1話 私は魔法で移動してきたのだが
毎週月曜に投稿予定です。
2章の1話はきりが悪かったので4000文字近くありますが、
1話平均で2000文字前後の予定です。
山を下り、オレは再びロザリア村へと足を踏み入れた。
ほんの数日前まで、ここには確かに人々の営みがあった。
畑を耕す大人たちの声や泥んこになって走り回る子供たちの笑い声、そこへあのバルというクソガキのやかましい声が響いていたはずの場所だ。
だが今、村を包んでいるのは耳が痛くなるほどの静寂だけだった。
主を失った家々の間を、乾いた風だけが虚しく通り抜けていく。
庭先に無造作に立てかけられたままの農具が放置されていた。
急いで避難したせいで道端に転がったままになっている木箱の残骸が、村人たちが二度とここへは戻らないという現実を静かに物語っていた。
魔物はもう来ない。だが、一度折れた人々の心までは元には戻らない。
それが魔物との生存圏をかけた陣取り合戦の現実だ。
「……行くか」
オレは誰に言うでもなく短く呟き、誰もいなくなった村を背にして北へと延びる道を歩き出した。
アリアがいるというサンブロスの町へ向かうには、村の北を抜けてから西へと進路を取る必要がある。
かつてオレが生きていたドラニア帝国の時代から、数千年という途方もない時間が流れている。
足元に続くただの土が踏み固められただけの道は、昔の記憶と何一つ変わっていなかった。
国ができては消えていくのに、地面の轍はいつまで経っても同じ形をしている。
結局のところ、人間がやることは何百年経っても変わらない。
馬車を走らせて土を削りながら同じ道をなぞるだけだ。
道の両脇に鬱蒼と茂る木々も微かな風に揺れる葉の擦れる音も、かつての行軍で見た景色そのままだ。
ガサッと少し先の茂みが揺れた。
一本角の生えた兎のような小動物が、草木を激しく掻き分けて一目散に逃げ出していく。
殺気を抑えているつもりだが本能に忠実な獣たちは、オレから何かしらの残滓を嗅ぎ取っているのだろう。姿を見るよりも早く遠ざかっていく。
相変わらず、一人で歩くには静かすぎる道だ。
日が落ちると辺りが完全な暗闇に包まれていく。オレは街道沿いの少し開けた場所で野営の準備を始めた。
手頃な枯れ枝を集めて火をおこすと焚き火の前に腰を下ろす。
パチパチとはぜる炎の音だけが、夜の静寂を紛らわせていた。
オレは腰に下げていた不思議な道具袋を手に取った。
別れ際にレリアが押し付けてきたものだ。
口を開けて中を探ると見た目以上の空間が広がっていて、様々な物が出てきた。
綺麗に畳まれた包帯と数日分の干し肉や硬いパンに予備の外套。
そして、あの巨大なトロールの変異種を解体した素材まで見えたが、それだけの物が入っているとは信じられないほど軽かった。
「まったく、どこまで世話焼きなんだ」
干し肉をかじりながら、オレは思わず苦笑をこぼした。
『無茶はダメですよ』『ちゃんと手当てしてくださいね』『罰として手伝ってください』……。
口を開けば小言ばかりで面倒な神官だと思っていた。
だが、そのお節介な温かさが、一人きりの野営の夜には不思議と心地よく胸の奥に響いてくる。
「必ず帰る、か……」
炎の揺らめきの中に吸血鬼の呪いを受け入れながらも、凛としてロザリアの傍に立った彼女の姿が重なる。
妹を守るため、自らの不浄を焼き尽くす覚悟を決めた女の顔だった。
オレは残りの干し肉を噛みしめてから飲み込み、道具袋を丁寧に縛り直して外套にくるまった。
翌朝。
太陽が昇ると同時に歩き出し、さらに数時間の道程を進んだ頃だった。
森の木々が開けた街道の先、ロザリア村とは比較にならないほど巨大な建造物群が姿を現した。
堅牢な高い石壁が円状に広がり、一定の間隔でそびえ立つ見張り塔には警備の兵士の姿が小さく見える。
街道には荷馬車を引く商人たちや武器を背負った者たちが行き交い、遠目からでもその活気が伝わってくる。
「ようやくついたか」
オレは黒剣の柄を軽く叩き、アリアのいるサンブロスの町へと歩みを早めた。
◇◇
時は少しだけ遡る。
魔王ルーファスが居城ごと消滅したあの時、暗雲の立ち込める空を狂ったように羽ばたく一匹の蝙蝠の姿があった。
魔王の意志を運ぶ影として生み出されたその下等な使い魔は、自身の根源である主の魔力が完全にこの世から消え去った事実を、その矮小な脳で必死に否定し続けていた。
「キキッ……嘘だ、嘘だ嘘だ! あのような小僧に、偉大なる魔王様が敗れるなどあり得ん! 何かの間違いだ!」
だが、自身の身体を構成する魔力までもが徐々に霧散し始めている現実が、主の完全なる死を容赦なく突きつけてくる。
絶望はやがて、行き場のないドス黒い憎悪へと変わった。
「あの魔王様の血を受けた出来損ないめ……奴が小僧などを拾わなければ! こうなったら、あの裏切り者の女の妹も道連れにしてやる! 一片の肉も残さず喰い殺してやる!」
蝙蝠は空中で反転すると、魔王軍の残党として残されていた最後の一体。赤い皮膚を持った巨鬼の変異種の元へと急降下した。
