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農家の異世界奮闘記 掌編集  作者: 今無ヅイ


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②帝都雛鳥通学録 その1 制服をつくろう。午前

時系列:穢れ火戦争編後、武神降臨編前くらい

 帝都まで来い、と正式な召集が届いたのは五日前だった。


 差出人は帝国軍需品部被服科と、学芸尚書府児童教育科の連名。要件の欄には『日鴉族児童用学院制服制定に伴う技術協力』とあり、その下にわざわざ『本人出席を求む』とまで書かれていた。


 西部方面軍の日鴉猟兵大隊を預かる身として、呼び出されること自体は珍しくない。軍装の規格だの、新しい補給手順だの、帝国軍へ正式に編入されてからというもの、フレイヤが署名しなければならない紙は目に見えて増えた。


 だが今回は、学院制服である。


「……あたしじゃなきゃ駄目なのかい、これ」


 馬車を乗り継いで帝都までやって来たフレイヤは、内務尚書府の廊下で三度目になる独り言をこぼした。


 西部には仕事がある。兵の訓練もある。山道の巡回計画も詰めなければならないし、帝国軍式の補給規格に未だ慣れきらない連中の面倒も見なければならない。そのあたりを副官へまとめて放り投げ、数日かけて帝都まで来た理由が、子どもの制服だった。


 重要ではない、とは思っていない。


 ロザリーが帝国学院へ通うことになった話も聞いている。


 内乱や戦争で親を失った子どもたちを受け入れるため、帝国学院の中に設けられた復興学級。その最初の日鴉族の生徒として、ロザリーが通うことになったのだ。


 だから制服が要る。それも分かる。


 分かるのだが。


「だったら仕立屋に寸法取らせりゃ済む話じゃないのかねえ」


 そう呟きながら指定された部屋を探し、長い廊下の一番奥まで来たところで、フレイヤは足を止めた。


 扉に、大きな札が掛かっていた。


『制服試着中につき男子禁制』


「…………」


 その下には、さらに小さな紙が貼ってある。


『軍需品部職員も例外なし。書類は扉前で受け渡すこと』


「何やってんだい、あんたら」


 思わず声に出した。


 ちょうどそのとき、扉が細く開いた。


「三号型十五歳規格、背面開口寸法修正。左右それぞれ二指ぶん拡大。あと、五歳規格の留め具原価をもう一度お願いします」


 中から女性の声が飛び、紙束を持った手だけがにゅっと出てくる。


 廊下で待機していた若い軍需官が慌ててそれを受け取った。


「承知しました! 縫製工程の追加分も含めますか!」


「含めてください!」


「既存軍服ライン流用の場合と新規ラインの場合、両方で?」


「両方です!」


「了解!」


 扉が閉まった。


 軍需官が振り返り、そこでようやくフレイヤに気づいた。軍服の襟元にある大佐章を認めたらしく、慌てて背筋を伸ばす。


「シルヴァレイト大佐!」


「はいはい。楽にしな」


「お待ちしておりました。中へどうぞ」


「……本当にここで合ってるんだね?」


「はい。日鴉族学院制服試験会場です」


 軍需官は迷いなく答えた。


 試験会場。


 制服一着に、ずいぶん物々しい名前がついたものだ。


 フレイヤは半ば呆れながら札の横を通り、扉を開けた。


 そして、すぐに閉じた。


「…………」


 もう一度開ける。


 やはり同じだった。


 内務尚書府の介護室だったはずの部屋は、完全に仕立工房へ変わっていた。


 壁際には人の形をした仕立て用の台が六つ。そのすべてに濃紺の上着や白いシャツ、見慣れない背中の開いた服が着せられている。長机の上には布見本、糸、ボタン、革紐、金具、採寸具、型紙が所狭しと並び、その隙間を縫うように帳簿と原価表が積み上がっていた。


 椅子まで何種類もある。


 普通の木椅子。背もたれの低い椅子。背もたれのない丸椅子。それどころか、なぜか部屋の隅には扉だけを取り付けた木枠まで立っていた。


「……学院を作るんじゃないだろうね」


「制服を作ります」


 即答したのは、濃紺の帝国軍服を着た三十代ほどの女性士官だった。机いっぱいに広げた型紙から顔を上げ、きっちり敬礼する。


「帝国軍需品部被服科です。本日はご足労いただき、ありがとうございます、シルヴァレイト大佐」


「本当に足を使ったよ。西部からね」


「承知しております」


「承知した上で呼んだのかい」


「はい」


 悪びれもしない。


 フレイヤは小さく鼻を鳴らした。


 部屋にはほかにも、同じ被服科らしい女性士官が三人。それとは別に、軍服ではない濃い灰色の官吏服を着た女たちが四人いた。机に積まれた資料の表紙には、学芸尚書府児童教育科とある。


