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農家の異世界奮闘記 掌編集  作者: 今無ヅイ


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5/7

②帝都雛鳥通学録 羽根のある席

 学院へ通い始めて、数日が過ぎた。


 最初の日こそ、教室へ入るたびに視線が集まった。


 翼はどこまで開くのか。

 どれくらい滑空できるのか。

 羽根は抜けるのか。

 雨の日はどうするのか。

 寝るときは邪魔ではないのか。


 休み時間になるたび、ロザリーの周りには質問する子どもたちが集まり、教師が「一度に聞かない」と止めるのが恒例になっていた。


 それも、三日目を過ぎたころから少しずつ減った。


「ロザリー、後ろ通るよ」


「はい」


 朝、教室へ入ってすぐ、後ろの席の少女に声をかけられる。


 ロザリーは畳んでいた黒い翼を少しだけ身体へ寄せた。


「これで大丈夫ですか?」


「もうちょっと」


「これ以上は無理です」


「じゃあ机こっち寄せる」


 少女は自分の机を横へずらし、その隙間を通った。


「ありがと」


「いえ」


 それだけだった。


 誰かがロザリーの後ろを通るときは声をかける。


 椅子を後ろへ大きく引くときも声をかける。


 狭ければ机を少し動かす。


 最初のうちは教師がいちいち注意していたことを、今では子どもたちだけで勝手にやるようになっていた。


「そこ通るなら、ロザリーの羽根踏むぞ」


「あ、ほんとだ」


「こっちから行けるよ」


「うん」


 ロザリーが口を挟む間もない。


 少し不思議だった。


 学院へ来る前、自分の翼はもっと大きな問題になると思っていた。


 もちろん問題がないわけではない。


 普通の椅子には座れないし、廊下ですれ違うには少し広く場所を取る。机の間も狭いところは通れない。


 けれど、一度分かってしまえば、それだけのことでもあった。


「では昨日の続きです」


 教師が教壇へ立つ。


「帳面を開いてください」


 子どもたちが一斉に動く。


 ロザリーも鞄から帳面を取り出した。


 隣の席では、初日に算術の数字を教えてくれた少年が、片手で器用に頁をめくっている。


 右腕はある。


 左腕は、肘より少し下で袖が縫い留められていた。


 名前はアルノー。


 十二歳。


 内乱で故郷の町を離れ、その途中で腕を失ったと聞いた。


 本人はそのことを、あまり話さない。


「今日は文章問題をやります」


 教師が黒板へ数字と文字を書き始める。


 ロザリーは身を乗り出した。


 算術そのものは、だいぶ慣れてきた。


 けれど文章になると、急に難しくなる。


『一袋に十五個の麦パンが入っています。四袋では――』


「……六十」


 小さく呟く。


 隣から声がした。


「合ってる」


「まだ答え見せてませんよ」


「声出てた」


「あ」


 ロザリーは口元を押さえた。


「そこ」


 教壇から声が飛ぶ。


「私語をしない」


「「はい」」


 また声が揃った。


 周囲から小さな笑いが起きる。


「初日と同じですね」


「ロザリーが喋るから」


「アルノーも返事してるじゃないですか」


「俺は確認しただけ」


「それを会話って言うんですよ」


「そこ」


「「はい」」


 今度は教師まで少し笑っていた。


 昼前の授業が終わると、子どもたちは一斉に教室を出た。


 中庭へ遊びに行く者。


 水を飲みに行く者。


 机を囲んで話し始める者。


 ロザリーも席を立ち、鞄から昼食を取り出した。


「それ持つ?」


 隣でアルノーが、大きめの教本を机から抱え上げようとしていた。


 反射的に、そう聞いていた。


「いらない」


「でも、それ重そうですよ」


「持てる」


「片手ですし」


 言ってから。


 ロザリーは気づいた。