主を失い、ただの破壊衝動の塊と化していたその怪物を誘導して、憎きアリアのいるサンブロスの町へと全速力で向かわせた。
そして、サンブロスの町に絶望の影が落ちる。
町の防壁で警戒に当たっていた警備隊が、地鳴りと共に森をなぎ倒して接近してくる巨大な影を発見したのは、蝙蝠が到着してすぐのことだった。
「て、敵襲!! 巨大な魔物、巨鬼の変異種だ!!」
けたたましく鳴り響く警鐘が平和な町を瞬時にパニックへと陥れた。
門の前に急行した警備隊とギルドから駆けつけた冒険者たちが武器を構えて防衛線を張る。
だが、彼らの顔には隠しきれない絶望の色が濃く滲んでいた。
「クソッ! なんでこんな時に限って、Aランク以上の高ランク連中がこぞって遠征に出払ってやがるんだ!」
「泣き言を言うな! 俺たちBランク以下で何とか食い止めるしかねえ! 魔法使い、一斉射撃の準備だ!」
勇敢にも前に出たBランクの戦士たちが剣や槍を振るうが、変異種の鋼鉄のような赤い皮膚には傷一つ付けられず、逆に巨大な腕の一振りで虫けらのように吹き飛ばされていく。
後方から放たれた炎や氷の魔法も、怪物の表面を僅かに焦がす程度で、瞬く間に再生されてしまう。
「グオォォォォ!!」
圧倒的な暴力。
冒険者たちの陣形はあっという間に崩壊し、重傷者のうめき声が響き渡る。
変異種は足元で逃げ惑う人間たちには目もくれず、真っ直ぐに町の堅牢な城門へと歩み寄った。
「や、やめろ……! 門を破られたら、町の中が地獄になるぞ!」
警備隊の悲痛な叫びを嘲笑うかのように、巨鬼の変異種は丸太ほどもある巨大な棍棒を両手でしっかりと握りしめて、城門を粉砕すべく天高く振り上げた。
誰もが死と町の崩壊を覚悟して絶望に目を閉じた。
――だが、破壊の轟音はいつまで経っても響かなかった。
「……え?」
腰を抜かしていた若い警備兵が恐る恐る目を開けると、そこには奇妙な光景が広がっていた。
城門をぶち破るはずだった巨鬼の変異種が棍棒を天に振り上げた姿勢のまま、ピタリと彫像のように硬直していたのだ。
「ど、どうしたんだ? 今まで当たった魔法が効いたのか?」
「いや、そんな魔法は誰も使ってないだろ!」
「じゃあ、なんだっていうんだよ!」
「そんなの知らねえよ!」
冒険者たちも武器を構えたまま困惑の表情で顔を見合わせる。
空気を震わせていた怪物の咆哮は消えて、不気味なほどの静寂が戦場を包み込んでいた。
◇
「……何だここは。ひどく生臭いな」
一切の光が届かない真っ暗な空間の中で男は静かにつぶやいた。
足元は泥のようにぬかるみ、周囲からは酸の混じったような強烈な悪臭が鼻を突く。
男……剣聖アレスは、神の魔法に包まれて光の中に消えたはずだった。
だが目を覚ました場所は、予想していた荒野でも町でもなく暗闇の中だった。
アレスは周囲の壁を手で探ってみる。
岩や土ではない、奇妙な温もりと、ブニブニとした肉のような嫌な弾力を持っていた。
剣聖としての研ぎ澄まされた直感が、今の自分の状況を即座に悟らせる。
「なるほど。どうやら飛ばされた場所が運悪く重なったか……何かの怪物の胃の中というわけか」
普通であればパニックになり、酸で溶かされる恐怖に発狂してもおかしくない状況だ。
しかしアレスの心には微塵の動揺もなかった。
ただ一つ、妙な感覚があった。
「……やけに体が軽い」
八十を超えた老体特有の軋みや重さが、嘘のように消え去っている。
だが、暗闇の中では自分の身に何が起きているのかまでは分からない。
アレスは深く考えることをやめ、腰に差した長大な刀を神から預かった妖刀村正の柄に静かに手をかけた。
八十年の間、ただ己を超える強者を求めて孤独に剣を振り続けた男の執念。
それが一本の刀を通じて爆発的な気合となり、極限まで圧縮されていく。
「ハッ!!」
気合と共に放たれた一閃。
それは暗闇の中で一筋の光が稲妻となり、怪物の分厚い胃壁も強固な外皮も一切の抵抗を許さずに内側から完璧に両断した。
だがその瞬間、アレスは自身の剣撃にほんの僅かな違和感を覚えた。
「力が入り過ぎている。腕の伸びも……なんだ?」
そして、風を切り裂くような鋭い刃音が弾けた。
外から見ていた冒険者たちの目に映ったのは、信じがたい光景だった。
硬直していた巨大な巨鬼の変異種の腹部から突如として鋭い銀光が突き抜け、そのまま怪物の巨体が縦に真っ二つに裂けて崩れ落ちたのだ。
重々しい地響きと共に左右に分かれた肉塊の間から、大量の血と胃液を浴びた一人の男が姿を現す。
「な、なんだあの兄ちゃん……!?」
「怪物の腹の中から出てきやがったぞ!?」
口を開けて呆然とする冒険者や警備隊員たち。
周囲の視線が集まるのを感じながらも、アレスは付着した汚れなど気にする様子もなく血振るいをして妖刀村正を鞘に納めた。
なぜ彼らが自分を「兄ちゃん」と呼んだのか、この時のアレスには知る由もない。
そして助けられたことで感動すら覚えようとしていた群衆に向かって、アレスは堂々と言い放った。
「すまないが、ひどく腹が減っている。飯をもらえないだろうか!」




