17話 呪われた因縁との戦い
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憎しみで足が自然と前へと踏み出す。
一歩、また一歩と前へ進むたびに、血が沸騰するような熱い憎悪がせり上がってきた。
視界の端で揺れる残骸も、背後の冒険者や衛兵たちの視線さえ今の私には一切届かない。
本来であれば、首無し騎士の見た目の禍々しさに怯え、腰を抜かして絶望する者も多いはずだ。
首から上が削ぎ落とされた異形の動く鎧。
ただそこに佇むだけで、周囲の空気が凍りつき圧倒的な死の気配を振り撒いていく。
戦いになれていない中途半端な人間は、考えるよりも早く逃げ出してしまうだろう。
だが、私にとっては違う。
一切の手がかりさえ掴めなかった、絶望的な六十八年という歳月。
生きていく中で狂いそうだった。
いや、実際はもうとっくに狂っていたのかもしれない。
この老いた身を剣に捧げ、絶え間なく胸の奥の怒りを燃やし続け、鎮火しないように薪をくべ続けてきたのだ。
徐々に近づく、禍々しく歪な漆黒の鎧の不倶戴天の敵。
全身に煮え湯を掛けられるほどの苦痛と激痛が走る。
吹き出す私の中の憎悪は止まることを知らず、体内で猛獣のように暴れ狂っている。
進むほどに視界がじわじわと赤く染まり、あの日の果たせなかった復讐の念が爆発した。
「覚悟は……できているんだろうな!」
腹の底から絞り出した声が合図となり、戦場の静寂を引き裂いた。
大地を蹴る足が、大量の土煙を巻き上げて首無し騎士へ突進する。
全盛期の躍動を取り戻した肉体は重力を無視し、空間を切り裂くような速度を生み出す。
手の中にある借り物の妖刀村正が、斬れ、殺せ、と一層強く頭に直接響いてきた。
――うるさい! 邪魔をするな!
怨念の雑音すらも、私の強烈な殺意が上回って強引にねじ伏せる。
首無し騎士のほぼ目の前といっていい距離へ、一瞬で到達していた。
敵の反応が完全に遅れているのを視界に捉えながら、まずは渾身の一撃で切り伏せにかかる。
空気を絶ち切る刃が、鋭い弧を描いて敵の胴体へと滑り込む。
だが、かろうじて直感で反応したのか、奴の握る漆黒の大剣が間一髪で刃を受け止めた。
ガァン、と耳を突き刺す強烈な火花と金属音が戦場に響き渡る。
しかし、妖刀村正を介した私の強烈無比な一撃を、ただ受けるだけで止めることなど不可能だ。
凄まじい衝撃波が波紋となって周囲に広がり、足元の硬い石畳が粉々に打ち砕ける。
そのまま地面に埋まるほどの絶大な剣圧を食らい、首無し騎士の巨体が押し潰されるように動きが完全に停止した。
生じた隙を一瞬だろうが逃しはしない。
頭に響く雑音を振り払うように声を上げて否定する。
「煩い、失せろっ! ――千塵」
相手からはただの光が花開くような無数の光に見えただろう。
だがそれは、首無し騎士を地獄へ叩き落すための連撃が一瞬のうちに繰り広げられた。
一振りが二振りに、続く二振りが無数の光の筋となって漆黒の鎧へと襲いかかる。
大剣を弾き飛ばし、装甲の薄い肩口を叩き斬る。
そして、漆黒の鎧の全身の部位に容赦のない連続の光の斬撃が、けたたましい音を立てて鎧の表面を削り取っていく。
なす術もなく斬撃によって飛ばされた首無し騎士は、何度も地面に叩きつけられながらも背後の何本もの大木をなぎ倒しながら、巨大な岩に激突してようやく激突の勢いを止めた。
土煙が激しく舞い上がり、砕けた岩の破片が雨のように降り注ぐ。
息を乱すことなく、私は踏み込んで間合いを詰める。
赤い視界が歓声を上げるようにもっと斬れと心を前に動かす。
もはや止めることなどできはしない。
この漆黒の鎧の敵を前に全身全霊の一撃を何度でも叩き込む!
