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雨上がりの空で、傘をさす。  作者: つな△まよ
七章:芽吹きの地
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第六十五話:雲竜柳の手


(やっと着いた……)


いつもとは違う道順で向かった訓練場。

途中、自分がいる場所が分からなくなった時もあったけれど、


(メイドさんに出会えてよかった)



『訓練場でございますか? あちらでございますよっ』


通りがかったメイドさんに訓練場の方向を聞いて、どうにか辿り着くことができた。


朝、ラケルと一緒にフィンの様子を見ていた建物の陰で足を止めた。


(静か……)


声は聞こえないけど、たまたまかもしれない。


「……」


壁の角から、こっそりと覗いた。


(……いない)


訓練場には誰もいなかった。

念のためベンチの方も確かめたけれど、ベンチには太陽の光が落ちているだけで人はいない。


(……)


一応、【音摘】も使ってみたけれど、やはり人がいる気配はなかった。


ほっと息をついて、訓練場の中心へと足を向けた。


ザッ……ザッ……


閑静な訓練場に砂を踏み締める音が響く。

中央まで来て、静かに足を止めた。



——スッ。


右手をわずかに横に広げ、手首にはめた腕輪を傘に変化させた。


手の中に柄の感覚が訪れて、両手で傘を胸の高さまで持ち上げた。

支えた左手で、布地を優しく撫でる。


(よろしくね)


微かに感じた振動に、にこっと微笑んだ。


バッ!


傘を右下に振り下ろした。

武器として扱うのは、ウブラでヴィーディアと戦った時以来。

だけど、腕の動きに違和感はない。



「……すぅ、——!」


ザッ!!


息を大きく吸って強く地面を蹴った。



シュン! シュン! ——シュンッ!!


右下から左上に振り上げ、

左から右へ横に振り抜き、

最後に上から下へまっすぐに振り下ろした。


「……」


体を起こして、力を抜いた。


(着替えてから来たらよかったな)


ちょん、とスカートの裾を摘んだ。


ふわっ。

ぱっと手を離すと、スカートは空気を含んで静かに落ちた。


(何しよう……)


あまり大きな動きはできない。

かと言って、今から着替えに行って戻ってきた時には、もうフィンたちの授業も終わっている頃だろう。


「……」


少しの間考えて、


……スゥッ。


傘をそっと空に伸ばした。

肘が伸び切る前に、傘は布地を広げた。


地面からわずかに体を浮かせる。

つま先と地面が拳二つ分、離れたところで上昇を止めて——



スィーー



その場で、回転をしはじめた。


くるくると、ゆっくり回る傘と体。

スカートがふわふわと円を描いている。


「……ふふっ」


回転の勢いで肌を撫でる風が気持ちいい。


これまで空を飛んでいたのは、戦っている時や他に気にすることがあるときばかりだったから、純粋に楽しむことはほとんどなかった。


(フアナたちと鬼ごっこしたとき、楽しかったなぁ)


岩羽の崖に滞在していた時、フアナに誘われて空中鬼ごっこをしたことがあった。


敵も、時間に追われることもなく、

気軽に好きなように飛び回ったあの時間は、本当に楽しかった。


(崖を駆け上がって跳んだときも、楽しかった)


フィンを喜ばせようとしたことだったけど、あの時の風を切る感覚と浮遊感には、私自身も胸が躍っていた。


(また、遊びに行きたいなぁ)


自然に囲まれて、広々とした空がそばにあって、

人の目を気にすることもなく、思い切り体を動かせたビエント峡谷。


(今は風の魔力も使えるから、もっと自由にたくさん遊べそう)


私は自分が思っている以上に、体を動かすのが好きみたいだ。



スィーー


(もっと速くしてみようかな)


