第3話 黒狼の噂
グレイブウルフの死体を前に、リゼは固まっていた。
動けない。
理解が追いつかない。
C級魔獣。
普通の人間では勝てない怪物。
それを、目の前の男は拳一つで殺した。
士郎は狼の死体を見下ろす。
血を拭いながら。
「食えるか」
リゼが思わず聞き返す。
「……え?」
「肉だ」
士郎は当然のように言う。
「食料になるだろ」
リゼは呆然とした。
この人、魔獣を倒した直後なのに感想それなの?
士郎はグレイブウルフを片手で持ち上げる。
リゼの顔が引きつる。
「うそ……」
全長三メートル級の魔獣。
普通なら数人がかり。
だが士郎は軽々と担いでいた。
士郎は歩き出す。
「街へ行く」
「ま、待って!」
リゼが慌てて後を追う。
「街って……ルーガス?」
「知らん」
「えぇ……」
士郎は本当に、この世界のことを何も知らないらしい。
リゼは恐る恐る聞く。
「その……ほんとに別世界から来たの?」
「ああ」
「信じられないんだけど……」
士郎は淡々としていた。
「俺もだ」
◇
数時間後。
石壁が見えてきた。
城壁都市ルーガス。
商業と冒険者の街。
リゼは少し安心した。
「やっと着いた……」
だが門前に近づいた瞬間、空気が変わる。
門兵たちの視線が、士郎へ集中したからだ。
いや。
正確には。
士郎が担いでいるグレイブウルフへ。
「お、おい……」
「まさか……」
兵士たちがざわつく。
士郎は平然と歩く。
門兵の一人が槍を構えた。
「止まれ!」
士郎が止まる。
兵士はグレイブウルフを見て、顔を引きつらせた。
「……これをどうした」
「殺した」
「誰が」
「俺だ」
沈黙。
門兵たちが顔を見合わせる。
信じられない。
グレイブウルフはC級。
熟練冒険者でも油断すれば死ぬ。
それを、この黒コートの男が一人で?
しかも武器が見当たらない。
兵士は慎重に聞く。
「パーティは?」
「いない」
「武器は」
「拳」
空気が止まった。
リゼが小声で言う。
「もう少し言い方あるでしょ……」
だが士郎は本気だった。
兵士たちは乾いた笑いを浮かべる。
冗談に聞こえない。
なぜなら。
グレイブウルフの頭部が、本当に殴り潰されたように陥没していたからだ。
門兵長らしき男が現れる。
傷だらけの中年兵。
歴戦の空気。
だが士郎を見る目は険しかった。
「名前は」
「西園寺士郎」
「冒険者か?」
「違う」
「傭兵?」
「知らん」
門兵長は眉をひそめる。
訳が分からない。
だが。
本能が告げていた。
こいつは危険だ。
「……通れ」
周囲の兵士が驚く。
「隊長!?」
「揉めるな。面倒だ」
門兵長は士郎を睨む。
「街で暴れるなよ」
士郎は答えなかった。
◇
ルーガスの街は活気に溢れていた。
露店。
酒場。
武器屋。
冒険者。
様々な人間と亜人が行き交っている。
だが。
士郎が歩くたび、人々の視線が集まる。
理由は明白。
黒いコートの男が、巨大な魔獣を片手で担いでいたからだ。
「なんだあいつ……」
「グレイブウルフじゃねぇか?」
「誰が倒したんだ?」
「まさかあの男か……?」
ざわめき。
恐怖。
好奇。
士郎は気にしない。
前の世界でも同じだった。
人は、理解できない強さを恐れる。
それだけだ。
リゼが前を指差す。
「あそこ……」
巨大な建物。
剣と盾の紋章。
冒険者ギルド。
士郎は目を細める。
「強い奴はいるか」
「たぶん……」
「なら行く」
士郎は扉を開けた。
瞬間。
喧騒が止まる。
酒場の冒険者たち。
受付嬢。
傭兵。
全員の視線が集まる。
そして。
士郎は中央へ歩き、グレイブウルフの死体を落とした。
ドゴォン!!
床が揺れる。
沈黙。
冒険者たちの顔が引きつる。
「……おい」
「誰がやった」
「まさか……」
士郎は言った。
「買い取れ」
静寂。
やがて。
酒場の奥から、一人の大男が立ち上がった。
筋肉の塊。
大剣を背負った巨漢。
顔には無数の傷。
明らかに強者。
ギルド内の空気が変わる。
「ガルドだ……」
「B級冒険者……!」
男――ガルドは士郎を見下ろした。
「お前がやったのか」
「ああ」
「一人で?」
「問題あるか」
ガルドの目が細くなる。
殺気。
ギルド内が静まり返った。
「面白ぇ」
ガルドは大剣へ手をかける。
「なら、俺とやるか?」
リゼの顔が青ざめる。
だが。
士郎は少しだけ笑った。
異世界に来て初めて。
ほんの少しだけ。
楽しそうに。
「いいぞ」