 そして部屋の奥。


「フレイヤさん」


 聞き慣れた声がした。


 ロザリーが立っていた。


 普段着姿ではあるが、肩から背中にかけて何本もの採寸用の細布を当てられている。その横にはミドラーシュもいて、こちらは白い羽根を半分ほど広げたまま、女性官吏に翼幅を測られていた。


 ミドラーシュがフレイヤを見る。


 片手を上げた。


 ぱたぱた。


「お前ら、もう始めてたのかい」


「はい。朝からずっとです」


 ロザリーが苦笑する。


 ミドラーシュは無言のまま、少しだけ疲れた顔で頷いた。


「……ご苦労さん」


 フレイヤが近づくと、ロザリーの背後にいた被服科の士官が、翼の付け根へ当てていた布を外した。


「ロザリーさんには十五歳前後規格、ミドラーシュさんにも同規格の小型側参考として協力いただいています」


「ミドは十四だよ」


「承知しています。年齢で完全に区切る予定はありません。翼幅、体格、成長段階を基準に最終的なサイズ表を作成しますので」


「……細かいね」


「制服ですので」


 当然のように返された。


 フレイヤはロザリーを見る。


「で。痛いところは?」


「今のところは大丈夫です。ただ、さっきの服は羽根を通すところで引っ掛かりました」


「却下しました」


 被服科の士官が言う。


「背中の布が引っ張られるものもありました」


「それも却下しました」


「一人では着られないものも」


「当然、却下しました」


「……けっこうやってるね」


 長机の端を見ると、『一号型』『二号型』『三号型』と札のついた上着が、すでに何着か脇へ避けられている。


 仕事が早いというべきか、失敗が早いというべきか。


 そこへ、児童教育科の一人が一冊の厚い綴りを抱えてやって来た。


「シルヴァレイト大佐。本日の目的について、最初にご説明してもよろしいでしょうか」


「ああ。そのために来たんだからね」


「ありがとうございます」


 官吏は机の上へ綴りを置いた。


 表紙には、整った帝国文字でこう記されている。


『帝国学院復興学級 日鴉族児童被服規格制定案』


 フレイヤは、その文字を少しだけ長く見た。


「今回、帝国学院復興学級へ入学する日鴉族の児童は、ロザリーさん一名です」


「知ってるよ」


「ですが、私どもはロザリーさん一人のためだけに制服を作るつもりはありません」


 フレイヤの目が、わずかに細くなった。


 女性官吏は続ける。


「内乱、そして先の戦争によって、帝国は多くの子どもを保護しています。復興学級には、親を失った子、故郷へ戻れない子、教育を途中で失った子がすでに在籍しています。身体に傷を負った児童については、制服の個別調整規格もあります」


 そこで一度、ロザリーとミドラーシュへ視線を向けた。


「翼を持つ児童は、今回が初めてです」


 部屋が少し静かになった。


「ですので、今日決めるのはロザリーさんの服ではありません」


 官吏は、型紙の山を指した。


「五歳前後、十歳前後、十五歳以降。おおまかに三つの成長段階を基準として、日鴉族児童が今後、帝国の学院へ通うための標準制服規格を作ります」


「…………」


「二人目が来たとき、また一から考えなくて済むように。十人になっても、百人になっても、仕立工房へ同じ注文を出せるように」


 フレイヤはしばらく何も言わなかった。


 視線を横へ向ける。


 白いシャツ。濃紺の布。銀色のボタン。


 帝国の子どもたちが着るものと、同じ色だった。


 その脇には、日鴉猟兵の軍服を解体したものが置かれている。背中を開き、縫い直し、翼の付け根を避けるために何度も線を引き直した跡があった。


 あれを作ったときの目的は単純だった。


 羽根を傷めず、山へ入り、生きて帰ること。


 今度は、その線を子どもの制服へ引き直すらしい。


「なるほどね」


 フレイヤは息を吐き、軍帽を脱いで近くの机へ置いた。


「それで、あたしを西部から引っ張り出したわけかい」


「はい」


 被服科の士官が一枚の上着を持ち上げる。


「日鴉族の翼について、我々が最も多く実地データを持っているのは軍用被服です。そして、それを最も長く使っているのが大佐と麾下の日鴉猟兵です」


「子どもの服と軍服を一緒にする気じゃないだろうね」


「ですから、大佐をお呼びしました」


「……そう返すか」


 フレイヤは口の端を持ち上げた。


 嫌いじゃない。


「では、まず一号試作型からお願いします」


 被服科の士官がそう言って持ち上げたのは、濃紺の上着だった。


 色合いだけを見れば、帝国学院で使われている制服とそう変わらない。白いシャツの上から羽織り、前を銀色のボタンで留める。胸元には、まだ仮留めではあるが学院章まで付いている。