今の速度だと物足りなくなって、回転の速度を上げた。


遠心力で足が外側に流れて、勢いが増していく。

片手で支えるには少し辛くて、宙ぶらりんだった左手でも柄を掴んだ。


くるくるくるくるっ


「ふふっ、ふふっ」


体が振り回される感覚が思った以上に面白くて、気づけば笑い声が漏れていた。


魔力は、使うと安定してしまうと思ったから使わなかった。

その分、手や腕にかかる負担はちゃんとやってきて、


(そろそろ止めようかな)


そう思った瞬間——



「え、ネナちゃん何してるの?」


困惑したエヴァンさんの声が耳に届いた。



「……」


ゆっくりと速度を落として、静かに地面へと降りた。

エヴァンさんが近づいてきている音がする。


地面を見つめていると、視界にエヴァンさんの革靴が現れた。


「あー……邪魔しちゃってごめんねぇ」


「……遊んでただけなので、大丈夫です……」


視線は下げたまま答えた。


(変なところ、見られちゃった……)


顔中が熱くて沸騰してしまいそう。

恥ずかしくて、顔は上げられない。


「ネナちゃんって、意外と子どもっぽいところあるよね」


「……」


「あっ、悪い意味じゃないから」


「はぃ……」


気を遣ってくれているのが、余計居た堪れない気持ちになった。


「いやいや、ほんとに悪い意味じゃないんだよ。だからそんなに小さくならないでって。ね?」


わずかに焦りを滲ませたエヴァンさんの声に、少しだけ顔を上げた。

エヴァンさんは困ったような表情をして、指の腹で頬を掻いていた。


「前にも同じようなこと言ったと思うけど、ネナちゃんって根が真面目だからさ」


「……」


「子どもみたいに楽しめる気持ちがあるのはいいことだと思うよ。少なくとも、俺はちょっとだけ安心したなぁ」


エヴァンさんの顔は嘘をついている訳でも、からかっている訳でもなさそうだ。


ふっと、肩の力が抜けた。

顔の熱も徐々に引いていくのを感じる。


「そう……ですか」


「うん。あとはもうちょっと我儘になれればいいよね」


「わがまま……」


「そ。我儘」


前に言っていた『図太く』という話と同じような意味なのだろう。


(わがままに……)


"相手のことを考えず、自分勝手に振る舞うこと。"


普段はそんな悪い意味で使われるけど、それを勧めるということは、それだけ私が自分の気持ちを抑え込んでいるように見える……ということだろうか。


(そんなつもりは、ない……けど)


気づけばまた、視線が下がっていた。


「……」


頭の片隅に寄せていた、透真のことを思い出してしまった。


(いくら何でも、無理やり話を聞くのはダメだよ)


口を閉ざしたまま、じっと地面を見つめた。

訓練場に再び静寂が訪れた、そのとき。


「そういえば」


エヴァンさんが沈黙を破った。

ゆっくりと顔を上げると、エヴァンさんは口元に緩やかな弧を描いていた。


「俺がここにいるの、不思議じゃない?」


「あ……」


言われてみれば、今エヴァンさんは透真とフィンに貴族のマナーを教えている最中のはず。


「どうして……」


思わず、声に出た。

エヴァンさんは笑みを深めると後ろを振り返った。

そして目線だけ私に戻して、そっと口を開いた。



「フィンとラケルが待ってるよ。エントランスまで行ってあげて」



にこっと笑って、玄関がある方向を指差した。


「え……?」


目を大きく見開いた。


(フィンとラケルが待ってる?)

(いったい、どういうこと……?)


理由も分からず突然のことに戸惑っていると、エヴァンさんが体を避けるように一歩後ろに下がった。


「ほらほら。早く行かないとずっと待たせちゃうよ」


「!」


確かにそうだ。

理由はふたりの元に行ってから聞けばいい。


「行きます……!」


「いってらっしゃい〜」


ひらひらと手を振るエヴァンさんにぺこっと頭を下げて、フィンたちがいる玄関の方へと駆け出した。



(あっ)


屋敷の出入り口で走るのを止めた。

中に入って急ぎ足で玄関へと向かう。


(急げ……!)


