」
フィンと、フアナ、フアンくんがいた。
フアナとフアンくんは気まずそうな顔をしている。
フィンは……
ボロボロ泣きながら、私の顔を見上げた。
「ネナぁああ!!」
次の瞬間、フィンは私に向かって駆け出し、そのまま抱きついた。
私はその温もりを抱きとめ、笑いかけた。
「フィン!
フィンの想い、ちゃんと届いてたよ!」
フィンはしゃくり上げながら、私の目を見つめ返す。
そして、丸い目がくしゃっと歪んだ。
「うっ、うっ……
ネナぁああ!
ひどいこと言って、ごめんなさああい!!」
私の肩に顔を埋めて泣くフィン。
何度も「ごめんなさいっ!」と繰り返す。
フィンは怒っていたんじゃなかった。
今の間も……ずっと、ずっと——
罪悪感を抱えていたんだ。
そんなことも知らずに、私——
「っ……私こそ、ごめんね……!
フィンがたくさん我慢してたの、気づけなかった」
小さくて、大きなその温もりを、ぎゅぅっと抱きしめる。
フィンも応えるように、ぎゅっと力を込めた。
「これからも嫌なことは嫌だって言っていいの。
たくさん話して、いっぱい解り合っていこう」
「うんっ! ——うんっっ!」
いつの間にか雲が途切れた峡谷の空。
橙に染まる夕焼けが、私たちを優しく包み込む。
風が静かに吹き抜け、涙の跡を撫でていく。
「うわぁあああん!!」
しばらくの間、フィンの泣く声が辺り一帯に響き渡った——。
***
「それでぇ! あたしが『あっち!』って言って、フアンが見つけたのよお!」
自慢げに胸を張るフアナと、いつも通りのフアンくん。
フィンが落ち着いた頃、フアナはここに来た経緯とその後の話をしてくれた。
私は並び立つふたりをまとめて抱きしめた。
「!」
「えっ?!」
「ふたりとも、ありがとう!
ふたりがいなかったら、きっと倒せなかった」
そう言って、強く抱きしめた。
「えへへ」
「えっ! えー……」
フアナはうれしそうに抱きしめ返してくれた。
フアンくんはどこか困った様子を見せたけれど、
それでも、私の手を振り解くことはしなかった。
「こりゃあ、怒るに怒れなくなってしまったのぉ……」
ぼそっと、ホーマンさんが後ろで呟いた。
「そりゃそうよぉ!
だってあたしたち、悪いことしてないも〜ん!」
「そうだそうだー!」
ふたりが私から身を離してホーマンさんに向き直る。
「前言撤回じゃ。
——調子に乗るんでない!!」
ごつん!!
鈍い音が二つ、峡谷に響いた。
「いった〜!!」
「〜〜っ!」
ふたりが頭を抱えて蹲る。
つい昨日見たばかりの光景に、私は苦笑いした。
「まったく……」
ホーマンさんはふたりを見て小さく息を吐くと——
そのまま、私たちに視線を注いだ。
「ネナ」
「トーマ」
「フィン」
呼ばれた私たちは、ホーマンさんをじっと見つめた。
「此度の戦い。お前さんたちがいなければ、
戦死者が出るどころか——
生存者は、一人もいなかったかもしれん」
ホーマンさんの言葉に、私は目を丸くして、頭の中で反芻した。
『お前さんたちがいなければ、戦死者が出るどころか』
つまり、それは——
「誰一人喪うことなく、里に帰れる。
——こんな幸福なことはないじゃろう」
「ありがとう」
ホーマンさんは、吊り上がった目尻をすっと下げて、微笑んだ。
(誰も……死ななかった。
あの人も、助かったんだ——)
そのことに胸がきゅっとして、次第に、柔らかな熱が全身を包んでいった。
私は、"誰かの大切"を守れた。
自然と口元が解ける。
私を見つめるホーマンさんの目尻の皺が、優しく刻まれた。
「さて、そろそろ戻るぞい」
ホーマンさんは誰に言うでもなく、そう声をかけた。
フアナとフアンくんはこくりと頷き、いそいそと籠を用意する。
「ほうらフィン!
帰りもあたしたちが運んであげるわよぉ〜!」
「滅多に乗れないんだから、感謝してよね」
「うん!
おねえちゃん、おにいちゃんありがとう!」
フィンはぱたぱたと籠に乗り込み、ひょこっと顔を出した。
あまりの可愛さに、ついクスクス笑ってしまう。
「フアナ・フアン号、しゅっぱ〜〜つ!!」
掛け声と同時に、ふたりは半獣に姿を変えた。
鳥の足で籠を掴み、息ぴったりに翼をはためかせ、空へと舞い上がっていく。
「まったく。元気な子らじゃ」
ホーマンさんも三人の後を追って飛び立った。
オレンジの空に小さくなっていく四人の姿を、透真とふたりでしばらく見送る。
その影が霞む頃、私は透真を振り返った。
「さ、私たちも行こう」
開いた傘を差し出す。
「え?」
透真が、目を見開いて固まった。
「……え? 帰るよね?」
どうしてそんなに驚くのか、私には分からなかった。
「あ、いや。……俺は、歩いて帰るよ」
「? なにを言ってるの?」
「早く傘を持って」
傘を握らせようとするが、透真は頑なに拒む。
「いや、音凪。俺は本当に、歩いて帰れるから」
「もう……透真。
変な意地張ってないで、早く持って」
透真の右手を両手で掴み、無理やり傘を握らせる。
透真は、遂に折れた。
(これで帰れる)
私は透真の手に握られた傘を見て、満足げに笑った。
「……(耐えろ、俺の理性)」
透真は、天を仰いだ——。
そしてすぐに、
ふたり分の影が、橙の空に溶けていった。
第十三話
羽ばたきの峡谷-信じるのは、- 完