 ただし、背中側は明らかに違った。


 翼の付け根を避けるように布地が分かれ、その周囲には補強布が縫い重ねられている。肩から脇へ伸びる縫い目も、人間用の上着よりずっと複雑だ。


 フレイヤには見覚えがあった。


「……うちの軍服じゃないか」


「正確には、日鴉猟兵用の軍服規格を十五歳前後まで縮小し、学院制服の外観へ寄せたものです」


「だから見たことあるわけだ」


 フレイヤは上着の背へ手を伸ばし、補強された縫い目を指先でなぞった。


 丈夫だ。


 枝に引っ掛けても、岩肌へ背を擦っても、そう簡単には裂けない。翼の付け根に直接荷重が乗らないよう、力を肩と脇へ逃がす構造もそのままだ。


 軍服としてなら、よくできている。


「これをロザリーに?」


「まず十五歳規格から確認します」


 ロザリーが呼ばれ、介護室の奥に張られた布仕切りへ入っていった。


 しばらくして。


「……あの」


 中から声がする。


「はい?」


「これ、ここの留め具で合ってますか?」


「右脇の下です。そのあと背側の二箇所を」


「二箇所……」


 ごそごそ。


 少し間が空いた。


「……届きにくいです」


 フレイヤは腕を組んだまま、被服科の士官を見る。


 士官は何も言わず、手元の紙へ一行書き加えた。


 さらに、ごそごそ。


「固い……」


「軍用ですので、走行中や滑空時に外れない荷重へ設定しています」


「学院に敵兵はいないよ」


「承知しています」


「じゃあなんでそのままなんだい」


「基準点が必要でしたので」


 どうやら、これが完成品だと思っている者は最初から一人もいなかったらしい。


 やがて布仕切りが開き、ロザリーが出てきた。


 見た目だけなら悪くなかった。


 白いシャツに濃紺の上着。銀色のボタンと細い縁取り。普段着のロザリーより少しだけ大人びて見える。


 もっとも、本人の顔はあまり晴れやかではない。


「どうだい」


「重いです」


 即答だった。


「だろうね」


「あと、ここが少し硬くて」


 ロザリーが肩の後ろを指した。


 フレイヤが近づき、上着と羽根の間へ指を入れる。生地そのものではなく、補強のために折り返した縫い代が羽根の根元近くへ触れていた。


「擦るね」


「歩くだけなら大丈夫なんですけど、ずっと着ていたら気になると思います」


「だそうだよ」


「記録しました」


 被服科の士官は淡々としている。


「では、動作試験へ移ります。ロザリーさん、両腕を上へ」


「はい」


 ロザリーが腕を上げる。


「前へ屈んでください」


「はい」


「身体を右へ」


「はい」


「左へ」


「……はい」


「翼を半分ほど開いてください」


 ばさり、と黒い翼が広がる。


 周囲の女性官吏たちが一斉に背面へ回った。


「右肩、張りあり」


「脇下の縫製線、引かれています」


「補強布が一枚多いかもしれません」


「全開をお願いします」


 ロザリーがちらりとフレイヤを見る。


「全部?」


「全部だそうだ」


「……はい」


 翼がさらに開く。


 途端に、上着の左右がわずかに持ち上がった。


「停止」


 被服科の声と同時に、全員が動きを止める。


 一人が布の張り具合を確かめ、もう一人が翼の付け根を覗き込み、児童教育科の官吏が何やら猛烈な勢いで書き込んでいる。


 ロザリーは翼を広げたまま、なんとも言えない顔をした。


「……これ、本当に学院の制服の試験なんですよね?」


「軍じゃ普通だよ」


 フレイヤが答える。


「学院ですよね?」


「うん。あたしもそう思う」


 ミドラーシュが横で肩を揺らしていた。


 笑っている。


「ミドラーシュさん、次はあなたですよ」


 児童教育科の官吏が言うと、白い翼がぴたりと止まった。


 今度はロザリーが笑った。


 その後も試験は続いた。


 歩く。軽く走る。しゃがむ。立つ。椅子へ座る。


 そこで、別の問題が出た。


「……座れません」


 ロザリーが学院で使われている普通の木椅子の前で困った顔をした。


「座れない?」


「座れますけど」


 慎重に腰を下ろす。


 背もたれと背中の間に畳んだ翼が挟まり、ロザリーは浅く腰掛けたまま止まった。


「これ以上後ろへ行くと、羽根が潰れます」


「なるほど」


 児童教育科の官吏がしゃがみ込み、横から確認する。


「制服ではなく、椅子ですね」


「そうだねえ」


「教室備品の改修案件として別途回します」


 あまりにも淡々と言われて、フレイヤは思わずそちらを見る。


「仕事増えたね」


「増えました」


「嫌そうじゃないね」


「必要ですので」


「帝国人だねえ」


 官吏は、それを褒め言葉と受け取ったらしい。小さく会釈した。


 一号試作型の確認が終わるころには、上着には白い印糸が何本も刺さり、型紙には修正箇所がびっしり書き込まれていた。


「十五歳規格については、構造そのものは使用可能。ただし生地重量、補強箇所、留め具を全面的に見直します」


「ほとんど作り直しじゃないか」


「軍服をそのまま学院服へ転用できないことが確認できました」


「確認するまでもなかった気がするけどね」


「数字と記録が必要です」


「はいはい」


 そこで児童教育科の一人が、部屋の隅へ声をかけた。


「では、ウィータさん。次、お願いできますか?」


 小さな頭が、椅子の背からぴょこんと出た。


 五歳ほどの女の子だった。


 黒い髪。黒い羽根。身体はまだ細く、背中の翼も大人の日鴉族と比べればずいぶん短い。付き添いの母親の隣で、先ほどから黙って菓子を食べながら大人たちの騒ぎを眺めていた子だ。


