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雨上がりの空で、傘をさす。  作者: つな△まよ
七章:芽吹きの地
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第五十八話:服膺来るハナミズキ



「また会えたね」


ラケルちゃんは白と深い赤のドレスのようなワンピースを揺らして、小さく笑った。


「ラケルちゃん、どうして……」


いや、

本当は、聞かなくても分かる。

ラケルちゃんが、アルカラ男爵家の子だということは。


だけど、全く思いもよらなかった再会に、そう聞かずにはいられなかった。


「ラケル」


「え……?」


「『ラケル』って呼んで?」


こてん、と首を傾げるラケルに胸がきゅっと跳ねた。


(かわいい……)


自然と私の横に腰を下ろしながらすり寄るラケルの頭を、そっと撫でた。


「だあれ?」


不思議そうなフィンの声に、ゆっくりと振り向く。


「この子はラケル。一昨日のゲームで、助けてくれたの」


「!」


フィンの耳がぴょこんと跳ねた。

ソファから立ち上がると、背もたれの後ろを周ってラケルの横へと駆けていった。


「ぼくはフィン! よろしくね」


フィンはいつも通り無邪気に笑った。

一方、ラケルは私の服をぎゅっと握ると、


「……うん」


固い表情で、小さく頷いた。


人見知りなのだろうか。

フィンの眉がしょぼっと下がった。次の瞬間、


〔この小娘……あたしのフィンになんて態度かましてんだ……〕


不穏な声に見上げると、フィンの頭上でミントがわなわな震えていた。


いつまた魔力で風を巻き起こすか分からないミントに、背筋がつうっと冷えた。


(ミント我慢してぇ……!)


〔海まで吹っ飛ばしてやる……〕


私の想いはミントには伝わらなかった。けれど、


「!」


フィンはミントの声に目を見開いて、すかさず——



〔?! ぐえっ!〕


ミントの体を押さえつけた。


ぱたぱたぱたっ!


フィンはそのままミントごと頭を抱えながら、元の位置へと戻ってきた。


「だめだよ、ミント」


〔フィ、フィン……くるしぃ……〕


ひそひそと、フィンはミントを両手で鷲掴みしながら諭した。


「……?」


ミントが見えないラケルは不思議そうにフィンを見ていた。



「おおっ、ラケル。ここに来てたのか」


再び、部屋の出入り口へと目を向けた。

メイドさんと執事服の男性が同時にお辞儀をする。


「皆さま、娘が申し訳ない」


そこには、先ほど別れた男爵の姿があった。


男爵はラケルに近づくと、


「ルゥ。お客さまにご挨拶はしたのかね?」


そう尋ねた。


ラケルはぶんぶんと首を横に振って、ソファから立ち上がった。

男爵の隣に並んで、私たちに体を向ける。



「アルカラ男爵家の長女。

 ラケル・アルカラと申します」



ふわりと、

ドレスの裾を摘んでお辞儀をした。


(お姫さまみたい)


私たちがするような足を揃えるお辞儀ではなく、片足を後ろで交差して、膝を落とすお辞儀。

ふんだんにあしらわれたレースのワンピースも相まって、よりおとぎ話のお姫様を彷彿とさせた。


「ネナ殿」


びくっ。


急に名前を呼ばれて、思わず体が跳ねた。


「は……はい」


座ったままも失礼かと思い、おそるおそる立ち上がった。


「ああっ、そんなそんな! 掛けたままで構いませぬ」


男爵は目を大きくして、慌てるように両手を小さく振った。


(いいの……?)


すぅ……ふかっ。


半信半疑でソファに腰を戻すと、男爵は満足げに笑った。


「先のゲームでは、娘が大変お世話になりました」


男爵はそう言って一礼すると、ラケルの背に手を添えた。


「ゲームを終えたラケルがネナ殿の事ばかり話すもので……。

 実は本日来ていただいたのも、娘可愛さに"会っていただけないか"とお願いしようと思っていたところがありました」


思わずラケルを見た。


目が合うと、ラケルは小さく頷いた。


(そうだったんだ……)


船を降りた時の手筈の良さはそれが理由だったのかと腑に落ちた。


「それがまさか、ラケルが先にこちらへ来るとは……」


「パパ、ごめんなさい」


ラケルがしゅんと視線を落とした。

咄嗟に、


「私も会いたかったので、うれしいです……!」


男爵に向かってそう言った。


嘘ではない。

約束を守れなかったと、

そう思っていたから、本当にうれしかった。

それに、


(元気そうで、よかった)


