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雨上がりの空で、傘をさす。  作者: つな△まよ
七章:芽吹きの地
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第六十三話:咲けない寒芍薬



「っ」



広く静かな廊下に響く、一人分の足音。


訓練場から駆けてきて邸宅の中に入った後、走るのをやめた私は重たい足取りで部屋へと向かっていた。


(私は……なにも知らない)


ただでさえ、色んなことがぐちゃぐちゃとしていた頭の中。

一人になったことで余計なことが見えはじめて、そして恨めしいほど、よく頭が回った。


透真のこと、何でも知っていると思っていた自分が恥ずかしい。

本当のことを知りたい。教えてほしい。

透真にとって、自分はそんなに信用に足りないのか。


そんなことを考えてしまう自分が嫌で、

だけど、掻き消すこともできなくて。



(……最近、こんなことばかり)


前までは、こんなことなかったのに。



「っ……」


ぴたっと、足が止まった。


固く手を握りしめて、ぎゅっと目を閉じた。


(これじゃあ、まるで)



——今の自分が、嫌いみたいだ。



「やだ……」


ぎゅっと、また胸が痛んだ。



この世界で経験したこと、

経験して得た変化。


それらを否定なんて、したくはない。

それなのに、



(自分が、自分じゃなくなるみたいで——怖い)



ごくっと、喉が鳴った。

気づけばわずかに震える手が肘を撫で、自分の体を抱きしめるように、その場にしゃがみ込んだ。



——。



「……!」


手首を包む温もりに、はっと顔を上げた。


そこにあるのは、深い紺色に銀の蔦が描かれた腕輪。



——透真が贈ってくれた、私の傘。



「……ふふ、慰めてくれてるの?」


優しい熱を帯びる腕輪を、そっと撫でた。

すると腕輪は私の声に応えるように、小さく震えた。


(……いつも、そう)


この子は戦う力だけを与えてくれるわけではない。

いつだって——


私の心に、寄り添ってくれる。



「っ、ありがとう……」


腕輪を下から包むように、左手を右手首の内側に添えた。

そして、手首の外側に額を寄せた。


(あたたかいなぁ……)


じんわりと広がる熱が、とても心地良かった。



どのくらい、そうしていただろう。

腕輪の温もりに少しだけ心が解れてきた頃、

そろそろ部屋へと戻ろうと、腕輪から顔を離した時だった。



「音凪!?」


「!」


静まり返った廊下に、

驚きと焦りを滲ませた透真の声が響き渡った。


(……どうしてなの)


会いたい時に会えないのに、会いたくない時には、こうもすんなりと会えるなんて。


「っ」


うれしさよりも"会いたくなかった"と思ってしまった自分に、再び黒いものがお腹の奥で渦巻いた。



「音凪、どうしたんだ?」


駆け寄ってきた透真は私の前で屈んで、そして両手を差し伸ばした。

大きな手は戸惑いながらも、優しく私の肩を包んだ。


何か言わないと。

でも、今透真と話したら——


唇を薄く開いては、閉じて。

数回繰り返した後、



「……透真」


ようやく振り絞って出した声。

思わず、ほっと息をついた。



(……さっきじゃなくて、よかった)


もし、訓練場を離れてすぐに透真と会っていたら、自分の中でぐちゃぐちゃになっていた想いを全てぶつけてしまったかもしれない。


今は、腕輪のおかげで少しだけ落ち着くことができている。



「音凪……具合、悪い?」


心配そうに顔を覗き込む透真。



"透真のせいだよ"



そんなことを言ってしまいそうになるのを、ぐっと堪えた。


(もやもやが溢れる前に、離れよう)


透真の問いに、首を横に振った。

すかさず、口を開いた。


「透真。危ないこと、してないよね?」


「えっ?」


透真は私がこんなことを聞くなんて予想もしていなかっただろう。

面食らった顔をして、私を見つめている。


「知ってるの。透真が魔力の訓練とは別の何かをしてること」


透真の目が見開いた。


「どうして……」


「知った理由は、今は大事じゃない」


つい、きつい言い方になってしまった。


「っ」


透真が小さく息を飲んだ。

私は自分の手首を強く握りしめた。


(……落ち着いて)