 名前を呼ばれると、最後の一欠片を口へ入れ、椅子から降りる。


「できる?」


 母親が聞く。


「できる」


 ウィータは力強く頷いた。


 被服科の士官が、小さく仕立てられた濃紺の上着を渡した。


「では、できるところまで一人で着てみてください。難しかったらすぐ言ってくださいね」


「うん」


 ウィータは上着を受け取った。


 まず腕を通す。


 そこまではいい。


 羽根を整え、前を合わせる。


 そして、軍服と同じ構造の留め具へ手をかけた。


「…………」


 両手で掴む。


「んっ」


 引く。


 開かない。


「んんっ」


 足を踏ん張る。


「…………むぅぅ」


 身体ごと後ろへ傾いた。


「もういい」


 フレイヤが言った。


「まだ」


 ウィータは諦めなかった。


「いや、それ服着る顔じゃないからね」


「できる」


「できなくていいんだよ」


「できるもん」


 ぐぐぐ、と両手に力を込める。


 被服科の士官が、そっと手元の紙に何かを書いた。


 フレイヤが覗く。


『五歳規格。軍用留め具使用不可』


「早いね」


「十分確認できました」


 ようやくウィータの手から留め具を外してやると、少女は少し不満そうに頬を膨らませた。


 児童教育科の官吏がしゃがみ込む。


「ウィータさん、これはどうだった?」


「かたい」


「ほかには?」


 ウィータは少し考え、脇腹のあたりを指差した。


「ここ、いたい」


 全員の視線がそこへ集まった。


 補強のために付けられた小さな金具が、身体を曲げたときだけ脇へ当たっていた。


「金具位置、変更」


「五歳型は布留めへ変えたほうが」


「強度が落ちます」


「必要強度を再計算してください。五歳児に軍用強度は不要です」


「承知」


 ウィータはそんな大人たちを見上げていたが、やがてフレイヤの袖をちょんと引いた。


「なにさ」


「これ、ずっと着るの?」


「いや。今のはたぶん二度と着ないよ」


「よかった」


 即答だった。


 フレイヤは吹き出した。


「だそうだよ」


 被服科の士官たちは笑わなかった。


 ただし、全員がしっかり記録していた。


「一号試作型、五歳規格は構造から再検討します」


「十五歳規格もだろう?」


「はい。ただし肩部補強と翼根荷重分散の設計は残します」


「そこは使えるからね」


「軍用規格から流用可能です」


 不採用になった服を、ただ捨てるわけではないらしい。


 駄目だったところを切り離し、使えるところだけ次へ持っていく。


 戦場で何度も見た帝国人のやり方だった。


「では次です」


 被服科の士官が、二着目を持ち上げた。


 一号型より、ずっと学院制服らしい。


 白いシャツに合わせた濃紺の上着。銀色のボタン。背中には、左右対称に二つの大きな開口部がある。


「二号試作型。学院標準制服を基本として、翼を通すための開口部を設けました」


 ロザリーがそれを見る。


「……こっちのほうが普通の制服みたいですね」


「外観の統一性を優先しています。既存の学院制服と共通する部材も多いため、製造上も有利です」


「安いってことかい」


「平たく言えば」


「そこは大事だね」


 一人分なら、いくらでも手間をかけられる。上等な布を使い、腕のいい仕立屋に一着ずつ作らせればいい。


 だが、これはそういう話ではない。


 二人目が来る。十人になる。百人になるかもしれない。そのときにも同じものを作れなければ、規格にする意味がなかった。


「じゃあ、着てみます」


 ロザリーは上着を受け取り、背面の穴を覗き込んだ。


「……ここに、翼を通すんですよね?」


「はい。左右それぞれの開口部へ通してください」


「全部?」


 被服科の士官が一瞬止まった。


「……はい」


 ロザリーも止まった。


 フレイヤは腕を組み、そのやり取りを眺める。


「まあ、やってみな」


「フレイヤさん、なんか分かってません?」


「やりゃ分かるよ」


「そういう言い方する時、だいたい分かってますよね?」


「ほら、手ぇ動かしな」


 促され、ロザリーはまず左の翼をきっちり畳んだ。


 黒い羽根が重なり、一枚一枚が互いへ沿うように収まっていく。それでも人間の腕のように細くなるわけではない。翼そのものが大きいのだ。根元は肩幅ほどに収まっていても、長い羽根は背中から腰を越え、さらに下へ伸びている。


