29話 ワシはロザリアに交渉する
獣道を歩き続けると、ようやくあの巨大な大樹が見えてきた。
大樹の根元にはワシが残した殺気の余韻に守られ、未だ眠りの中にいるレリアが横たわっている。
だがその傍らには、赤い瞳を光らせる真紅のローブのロザリアが退屈そうに座っていた。
「……随分と遅かったじゃないか、小僧」
ロザリアは指先で小さな火を弄びながらワシを一瞥した。
身体の芯に残る疲労は『気』を練り流し込むことで強引に鎮めてある。
ワシは黒剣を腰に帯びたまま、真っ向から彼女の前に立った。
「レリアの近くにいて、殺すという約束はどうしたんだい。まだ生きているようだがね」
ロザリアの赤い瞳が射抜くようにワシを捉える。
ワシは静かに断固とした口調で応じた。
「確かに、まだ約束は守っていない。……だが魔王は倒した」
「それが何だというんだ。私はこの娘を殺せと依頼したはずさ。神殿を汚した羽虫をね」
「それは違うだろう。神殿が襲われたのは魔王がレリアを操り、聖水を奪わせたからだ。その元凶をワシが討ったのだぞ」
ワシは一歩踏み込み、言葉を畳みかけた。
「奴は聖水すら克服し、その力を自らの魔力へと変えていた。放っておけば被害は拡大し、眷属の群れはこの山周辺に留まらず大陸全体を飲み込んでいただろう。魔王を倒したことで根源を断ち切ったんだ、約束を守ったことにしてもいいはずだ」
ロザリアは指先の火を消し、ワシを値踏みするように見つめた。
その瞳には、隠しきれない好戦的な光が宿っている。
「あっはっは! なかなか言うじゃないか。確かに、魔王を倒してくれたおかげで私の仕事を減らしてくれたのは事実だ。本来なら、ここで魔王を倒した英雄様とやり合ってもいいんだがね……。だが、そんな状態で今やり合っても得るものがないね」
ロザリアは笑い、不敵な表情を浮かべた。
「いいだろう。ここは間をとろうじゃないか。英雄様の功績をたたえて罪は不問としよう。だけどね、レリアはしばらくの間はこちらで預からせてもらうよ。魔王を倒したとはいえ、この娘の中に深く進行した吸血化は魔王が消えた程度じゃ治りはしない。放っておけば、いずれまた理性を失う怪物に成り下がるさね」
その時だった。大樹の根元で眠っていたレリアが僅かに身じろぎし、ゆっくりと目を覚ました。
だが、彼女の瞳に映るのは変わり果てた山頂の光景と、血と泥に塗れたワシの姿。
そして、真紅の女ロザリアの姿だった。
ワシは手短に事の経緯をレリアに伝えた。
「そうだったのですね。ロザリアさん、神殿を汚したご無礼を……本当に申し訳ありませんでした」
レリアは震える声で謝罪し、深々と頭を下げた。
村を救った恩人に対して魔王に操られていたとはいえ、牙を剥いた事実に彼女の顔は強い自責の念に染まっていた。
そんな彼女を見下ろしながら、ロザリアが自身の人差し指を鋭い爪で僅かに傷つけた。
そこから溢れ出したのは、鮮やかな赤色をした『竜の血』だ。
「私の血を飲ませて、不浄を焼き尽くして浄化させてやる。だけどね、お前に与えられた吸血鬼の血は根深い。完治には私の血を定期的に与えてもいくらか時間はかかるさね。それまでの間は、私の下で精々こき使わせてもらうよ」
ロザリアが指先を差し出す。
レリアは自分を生かすためにロザリアが何を求めているのか、その条件に納得したように静かに微笑んだ。
「シド君。ありがとうございます。……私、ロザリア様と一緒に参ります。完治させたら今度は自分の力で、妹を守れるようになりたいんです」
レリアはロザリアの差し出した指を掴むと、溢れ出す赤い竜の血を躊躇うことなくその唇で啜った。
その瞬間、彼女の全身を真紅の魔力が駆け巡った。
大樹の周囲に熱風が吹き荒れ、レリアの身体が激しく発光する。
竜の血が彼女の中の不浄を焼いて新たな力として定着していく。
その姿は以前の儚い修道女の面影を残しつつも、竜の加護を受けた者特有の強大な気が宿っていた。
「シド君。最後にお願いがあります。少し時間はかかるかもしれませんが、私は必ず帰ります。だから、それまで妹を……アリアを見てもらえませんか? お願いします!」
「……分かった。『オレ』に任せておけ」
ワシの短い返答を聞き届けると「あ……」とレリアは目を見開いて、頷きながら僅かに涙を浮かべる。
「この道具袋を持っていってください。色々入っているので使ってください。それと、巨鬼の変異種の素材もちゃんと売ってくださいね。あと……」
色々小言はいわれたがレリアらしいと最後まで聞いた。
そして、レリアは手にしていた不思議な道具袋をオレに渡すと、凛とした表情でロザリアの傍らへと歩み寄った。
「魔王を倒した英雄シドよ……感謝している」
ロザリアがそう口にすると周囲の空間が炎と共に歪み始める。
二人の姿が陽炎のように薄れて、空の色と一体化して消えていく。
静寂が戻った山頂で、オレは昇り始めた朝陽を仰ぎ見た。
数千年前の将軍としての誇り。神を倒したという過去への執着。
レリアを送り出した今、胸の内にあった「過去の自分自身」が光に溶けていくのを感じていた。
魔王を討ち倒して、嫌というほど理解したことがある。
今の身体は子供だ。どうあがこうが過去の自分には戻れない。
小さくなった掌を見つめる。オレは、この時代で最強として生きていくための新しい覚悟がある。
だからオレは、レリアから教わったこの年齢に見合った自身の呼び名に変えることにした。
これまでの『ワシ』という呼び方を、この山頂に捨て去る決意をする。
これは単なる言葉の変化ではない。
過去の将軍としてではなく、この時代のシドとして己の意志を貫くという誓いだ。
「さて……行くか」
口からこぼれた新しい言葉は、驚くほど自然に身体に馴染んだ。
オレは腰の黒剣を一度叩き、アリアの待つエルナザムの町へと向かって歩き出した。