深く息を吸って、静かに吐き出した。



「危ないことをしてるか、してないか。……それだけが、知りたいの」


透真の秘密を暴くつもりはない。

そんな意思を込めて、透真の瞳を見つめた。



ただ、少しでも安心したいだけなの。

安心させてほしい。



私を——信じさせて。



透真は私の視線を受け止めたまま、しばらく口を閉ざした。

そして、


スゥッ。


透真の視線が落ちた。


「っ……」


視線を逸らされたと思った。

後ろめたいことがあるんだと。だけど、


透真の手は私の肩を滑り落ち、そのまま私の手の上に重ねた。



「音凪」


視線が、再び交わった。



「危険なことはしてない。これからもしない。

 ——約束する」



揺れることなく、まっすぐに注がれた眼差し。

強張っていた肩の力が抜けていくのを感じた。



「……そっか。…………うん」


気がつけば、重ねられた手を見つめていた。


(これだけで、十分)


透真は私の気持ちに応えてくれた。

今の言葉に、迷いも嘘もなかった。

もう……大丈夫。


そう言い聞かせていた。けど、



ドクンッ。



——本当に?



(……満足、しなくちゃ)



ドクンッ、ドクンッ。



——透真の、何を知ってるの?



「っ……!」


堪らず立ち上がって、透真から顔を逸らした。


「音凪……?」


困惑した声で私を呼び止める透真。

その声に、ぎゅっと固く目を瞑った。


これ以上ここにいたら、

取り返しのつかないことをしてしまう。


そんな嫌な確信に、咄嗟に口を開いた。



「ごめんね、透真。

 もっとたくさん話したいけど……今は、だめなの」



顔は背けたまま。

それだけ言い残して、部屋へと歩き出した。



「音凪……っ」


苦しそうな透真の声に、

聞こえないふりをして。


***


《エヴァン視点》



「ぼく、いっちゃだめなこと、いっちゃった?」


ネナちゃんの姿が見えなくなると、フィンは今にも泣きそうな声で尋ねた。


「どうして?」


俺が応えるよりも先に、ラケルが反応した。


「え?」


「楽しくおしゃべりしてただけ」


ラケルはじっとフィンを見つめた。

その瞳には慰めの意図はなく、ただ純粋に思っていることをそのまま口に出しているのが分かる。


(そうなんだ、で飲み込めればいいんだけどね)


フィンへと視線を移す。


「……でも」


フィンは口を弓形に引いて、大きな目いっぱいに涙を溜めていた。



ぽろっ。


「でもぉ、ネナびっくりして……かなしそうだったあ……っ」


堪え切れず、フィンの瞳から大粒の涙が溢れ出した。


ぼたぼたと、乾いた土に大きなシミが広がっていく様子をラケルは静かに見つめた。

そして、再びフィンを見たかと思えば、


「貴族と男は泣いちゃだめ」


容赦ない言葉をフィンに言い放った。


「……っ」


(厳しいな)


思わず吹き出しそうになったのを何とか堪えた。


「ひぃんっ……」


フィンは情けない声を出したものの、ラケルに言われた通り泣くのを止めようとしているのか、服の袖を両目に押し当てはじめた。


(……さて)


フィンの頭より少し上。

風の魔力が荒々しく渦巻いている。


〔……〕


妖精の怒りが徐々に昂っているのは明白だった。


風を巻き起こしていないだけマシだけど、それもいつまで続くか分からない。



「フィーン」


膝を折って、フィンに目線を合わせた。

フィンはひっくひっくと喉を跳ねさせながら、真っ赤に腫れた目で俺の顔を見つめた。


「ネナちゃんは少し寂しくなっちゃっただけだよ」


「えっ?」


フィンはきょとんと目を丸めて、ぱちぱちと大きな瞬きを繰り返した。


「ほら、フィンも昨日『トーマと全然会えなくて寂しい』って言ってたじゃん?」


「うん……」


「ネナちゃんも同じ。寂しくなっちゃったんだよ」


「おなじ?」


「そーそー」


フィンはしばらく、俺の顔をじっと見つめ続けて、


「!」


何かを思いついたのか、ハッと口を開けた。


「トーマつれてきたら、ネナげんきになる?」


期待がこもった眼差しを向けるフィン。

実際のところ、寂しいだけが原因じゃないであろうことに気づいている手前、頷くことはできないけど、


「フィンだったらそれで元気になる?」


「なる!」


「それならなるかもねぇ」


「!」


フィンの顔に、笑顔が戻った。


(一先ずは妖精を宥めることからね)


