18話 手掛かりの喪失と感謝の気持ち
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激闘が終わりを告げ、エルナザムの南門付近には重苦しい静寂が漂っていた。
およそ三千の魔物の大群は、見渡す限りの肉片と死骸となって街道を埋め尽くしている。
冒険者や衛兵たちは、血の海の中で崩れ落ちるように膝をつく私を恐れと敬意の混ざった眼差しで遠巻きに見つめていた。
私はいまだ手に残る強烈な手応えと、心が虚しく置いていかれた感覚を噛み締めていた。
土を叩きつけた拳から冷たい痛みが伝わってくる。
すぐそこにあったはずの、復讐の手応え。
それが透明な壁一つで遮られ、高笑いとともに闇の彼方へと消え去った。
「……アレス殿」
声をかけてきたのは、現場へ駆けつけてきたエルナザムの冒険者ギルド長のオルセンだった。
彼は周囲の凄惨な光景と、私の尋常ではない気配に息を呑みながらも毅然とした態度で言葉を続けた。
「ここでは人が多すぎる。詳しい話を聞かせてほしい。地下の会議室を用意させた」
私は無言で立ち上がり、村正を鞘に納めるとオルセンの後に続いた。
すぐ後ろを『暁の太陽』のルードル、ジルガン、ホルミ、そして見習いのバルがついてくる。
ギルドの地下にある、石造りの扉で閉ざされた会議室。
外部からの音を完全に遮断する防音に優れたその部屋に、私たちが着席するとオルセンは重々しく口を開いた。
「まずは、エルナザムの町を救っていただいたことに、深い感謝を申し上げたい。三千の魔物の大群をまさかたった一人で、そのほとんどを壊滅させてしまうとはな。その活躍に見合う報酬と評価は、ギルドとして最大限用意させてもらう」
机の上に置かれた被害の報告書へ視線を落とし、オルセンの眉間に深い皺が刻まれる。
「単刀直入に聞きたい。あれは一体何だったのだ? 通常の魔物の大暴走とは明らかに異なっていた。統率が取れていたというか……まるで意志を持った軍隊のように、真っ直ぐこの町を目指してきたように見えた」
オルセンの言葉を受けて、ルードルは頭痛に耐えるように頭を抱えながらも意を決したようにすっと手を挙げた。
「ギルド長、俺たちも現場で戦っていて違和感を覚えました。個々の魔物は血走っていましたが、個々に統制を保ったまま防壁の壊れた部分へ集的に押し寄せてきた。誰かが後ろから指示を出していたとしか思えません」
ジルガンも重々しく頷く。
「ああ。アレスが倒しきれなかったオークどもも、恐怖で逃げ出す素振りが一切なかった。普通なら仲間が殺されれば多少は怯むはずなんだが……何かに操られているようだったぜ。それに……」
ジルガンは言葉を切り、喉を鳴らした。
「あの漆黒の鎧の化け物……首無し騎士。アレスに一方的にやられちゃいたが、こっちまで背筋が寒くなるような異様な魔力を感じた。魔物をここまで恐ろしいって感じたことは初めてかもしれねえ」
ジルカンに続いてホルミが、青ざめた顔で眼鏡の奥の瞳を揺らした。
「資料や古文書の知識としては知っていました。首無し騎士の通り過ぎた道には、草木一本すら生えない枯れた大地が残ると……。ですが、本物を目にするのはこの場の全員が初めてでした。ただそこに存在するだけで周囲の生命力を削ぎ落とすような、あまりにも不気味な気配でした」
見習いのバルも、小さな拳を強く握り締めながら身を乗り出した。
「俺も初めて見たぞ! 一番後ろにいたあの黒い鎧のやつ首無し騎士っていうのか……あいつが剣を掲げるたびに、周りの魔物たちが変な声を出して突撃していったんだ! あいつが命令を出してたんだ!」
全員が口々に生まれて初めて遭遇した伝説の魔物の脅威と、その異常な統率力について語り合う。
一通り意見が出揃ったところで、室内の視線が静かに私へと注がれた。
「……私はヤツを知っている」
私が呟くと、地下会議室の空気が一瞬で張り詰めた。
「あれは魔力を集めている。理由までは知らんが、人間から直接魔力を吸収しているようだった」
私の確信に満ちた言葉に、オルセンが目を見開いた。
