第77話 深淵の魔女
地下酒場。
空気はまだ重かった。
――“魔王の心臓”。
その単語だけで、空気が変わった。
地下世界の住人たちですら。
それは禁忌に近い。
神代文明。
原初の魔王。
世界崩壊級の遺物。
軽々しく触れていい話じゃない。
◇
それでも。
士郎だけは笑っていた。
「面白そうだ」
深淵の魔女セレナは妖しく笑う。
「あなた、本当に変わってるわね」
「そうか?」
「普通は怖がるの」
士郎は肉を食いながら答える。
「強い奴がいるなら、その方がいい」
沈黙。
リゼが頭を抱える。
「思考が戦闘狂すぎる……」
◇
エレノアは静かにセレナを見ていた。
赤い瞳。
警戒している。
セレナも気づいていた。
「灰の魔女が、そんな顔をするなんて珍しいわね」
エレノアは笑わない。
「あなたが関わってる時点で嫌な予感しかしないのよ」
セレナは楽しそうだった。
「失礼ね」
◇
グランが小さく聞く。
「……で、その遺跡ってどこなんだ?」
セレナは静かに答える。
「――奈落城」
その瞬間。
酒場の空気が凍った。
周囲の客たちがざわつく。
「奈落城だと……?」
「おい冗談だろ……」
「入った奴全員死んだっていう……」
地下世界でも有名だった。
神代文明時代の巨大遺跡。
無数の魔物。
古代兵器。
そして。
生きて帰った者がいない死地。
◇
それでも。
士郎は笑った。
「いいな」
グランが頭を抱える。
「良くねぇよ……」
◇
セレナは士郎を見る。
興味深そうに。
「怖くないの?」
士郎は即答した。
「死ぬかもしれないんだろ?」
黒い瞳が細くなる。
「最高じゃないか」
静寂。
リゼが完全に引いていた。
「この人ほんと危ない……」
エレノアだけは少し笑う。
「今さらでしょ」
◇
その時。
セレナの視線が、士郎の周囲へ向く。
黒い靄。
ゆっくり。
まるで呼吸するみたいに揺れている。
セレナの笑みが少し深くなった。
「なるほど」
「?」
「確かに、“近い”わね」
エレノアの目が細くなる。
「……何が言いたいの?」
セレナは答えない。
ただ。
士郎を見ている。
まるで。
完成を待つ研究者みたいに。
◇
その時。
酒場の外から悲鳴が響いた。
「う、うわぁぁぁぁ!!」
轟音。
建物崩壊音。
酒場全体が揺れる。
グランが顔をしかめる。
「今度はなんだ……?」
次の瞬間。
酒場の壁が吹き飛んだ。
爆炎。
悲鳴。
粉塵。
そして。
巨大な“何か”が現れる。
客たちが絶叫する。
「魔物だァァァ!!」
全長五メートル級。
黒い甲殻。
無数の赤い目。
蜘蛛みたいな異形。
しかし。
普通の魔物じゃない。
身体には神代文字が刻まれていた。
エレノアの顔色が変わる。
「神代兵器……!」
セレナは静かに呟く。
「追ってきたのね」
リゼが叫ぶ。
「いや先に言って!?」
◇
巨大蜘蛛が咆哮する。
轟音。
酒場へ突撃。
机が吹き飛ぶ。
客たちが悲鳴を上げながら逃げ惑う。
それでも。
士郎だけは笑っていた。
黒い瞳。
歓喜。
「いい」
次の瞬間。
黒狼が踏み込んだ。
轟音。
床が砕ける。
酒場そのものが揺れた。
そして。
巨大蜘蛛の赤い眼が。
初めて。
“恐怖”みたいなものを宿した。