 ロザリーはその先を両手でまとめ、開口部へ入れようとした。


「…………」


 入らない。


 正確には、一番外側の羽根までは入る。


 その次が引っ掛かる。


 少し角度を変える。


 今度は別の羽根が縁へ当たった。


「……ちょっと待ってください」


 ロザリーは翼をさらに細く畳もうとした。


「無理に畳むんじゃないよ」


「でも入らないです」


「そりゃそうだろうさ」


 被服科の士官たちが近づいてくる。


「開口幅をもう少し広げれば」


「どこまで?」


 フレイヤが聞いた。


「翼を最も細く畳んだ状態で通過できる程度までです」


「その状態、今これだよ」


 ロザリーの背後へ回り、フレイヤは翼の外縁を軽く指で示した。


「羽根ってのは布じゃない。丸めて穴へ突っ込めるもんじゃないよ」


「では、さらに開口を」


「広げるのは勝手だけどね」


 フレイヤは二号型の背中を持ち上げた。


「この翼が通る穴を二つ開けたら、背中に布がほとんど残らないんじゃないかい?」


 被服科の士官が黙った。


 一人が型紙を見る。


 もう一人がロザリーの翼を見る。


 また型紙を見る。


「……確かに」


「確かにじゃないよ」


 児童教育科の官吏が、横から翼の長さを測っていた紐を持ち上げた。


「それ以前に、毎朝この作業をさせるのは難しいですね」


「十五歳規格でも?」


「十五歳でもです。五歳児ならなおさら」


 ウィータが呼ばれてもいないのに、こくこく頷いていた。


「むり」


「だそうです」


「まだやってないよ、お前は」


「むり」


 二度言った。


「判断が早いねえ」


 ロザリーは左翼を穴へ半分ほど入れた状態で困った顔をしていた。


「これ、戻していいですか?」


「もちろんです」


 引き抜こうとする。


 今度は、羽先が引っ掛かった。


「……あ」


 ロザリーの身体が止まる。


 フレイヤの顔から笑みが消えた。


「動くな」


「はい」


 短く言い、すぐ背後へ回る。


 開口部の縁と、一本の羽根が噛んでいた。強く引けば抜ける程度だが、やれば羽根の軸を痛める。


 フレイヤは布を指で押し広げ、羽根の向きを整えた。


「ゆっくり戻しな」


 ロザリーが翼をわずかに引く。


 するり、と羽根が抜けた。


「痛くないかい?」


「大丈夫です」


「本当に?」


「はい。ちょっと引っ掛かっただけです」


 確認してから、フレイヤは立ち上がった。


 そして二号型を見る。


「却下」


「まだ着用後の試験が」


「着る前に引っ掛けてるだろ」


「……はい」


「毎朝やるんだよ、これを」


「はい」


「帰ったら脱ぐ」


「はい」


「日に二回だ」


「……はい」


 被服科の士官は素直に紙へ線を引いた。


『二号試作型 着脱性不良』


「外観は良かったのですが」


「服ってのは眺めるために着るもんじゃないよ」


「制服には外観も必要です」


「そりゃそうだけどね。まず着られるようにしてから言いな」


 その横で、児童教育科の一人が何かを書き込んでいた。


「翼を開口部へ通す方式そのものを再検討、と」


「そうしたほうがいい」


「腕とは構造が違う、という理解でよろしいですか?」


「違うね」


 フレイヤは自分の左翼を少し広げた。


「腕は先から袖へ入れられる。翼は違う。羽根一本一本が重なって形を作ってるし、先へ行くほど長い。動かせるけど、紐みたいに好きな形へ曲げられるわけじゃない」


 説明しながら、さらに翼を開く。


 ばさり、と黒い羽根が横へ広がった。


 近くにいた被服科の士官が一歩下がった。


「もう少し開けますか?」


「あ?」


「参考として、全開状態を確認したいのですが」


 フレイヤが部屋を見回す。


 机。


 椅子。


 型紙。


 布。


 人台。


 壁。


「この部屋で?」


「可能であれば」


「物どかしな」


 一瞬、全員が止まった。


「早く」


「はい!」


 急に部屋が慌ただしくなった。


 長机の端に積まれていた型紙がまとめて移され、椅子が壁際へ寄せられる。人台が二つ、廊下へ追い出された。ウィータは母親に抱き上げられ、なぜか嬉しそうにフレイヤを見ている。