フィンの上空で荒れていた魔力が鎮まったことを確認して、ひっそりと口の端を上げた。


「でもどうやって連れてくの? 全然会えないのに」


ラケルが首を傾げた。

フィンの眉は一瞬で下がり、分かりやすく肩を落とした。


「うん……」


フィンは地面を見つめ、両手で服の裾をくしゃっと握った。


「それならさ」


再び妖精の機嫌が悪くなる前に、間髪入れずに口を挟んだ。


(ラケルのおかげでやりやすくなった)


二人の視線が集まる。

ゆっくりと言葉を繋げた。



「別の方法も考えてみよっか。

 トーマに会わせる以外で、ネナちゃんが元気になることをさ」



サァッ……

と、風がひとつそよいだ。


《エヴァン視点》 end.


***


《???視点》


透真は立ち去る音凪の後ろ姿を、ただじっと見つめていた。


「……」


伸ばした手は行き場をなくし、ゆっくりと落ちていく。


音凪の姿が見えなくなって、一拍。



「……珍しいな」


ぽつり、透真は呟いた。


〔……〕


透真の背後——

ミントは、大きな背中を鋭く睨みつけていた。


「用がないならもう行くぞ」


〔ある!〕


ミントは声を張り上げて、透真の目の前に飛び出した。


〔お前のせいでフィンが泣いてる〕


「……」


〔お前がフィンを泣かせた!!〕



ブオッ!!


窓が締め切られた通路に、突風が駆け抜けた。


「……音凪は、さっきまでフィンといたのか」


まるで独り言かのように、小さく掠れた声。

ミントは短く鼻を鳴らした。


「フィンは今も泣いてるのか?」


〔……〕


顔を逸らしたミントに、透真は僅かに息をついた。


「泣いてないんだな」


〔ふん〕


「……音凪がいた時、エヴァンも側にいたんだろ」


透真は確信を帯びた声で尋ねた。

瞬間、ミントの眉間に深い皺が刻まれた。


〔闇の奴がフィンの涙を止めてなかったら、あたしはお前のところに来なかった〕


長い髪をジリジリと逆立てるミント。

ふっと、透真は目を伏せた。



「……音凪の方か」


透真の言葉をミントは否定しなかった。

代わりに、


〔お前はもう、あたしを消すことができない〕


挑発するように、鼻で笑って透真を見下ろした。



〔全部ばらされたくなければ、さっさと何とかしな〕



ヒュウッ。


ミントはそれだけ言い残して、

風に姿を消した。



「……」


透真はいなくなったミントの影を見つめ、



——フッ。



後を追うように、

忽然とその場から姿を消した。



《???視点》 end.


***



パタン……。


透真と別れて、急ぎ足で部屋へと戻ってきた。

少しでも早く、一人になりたくて。


「っ……」


両手を握りしめて抱え込んだ。

息が詰まりそうなほど、胸が苦しい。


(自分勝手だ)


透真は忙しいなか心配して話しかけてくれたのに、私は自分の聞きたいことだけ聞いて、透真の声を振り切ってしまった。



『音凪……っ』


傷ついたような、余裕のない透真の声が耳にこびりついて離れない。



「ごめんね、透真っ……」


それでも、あのまま居続けることはできなかった。

あれ以上透真と話していたら、感情のままに言葉が飛び出して、止まらなくなってしまいそうだった。


ふっと、息が漏れた。


「っ子どもだなぁ……」


あまりに情けなくて、気づけば乾いた笑いが一緒にこぼれていた。

自分の感情も抑えられないなんて、どうしてこんなにも幼いんだろう。


(フィンたちにも、心配をかけてる)


お昼にはまた、みんなと顔を合わせなければならない。

今の状態で行ったら、また同じことを繰り返すだけだ。


(それまでに、心を落ち着けないと)


そのために訓練場から離れてきたのだから。


「……ふぅー……」


深く息を吸って、

じっくりと、時間をかけて吐き出した。



(……消えて)



止まない雨に、


心が溺れてしまわないように。



第六十三話

芽吹きの地-咲けない寒芍薬(カンシャクヤク)- 完

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