7話 ワシは山に登る
村へ流れる水を辿り、ようやく山の麓まで到着した。
「村からそれほど遠い距離でもなかったな」
「あまり高さはないのですが、見た目通り傾斜がありますから。山を登らずに迂回する人が多いですね」
確かにレリアの言う通り、この傾斜は少々骨が折れそうだ。
子供の足で登ればどれほどかかるか。
周囲の山々の半分も高さはなく、ここからでも山頂が見て取れるが……日が落ちる前には戻れるように動くべきだろうな。
山道に入ると、前方をレリアが何事もなさそうに歩いていく。
「……だから、どうしてレリアが前を歩く」
「シド君。何度も言うようですが、あなたは怪我人です。やはり私が先に歩いて正解ですね」
反論するのも面倒になってワシは視線を足元の川へと落とした。
成分が聖水だとは言ったものの、レリアが困惑するのも無理はない。
聖水とは本来、清らかな泉から湧き出る場所か深い祈りと魔力によって精製されるものだ。
山から自然に流れてくるなど、ワシも聞いたことがない。
「聖水というのは、どうやって作られるものなんだ」
「作り方となると私では分かりません。ただ、聖水のある場所には神殿が建てられる決まりになっています」
「独占して、町や村に高値で売りつけるためか?」
「違いますよ。公平な我々神官が管理して、神の声に従い聖水を分け与えるのです。神殿で囲わなければ、営利目的の悪人に占拠されてしまいますから」
レリアの背中越しに、深いため息が聞こえた。
なるほどな。放っておけばろくなことにならんのは、いつの世も同じか。
妥当な判断だと思いながら登っていると、川の流れの中に黒い何かが混じっているのが見えた。
黒い液体が水に溶け、薄まりながら流れているように見える。
ワシは足を止め、手で水を掬ってみた。
だが、そこには何もない。掌にあるのは、ただ表面が揺れる透明な水だけだ。
「どうしたのですか、シド君」
「……川の中に黒いものが混じっているのが見えるか?」
レリアは川にじっと目を凝らしたが、何も見つけられないようだった。
「うーん。何も……ないですね」
何度確認しても、ワシの目には黒い澱みが映る。
試しに口に含んでみたが、味は先ほどと変わりはない。
……どうやら、レリアの目には見えない種類の汚れらしい。
「悪いな、見間違いだった」
「いいえ、そんなこともありますよ」
気にした風もなく、レリアはまた前を歩いていく。
依然として黒いものは流れ続けているが、今のところ実害はなさそうだ。
ワシはひとまず思考の隅に追いやって先を急ぐことにした。
「そうそう、あっちの方角の村から北に出てから西に向かったところに、妹のいるエルナザムの町があるんです」
レリアが指差す方向を見ると、ほんのうっすらだが明かりが見える。
思ったよりは距離があるようだが徒歩だとここまでくるのも大変だったのだろう。
「妹は元気でやってるのか」
「はい。少し気苦労はあるみたいですが元気ですよ」
そう締めくくると話題を変えるようにレリアは前方に見える岩場を指差した。
「魔物もいませんでしたね。源泉も見えてきたので一安心です」
岩場に囲まれた場所に辿り着くと、そこから水が湧き出していた。
あの黒い汚れは、湧き出し口付近の水の中の『何かの欠片』から漏れ出しているようだった。
小指の爪ほどの大きさだが、まるで燃えるような赤色をしている。
「何の欠片だ、これは」
ワシが指先で触れた瞬間、灼熱の衝撃が走った。
思わず反射的に手を離して欠片を水の中に落とす。
驚いて手を確認したが火傷の跡はない。
一体どうなっている。ワシが困惑していると、今度はレリアがその欠片を拾い上げてしまった。
「何か落としたようですけど……きゃっ!」
レリアは悲鳴を上げ、欠片を放り出した。
彼女の指先を見ると、少し手に取っただけのはずが見る間に赤く腫れて痛々しい火傷の跡が残っている。
「な、何ですかこの欠片は……! 火傷してしまいました。シド君は大丈夫ですか?」
ワシは確かに熱を感じたが跡は残っていない。
レリアは涙目になりながら、回復をかけて治療していた。
こちらを少し恨むように見るが、拾いに行ったのはレリアだろうに。
「いや、ワシは平気だ。そんな目をするな。指は大丈夫か?」
「火傷したのですから、痛いですよ! なんでシド君は平気なんですか?」
「熱さは感じたが問題はないみたいだな。違いは火傷の有無くらいか」
この欠片から流れ出る「黒いもの」が、魔物を村から遠ざけていた要因みたいだな。
だとすれば、村が襲われるようになったのは、この欠片の効力が弱まったかあるいは……。
ワシは岩場の周辺を歩き回った。レリアも不安げに付いてくる。
この欠片があるならば、必ず『本体』がどこかにあるはずだ。
「何か探し物でもしていますか?」
「そうだな。多分、近くにあるはずだ」
しばらく探すと、土が不自然に盛り上がっている場所を見つけた。
手で少しずつ掘り進めると、指先に硬い感触が当たる。
「これは……鱗か」
土の中から現れたのは、灼熱の色を宿した巨大な鱗だった。
大きさは子供の身長ほどもある。
これを鱗と呼ぶならば、本体の巨体は想像を絶する。
「何だこの巨大な鱗は……」
「触っても大丈夫なのですか?」
「どちらにせよ、触れねば話が進まん」
先ほどの火傷を恐れているのか、レリアが怯えたように身を引く。
また怪我をさせては堪らん。ワシは一気にその鱗を掘り出した。
手に触れた瞬間、欠片とは比較にならない激痛が全身を走る。
「ぐっ……! これは、先ほどの比ではないぞ。ワシが運ぶから、レリアは絶対に触るな!」
「シド君、ダメですよ! 片手しか使えないのに無理をしたら……あっ!」
制止を振り切り、ワシは巨大な鱗を片手で抱えた。
内側から焼かれるような熱を気で押さえ込みながら斜面を駆ける。
幸い、鱗は見かけによらず軽かった。
源泉まで戻ると欠片が落ちていた付近の水面へ鱗の先端を突き立てる。
「ぐぬっ……もっと、深く……だ!」
腕に渾身の力を込め、鱗を一気に水中へ押し込んだ。
掌から腕まで全てを焼くような壮絶な痛みに耐えながら、鱗の半分以上を土の中へと沈めて固定する。
これならば、そう簡単に抜けることはあるまい。
「ふぅ……よし。これで村に魔物は寄らなくなるだろう」
遅れて戻ってきたレリアが、呆然とワシを見つめていた。
「もしかして、さっきの鱗は……」
「ああ、そうだ。元の位置に埋め戻してやった」




