5話 酒場に向かう②
「しつこいぞ」
オレが短く言い放ちながら冷めた視線を向けると二番目の男も、見えない何かにおびえたかのように腰を抜かして床に崩れ落ちた。
そこへ注文を取りに来た酒場の給仕の少女が、足元で震える男たちを不思議そうに見つめている。
オレが視線を向けると少女は少しだけ肩を揺らして手元の盆を抱え込んだ。
「えっと……飲み物はどうする? お酒かミルクかお水もあるけど」
エールを頼んで乾いた喉を潤したいところだが、この身体では悪酔いしそうだ。
遠い昔に若さに任せて飲み、盛大にやらかしてしまった頃の苦い記憶がよみがえる。
オレは内心で舌打ちをしながら、ぐっとこらえて口を開いた。
「……ミルクを頼む」
オレの不本意な注文を聞いた少女は少しだけ微笑み、注文を受けてカウンターの奥へ駆けていった。
やがて少女が木の杯になみなみと注がれたミルクを慎重に運んでくる。
だがその杯を、ゴロツキの中で一番偉そうな男が横から乱暴に奪い取った。
男は怒りで顔を真っ赤に染めながらオレの頭からミルクをぶちまけようと、杯を高く振り上げる。
しかしその男の動きは不自然な形で完全に停止した。
オレはそいつに視線を向けることすらなく、ただ静かな『威圧』を放って全身を縫い止めたのだ。
冷や汗を流して硬直する男へ向けて手元のテーブルを見つめたまま無言で、次に何が起きるのか分かるように『威圧』を強めた。
「……」
死の淵を覗き込んだような絶望に当てられ、男は悲鳴すら上げられず先の二人と同様に完全に腰を抜かした。
床にへたり込んだ拍子に、奪い取ったミルクを自らの頭から盛大にかぶっている。
真っ白に染まって激しく震える男を見下ろし、オレはゆっくりと立ち上がった。
「消えろ」
その一言で縛めが解けたように、三人のゴロツキは情けない悲鳴を上げて酒場から転がるように逃げ出していった。
静まり返っていた店内に数秒の空白が落ちた後、爆発したような歓声が上がる。
「よくやったぞ、坊主!」
「あいつら、いつも威張っててうるさかったんだよ!」
口々に飛んでくる賞賛と乾杯の声を背に受けながら、オレは静かに息を吐いた。
どうやらこの酒場は、見た目ではなく実力で客を受け入れてくれるらしい。
「坊主、こっちへ来な。そこじゃ落ち着かないだろう」
カウンターの奥から、体格の良い禿頭の男が声をかけてきた。
この店の主だろう。
オレは促されるままに立ち上がり、給仕の少女に導かれて店の一番奥へと移動した。
そこは常連客や特別な客のための席らしく、騒がしいフロアとは一段高い位置で仕切られている。
使い込まれて黒光りする木製のカウンターは、安物のテーブルとは明らかに手触りが違った。
「さっきはすごかったね。びっくりしちゃった。あいつら、本当に腰を抜かして逃げていっちゃうんだもん」
少女は歩きながら、さきほどの光景を思い出したのか屈託のない笑みを浮かべていた。
彼女が差し出した椅子に腰を下ろすと、店全体がよく見渡せる。
先ほどのゴロツキたちの騒ぎはどこへやら、客たちは再びそれぞれの酒と会話に戻っていた。
少女は一度カウンターの奥へ引っ込むと、今度はこぼさないように慎重に新しいミルクの入った木の杯を運んできた。
「はい、お待たせ。こっちはサービスだよ」
差し出された木の杯を手に取り、白い液体をゆっくりと口に流し込む。
水で薄めたような雑味が一切ない乳の旨味だけがぎゅっと凝縮されたような、喉を通る感覚が重いと感じるほどの濃厚さだ。
喉を潤したところで、オレは正面でグラスを拭いているマスターに視線を向けた。
「人を探している。アリアという名に聞き覚えはないか」
「アリアか……。あの子に何の用だ」
マスターは手を止め、じろりとオレの全身を眺めた。
不審がるというよりは、一人残された子供を案じるような複雑な目だ。
「町の端にある古い教会の跡地へ行ってみな。あの子はいつもそこにいて、猫たちと一緒に過ごしているよ。教会はあんなありさまだし、姉のレリアもたまにしか帰ってこなくてな」
オレは礼を言って席を立とうとしたが、ふと気になったことを口にする。
「その古い教会に何かあったのか?」
オレの言葉に、マスターの表情がわずかに曇った。
彼はカウンターに置かれた布を握り込み、遠い目をして語り始める。
「あれは五年前のことだ。そのレリアが妹のアリアと一緒に町に戻ってきてしばらくした頃だった。ある夜、突然教会がめちゃくちゃに破壊されたんだ」
「……レリアが戻ってからか」
「誰がやったのかも分からず仕舞いだ。だが、それ以来あの場所は荒れ放題だ。アリアは壊された教会を眺めて、とても悲しそうにしていたよ」
おそらくレリアが自身の手で教会を壊したのだろう。己の運命を呪いながら。
その事実を知らないマスターの言葉が、妙に重く心に沈んでいく。
「新しい教会は別の所に建てられているわ。中央広場を抜けた先、大きな時計台のすぐ近くだよ。一応ね」
給仕の少女が教えてくれた情報に頷き、オレはカウンターに数枚の銀貨を置いた。
「え、ミルクだけなのに、こんなにもらえませんよ!」
「いいんだ。二人とも、ありがとう」
オレは立ち上がり、扉の方へと歩き出した。
そして振り返ることなく、静かな声で付け加える。
「シドだ。何かあったら声をかけてくれ」
背後で二人が、呆気に取られたように言葉を失う気配がした。
オレはそのまま重厚な木の扉を押し開け、活気と騒音に満ちた午後の町へと再び足を踏み出した。
向かう先は、壊された古い教会の跡地だ。