ラケルがゲームの中でどのような最後を迎えたのかは知らない。

だから、もし魔物に襲われでもしていたら、心に深い傷を負っているのではないかと不安だった。


「お姉ちゃん……」


ラケルは私の隣に戻ってきて、ぎゅっと抱きついた。

自然と、柔らかなウェーブを描く深い金の髪へと手を伸ばす。



ぎゅぅ……。



「?」


背中に感じた温もりに、ゆっくりと振り返った。


「……フィン?」


フィンが私の背中に顔を埋めて、腰に抱きついていた。

呼びかけに、フィンはそっと顔を上げる。



「……ぼくも、あたまなでて」



つんと、わずかに唇を尖らせて私を見上げた。


「ネナちゃん、小さい子に人気だね〜」


見守っていたエヴァンさんが、へらっと笑う。

その様子にフィンは少しだけ眉を寄せると、ぐりぐりと頭を私の背中に押しつけた。


(つのが、ちょっと痛い)


だけど、心はなんだかふわっと温かい。


「フィンも、ね」


柔らかなアイボリーの髪に指先を伸ばした。

優しく、頭の形に沿って梳くように撫でる。


「……んふっ」


うれしそうに笑みをこぼすフィンに、私の目元も気づけば緩んでいた。


「ネナ殿が心優しい女性であるから、純心な者たちに好かれるということがよく分かりますな」


男爵は声を出して笑うと、


「紅茶が冷めてしまいましたな。

 今、淹れ直させますので」


そう言ってメイドさんへと視線を向けた。


「申し訳ございません。すぐにご用意いたします」


「え?」


淹れ直す、という言葉に戸惑った。

先に並べられたカップをワゴンに戻すメイドさんに「大丈夫」と声をかけようとすると、


「クッキーたべてね」


ラケルが私の手に両手を重ねた。


カラカラ……


その間に、メイドさんはワゴンと共に部屋の外へと出て行ってしまった。


「あっ……」


(私はそのままでも、よかったんだけどな……)


余計な手間をかけて申し訳ない気持ちと、もったいない気持ちで眉が落ちた。


「うちのいれたての紅茶、おいしいよ」


ラケルが顔を覗き込む。

私の考えていることを、察したのだろうか。


ラケルの言葉に続くように男爵が話しはじめた。


「うちで出している紅茶は、その時期で一番美味しい茶葉を使用してましてね。

 特に今回の茶葉は蒸らす時間を短くすることで香りが引き立つゆえ、最も美味しい状態でご賞味いただきたい」


男爵はにこっと笑うと、テーブルの奥にある一人掛けのソファへと歩きはじめた。


「さて……それでは、私はこちらに失礼させていただきます」


一言、男爵はそう告げてから静かに腰を下ろした。


(一番おいしい飲み方……)


茶葉に合わせた紅茶の淹れ方があると知って、少しだけ胸の内が軽くなった。



ほんのしばらく待っていると、メイドさんが戻ってきた。

その横には別のメイドさんもいて、新しい紅茶は二人で淹れてくれた。


全員に紅茶が行き渡ると、メイドさんたちは一礼して部屋を後にした。


「まずは一口、ぜひ」


男爵は紅茶に手を向けた。

私は頷いてフィンに話しかけた。


「フィン。熱いからこう持ってね」


「うん!」


フィンは元気よく返事をして、慎重にカップを持ち上げた。


「ふぅー、ふぅー」


ゆっくりとカップに口をつけて、こくり。


「おいしい!」


ぺろりと口の端を舐めて、ぱっと笑顔を浮かべた。


(苦味は感じないみたい)


カップを置いて、次にクッキーへと手を伸ばしたフィンを見て小さく口元を緩ませた。

そっと、目の前のカップに視線を移す。


「……いただきます」


ふぅふぅと少し冷ましてから、カップに口をつけた。


「!」


(おいしい……!)


