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雨上がりの空で、傘をさす。  作者: つな△まよ
七章:芽吹きの地
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第六十一話:フジバカマの疏明



「……」


「……」


向かい合うソファに座り、何も話さずただ俯く私と透真。


(……恥ずかしくて、顔を上げられない)


着替えている間、透真は部屋の外で待っていたようで、私が脱衣室から出ると、隅に立っていたメイドさんが廊下にいた透真を呼びに行った。


扉を開けたメイドさんに迎え入れられた透真の頬はほんのり赤らんでいて、やっと熱が引いた私の顔も、つられて熱が戻ってきた。



「えっと……透真、ありがとう」


そーっと、視線を上げた。

透真は一瞬だけこちらを見て、また気まずそうに目を逸らした。


「いや……。ごめん、タイミングが悪くて……」


「ううん……! 困ってたから、すごくうれしかった」


恥ずかしい思いはしたけど、透真が来てくれなければもっと恥ずかしい目に遭っていたかもしれない。


「だから、本当にありがとう」


「……それなら、よかった」


「……うん」


「……」


「……」


再び訪れた沈黙。

気づけば、またテーブルを見つめていた。


(なにか、話題……)


不自然な静寂に落ち着かなくて、頭を巡らせふと。


「……そういえば、ヤコブさんとのお話し、終わったんだね」


そっと顔を上げると、透真は小さく頷いた。


「ああ。滞在期間も決まったから、それを伝えようと思って」


「どれくらいになったの?」


長くても三日、四日くらいだろう。

そう思いながら尋ねると、透真は一拍置いて、


「三週間」


そう答えた。



「……三週間?」


繰り返した私に、こくりと頷いた透真。

私は目を大きく見開いて、ぽかんと口を開けた。


「二十日後に、男爵主催の夜会が開かれるらしい。そこにぜひ招待したいと」


「やかい……?」


「夜に開かれる宴会。この間船で開かれたものと同じようなものだな」


"船で開かれた"

そう言われて、甲板での晩餐会を思い出す。


(またおいしい食べ物がたくさん並べられるのかな? フィンがよろこびそう)


大きな瞳をきらきら輝かせるフィンを思い浮かべて「ふふっ」と笑みをこぼした。



「……ただ」


「?」


少し言いづらそうに続けた透真に、小さく首を傾げた。



「今回は、皇族や貴族たちが参加する大きな催しだけどな」



「……………え?」


透真の言っている意味が理解できず、頭の中が止まった。

ぱちぱちと大きく瞬きを繰り返して、ゆっくりと口を開いた。


「私たちが招待された夜会とは、別だよね……?」


「同じ」


「!?」


透真は悩む素振りすら見せずにすぐ答えた。

私はこれでもかと言うほど目を大きく見開いて、透真の顔をまじまじと見つめた。


透真は居心地悪そうに視線を外すと、


「……了承するまで、終わりそうになかったから」


ぽつり、と呟いた。



『このヤコブ、日が暮れるまでこのままでいる所存ですぞ!』


そう叫びながら、頭を下げ続けたヤコブさんの姿を思い出した。


(それなら、しょうがないか……)


透真でもどうしようもできないなら、私だって断ることはできなかっただろう。

とは言え、ただ何も気にせず参加できるようなものでもない。


「でも、分からないこともたくさんあって、ヤコブさんに迷惑かけちゃうかも……」


貴族の作法はもちろん、この世界のことだってまだまだ知らないことだらけだ。

何か粗相をしてしまって、招待してくれたヤコブさんの名前を傷つけてしまわないかが心配だった。


「それは大丈夫」


「えっ?」


いつの間にか下がっていた顔を上げて、透真を見た。

透真は右手を肩の高さくらいまで掲げると——



シュルルルルッ



「?!」


深い紫色の球を浮かべた。


直感的に、それの正体はすぐに分かった。


「闇の……ま、りょく……?」


「ああ」


何でもないことのように頷いた透真はテーブルを指差した。

その指先につられてテーブルに目を向けて、さらに目を丸くした。


「どこから……」


そこには、さっきまでなかったはずの果物が置かれていた。


「〈認識阻害〉っていう闇魔法だ」


「〈認識阻害〉?」


「任意の相手以外は対象が見えなくなる魔法だ。エヴァンの〈影幕〉と似ているけど、〈影幕〉はこれの応用らしい」


淡々と説明する透真を、じっと見つめた。


どうしてこんな当たり前のことのように、魔法を使っているのだろう。


「透真、どうして……」


うまく言葉にできなかった。

もしかしたら、一昨日のことと関係があるのかもしれないと、そんな考えが頭を掠めてしまったから。


だけど透真には、言いたいことは伝わったようだ。


「さっき、エヴァンに教えてもらった」


透真はそう言って、魔力の球を握り消した。

指の隙間から紫の塵が舞って、空中に溶けた。


「……そうなんだ」


どうしてか、腑に落ちない。


私だって、何となく魔法を使っていた。

それなら、エヴァンさんに少し教わった透真が魔法を使えるようになったことは、全然おかしなことではないはずなのに。


「夜会の最中はこの魔法で人に気づかれにくくする予定だ。……ただし、この魔法は相手が対象を認識すると効果がなくなる」


魔法も完全に安心できるものではないようだ。


それはそれとして、


(認識阻害なのに認識する……?)