 アルノーの顔が、ほんの少しだけ変わった。


 怒ったわけではない。


 嫌そうでもない。


 ただ、少しだけ困ったような顔だった。


「……これくらいなら持てるよ」


「あ」


「重いやつなら頼む」


「…………」


「これは軽い」


 アルノーは教本を片腕で抱え、そのまま棚まで持っていった。


 普通に置く。


 普通に戻ってくる。


「……すみません」


「別に」


「勝手に、できないと思って」


「よく言われる」


「嫌ですよね」


「まあ」


 アルノーは自分の席へ座った。


「でも、重いやつはほんとに頼む」


「はい」


「そのとき断らないで」


「はい」


 少しだけ間があった。


 アルノーがロザリーの翼を見る。


「俺も最初、羽根あると椅子に座れないって知らなかったし」


「……そうですね」


「お互い様じゃない?」


 ロザリーは少しだけ目を丸くした。


 それから笑う。


「そうかもしれません」


 昼食のあと、中庭へ出ると、何人かの子どもが布を丸めた小さな球を投げ合っていた。


「ロザリー!」


 声をかけられる。


「やる?」


「これ、何ですか?」


「投げて取るだけ」


「投げて取るだけ?」


「落としたら交代」


 簡単そうだった。


「やります」


 ロザリーも輪の中へ入った。


 最初は普通だった。


 投げる。


 受け取る。


 次へ投げる。


 少しずつ距離が伸びる。


「ロザリー、そっち!」


「はい!」


 右側へ飛んできた球へ手を伸ばす。


 少し遠い。


 身体を捻る。


 反射的に、左翼がわずかに開いた。


 身体が傾くのを押し戻す。


 球を掴んだ。


「おお!」


「取った!」


「今、羽根使った!」


「え?」


「ずるい!」


「ええっ?」


 ロザリーは黒い翼を見る。


「でも、飛んでませんよ?」


「今こう、ばさってした!」


「バランス取っただけです」


「羽根ない人はできない!」


「じゃあ使わないです」


「いや、使っていいよ」


「どっちなんですか!?」


 子どもたちが笑った。


「じゃあロザリーは羽根使っていい!」


「なんでです?」


「その代わり、こっちは二人で取っていい」


「それだと私が有利みたいじゃないですか」


「有利じゃん」


「そんなに変わりませんよ」


「じゃあやってみよう!」


 よく分からないまま、新しいルールが決まった。


 そのあと十分ほど試した結果、ロザリーが翼を使ったところでそこまで強くはないことが判明し、結局元のルールへ戻った。


「なんだったんですか……」


「やってみないと分かんないじゃん」


「それはそうですけど」


 汗を拭きながら、ロザリーは笑った。


 午後から、空が曇り始めた。


 朝はよく晴れていたのに、帝都の西側から重い雲が流れてくる。


 窓の外が少しずつ暗くなる。


「雨かな」


 誰かが言った。


 遠くで、低い音がした。


 ごろごろ。


 ロザリーは窓を見る。


「雷ですね」


「怖い?」


 前の席の少女が振り返った。


「別に。山でも鳴りますから」


「翼あると雷に当たりやすい?」


「なんでです?」


「高いところにいるから」


「いつも高いところにいるわけじゃありませんよ」


「あ、そっか」


 教師が教壇を軽く叩いた。


「そちら。授業中です」


「はい」


 また帳面へ向き直る。


 今日は読み書きの授業だった。


 教師が文章を読み、それを書き取る。


 ロザリーは集中して筆を動かした。


 ぽつ。


 窓へ雨粒が当たる。


 ぽつ、ぽつ。


 やがて雨音が増えた。


 ざあ、と窓の向こうが白くなる。


「では次です」


 教師が文章を読み上げる。


 ロザリーは筆を置く。


 そのとき。


 窓の外が、一瞬真っ白になった。


 直後。


 ドガァンッ!