渋みが控えめで、ほのかにフルーツのような香りが鼻に抜ける。


とても、飲みやすい。


「ほほっ。気に入っていただけましたかな?」


男爵が尋ねた。


「はい。とてもおいしいです……!」


「そうでしょう、そうでしょう。お口に合って何よりです」


男爵はうれしそうに頷くと、


「おかわりが必要でしたら、あちらの者に気兼ねなく申し付けください」


と言って、部屋の隅に立つ執事服の男性に目を向けた。


スッ。


男爵の声に、男性もお辞儀をした。


執事服の男性から視線を戻すと、男爵も紅茶を一口飲んだ。そして、


「……では、改めまして。

 私はヤコブ・アルカラと申します。

 元は貴族ではなく平民の出でしてね……。気軽に『ヤコブ』とお呼びください」


「ルゥは『ラケル』って呼んでね」


ラケルは私の服をちょんと掴んで顔を見上げた。

頷いて笑い返した。


その様子を見ていたヤコブさんは小さく笑った後、静かに表情を引き締めた。


「この度は乗客の皆様ひいては、当船並びに乗組員たちを助けていただき感謝いたします。

 誠に、ありがとうございました」


ヤコブさんは深く頭を下げた。

今にも、頭がカップにつきそうだ。


(……くすぐったい)


前までは、お礼を言われると申し訳ないような気持ちになった。

……違う。このくすぐったさに、なんだか気が引けると感じていた。


だけど、この胸の奥を揺らす感情は引け目ではなく、「うれしさ」と「達成感」だった。


だから、今はただヤコブさんの感謝を受け入れる。

そう、思っていたけれど、


「……?」


いつまでも頭を下げ続けるヤコブさんに、首を傾げる。


(どうして……?)


ちらっと、目の前に座る透真とエヴァンさんを見た。


透真はヤコブさんを見ている。

私の視線に気づいたエヴァンさんは、こちらを向いてにこっと笑った。

透真の視線が、私に移された。


(私が……なにか言った方が、いいのかな……?)


そう言われている気がして、咄嗟に口を開いた。


「あ、頭を上げてください。自分たちのためでもありましたから……」


「いえいえ! そうは言っても、船の安全まで確保するのが当船の役割。本来ならばお客さまの手を煩わせることなく、皆さまを目的地まで送り届けなければなりませんでした」


ヤコブさんは一度顔を上げて、そう説明をした。


「皆さまがいらっしゃらなければ、船共々、多くの命が失われたでしょう」


声を落として、ヤコブさんは悲痛な表情を浮かべた。

その姿なんとなく、どうしてヤコブさんが叙爵されたのか……アルカラ商会の在り方が、少しだけ分かった気がした。


「ですので、深くお礼申し上げるのは当然のこと」


ガバッ!



「このヤコブ、日が暮れるまでこのままでいる所存ですぞ!」



ヤコブさんは再び、頭を下げた。


「日が暮れるまで……?!」


「ええ! 日が暮れるまでですとも!」


苦しい体勢のはずなのに、声高々と宣言をしたヤコブさん。

声は少し詰まっていて、やっぱり苦しそうだ。


(そんなに長く頭下げてたら、血が上っちゃうんじゃ……)


おろおろとヤコブさんを見ていると、エヴァンさんが「まあまあ」と声をかけた。


「ヤコっさん、感謝の気持ちは分かるけど、さすがに本気で長時間この状態のつもりならこっちも迷惑だからさぁ。

 俺はともかく、三人には別の方法で感謝を伝えたら?」


(!?)


明るい声ではっきりと「迷惑」と口にしたエヴァンさんに、目を大きく見開いた。


「エヴァン殿がそう仰るのなら……」


渋々と頭を上げたヤコブさんに、ほっと胸を撫で下ろした。


「ではでは! 此度のお礼として、暫く当家でおもてなしさせていただくのはいかがでしょうか? 帝都のロイヤルホテルにも引けを取らないほどの部屋と料理をお出しいたしましょう!」


ヤコブさんは名案だと言わんばかりの顔で頷いて、執事服の男性に声をかけようとした。


(えっ?!)


慌ててヤコブさんを止める。


「いえっ、あの! そこまでは……」


「いやいや、ネナ殿! これでも足りないくらいですぞ! やはりここは頭を下げ続けるしか……」


(どうして?!)