 ロザリーとミドラーシュも端へ寄った。


「そんなに広がるんですか?」


 児童教育科の官吏が聞く。


「見りゃ分かる」


 フレイヤは部屋の中央へ立った。


 肩を回す。


 翼の付け根を軽く動かし、それから左右へ開く。


 ばさっ。


 黒い翼が、一気に室内を埋めた。


「うわ」


 誰かが小さく声を漏らした。


 片翼だけでもフレイヤの身長を大きく超える高さがあり、左右を完全に広げれば、その幅は三メートルほどになる。


 介護室が、急に狭くなった。


 羽先が机の端すれすれを通り、反対側では壁へ届きそうになる。


「これで最大だよ」


 被服科の士官たちは、しばらく何も言わなかった。


 やがて一人が採寸紐を持って近づく。


「失礼します」


「羽根踏むんじゃないよ」


「はい」


 測る。


 書く。


 また測る。


「大佐殿の体格は日鴉族女性としては大きいと伺っていますが」


「まあね」


「成人用規格まで考えれば、最大値として有用です」


「学院制服だろ?」


「教員や学院職員として勤務する可能性もあります」


「…………」


 フレイヤは少しだけ眉を上げた。


「そこまで考えてんのかい」


「規格ですので」


「ほんと好きだね、その言葉」


 翼を畳む。


 部屋が元の広さへ戻った。


 ところが、児童教育科の官吏は別のところを見ていた。


 さきほどロザリーが座った学院用の木椅子。


 次に扉。


 さらに机と机の間。


「……少々、お待ちください」


「今度はなんだい」


「制服以外にも、確認が必要です」


「だろうね」


「お気づきでしたか?」


「今まで気づいてなかったのかい?」


 官吏は答えず、ロザリーへ向き直った。


「ロザリーさん。普段通り翼を畳んだ状態で、この扉を通っていただけますか」


「はい」


 ロザリーは言われた通り、部屋の外へ出る。


 普通に通れた。


「問題ありませんね」


「真正面ならね」


 フレイヤが言う。


「?」


「人とすれ違ってみな」


 児童教育科の官吏が扉の反対側へ立った。


 ロザリーが戻ってくる。


 二人が扉口ですれ違おうとする。


「…………」


 止まった。


 ロザリーは身体を横へ向ける。


 ところが、人間なら細くなるはずの横向き姿勢でも、畳んだ翼が背中側へ張り出している。


「ごめんなさい、ちょっと待ってください」


 ロザリーが先に下がった。


 官吏が通る。


 そのあとロザリーが入る。


「なるほど」


「廊下も同じだよ」


 フレイヤは椅子を指した。


「それからさっきの椅子。机の間も広めに取らないと、後ろを通る子が羽根踏むよ」


「羽根は床まで?」


「個体によるね。座り方次第じゃかなり下がる」


「教室備品配置の再計測が必要ですね」


「扉幅も一応見たほうがいい」


「校舎改修まで?」


「改修するかどうかは知らないよ。少なくとも、どこが狭いか知らずに入れるのは駄目だろ」


 官吏が書く。


『教室机間距離』


『椅子背面形状』


『主要扉幅』


『廊下通行』


『階段踊り場』


 項目がどんどん増えていく。


 フレイヤはその紙を横から眺めた。


「制服作る話じゃなかったのかい?」


「制服を着て通学する話ですので」


「仕事増やすの上手いね、あんたら」


「必要な仕事が見つかっただけです」


「はいはい」


 被服科の士官が咳払いした。


「学院設備については児童教育科へお任せするとして、こちらは次へ進みます」


「逃げたね」


「分掌です」


「便利な言葉だ」


 三着目が運ばれてくる。


 フレイヤはそれを見て、今度こそ少し感心した。


 一号型とも二号型とも違う。


 背中に、穴がない。


 いや、正確には、背中そのものが大きく開いていた。


 肩から脇へ布が回り、前身頃で留める構造になっている。翼のある場所には最初からほとんど布を置かず、身体の周囲だけを上着で包む形だ。


「三号試作型です」


 被服科の士官が説明する。


「翼を開口部へ通す方式をやめ、背面を大きく開放しました。着用者の身体へ前方から合わせ、翼の周囲で固定します」


 フレイヤの眉が上がった。


