2話 私は現状の確認をする
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事態は急転直下で動いた。
巨鬼の変異種を一撃で屠ったアレスの活躍は、サンブロスの町を救った英雄の噂として瞬く間にこの地を治める領主の耳に入った。
馬車で丁重に領主の屋敷へと迎えられたアレスは、豪華な応接室で恰幅の良い領主から深い感謝の言葉を受けた。
「町を救っていただき、本当にありがとうございます。当分の間、この屋敷で自由に暮らしていただいて構いません。専用のメイドもつけましょう」
面倒な貴族の挨拶を適当に聞き流した私は、全身にこびりついた悪臭と血を洗い流すための湯浴みを要求した。
案内された広い浴室。
湯船に張られた澄んだ湯に体を沈める前に、私はふと水面に映る自分の姿を見た。
「……なるほど。そういうことか」
水面に映っていたのは、いつもの見慣れた老剣士ではなかった。
二十半ばくらいの生命力に満ち溢れた若く端麗な男の顔だった。
筋肉も張りを取り戻し、身体の内側から底知れぬ力が湧き上がってくる。
あの神め……粋な真似をしてくれる。異常ともとれる体の軽さは、全盛期の肉体を取り戻したからだった。
だがそれと同時に、心の奥にずっと封印していたドス暗い感情が表にでてくる。
狂おしいほどに苦い後悔が、当時の記憶となって脳裏にこだましてくる。
六十年以上もの歳月が流れ、いつしか心の奥底に沈殿していたはずの澱み。
見つかるはずのない影を追い続ける日々に摩耗し、諦めという名の蓋をして封じ込めたはずの記憶だった。
だがそれは、若い頃の自分の顔を見ることで記憶の引き金は唐突に引かれた。
あの瞬間の、世界を引き裂いたような冷酷な障壁の感触。
必死に己の身よりも私を案じていた、引き裂かれるような悲痛な叫び。
私は何もできなかった。
伸ばした手はただ虚空を引っ掻くことしか許されなかった。
理不尽にすべてを奪い去っていったあの漆黒の絶望と、すべてを嘲笑うかのように響き渡ったあの悍ましい笑い。
ふつふつと、体内の血が沸騰するような熱い憎悪がせり上がってくる。
奥歯がみしりと鳴るほどの怒りが、静かに牙を剥いて理性を焼き切ろうと暴れだす。
この胸に燻るすべての業火を解き放ち、目の前にあるすべてを叩き潰してしまいたいという衝動が脳髄を駆け巡る。
「……ふぅ」
私は深く、肺の奥に溜まった熱を吐き出すようにして息を吸い込んだ。
頭の中に響く暴風のような拒絶を、強引に冷徹な意思の力で押し潰して沈めていく。
「昔の話だ……忘れろ」
しかし、その怒りと同時に私は先ほどの怪物の中での違和感の正体を完全に理解した。
齢八十まで付き合ってきた枯れた肉体と、二十半ばの若く力強い肉体では、重心も筋肉の連動も剣を振るう時の身体の使い方が根本的に異なる。
「以前の感覚のまま振れば、力が余る。調整が必要だな」
だが、それは決して不快なものではなかった。
再び最高の状態で剣の道を極められるという喜びが静かに胸を満たしていく。
汚れを落として用意された上質な衣服に身を包んで食堂へと向かう。
若返り以前とは比べ物にならないほど変わった私の姿に、すれ違う屋敷の者たちが思わず息を呑んで振り返った。
テーブルには、領主が用意させた豪勢な料理が山のように並べられていた。
「いただくとするか」
普段であれば剣の冴えを鈍らせないために、腹八分目で抑えるのが私の流儀だった。
今はせっかく手に入れた若い体に加えて、胃袋も無限の食欲を訴えている。
私はその声に従い、並べられた肉や魚を次々と平らげていった。
腹を一杯に満たして食後の茶で一服したところで、私は付き人として控えさせられていたメイドに声をかけた。
「少し聞きたい。この町のことや、周辺の状況を教えてくれ」
メイドは間近で見る私の整った顔立ちに頬を赤く染め、惚れ惚れとした視線を向けながらも質問に丁寧に答え始めた。
このサンブロスの町の現状や周辺に現れる魔物のこと、そして最近の不穏な噂。
一通りの話を聞き終えたところで、私はふと気になっていたことを尋ねた。
「今は何年だ。ドラニア帝国の治世は続いているのか」
私の言葉に、メイドは不思議そうに小首を傾げた。
「ドラニア帝国ですか? それはおとぎ話に出てくる大昔の国の名前ですよね。今はシン帝国に変わっていて、神魔暦ですよ」
神魔暦か……まったく聞き慣れない響きだった。
メイドの話によれば、私の知るドラニア帝国はとうの昔に滅び去っていた。今はあれから数千年もの時間が流れた先の時代らしい。
そして今は、あの国もシン帝国へと名を変えた。
どんな王制か気にはなるが、私には関係のない瑣末な問題だ。
そこから私は、この世界の現状や歴史についてさらに詳しく聞き出すことになった。
気がつけば窓の外は完全に暗くなり、話が随分と長引いたところで夜を迎えていた。
「……なるほど。大体の状況は分かった。長い時間、すまなかったな。助かる」
「い、いえ! 私でよければ、いつでもお申し付けください!」