どうしたらヤコブさんを止められるのだろう。

助けを求める思いで透真を見たけれど、透真はただ苦笑いを浮かべていた。



「……お姉ちゃん」


ラケルの声に、そっと振り向いた。


「ラケル、どうしたの?」


「ルゥのお家に住むの?」


(うっ……)


じっと私を見つめるラケル。

その目はなんだか、きらきらしているように見える。


「す……住まないよ」


「住まないの?」


(ううっ……)


ラケルの眉がしょんぼりと下がった。

もう一度、透真を見る。


「……俺は、どっちでも構わないけど……」


透真はフィンへと視線を向けた。


「ここで暫く美味しいものを食べてから旅に出るのと、明日からまた旅をするの……フィンはどっちがいい?」


「おいしいたべもの!」


即答だった。


(……断るつもり、なかったのかな)


透真の言葉に違和感を覚えた。

だけど、透真の説明が間違っているわけではない。


「……」


ラケルへと向き直った。


「住むことはしないけど……少しの間だけ、お泊まりさせてもらうかも」


「! ほんとう?」


ラケルの目が再び輝いた。

そっとヤコブさんへと振り返ると、ヤコブさんは満足げに大きく頷いた。


「かもだなんて! こちらからお願いさせていただいたことですから。

 そうと決まれば早速準備させましょう!」


ヤコブさんが今度こそ執事服の男性に声をかけて、私たちの男爵邸への滞在が決定した。


「お姉ちゃん、ルゥとお庭みにいこ?」


ラケルが立ち上がって、私の腕をくいくいと引っ張った。


「ラケル、今は……」


まだ話は終わってないかもしれない。

そう思って三人を順に見回した。すると、


「俺はここにいるから、音凪が行きたいなら行ってきても大丈夫だ」


「ネナ殿、ぜひうちの庭園を楽しんでくだされ」


透真とヤコブさんはそう言った。


(それなら……)


小さく頷いて、残りの紅茶を飲み干した。

空になったのを確認して、ゆっくり立ち上がった。そのとき、


ぎゅっ。


右手への温もり。

反射的に振り向いた。



「ぼふもいふ〜!」


フィンが頬を膨らませて立ち上がった。


ほろっ。


ハムスターのようにぱんぱんに膨らんだ口から、何かがこぼれ落ちた。


……クッキーだ。


「フィン。お口の中のクッキー食べてからね。置いていかないから、ゆっくり……。のどに詰まらないように、紅茶も飲んでね」


「ふん!」


フィンを座らせて、落ちたクッキーを拾おうと手を伸ばした。


「ネナ殿、そのままで構いませぬ」


「え? あ……ありがとうございます」


嫌そうな顔ひとつせず微笑むヤコブさんにぺこりと頭を下げた。


もぐもぐもぐもぐ。

ごく……ごくごく。


「ぷはっ」


フィンの口の中に何もなくなったことを確認して、一緒にソファから立ち上がった。



「……それじゃあ透真、よろしくね」


「……ああ」


相変わらず、ぎこちない笑顔を浮かべる透真。


「お姉ちゃん、はやくー」


「ネナはごあいさつしてるんだよ!」


両手に繋がれた小さなふたりの声に、

そっと、透真に背を向けた。


***


《???視点》


音凪とフィン、ラケルがいなくなった部屋には静寂が訪れた。


暫くして、子どもたちの声が遠のいたのを見計らってヤコブは口を開いた。



「いやいや、トーマ殿、エヴァン殿。私の茶番にお付き合いいただきありがとうございます」


「こっちこそ悪いね、回りくどいことさせちゃって」


「いえ。元はと言えばこちらのお願いのためでございましたから」


かちゃ……。


透真は静かに、紅茶を口に含んだ。


「にしても、ネナ殿がトーマ殿のことを知らないということには驚きましたが……」


ヤコブが透真へと視線を向ける。

その目元は、僅かに緩んでいた。


「トーマ殿も、かの魔塔主とは思えないお姿で……。

 このヤコブ、自分の目を疑いましたぞ!」


一瞬だけ目を大きく見開いて大笑いをしたヤコブに、透真は鋭い視線を送った。


「ヤコブ」


「ああっ、申し訳ない。珍しい光景に年甲斐もなく興奮してしまいました」


口では謝罪を述べたヤコブだが、その表情には愉悦が滲んでいた。


「分かる分かる。トーマ、ネナちゃんとフィンに見せる態度が違いすぎるよねぇ」


エヴァンは薄ら笑いを浮かべながら透真の肩に手を乗せた。

すかさず、透真はその手を振り払った。



「本題にいけ」


——スッ。


促す透真の声に、ヤコブの目が細められた。



「では、お言葉に甘えて」



低く、落ち着いた声。

その声色に、和やかな空気は一変した。


透真の視線が、ヤコブへと注がれる。


「単刀直入に申し上げましょう。実は——」


即座に話し始めたヤコブ。

二人はただ静かに、耳を傾けた。



第五十八話

芽吹きの地-服膺(ふくよう)来(きた)るハナミズキ- 完

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