20話 音のする場所を追いかける
先ほど耳に届いた冷たい金属音を目指し、オレとオリーブは北の山の麓へと向かった。
だが、闇夜の錯覚なのか山の麓あたりに感じた音は、近付くにつれて遠ざかって聞こえる。
草波を掻き分けるたびに足元は緩やかな傾斜を帯び、ゴツゴツとした岩肌が土の隙間から覗き始めていた。
思っていたよりもかなりの距離があるらしく、夜の冷気が静かに肌を刺してくる。
「前にも山を登ったりしたが、面倒な事ばかり起こるな」
オレは足元に気を配りながら、思わず小さく愚痴を吐いた。
山と聞くだけで、過去のロザリア村での荒事などが頭をよぎる。
言葉では不平をこぼしつつも、オレの右手はいつでも刀を抜けるよう腰の黒剣の柄にそっと触れていた。
視線を前後左右へと細かく走らせ、風の音に紛れる不審な気配がないか警戒は一切怠らない。
そんなオレの横顔を、頭上に光球を浮かべたオリーブがチラリとのぞき込んできた。
彼女は可憐に唇を緩め、どこかくすくすとした様子で口を開く。
「シドくん、私がついてこなかったらこの暗闇でどうしようと思っていたの?」
「町に戻ってたいまつかランタンでも借りていただろうな」
何食わぬ顔で素っ気なく答えてみせる。
だがオリーブは歩調を合わせながら、ジト目になって怪しむように小首を傾げた。
「シドくん、面倒くさがって真っ暗のまま行ったんじゃない?」
「……」
完全に図星を突かれ、オレは声を出せずに黙るしかなかった。
確かに道具を借りに行く手間すら面倒に感じ、そのまま夜の暗闇の中へ無鉄砲に突き進んでいた可能性は極めて高かった。
静かな夜の道に、オリーブの楽しそうな笑い声が小さく弾ける。
反論しようにも、現に彼女の魔法の明かりのおかげで足元を踏み外すこともなく快適に進めているのは事実だった。
オレは苦々しく口をつぐみ、ただ前を見つめて歩みを早めた。
そうこうしながら暗い山道を登り進めているうちに、先ほどまで静寂を切り裂いていたあの冷たい金属音がふつりと途絶えた。
それまで静かに響いていたカシャンという擦れ音が消え、周囲は再び風の音だけが支配する夜の静寂に包まれる。
ピタリと足を止めたオリーブが、焦ったようにあちこちへ光球の光を向けた。
「あれ、音が消えちゃった。見失っちゃったかな?」
「問題ない。位置は把握している」
「さすがシドくんだね!」
感心したように目を輝かせるオリーブの言葉を聞きながら、オレは心の中でそっと息を吐いた。
実はオレ自身も、耳から得られる情報だけでは音の気配を完全に追いきれていなかったのだ。
そこで、以前にアリアの体内を調べて異常を見抜いた時のあの感覚を応用してみた。
掌から絹糸のように細くしなやかな『気』を放ち、周囲の大気や岩肌へと広く放射状に伸ばしていく。
地形の凹凸や空気の密度の変化、そして異物から発せられる微かな反応を探り当てていくのだ。
攻撃で押し通す以外に使う『気』が、これほど精密な索敵として役立つとは思わなかった。
魔力を扱えないオレにとってみれば、こうした応用は探知魔法以上の成果をもたらしてくれる。
伸ばした『気』の手応えによれば、音の発生源はどうやら山肌の影に隠れるように開いた洞窟の中へと入っていったようだった。
音が途絶えた地点へと近づいていくと、大きな岩の割れ目にぽっかりと漆黒の穴が開いていた。
冷たい湿り気を含んだ風が、その穴の奥から微かに吹き出している。
「オリーブ、お前はここで待っていろ。何もなければすぐに呼ぶ」
洞窟の入口で立ち止まり、オレが振り返って制するとオリーブは両手を腰に当てて急に真剣な顔つきになった。
小さな眉をひそめ、真っ直ぐな瞳でオレを凝視してくる。
「シドくん、たとえ人でも魔物でも、見つけてすぐに飛びついたらダメだよ?」
「なぜ、倒したらダメなんだ?」
素直な疑問を口にすると、オリーブは呆れたように大きく溜息をついた。
「なぜじゃないよ! 相手が悪い人じゃなかったらどうするの。それに、もし悪い人だとしても、何をしようとしているのか把握しなかったら、その後どうするつもり? プットさんも見つけないといけないんだからね!?」
「ぐっ……分かった。だが、オレが先に様子を見ておく」
彼女のあまりにも筋の通った正論にぐうの音も出ず、オレは短く頷くしかなかった。
かつての戦場での癖で、不審な気配があれば即座に首を跳ね飛ばす思考に傾きがちだが、今はそういう状況ではない。
オレは足音を完全に殺し、猫のように静かな足取りで洞窟の入口から内部の様子をうかがった。
洞窟の入り口付近には罠や仕掛けの類は見当たらない。
先ほどの金属音は完全に途絶えていたが、奥の闇から微かな人の気配が伝わってきた。
安全を確認してから外で待たせていたオリーブへ手招きをし、彼女を呼び寄せる。
彼女が掲げる光球の柔らかい灯りを頼りに、オレたちは洞窟の深部へと足を踏み入れた。
「音が聞こえてこないね。この洞窟って、何だか長くない?」
湿った岩肌を光で照らしながら、オリーブが不審そうに囁いてくる。
「長いな……一体どうなっているんだ。だが、奥に確かに人の気配はある」
ただの小洞窟かと思われた穴は想像以上に深く、奥へと進むにつれて緩やかな下り傾斜になっていた。
ゴツゴツとした岩肌が続いていたはずの壁面が、進むにつれてどことなく人の手で削り取られたような滑らかさを見せ始める。
一本道を進んでいくと視界が一気に開け、オレたちは広大な空間へと出た。
そこは自然にできた洞窟の領域を明らかに超えていた。
まるで大量の軍隊でも駐屯させられるのではないかと思えるほど、異常な広さを持つ地下の大広間だった。
整然と並び立つ人工的な石柱が幾本も天井を支えており、肌を刺す不気味な冷気が空間を満たしている。
「わ、すごく広い。シドくん、上を照らしてみるね」
オリーブが掲げた光球が、彼女の意思に応じてふわりと天頂高くへと舞い上がった。
広がった明かりが地下の広い空間全体をまばゆく照らし出していく。
明かりによって浮かび上がった光景に、オレたちは思わず息を呑んだ。
広間の中央の床面、怪しい赤色の光をうっすらと放つ巨大な魔法陣が刻み込まれていたのだ。
不気味な紋様が張り巡らされたその魔法陣の中心に、一人の男が倒れていた。
口には汚れた布を深く押し込まれ、手足を太い縄で頑丈に縛られて身動きを取れずに横たわっている男。
それは昼間に噂で聞いた肉屋のプットだった。