「ひゃっ!」


 身体が勝手に動いた。


 ばさっ。


 いや。


 ぶわっ、と。


 黒い翼が一気に膨らんだ。


「うわっ!」


「わあ!」


「きゃっ!」


 後ろの机に置いてあった紙が舞った。


 隣のアルノーの顔が、黒い羽根に完全に埋まった。


「…………」


 教室が止まった。


 ロザリーも止まった。


 自分の翼が、左右へ大きく開いている。


「…………あ」


 慌てて畳む。


「ご、ごめんなさい!」


 羽根の奥から、アルノーの顔が出てきた。


 髪がぐちゃぐちゃだった。


「大丈夫ですか!?」


「…………」


「顔、ぶつけました?」


「いや」


「羽根、目に入りませんでした?」


「大丈夫」


「本当に?」


「うん」


 アルノーはしばらく考えていた。


「……あったかい」


「え?」


「羽根」


 教室がまた静かになる。


「顔に当たったけど、あったかかった」


「…………」


 誰かが吹き出した。


 続いて別の子。


 そして一気に教室中へ笑いが広がった。


「アルノー、羽根に埋まってた!」


「顔見えなかった!」


「ロザリーすごかった!」


「笑わないでください!」


 ロザリーの顔が熱くなる。


「今のは反射です!」


「雷鳴ると毎回なるの?」


「毎回じゃありません!」


「でも今なった!」


「急だったからです!」


「俺の紙飛んだ!」


「ごめんなさい!」


「あとで拾えばいい!」


「ロザリーさん」


 教師の声がした。


 ロザリーは背筋を伸ばす。


「はい……」


「怪我はありませんか?」


「はい」


「アルノーさんは?」


「大丈夫です」


「では授業を続けます」


「…………はい」


 教師は淡々としていた。


 それから手元の紙へ何かを書き込んだ。


 ロザリーの目が細くなる。


「先生」


「なんですか」


「それ、まさか」


「児童教育科への報告です」


「やっぱり!」


「雷鳴時に翼が急展開する可能性あり。机間距離について再確認が必要、と」


「そこまで書くんですか?」


「実際に起きましたので」


 初日に学院まで案内してくれた官吏と、まったく同じことを言った。


「帝国人……」


 思わず呟く。


「何か?」


「なんでもありません」


 教師はまた授業へ戻った。


 子どもたちも帳面へ向かう。


 ただし、しばらくの間、あちこちで肩が震えていた。


 放課後。


 雨はもう上がっていた。


 窓の外には、濡れた石畳が夕方の光を反射している。


「ロザリー」


「はい?」


 アルノーが紙を一枚差し出した。


「これ」


「あ」


 雷で飛ばしてしまった自分の書き取り用紙だった。


「拾ってくれたんですか?」


「俺の机の下にあった」


「ありがとうございます」


「うん」


 片手で鞄を持ち上げる。


 ロザリーは、今度は何も言わなかった。


 アルノーは自分で肩へ掛ける。


「じゃあまた明日」


「はい。また明日」


 何気なく返した。


 アルノーはそのまま教室を出ていく。


 ほかの子どもたちも、次々に帰っていった。


「また明日ー!」


「ロザリー、明日外でやろうね!」


「羽根使っていいから!」


「まだそれ続けるんですか!?」


 笑い声が廊下へ消えていく。


 ロザリーは鞄へ帳面をしまった。


 ふと、自分の席を見る。


 背もたれのない椅子。


 少し広く取られた後ろの空間。


 窓側へ寄せられた机。


 最初にここへ来た日は、それが全部、自分のためだけに用意された特別なものに見えた。


 翼のある日鴉族を座らせるための席。


 けれど今は違う。


「ロザリーさん」


 教師に呼ばれ、顔を上げる。


「帰らないのですか?」


「あ、はい。帰ります」


 鞄を持つ。


 黒い翼を一度だけ広げ、制服の肩布が引っ掛かっていないことを確かめる。


 もう、それを見て驚く者はいなかった。


 ロザリーは教室を出た。


 そこに残ったのは、少しだけ周囲より広く、背もたれのない椅子が置かれた席。


 もう、日鴉族のための席ではない。


 ただの、ロザリーの席だった。

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