「やっと分かったじゃないか」


「二号型の時点で用意済みの試作品です」


「……最初から分かってたのかい?」


「試験とは比較するものですので」


「帝国人だねえ……」


 ロザリーが三号型を受け取った。


 今度は布仕切りへ入る必要もなかった。


 腕を通す。


 肩へ掛ける。


 身体の前で留める。


 翼は最初から外にある。


「……あ」


 ロザリーが目を丸くした。


「これは楽です」


「一人で着られますか?」


「はい」


 一度外し、もう一度自分だけで着る。


 問題ない。


「羽根の引っ掛かりは?」


「ありません」


「肩を動かしてください」


 腕を上げる。


 前屈。


 左右へ身体を捻る。


 翼を半開。


 全開。


 今度は布がほとんど動かなかった。


「いいじゃないか」


 フレイヤが言う。


「一号型より軽いし、二号型みたいに羽根を穴へ通す必要もない」


「生地使用量も少なくなります」


「それは安くなるってことだね?」


「縫製工程も減りますので、現時点では最も量産性があります」


「決まりじゃないか」


 被服科の士官は答えなかった。


 ロザリーも答えなかった。


 代わりに、部屋の端に置かれた姿見を見ている。


「……ロザリー?」


「はい」


 返事はした。


 ただ、妙に歯切れが悪い。


 ロザリーは身体を少し横へ向け、鏡越しに自分の背中を確認した。


 右。


 左。


 もう一度右。


「どうした?」


「……その」


 少し迷ってから、ロザリーは言った。


「これ、背中……かなり見えてません?」


 全員が、ロザリーの背中を見る。


「…………」


 翼の付け根を避けるため、大きく開けられた背面。


 機能上は何の問題もない。


 ただし、翼と翼の間から、肩の下から腰の上あたりまでが思った以上によく見えていた。


「見えてるね」


 フレイヤが言った。


 ロザリーが少し肩をすぼめる。


「……これで学院に行くのは、ちょっと」


 被服科の士官が口を開く。


「機能上は」


「問題があります」


 児童教育科の官吏が、先に言った。


 被服科の士官がそちらを見る。


「着用動作、翼の可動、耐久性については問題ないようですが」


「本人が着たくないのであれば、通学用制服としては機能していません」


 短い沈黙。


「……承知しました」


 被服科の士官は、三号型の記録欄へ新しい一行を書き加えた。


『背面露出過多。被覆方法を再検討』


 フレイヤはそれを見てから、ロザリーへ視線を戻した。


「嫌なら嫌って言っていいんだよ」


「はい」


「痛いとか、動けないとかだけじゃない。毎日着る服なんだからね」


「……はい」


 今度の返事は、少しだけ軽かった。


 その横で、ウィータが三号型をじっと見ている。


「ウィータさんはどう?」


 児童教育科の官吏が聞いた。


 五歳の少女は少し考えた。


「さむそう」


「……それもありますね」


「子どもは正直だ」


 フレイヤが笑った。


 被服科の士官が、また一行を書き足した。


『防寒性不足』


「増えたねえ」


「増えました」


 午前中だけで、不採用の試作品が三着。


 使える構造と、使えない構造。


 丈夫さ。


 着やすさ。


 羽根の安全。


 身体を隠すこと。


 そして、寒くないこと。


 どうやら制服というものは、フレイヤが思っていたよりずっと多くの仕事を要求するらしい。


「休憩にしましょう」


 児童教育科の官吏が告げた。


 ようやくか、とフレイヤが息を吐く。


 机の上から型紙が半分ほど片づけられ、代わりにパンと温かいスープの入った器が運び込まれる。


「やっと飯だね」


 フレイヤは椅子を引いた。


 背もたれを見る。


 少し考える。


 丸椅子へ変えた。


「……ほんと、面倒な身体してるねえ」


 独り言のようにこぼすと、ロザリーが少し困った顔をした。


 フレイヤはすぐに続ける。


「だから、面倒見られる服と椅子を作りゃいい」


 ロザリーが瞬きをする。


「身体を削って椅子に合わせるわけにもいかないだろ」


「……そうですね」