透真の説明がいまいちしっくりしない。


「……どういうこと?」


尋ねると、透真はテーブルの上の果物を手に取った。


「触れたり……『そこに何かがある』と分かれば効果がない」


透真はそう説明して、果物をスマホにしまった。


「……」


ふっと、目を伏せた。


(つまり……)


最初からそこに『ない』ということが前提の魔法ということなのだろう。


「そうなんだ……」


「だから、最低限の作法については男爵が講師をつけてくれることになった」


「……??」


「毎日決まった時間に、作法の授業を受けることになる」


ぱちくりと瞬きをして透真を見た。

すぐには意味を理解することができず、しばらく口を閉ざした。


「……授業?」


やっと出た言葉は、それだけだった。


「そうだ。明日早速呼ぶって言ってたから、そのまますぐに始まるだろうな」


「……」


「その講師は女性らしく、音凪につきっきりで教えてくれるみたいだ」


「つきっきり……」


たった一日、夜会に参加するだけなのに、どんどんと大ごとになっている気がする。


(……やっぱり断れないかな?)


講師の人を呼ぶのだってお金がかかるだろうし、そこまでして参加しなくても、ヤコブさんには別の方法で満足してもらうことはできないだろうか。


(……うん? 『音凪につきっきり』……?)


何か策はないかと考えを巡らそうとした時、今さら『つきっきり』という言葉に引っ掛かりを覚えた。


「……透真と、フィンは?」


まさか、一人一人に講師がつくのだろうかと、恐る恐る尋ねた。

もしそうなら、なおさら断らないといけないかもしれない。


「エヴァンがつく」


聞かれることが分かっていたかのように、透真は迷いなく答えた。


「エヴァンさんが……?」


予想もしていなかった人の名前に、きょとんと目を丸くした。


(どうしてエヴァンさんが……?)


エヴァンさんはやっぱり貴族なのだろうか。

そうだとしても、招待される側のエヴァンさんが教えるというのもどうなのだろう。


「先に『滞在中はエヴァンがフィンに魔法を教える』という話になったんだ。その流れで、作法についても自分が教えようかと、本人自ら提案したんだ」


透真はひと呼吸置いて、続けた。



「『これでも侯爵家の生まれだからちょうどいいでしょ』ってな」



さらっと、透真はとんでもない事実を私に突きつけた。


「こう……しゃくけ……?」


(公爵家? 公爵って、貴族の中でも上の身分の人だったような……)


貴族の身分のことは分からない。

ただ、それくらいのことは見聞きした覚えがあった。


透真は小さく頷くと、


「『そうろう』の方のな」


そう補足した。


「そうろうの方?」


「ああ。『こうしゃく』と呼ばれる爵位はおおやけの爵の『公爵』と、そうろうの爵の『侯爵』の二つあるんだ。

 エヴァンは公の爵の次の地位にあたる、そうろうの爵の家らしい」


思っていた『公爵』ではなかった。

けれど、公爵の次の地位ということならば、上の方の身分ではありそうだ。


"魔塔の二番目に偉い人"

というだけでなく、お家の身分も高いなんて……


「やっぱり、『エヴァン様』って呼んだ方がいいのかな……」


「本人がいいって言ってるから気にしなくていい」


透真はそう言うと、徐にソファから立ち上がった。


「透真?」


首を傾げて透真を見上げた。

透真はわずかに体を部屋の外へと向けて、


「伝えようと思っていたことは、話し終わったから」


目も合わさず、立ち去ろうとした。


「待ってっ」


咄嗟に立ち上がって、背中を見せる透真の手を掴んだ。


「……音凪」


ゆっくりと、透真は振り返った。


困っているような、傷ついているような……そんな表情で。



「……どうして出ていくの?」


そんな顔をする理由は分かっている。

私にはまだ話せない、透真の秘密。

それをずっと、透真は抱え込んでいる。


(待つって、約束はした)


