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雨上がりの空で、傘をさす。  作者: つな△まよ
七章:芽吹きの地
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第五十七話:ふたつの花冠


細やかな刺繍に、光沢のある生地。

明らかに身分の高い四十代くらいの男性は、朗らかな笑みを浮かべていた。

だけど、


『——ヤコブ・アルカラと申します』


笑顔のはずなのに、男性からはどこか底知れないものを感じた。


「……」


自然と、体に力が入る。


「ヤコっさん、紹介するね〜」


エヴァンさんが一歩、前に出た。


「こっちがトーマで、この子はフィン。そしてそっちの女の子がネナちゃん」


「はじめまして……ネナです」


「フィンです!」


エヴァンさんの紹介に続いて頭を下げた。


「……どうも」


フィンの後に、透真も小さく会釈をした。


(えっ? 透真?)


貴族の人を相手に、そんな軽い挨拶で大丈夫だろうか。


おろおろと透真を見つめるけど、透真はいたって平静だった。


「いやはや、皆さまの話は聞いております。

 件のこと、ぜひお礼をさせてください」


私の心配をよそに、アルカラ男爵は透真の態度を気にする素振りもなく話を進めた。


(くだんのこと……?)


思考が止まった。


〔フネ タスケタ!〕


すかさず、ネロが教えてくれた。


(あっ、"件"……)


そういうことかと、

ネロのおかげで意味が分かった。


だけど、分かったところで新たな悩みが出てくる。


(お礼なら、十分もらってる)


ウブラで、本来なら泊まれないような場所と、豪華な食事を用意してもらった。

これ以上受け取るのは、もらいすぎではないだろうか。


「……」


男爵にそう伝えようとして、ふと。


(……向こうが「ぜひ」って言ってるんだから、そんな理由で断るのも失礼だよね)


それに、相手は貴族だ。

私たち一般人とはお礼の規模も違うはず。

気にせずに受け入れる方が、相手にとって一番かもしれない。



「……透真」


透真は静かに、私へと顔を向けた。


「せっかくだから……どうかな?」


一応、透真の意思を確認してみる。

私一人で決めるのではなく、一緒に決めたかった。


「ああ。有り難く受け取ろうか」


透真は頷くと、すぐに視線を男爵へ戻した。


「そうと決まりましたら! 立ち話もなんですから、うちへお越しください」


男爵は明るい声を上げると半歩後ろに下がって、


「ささ! 馬車もこちらに用意しておりますゆえ」


少し離れた所に並ぶ、二つの馬車を手で示した。


用意周到な男爵に、呆然と立ち尽くす。


(もしかして……最初から、断る選択肢なかった……?)


何だか、前にも似たようなことがあったような気がする。


「さあさあ!」


ぼんやりそんなことを考えながら、連れられるままに馬車へと歩いていった。


***



「おっきいーーー!!」


馬車を降りたフィンが、目の前の豪邸を見上げて叫んだ。


(ほんとに……大きい……)


目の前にある建物は、家ではなくお城だった。

ウブラの別荘よりも、さらに大きかった。


その大きさは、校舎くらい。

だけど見た目は簡素な造りの校舎とは程遠く、町の建物以上に精巧な装飾が施されていて、まるでヨーロッパにある宮殿のようだった。

加えて、


(お庭も広い……)


門から玄関までの距離が遠い。

右を見ても左を見ても、きれいに整えられた植栽たちが私たちを迎えていた。



「うちの庭園が気になりますかな?」


ぼうっと庭を眺めていると、男爵様に話しかけられた。


「あ……きれいですね」


「そうでしょう、そうでしょう。当家が雇っている庭師の腕は自慢でして。

 後ほど、使用人に庭園を案内させましょう」


「え?」


「ではでは皆さま、こちらへ」


男爵はうれしそうに目を細めると、私の返事を待つことなく、豪邸へと歩みはじめた。


(また、流されてしまった……)


男爵の大きな背中を数秒見つめて、ゆっくりとその後を追った。


「あのおはなきれい〜」

「まんまるのき!」

「あれ! ふんすいだ〜!」


目に映るものひとつひとつにはしゃぐフィンに、自然と目元が緩む。


「そうだね〜」


フィンに相槌を打ちながら男爵の後ろを歩いていると、あっという間に豪邸の入り口へとたどり着いた。



「おかえりなさいませ」


豪邸に似つかわしい、大きな両開きの扉。

その両脇に立つ使用人たちの手が、金色の取手に触れる。



キィイイ……


男爵とエヴァンさんの体の隙間からちらりと見えた光景に、目を大きく見開く。



「おかえりなさいませ、旦那様」


扉が開ききった瞬間、玄関に立ち並ぶ大勢の使用人が男爵を出迎えた。


「……」


ぱちぱちと、瞬きを繰り返す。


「お客様がおいでだ。応接室へご案内差し上げなさい」


「かしこまりました」


男爵の言葉に、執事服を身にまとった高齢の男性は恭しくお辞儀をした。


「私もすぐに伺いますので、応接室で暫しお待ちくだされ」


私たちに向き直った男爵はそう言って微笑むと、


「では、後ほど」


体を翻して、そのまま数名の使用人と共に階段を上っていった。



「お客様、ご案内いたします」


男爵が階段の中腹に差しかかった時、執事服の男性が声をかけた。


流れるように歩きはじめた男性の後をついていく。

横目に、残る使用人たちが一糸乱れぬお辞儀を私たちに向けたのが見えた。


応接室に続く通路。

そこには、小さなテーブルに置かれた陶芸品や壁に飾られた絵など、いくつかの美術品が等間隔で並べられていた。


(風景画……)