「貴様は楽に死ねると思うな!!」
首無し騎士は完全に防戦一方へと追い込まれていた。
血を肉を求め貪ろうとする妖刀村正の強い呪いを力ずくで捻じ伏せながら、私は積年の技を惜しみなく叩き込んでいく。
地を疾走しながら放つ、鋭利な横一文字の斬撃。
敵が崩れかかったところへ叩き込む、重厚な打ち下ろし。
不気味な黒煙を撒き散らして反撃しようとする敵の腕を、すれ違いざまに村正の尖端の刃先で深く切り裂く。
一歩退いて死角へ回り込み、さらに急所を狙う容赦のない突きの三連撃。
八十年の人生のすべてをかけた復讐の炎は、神に匹敵するまでにその力を解き放っていた。
漆黒の鎧に幾重もの深い亀裂が走り、禍々しい魔力が爆発するように霧散していく。
敵の動きは明らかに鈍り、膝をつきそうになりながらただ剣で私の猛攻を防ぐのが精一杯だった。
この手で妹の仇を討つことができる。
手がかり一つなかった絶望の末に、ついに終わりを告げることができのだ。
胸の中で激しく滾る狂喜が、私の腕にさらなる力を与える。
私は村正を深く引き絞り、すべての魔力と憎悪を刃の先へ集中させた。
この一撃で鎧ごと敵を分断にし、二度とこの世に存在できないように粉砕してやる。
「終わりだ!」
咆哮とともに私は踏み込み、渾身の力を込めて刃を全力で振り下ろした。
完璧な一筋の軌道がみえた。
それが回避不可能な、絶対死を運ぶように刃を寸分たがわず振り抜く。
スッと、剣先が漆黒の鎧に入ると、音もなく二つに分かれる。
手応えは確かにあった。
この刃は確実に、不気味な漆黒の鎧を二つに分断していた。
だが、切断面から噴き出したのは血ではなく、溢れ出すような濃密な魔力だった。
鎧の巨体は地へと崩れ落ちることなく、不気味に蠢きながら左右へと急速に分かれていく。
だが、割れた装甲が歪に再生されて全く同じ漆黒の巨体が二体、並び立っていた。
「なんだと!?」
驚愕で息をのむ隙すら与えず、左側の個体が刃を翻して激しい横一文字の薙ぎ払いを繰り出してきた。
咄嗟に村正の峰で受け止めるが、伝わってくる重圧に足元が硬い石畳ごと砕け散る。
私がその攻勢をさばき、距離を取ろうと踏み替えたまさにその瞬間だった。
右側に位置していたもう一体の首無し騎士が、静かに後退しながら漆黒の大剣を頭上へと掲げた。
――パキン
一体の首無し騎士自身が砕け散ると同時に、氷がひび割れるような奇妙に澄んだ音が戦場に響き渡る。
直後、私の目の前に強烈な違和感が走った。
追撃を掛けようと踏み出した足が、何もない空間へと激しく激突する。
硬質な衝撃が全身を襲い、私は不自然に弾き飛ばされた。
「片方が消えた? この壁を創った代償か!?」
戸惑っている間にも残りの一体の首無し騎士は遠ざかっていく。
「また逃げるのかっ! ふざけるな!」
力強く振り下ろした村正の刃が、空間の何もない場所に激突してけたたましい火花を上げた。
キンという硬質な音が響き、手首に強烈な反動が跳ね返ってくる。
「私としたことがっ!」
己の浅はかさを即座に恥じ、村正からの雑音を振り払い思考を巡らせた。
力に任せて力づくで殴りつけるだけでは、手首を痛めてこの理不尽な障壁に吸収されるだけだ。
呼吸を整えると刃の角度を数ミリ単位で微調整しながら、私は幾重にも斬撃を叩きつけ始めた。
何度もガンガンとけたたましい激突音が戦場に響き渡る。
ただ闇雲に振るうのではない。
硬質な面に対して最も効率よく衝撃を透過させる、剣聖としての極致の振り。
打ち込むごとに手応えが変わり、反動を逃しながら壁の構造を探って当てていく。
これならば斬れる。
力の乗せ方を少しずつ移動させながら手ごたえを探れば、この透明な壁すらも絶ち切れる!
