(3)父の骨折
父が骨折します。
母は亡くなった。
そして、わたしは家へと帰ってきた。父一人が待つ家へと。
母の葬儀の日、父はひたすら泣いていたし、列席者への感謝の意を伝えていた。
そんなわたしは、父をたぶん残酷に見守っていた。
長兄も泣いていた。次兄は泣いていなかった。
母と接していた時間が短いほど、後悔の時間も長い。
次兄は、父と母とを温泉旅行に連れ出すようなことも、10年ほどしていた。
しかし、長兄は長兄としては無念だろうに、父母と疎遠だった。
そんな長兄にどんな言葉をかけたらいいのか、わたしには分からない……
ただ、父は長兄とのあいだの不仲などなかったかのように、「母さんに言葉かけてやれ」などと言っている。
母の葬儀は、またたく間に終わった。
そして、わたしと父との生活が始まったのだった。
父は、母が亡くなって後もしばらくは気丈だった。
しかし、認知障害が進んで、なにを話しているのか分からなくなるようなことも多くなった。
わたしは、思わず言葉を荒げる「何を言っているのか分からないよ!」
そのたびに、父は悲し気な涙を流す。
わたしは、わたしの罪を感じた……
それから数年。
父が骨折をした。
あるときから、父は遠くにある主治医のもとへと通院することを困難に感じ始めていた。
そして、あるときから、「在宅医療ってどんななんですかね?」と、通院以外の診療に道を求めるようになっていった。
そこまで思うには、父の中で長い決断の歴史があったのだろう。
わたしは、父が在宅医療に舵を切ったのを、単純にうれしいとも思っていた。
しかし、自宅から出る機会がますます減る、ということに危機感も感じていた。
しかし、父の決意は固かったらしい……
わたしに迷惑かけたくない、という思いが透けて見えて、わたしは泣いた。
「先生ね、在宅医療って、どうなんですか?」
「あれですよ? わたしではないですが、お宅に医師がうかがいます。看護師といっしょに、何人かのチームでお伺いします」
「はあ。今まで通りの診察になるんですか?」
「はい。診察は今まで通りです。ですが、薬の処方などは外部に委託することになります……」
「そうですか」
そんな会話である。
そして、最後の外来の日だった。
父は、受診に訪れた。
そして、何種類かの予防接種を打った。
それがいけなかった……
父は予防接種の影響で高熱を出し、ベッドから起き上がれなくなった。
わたしは、父の看護をする。
父がトイレに立つ、というときに父を抱えてトイレまで運ぶ。
また、父はベッドまで戻る。そして、泥のように眠る。
発熱していて、体温は39度近く。
わたしは、寝ても起きてもいられない。
緊張した時間が続く。
それでも、父はなんとか自分自身であろうとする……
それがあだとなった。
わたしが目を離したすきに、父は自分でトイレに立とうとする。
そして、転倒。
どおん、という音でわたしは慌ててかけつける。
「どうしたの? なんで自分で歩いているの?」
「起こしてけろ!」
「どうしたの!?」
「背中打った……」
というのが、顛末である。
わたしが数分目を離したすきに、父は自分でトイレに立とうとして転倒した。
そして、背骨を圧迫骨折。
それから半年、ほぼ寝たきりの状態が続く。
骨折して始めのころ、父は「なんでこんなに痛えんだ!」と、嘆きの言葉ばかりを発していた。
スマホで情報を検索し、自分の症状が圧迫骨折だということを知る。
医師からは、「年なんだから」という説明しかされない。
ために、不安になる父。
看護師をしている姪などに、情報を訪ねたりしている。
わたしはAIで検索なんかもして、「こういう症状なんだから……」と言っても、父は納得しない。
「俺ももう死ぬ……」
などと悲観を口にしたりする。
わたしは、「しばらく時間はかかるけれど、だんだんによくなるから……」となだめる。
まっくら闇な時間。
そんな時間が数か月つづいた。
父は、痛み止めの薬を何度か替えてもらった影響もあってか、だんだんに痛みを感じることも少なくなっていく……
しかし、再度の転倒。
父は、それまで以上の痛みに再度さいなまれることになる。
わたしは、「だから、無理しないでって言ったのに……」としか言えず。
合計でほとんど半年間、父はほとんど寝たきりのような状態だった。
父の姪からは、「骨折は長くかかるよ……」などと言われていたのだが、父の慢心と自信が、むしろ治癒を長引かせることになったのだった。
「わたし」と「父」との「現在」にいたるアクシデントでした。