「な……なぜそれを知っているのだ、アレス殿!? 奴と以前にも会ったことがあるというのか!?」
オルセンの問いかけに、私はゆっくりと目を閉じた。
脳裏に焼き付いて離れない、あの地獄のような情景。
透明な壁の向こうで八歳の妹ミーナが首を跳ね飛ばされ、その存在すらも黒い霧となって奴の鎧に吸い込まれていった六十八年前の絶望。
「その昔に奴に会ったからだ」
私は奥歯がみしりと鳴るほど噛み締め、拳を握り潰さんばかりに力を込めた。
全身から漏れ出すどす黒い殺気が、石壁にさえ一瞬軋むような音が鳴る。
「私の大切な……たった一人の妹を殺した。だから、必ず私が奴を殺してやる」
怒りと殺意を露わにする私の横顔。
その瞬間、『暁の太陽』のメンバーの三人とバルは息を呑んだ。
討伐が終わった死体と血の海の中で、圧倒的な力で敵を追い詰めながらも最後には届かなかった。そして、絶望で叫び続けていたアレスの姿。
出鱈目のような強さを持つ男が、どうして絶望の声を上げていたのか。
すべては奪われた妹の仇を前にし、あと一歩のところで逃げられた無念からくるものだったのだと、この場にいた全員が理解した。
だが、私は深いため息をつき椅子に深く身体を預けた。
「遭遇できたこと自体が奇跡に近かった。あの千載一遇の機会で逃がしたくはなかった。またしても逃げられ、手掛かりを完全に失ったのがあまりにも痛い」
ぽつりと零れ落ちた私のボヤきには、途方もない喪失感と重い疲労が滲んでいた。
六十八年という果てしない歳月を費やし、ようやく掴んだ尻尾が再び暗闇の中へと消え去ったのだ。
これからどこを探せばいいのかすら分からない現実に、胸の奥が冷たく冷え切っていく。
沈黙が落ちる地下室で、オルセンが静かに口を開いた。
「……手掛かりを失った無念、察するに余りある。だが、アレス殿。それでも町は、あなたのおかげで救われたのだ。それだけは紛れもない事実だ」
慰めるようなオルセンの言葉に、私は即座に首を横に振った。
「……それは違う」
冷徹な声で、私はオルセンの言葉を遮った。
「私は私の個人的な理由で戦っただけだ。町を救おうなどと、これっぽっちも思ってはいなかった」
エルナザムの住民や冒険者どもの命など、考えもしていなかった。
ただ、目の前の障害を排除し、妹の仇であるあの化け物を細切れにするためだけに剣を振るったに過ぎない。
感謝される筋合いもなければ、英雄気取りで誇るつもりも毛頭なかった。
私の冷ややかな拒絶に、室内が静まり返る。
だがその時、一人の少年が力強く机を叩いて立ち上がった。
「たとえ、そんな気持ちがなかったとしてもよ!」
バルだった。
やんちゃな少年は、真っ直ぐな瞳で私を睨みつけるように見つめていた。
「俺たちは救われたんだ。あの大群がこの町に入ってきてたら、オレもみんなも死んでた! どんな理由だろうと関係ねえ! ありがとう、アレス!」
バルはそう叫ぶと、深々と頭を下げた。
その姿勢には一切の偽りも計算もない、純粋な感謝だけが込められていた。
バルに続くようにルードルが苦笑いを浮かべながら立ち上がり、胸に手を当てて頭を下げる。
「バルの言う通りだ、アレスさん。あんたが自分のために戦ったのだとしても、その結果として俺たちやこの町が生き残った。感謝させてください」
「俺のこの命、あんたのおかげで繋がったんだ。ありがとな」
ジルガンが頭を下げ、ホルミもまた静かに礼を執った。
「理屈や動機はどうあれ、あなたがもたらした結果は多くの人々の命を救いました。心より感謝いたします」
オルセンも含め、室内の全員が私に向かって深々と頭を下げている。
私は何ともいえない気持ちになり、顔を背けた。
バカバカしい。
己の復讐のために暴れただけの男に、頭など下げるものではない。
だが――
彼らの真っ直ぐな言葉と感謝を受け止めるうちに、激しい戦いと手掛かりの喪失によって冷たく荒れ狂っていた胸の奥のざわつきが、不思議と静かに落ち着いていくのを私は感じていた。
狂気的な復讐の炎だけに突き動かされていた私の心に、ほんの少しだけ穏やかな隙間が生まれたかのように。