「ほら、食いな。午後も長そうだよ」


「はい」


 昼食が始まった。


 少なくとも、フレイヤはそう思っていた。


「三号型の背面開口ですが」


 被服科の士官が、スープの匙を置いて言った。


「肩から別布を垂らせば、開口そのものを狭めずに背面を覆えるかもしれません」


 フレイヤはパンを齧ったまま目を閉じた。


「……飯くらい黙って食えないのかい」


「午後までに四号型を仮縫いしたいので」


「今日作る気なのかい?」


「そのために仕立工を三名待機させています」


「最初から一日で決める気だったね、あんたら」


「可能ならば」


 被服科の士官はそう答え、何事もなかったようにスープへ戻った。


 児童教育科の官吏もパンをちぎりながら三号型を眺めている。


「上から覆うという方向性自体は良いと思います。ただ、背中側で留める構造は避けたいですね」


「十五歳規格でも?」


「避けられるなら。五歳規格では不可です」


「では肩から前へ回して固定しますか」


「前なら本人が確認できます」


「紐で結ぶ?」


「五歳児に毎朝結ばせます?」


「……留め具ですね」


 また始まった。


 フレイヤは諦めてパンをスープへ浸した。


 向かいではロザリーが小さく笑っている。ミドラーシュは黙々と食べていたが、白い羽根の先がわずかに揺れているあたり、こちらも面白がっているらしい。


 ウィータだけは完全に無関係だった。母親の隣でパンに薄く果実煮を塗ってもらい、口いっぱいに頬張っている。


「肩から垂らすなら」


 ロザリーが、不意に口を開いた。


 被服科と児童教育科、合わせて七人ほどの視線が一斉に集まる。


「……なんですか?」


 ロザリーが少したじろいだ。


「続けてください」


「いえ、その……さっきの服、背中が開いているのが問題なら、その開いているところに上から布を被せればいいんですよね?」


「はい」


「だったら、肩からこう……」


 ロザリーは自分の肩へ手を置き、そのまま背中側へ滑らせた。


「羽根の上まで垂らして、前は胸のところで留めるとか。そうすれば、自分でも触れるかなって」


 被服科の士官が止まった。


 隣の士官も止まった。


 児童教育科の官吏が、ゆっくりパンを皿へ戻した。


「……肩から」


「背中へ垂らす」


「背面開口はそのまま」


「翼根部にも触れない」


「前面固定なら着用者自身で確認可能」


「布一枚なら交換も容易ですね」


「成長時は肩布だけ変更できる可能性があります」


「待ってください」


 一人が立ち上がった。


「軍用外套の雨覆いを持ってきてください」


「倉庫ですか?」


「廊下の試作品箱にあります」


「三号型も人台へ!」


 食事は終わったらしい。


 フレイヤはパンを持ったまま、急に動き始めた帝国人たちを眺めた。


「……なんかまずいこと言ったね、ロザリー」


「えっ」


「安心しな。悪い意味じゃない」


 ロザリーの目の前で三号型が人台へ掛けられ、その肩へ濃紺の布が当てられる。


 一人が布を押さえ、一人が背面から見る。別の一人はもう型紙へ線を引き始めていた。


「もう少し幅を」


「広すぎると翼へ被ります」


「では中央を長く、左右を短く」


「翼を畳んだ際の外形も確認してください」


「前はどう固定します?」


「胸元で交差させるか、左右をそのまま落として留めるか」


「学院制服との意匠統一も必要です」


「スカーフ状にするのは?」


 児童教育科の官吏が言った。


「前で結ぶ?」


「十五歳以上なら可能です。ただし五歳型は別方式で」


「五歳型は大きな平ボタンか差し込み式」


「金具は駄目です」


 ウィータが言った。


 全員が振り返る。


「さっき、いたかった」


「ああ」


 被服科の士官が真顔で頷いた。


「では五歳型は金具を避けます」


「……ちゃんと効いてるね、お前の意見」


 フレイヤが言うと、ウィータは誇らしそうに胸を張った。


「いたかったから」


「それが一番大事な報告だよ」


 やがて食器が下げられ、空いた場所へさらに布と型紙が広げられた。

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