第80話 奈落城
地下酒場。
静寂。
巨大な黒い影は、いつの間にか消えていた。
それでも。
あの場にいた誰も忘れられない。
王冠。
翼。
赤黒い瞳。
本能が理解してしまった。
——触れてはいけない何かだと。
◇
士郎は静かに立ち上がる。
黒い靄。
少しずつ薄れていく。
それでも。
完全には消えない。
リゼが恐る恐る声をかけた。
「……大丈夫?」
士郎は少し首を鳴らす。
「ああ」
普通だった。
少なくとも見た目は。
だが。
エレノアは黙っている。
赤い瞳。
士郎を観察していた。
◇
セレナが笑う。
「どうだった?」
士郎は少し考える。
「妙な感じだった」
「それだけ?」
「頭の中に変なのがいた」
リゼがツッコむ。
「かなり大事な情報じゃない!?」
◇
セレナは興味深そうだった。
「声は?」
「聞こえた」
「何て?」
士郎の黒い瞳が少し細くなる。
「“器”とか言ってたな」
その瞬間。
エレノアとセレナの空気が変わった。
グランも顔をしかめる。
「おい……」
リゼだけが状況についていけていない。
「なにそれ」
◇
セレナは静かに言った。
「やっぱり、“向こう側”は気づいてる」
「向こう側?」
「原初の魔王」
静寂。
酒場の空気がさらに冷える。
◇
神代文明。
その末期。
世界を滅ぼしかけた存在。
原初の魔王。
人類史最大の災厄。
それは伝説じゃない。
実在した。
そして。
完全には死んでいない。
◇
リゼが青ざめる。
「いや待って」
「さらっと世界終わる話しないで」
グランも険しい顔だった。
「……だから奈落城か」
セレナが頷く。
「あそこは、“魔王の墓”だから」
◇
沈黙。
酒場の空気が重い。
それでも。
士郎だけは笑っていた。
「いいな」
リゼが頭を抱える。
「感想それなの!?」
◇
エレノアは静かに士郎を見る。
黒い靄。
赤く染まりかけた瞳。
馴染みすぎている。
魔王因子が。
普通なら、ここまで侵食されれば壊れる。
精神が。
肉体が。
それなのに。
士郎は平然としている。
まるで。
最初から適合するために作られていたみたいに。
◇
その時。
セレナが静かに言った。
「明日、奈落城へ向かうわ」
グランが顔をしかめる。
「本気かよ……」
「嫌なら来なくていいわよ?」
「……チッ」
完全に行く流れだった。
◇
その夜。
地下闘技都市外縁部。
宿。
リゼは眠れなかった。
窓の外を見る。
地下都市の灯り。
遠くの闘技場。
歓声。
それなのに。
嫌な予感しかしない。
◇
その時。
廊下から足音が聞こえた。
リゼが扉を開ける。
士郎だった。
黒いコート。
無表情。
しかし。
その黒い瞳だけが、少し赤い。
リゼが不安そうに聞く。
「……本当に大丈夫?」
士郎は少し考える。
そして。
静かに言った。
「分からん」
リゼの顔が曇る。
士郎は少し笑った。
獰猛に。
「でも、面白くなってきた」
その瞬間。
宿の窓の外。
遥か遠く。
巨大な黒い城が、一瞬だけ見えた。
奈落城。
まるで。
士郎を待っているみたいに。




