19話 酒場の少女と人探しをする
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食堂の外へ出ると、夜の冷気があらわになった肌を撫でた。
アリアは店の外に佇んだまま、どこか不安な様子が混ざったような複雑な瞳でオレを見上げてくる。
「この後、シドくんはどうするの?」
「とりあえず宿に泊まる。まだ、この町について何も知らないからな」
答えると、アリアは小さく頷いた。
その小さく華奢な肩を見れば、彼女が抱えている不安の大きさは容易に想像がついた。
いきなり姉の大切な道具袋を持って現れ、当の姉はしばらく帰らないと告げてきた見知らぬ男。
彼女にしてみれば、確認のしようもない言葉を必死に信じるだけで精一杯なのだろう。
レリアと一緒に暮らしていたという家を見てみたい気持ちも、少しはあった。
だが、急いで向かう必要はない。
変に干渉しすぎるのも、彼女にとってはかえって負担になるだろう。
オレの答えを聞いてどこかホッとした表情を浮かべたアリアは、胸の前で小さな手をキュッと握り締めた。
「じゃあ、明日は中央広場にある噴水でお昼に会いましょう」
「ああ、分かった。中央広場に昼だな」
短く約束を交わし、オレたちはそこで一旦別れることにした。
街灯の明かりの中に小さくなっていく背中を最後まで見送ってから、オレは適当な宿屋を探すべく静まり返った通りへ足を進めた。
だが、路地を曲がったところで、前方から慌ただしく走ってくる影があった。
昼間に『跳ね馬の蹄亭』で濃厚なミルクを運んでくれた、あの給仕の少女だ。
彼女は何かから逃げるでもなく、誰かを探しているような顔で閉まった店を見比べながら通りを駆け抜けていく。
「何かあったのか?」
オレが声をかけると、少女は弾かれたように足を止め、肩を激しく上下させた。
「あ、君は昼間の! ううん、実は困ったことになっちゃって……」
乱れた呼吸をどうにか整えながら話す彼女によれば、明日の店で出すための肉がまだ届いていないのだという。
いつもなら夕方には運び込まれているはずの肉が届いていないため、不安になって仕入れ先の肉屋を尋ねてみたところ、その店主のプットという男は今朝くらいから誰も見かけていないらしかった。
家は留守にしていて、店の扉も固く閉ざされたままだという。
「その肉の仕入れ場所はどこなんだ?」
「今の季節は町の北側の大草原にいる大猪を狩ってるはずなの。でも、あれって本来はE級のパーティーで倒すようなそれなりに強い魔物なんだよ? プットさん一人でどうにかできる相手じゃないのに……」
昼間の酒場で見た、強面だが面倒見の良いマスターたちの顔が浮かぶ。
いつも世話になっている仕入れ先の店主を、少女が本気で心配しているのが痛いほど伝わってきた。
すでに日は完全に落ち、街道の先は底知れない漆黒の闇に包まれている。
「夜に女一人で行くのは危ないな。オレが見てくる」
「ダメだよ、君一人で行かせるなんて絶対できない! 私も一緒に行く! あ、私の名前はオリーブっていうの。よろしくね!」
少女は譲らないという強い意志を瞳に宿して真っ直ぐ見つめ返してきた。
ここで押し問答をしていても時間の無駄だ。
折れたオレはオリーブを連れて、町の北門へと向かった。
門番に先ほど発行してもらった通行証と冒険者カードを見せる。
「どうした、もう暗くなっているぞ。今から夜の外出は危険だぞ?」
「人探しだ。肉屋の男が戻ってきていないらしい」
門番の男は少し考えると、納得がいったように無精髭の生えた顎を掻いた。
「そういや、今日は肉屋のプットも出て行ったきり戻っていないな」
「そのプットさんが戻っていないんです!」
オリーブが身を乗り出して必死に訴えかけると、門番は困ったように夜の闇が広がる門の外へと視線を向けた。
そして、大きくため息をついてからオレたちに向き直る。
「俺からは、夜の外出は危険だからやめておけとしか言えない。ダメだと感じたらすぐ帰ってくるように」
夜間に外へ出ようとするオレたちを心配そうに見たが、引き留められはしなかった。
「止められると思ったが、意外と平気なものなんだな」
「ん~~。たぶん、シド君が冒険者カード見せたからだと思うよ。基本的に冒険者の外出に関しては口出しできないんだよ。もちろん、自己責任にはなるけどね」
堅牢な門をくぐり抜けて一歩外へ踏み出す。
そこには街灯の光すら届かない、広大な闇の世界がどこまでも広がっていた。
風が吹くたびに不気味な葉擦れの音が響き、足元の土の感触すら怪しい完全な暗闇だ。
オレが気で周囲の空間を探ろうとしたその時、隣で少女が小さく呼吸を整え、両手を胸の前で掲げた。
「周囲を照らし輝け、光球」
可憐な詠唱とともに、彼女の掌から拳ほどの大きさの青白い光の球体が生まれ出た。
光球はふわりと上空へ舞い上がり、オレたちの周囲数メートルを優しく柔らかく照らし出す。
「冒険者でもないのに大したものだな」
一気に視界が開けたことに感謝しつつ素直に褒めると、少女は照れくさそうに頬を赤く染めて頭を掻いた。
「えへへ、これくらい普通の一般魔法ですよ。お店の裏手で夜遅くに作業するときとかに、マスターから教えてもらったんです」
照れる彼女の横顔を見つめながら、オレは静かに思考を巡らせた。
確かに世間一般では生活魔法とされる類のものだ。
だが、魔法の素養を持たない一般人にとっては、その単一の魔法を習得するだけでも相応の才能と努力を要する。
望めば冒険者として生活していくだけの資質は間違いなくあるはずだ。
それでも彼女がそうせず、あの賑やかな酒場の給仕として生きているのは、きっと当たり前の平穏な日常を愛しているからなのだろう。
少女の明かりに照らされた大草原を見渡すが、視界に映るのは夜風にしなる草波ばかりだ。
目指す大猪の巨体どころか、人間の足跡すら見当たらない。
手探りで探そうにも、この広大な暗闇の中では捜索にも限度があった。
いよいよお手上げかと思われた、まさにその時だった。
――カシャン、カシャン。
はるか北の山裾の方角から微かな金属の擦れる音が風に乗って耳に届いた。
ただの獣や魔物が立てる音ではない。
誰かが不穏な武器を構えたか、あるいは硬質などうしがぶつかり合ったような、冷たく不快な響きだった。
「……シドくん、今何か聞こえなかった?」
「ああ。音のした方へ向かうぞ」
オレは腰の黒剣の柄にそっと指をかけ確認すると、オリーブの光球を伴って暗闇の中で不気味に感じる山へと向かった。