徐々に確かな手ごたえが刃を通じて手元へと伝わり始めた。
けたたましい火花が幾重にも飛び散り、目に見えない空間が微かに軋むような感触が手に残る。
まるで爆発しているかのような衝撃が幾重にも重なり強大な隕石の衝突で巨大な火花を散らしているかのようだった。
烈火の勢いで壁を斬り刻み、私は限界を超えた速度で村正を振り下ろし続けた。
だが、その執念を嘲笑うかのように、遠ざかる首無し騎士から高笑いが響く。
「ハーッハッハッハ!!」
首から上が存在しないはずの空洞から、脳を直接かきむしるような魔力の共振による笑い声が空気を揺らす。
手ごたえを掴みかけたまさにその瞬間、奴の漆黒の姿は黒い霧の中へと完全に溶け込んだ。
それと同時に、あれほど響き渡っていた不吉な高笑いもぴたりと途絶える。
奴の気配が世界から完全に消失した。
「逃げるなァァッ!」
なおも壁を斬りつけようと踏み込んだが、手応えは虚しく空を切った。
あの大笑いとともに、私を阻んでいた透明な壁も跡形もなく消滅していたのだ。
あとに残されたのは、粉々に砕けた石畳と、ズタズタに引き裂かれた空間の静寂だけだった。
「ッッッッ!!」
村正を握り締めたまま、私は膝から地面へと崩れ落ちた。
叫びは掠れた声となり、夜の空へと虚しく消えていく。
血の滲む手で何度も土を殴りつけながら、私は己の無力さにただ慟哭し続けることしかできなかった。
◇
一方、崩れた防壁の前で残党の侵入を食い止めていた『暁の太陽』の三人と、一番後方で待機していたバルは言葉を失い硬直していた。
呼吸することすら忘れるほどの、圧倒的な絶望と恐怖。
彼らの目の前で繰り広げられていたのは、人間と魔物の戦いなどという生易しいものではなかった。
「なんだよ……あのアレスって男は……」
リーダーのルードルが腕を震わせながら呟いた。
自分たちを圧倒した魔物の大軍を、たった一人で薙ぎ払った異常な戦闘力。
あの首無し騎士を防戦一方へと追い詰めた剣術。
特筆すべきは何もない空間へ叩きつけられていた、衝撃波だけで周囲の石畳を破壊するほどの狂気的な連撃だった。
「信じられねえ……あんな攻撃を正面から受けたら……」
重厚な鎧を纏ったジルガンが、冷や汗を流しながら大盾を固く握り締めて後退する。
「S級の彼らも人間離れはしていますが……ここまでの凄まじい戦いは見たことがありません……」
ローブを纏うホルミが、青ざめた顔で絶句していた。
突如現れた見知らぬ青年から放たれるのは、英雄の輝かしい威厳などではない。
世界を焼き尽くしかねない、あまりにも濃密でドス黒い復讐の情念そのものだった。
「あんなに強いのに、なんで泣いてんだよ……」
一番後方で事態を見守っていたバルの声が恐怖と困惑で震えていた。
S級をも凌駕する圧倒的な力で敵を追い詰めながら、最後には届かず顔を伏せて叫ぶ。
彼らに出来たのは、ただ慟哭し続けるアレスの背中を遠巻きに見つめることだけだった。