ふたりはいつから待っているのだろうか。

エヴァンさんが訓練場に来るまでの時間も考えると、結構待たせてしまっている気がしてならない。


(あとちょっと……!)


少し先に見える扉を開けば、もう目的地の玄関だ。


はやる気持ちに、自然と廊下を蹴る速度が上がる。

残りわずかな扉までの距離を小走りで駆けた。


ぐっ!


扉の取手を強く握った。

そのままの勢いで引こうとしたけど、


(……向こう側に人がいるかも)


たまたま人がいて、その人も取手を掴んでいたら倒れてしまうかもしれない。


「……」


慎重に、ゆっくりと引っ張った。


——。



(……あ)


扉を開いた先、

玄関の扉の前で待つフィンとラケルがいた。

側にはミントと——



〈! ネナチャ キタ!〉



ラケルの手のひらの上に乗る、ネロの姿があった。

ネロはこちらを見てぴょんぴょんと跳ねている。


(ネロ? どうしてラケルが……)


ラケルはネロの姿が見えないはず。

それなのに、どうしてラケルの手の上にいるのだろう。


「えっ?」


ネロの声にフィンとラケルもこちらを向いた。


「あっ、ほんとだ」


「ネナ〜!」


ぱたぱたと駆け寄るフィンを受け止めて、ラケルに視線を移した。


ぱちぱち、と大きく瞬きをした。


歩いてくるラケルの手のひらには、確かにネロの姿がある。

落とさないように両手でお皿を作っていて、明らかにネロの存在が見えていた。


「ラケル、ネロが見えるんだね」


「ノクス様が、つれて行きなさいって」


「ノクス様……?」


初めて聞く名前に聞き返した。


〈ノクス アルジ!〉


「魔塔でいちばんの闇魔法つかい。魔塔主いがいで」


ネロの答えに、ラケルが付け加えるように答えた。


ぴょんっ!


ラケルの手から私に飛び移ったネロを咄嗟に受け止めた。

ネロがそのまま服をよじ登ろうとしたから、お尻を押し上げて肩に移動させた。


(位だけじゃないんだ……)


船で船長さんがエヴァンさんのことを『第二位』と言っていたのは覚えている。

だから、魔塔主を頂点にして序列があるのは何となく分かっていた。

だけど、単純な序列だけではなかった。


(役割がたくさ……うん?)


忙しそうだ……と思ったけれど、私はエヴァンさんが二週間以上、魔塔を離れていることを知っている。


遊びで船に乗っていた訳ではないと思う。

だけど、クラーケンと戦って以降、エヴァンさんとはかなりの時間を一緒に過ごしていた。


(こんなに長期間、魔塔を離れていて大丈夫なのかな)


とてもじゃないけれど、忙しそうには見えない。

魔塔とはいったい、どんな場所なんだろうか。


「ネナ?」


フィンが不思議そうな顔で私を見上げていた。

私は小さく微笑んで、フィンの柔らかな頭を優しく撫でた。


「エヴァンさん、いっぱい名前があるんだね」


「! ね〜!」


フィンは一瞬きょとんと目を丸めて、すぐに私の言葉に頷いた。


「ところで、エヴァンさんから『二人が待ってる』って聞いたよ。どうしたのかな?」


魔塔のことは気になるけど、図書室に行けば魔塔について書かれた本はいくつかありそうだ。

急がなくても、男爵邸の滞在期間はまだ二週間以上ある。


もしなかったとしても、エヴァンさんやネロ、ラケルから話を聞くこともできるだろう。


フィンとラケルはお互いの顔を見合わせた。

そしてフィンがにんまり笑うと、ラケルはこくんと頷いた。


「……?」


私一人がついていけず、首を傾げながらふたりの言葉を待った。


ふたりは私に視線を戻して——



「ネナ! おでかけしよ!」


「街であそぼ」



「えっ?」



ぎゅ!



呆気に取られている私の手を同時に取って、

外へと続く扉に向かって歩き出した。



第六十五話

芽吹きの地-雲竜柳(ウンリュウヤナギ)の手- 完

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