ウブラの別荘で見た絵も、自然を描いた絵ばかりだった。

庭園の話をした時の様子からも、男爵は自然が好きなのかもしれないと、ぼんやり思った。


「ネナ」


「うん?」


手を繋いで歩くフィンが私を見上げた。


「このあいだのおうちよりも、もっとおおきいね」


こっそりと、ひそめた声で話そうとするフィン。

足音と小さな物音だけが響く静かな廊下では、十分聞こえてしまうけれど、


「ふふ、すごいね」


「うん……!」


一生懸命な姿に、思わず笑みがこぼれた。



「こちらが応接室でございます」


案内されるまま、部屋へと入っていく。

部屋の中には脚の低いテーブルと、テーブルを挟んで三つのソファがコの字に置かれていた。


「こちらにお掛けになってお待ちください」


男性の言葉に、透真とエヴァンさんが三人掛けのソファに腰を掛けた。


「私たちはこっちに座ろっか」


「うん!」


二人の向かいにある三人掛けのソファへと、ゆっくり腰を下ろした。


ソファは三人並んでもゆったりと座ることができそうだった。

だから、フィンと四人で座ることもできたかもしれないけれど、


(ぎゅうぎゅうになったら、窮屈だよね)


一人掛けのソファを、ちらっと見た。



……カラカラ



扉の向こうから聞こえてきた、床を転がす音。

そっと振り向くと、そこにはワゴンを押すメイドさんがいた。


「失礼いたします」


メイドさんはきれいな所作で一礼してから部屋へと入ってくると、ワゴンに乗せられたフタの付いたお皿をテーブルに置いた。


そのまま、メイドさんがフタを外すと、


「わぁあ……!」


フィンの目がきらきらと輝いた。


「クッキーだあ!」


お皿には、たくさんのチョコチップクッキーが積まれていた。

香ばしいカカオと、バターの香りが鼻をくすぐる。


「わぁ……おいしそう」


フィンはうれしさのあまり、何度も感嘆の声をこぼした。

そんなフィンの姿にも、メイドさんは表情ひとつ変わらない。


(私なら、すぐににやけちゃう)


フィンを見つめ頬を緩ませながら、洗練されたメイドさんの仕事ぶりに心の中で拍手を贈った。


かちゃ……。


メイドさんは次に、小皿を手に取った。

手慣れた動きで小皿とカップを並べ、ポットを手にして、


コポコポコポ……


ふわっと、紅茶の香りが立ち上がる。


四人分のカップに紅茶を注ぐと、


「お砂糖はご入用でしょうか?」


初めて、私たちに視線を向けた。


「俺はいらないよ」


「俺も大丈夫です」


エヴァンさんと透真が答えた。


(……?)


メイドさんが一瞬、目を見開いた気がした。


「ぼくはあまいのがすきです!」


「かしこまりました。それでは三つ、お入れいたしましょうか」


フィンが元気よく手を上げて、メイドさんは何もなかったかのように応えた。


(気のせい……かな?)


恐らく、見間違いだったのだろう。

そう自分を納得させて、そっと口を開いた。


「私も、お砂糖はなしで大丈夫です」


「かしこまりました」


メイドさんは上品に微笑むと、拳ほどの大きさの陶器に被せられたフタを外した。

小ぶりな取り分けばさみを手に取り、静かに陶器の中へと伸ばした。


(お砂糖入れ、かわいいなぁ)


ひとつ……ふたつ……みっつ。


砂糖の入った陶器を見つめている間に、カップへ砂糖が入れられていく。


……かちゃ。


そのままぼんやりと、

目の前にカップが置かれていくのを眺めていたときだった。



バタバタバタッ!



「……様! そちらはただいまお客様が……!」


通路の方から響いた、誰かを必死に止めようとする女性の声と、二つ分の駆ける音。

その音はだんだんと近づいて——


ギィイイ。


突如、扉が開かれた。


(……?)


入ってきた人影は、ちょうどメイドさんの体に隠れて見えなかった。

一瞬、男爵様かとも思ったけれど、聞こえたばかりの制止の声に、それは違うと首を振った。


「お嬢様。今は旦那様の大事なお客様がいらっしゃっていますので、ご退出を……」


執事服の男性の視線が、徐々に扉からこちらへと移っていく。


「……!」


メイドさんの陰から、ちらりと"その子"の姿が見えた。



「お姉ちゃん」


「——ルゥちゃん……」



そこには、

きれいなドレスに身を包んだルゥちゃん——


『ラケル』ちゃんの姿があった。



第五十七話

芽吹きの地-ふたつの花冠- 完

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