第30話 黒狼討伐命令
北方戦線。
黒狼警戒令。
その情報は、すぐに人類側にも伝わった。
要塞都市グランゼル。
会議室では重苦しい空気が流れている。
王国軍幹部たちの表情は険しかった。
机の上へ置かれた報告書。
【魔族軍、黒狼との交戦時は撤退許可】
【単独遭遇を禁止】
【最優先危険対象認定】
沈黙。
幹部の一人が呟く。
「魔族側が、人間一人を恐れている……」
異常だった。
士郎は軍隊じゃない。
英雄でもない。
たった一人の傭兵。
それなのに
戦場全体を変え始めている。
◇
アレスは静かに報告書を閉じた。
「……予想以上だな」
グランが壁にもたれながら言う。
「もう噂どころじゃない」
黒狼。
その名は、前線全域へ広がっていた。
S級魔獣を素手で殺した
魔族軍幹部と互角
ワイバーンを殴り落とした
一人で夜襲を崩壊させた
兵士たちは半分伝説扱いしている。
だが。
同時に恐れてもいた。
アレスが低く言う。
「問題はここからだ」
その時。
扉が開いた。
王都からの伝令。
空気が変わる。
伝令は緊張した様子で書状を差し出した。
アレスが読む。
そして。
顔が険しくなった。
グランが眉をひそめる。
「なんだ」
アレスは数秒黙った。
やがて。
「王都が、黒狼の管理を要求している」
沈黙。
グランが鼻で笑う。
「無理だろ」
「分かっている」
王国上層部は恐れている。
黒狼が制御不能になることを。
もし敵に回れば。
前線どころの話じゃ済まない。
アレスは窓の外を見る。
訓練場。
そこでは士郎が、一人で鉄塊を殴っていた。
轟音。
鉄が歪む。
兵士たちが距離を取っている。
完全に危険生物扱いだった。
◇
訓練場。
士郎は静かに拳を振っていた。
鉄塊が砕ける。
だが
満たされない。
ゼクトとの戦い以降。
身体の奥がさらに飢え始めていた。
もっと強い敵を。
もっと死に近い戦いを。
その感覚が消えない。
その時。
アレスがやって来る。
士郎は振り返らない。
「なんだ」
「話がある」
士郎は鉄塊を殴り潰してから振り向いた。
アレスは真っ直ぐ士郎を見る。
「王都はお前を危険視している」
「知ってる」
「場合によっては拘束も考えている」
沈黙。
兵士たちが息を呑む。
だが。
士郎は笑った。
ほんの少し。
「できると思うか?」
アレスは答えない。
無理だ。
少なくとも、この前線に士郎を止められる人間はいない。
アレスは静かに言う。
「俺はお前を敵にしたくない」
「そうか」
「だが、お前は危険すぎる」
士郎は少し考える。
そして。
「今さらだろ」
アレスは眉をひそめた。
その通りだった。
最初から。
西園寺士郎は化け物だった。
◇
その夜。
魔族軍陣地。
ゼクトは天幕の中で笑っていた。
部下の魔族が報告する。
「人類側でも“黒狼”への警戒が強まっています」
「当然だ」
ゼクトは酒を飲みながら言う。
「あれは戦場を壊す」
魔族でも。
人間でもない。
戦争そのもの。
ゼクトは赤い瞳を細める。
「だが、まだ足りん」
部下が困惑する。
「ゼクト様?」
ゼクトは笑う。
「黒狼は、もっと壊れる」
意味深な言葉。
そして。
「次は砦を落とす」
北方戦線最大防衛拠点。
“ヴァルガ砦”。
そこへの総攻撃が始まろうとしていた。
同じ頃。
士郎は一人、夜空を見上げていた。
静かな夜。
だが。
胸の奥がざわつく。
戦いが近い。
もっと激しい殺し合いが来る。
士郎は小さく笑った。
「……いい」
その目はもう。
完全に“戦場の悪魔”のものだった。