そのことを覆すつもりはない。だけど、


「……っ」


ぎゅっと、手に力を込めた。



あからさまに避けられるのは——寂しい。



「っ!」


透真ははっと息を飲んだ。

そして何かを伝えようと、わずかに口を開いた。その瞬間、


コン、コン、コン。


部屋の扉を叩く音が鳴った。

反射的に、扉へと視線を移した。


「ネナちゃん〜。入っても大丈夫?」


「ネナ〜。トーマ〜?」


続いて聞こえた、エヴァンさんとフィンの声。


「……はい」


一瞬だけ透真に視線を戻して、ふたりの声に応えた。

同時に、掴んでいた透真の手を離した。


扉はすぐに開かれて、エヴァンさんのローブが隙間から覗いた。

エヴァンさんは部屋の中にいる透真を見て、フィンに話しかけた。


「ほら、やっぱりトーマもここにいた」


「ほんとだ〜」


ひょこっ。


エヴァンさんと扉の間から顔を出したフィン。

その姿は、見慣れない服に包まれていた。


「!」


ぱちっと、フィンと目が合った。


「ネナ〜、おようふくみて〜!」


フィンはぱたぱたと駆け寄ってきて、服がよく見えるように両手を上に広げた。


「うん。すごく似合ってるね」


「えへへ〜」


〔そらそうよ〕


うれしそうに笑うフィンの頭の上。

寝そべるミントも満足そうに笑っていた。


「ネナちゃん」


フィンとミントから視線を外した。

エヴァンさんは私が視線を向けたことを確認すると、透真に目を向けた。


「トーマから夜会のこと聞いた?」


こくり、と小さく頷いた。


「はい」


「それなら話は早いね」


「……?」


「今仕立て屋が来ててさ。採寸とか、デザインを決めたいんだって」


エヴァンさんはそう言って扉を振り返った。

扉の前にはメイドさんが立っていて、私たちの視線が向くときれいなお辞儀をした。


(えっと……)


メイドさんがエヴァンさんにそのことを伝えた、ということだろうか。


「そういう訳で、向かうついでに二人を呼びに来たんだよね」


「そうなんで……」


納得しかけて、ぴたり。


(……うん? 仕立て屋? 採寸?)

 

夜会について尋ねられた上で続けられた言葉。

それが何を意味するのか、私には一つしか思い浮かばなかった。


恐る恐る、口を開いた。


「それって、私たちが……着る……」


エヴァンさんは不思議そうに目を丸めた後、



「うん。ネナちゃんたちの夜会用の衣装だね」



当たり前のことのように、さらりとそう告げた。


(……そこまで、考えてなかった)


よくよく考えたら、簡単に想像はついたことだった。

貴族の集まりに、相応の身なりが求められるということは。


「衣装……」


どうしてそんなことに気づかなかったのだと、自分の浅い考えに頭を抱えた。


(貴族の集まりに着る衣装って、ドレス……だよね?)


いくら私でも、もう分かる。

夜会の衣装すらも、ヤコブさんが用意してくれるつもりなのだと。


だけど、それをすんなり受け入れられるかはまた別の話だ。

想像もつかない高価なものを用意してもらうことも、それを身に着けることも、私は喜ぶことができなかった。


「ネナちゃん、落ち着いて」


表情に出ていたのか、エヴァンさんは優しい声で私を宥めた。

いつの間にか落ちていた視線を上げて、エヴァンさんを見た。


「ヤコっさんがやりたがってるんだから、ネナちゃんたちは何にも気にする必要ないよ」


「でも、万が一汚してしまったりとか……」


「わざとはしないでしょ? ヤコっさんだってそんなことは承知の上だって」


エヴァンさんは「それに」と繋げた。


「帝国一の商会を持つヤコブ・アルカラとしてのプライドもある以上、絶対に『弁償しろ』なんて言わないから安心して大丈夫だよー」


そう言い切って、エヴァンさんは微笑んだ。

すぐに、"この話は終わり"と言わんばかりに背を向けて、部屋の外へと出て行った。


「……」


"弁償がないから大丈夫"とは、到底思うことはできない。

けれど、これ以上断ることもできなかった。


(だって、私が不安なだけだから……)


スッ。


「ぁ……」


透真がエヴァンさんの後を追って部屋を出た。


結局、透真が何を言おうとしていたのかも、聞くことができなかった。


透真の姿が見えなくなった廊下を、じっと見つめた。


「ネナ?」


「っ!」


ぴくりと肩が跳ねた。

振り向くと、フィンはきょとんとした表情で私を見上げている。


「ごめんね。ぼーっとしてたね」


ぐっと笑顔を浮かべて、小さな手をそっと握った。


「私たちも行こっか」


「うんっ」


ぎゅっと握り返された手に、少しだけ息がほどける。

それでも私の中でくすぶるもやは、確実に胸の底に落ちていった。


空いている手を、胸の前で握りしめた。



(……話せる時間は、たくさんある)



積もり続ける不安を掻き消すように、

そう言い聞かせた。



第六十一話

芽吹きの地-フジバカマの疏明(そめい)- 完

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