24話 ワシは魔王と戦う①
半壊した城門を潜り抜けた先には、外の喧騒が嘘のような耳が痛くなるほどの静寂が広がっていた。
耳の奥では、先ほど放った『螺閃』による爆音の残響もあり、余計に静けさを感じる。
天を睨む禍々しくも壮観な巨城は、死を撒き散らすような威圧感を放っている。
高く強固にそびえ立つ石塔は見る者を呑み込むような錯覚を抱かせる。
城の内部に足を踏み入れると、そこには異様な違和感が充満していた。
石材を積んだ壁や模様の刻まれた床は切り出したばかりのように新しく、磨き上げられた表面が滑らかに光を反射している。一見すると綺麗に見えるが漂う空気の中には、長い年月を経てこびりついた煤のように死の匂いが深く沈殿していた。
ボロボロの人形に豪華な正装を着せ替えたかのような、あまりにちぐはぐな混在。
視覚的にはどこまでも新しいのに、生存本能が『ここはあまりにも古く、死が充満している』と激しく警鐘を鳴らし続けている。
この不思議な感覚にワシは不気味さを覚えながらも、警戒を緩めず歩みを進めた。
広大な廊下をワシの靴音だけが虚しく冷たく反響する。
高い天井には豪華なシャンデリアが幾つも吊るされているが、そこに灯されているのは温かみのない魔力の火。その光はどこか氷のように冷徹だ。
どれほど歩いただろうか。
静まり返った城内に頭上から傲慢で神経を逆撫でするような、まとわりつくような声が降ってきた。
「まさか、本当に子供とはな。配下どもを退けて、よくぞここまでたどり着いたな。そのまま奥まで歩いてくるといい、勇敢なる小僧。貴様の魂が絶望を前にどこまでその形を保っていられるか。私がこの手で直接確かめてやろうではないか」
ワシはその声を鼻で笑い飛ばした。
弱者が吐く使い古された戯言に付き合うほど、ワシの気は長くはない。
「我が血を与えた巨鬼どもはどうだった。血を受けた者がすべて生き残るわけではない。この高貴なる血に耐えた優秀な肉体だけが、新たな力を得られるのだ。手駒としてはいいがあの醜い姿だけは残念なものだ」
「血に耐えられなかったのがさっきの眷属の群れというわけか。お前の趣味の悪さだけはよく分った」
なおもまとわりついてくる声に不快な気分になってくる。
廊下の突き当たりに鎮座する巨大な観音開きの重厚な扉。
ワシはそれを迷うことなく乱暴に、しかし確かな力を持って押し開いた。
城の歪な構造をそのまま形にしたような、広大な玉座の間。
天井まで届きそうな巨柱が列を成すその最奥で、男は豪華な玉座に深く沈み込んでいた。
尊大に足を組んだ彼は、眼下に立つワシを道端の石か虫けらとしか思っていないような冷徹な蔑みの視線で見下ろしている。
「私の名はルーファス。貴様らのような下等な人間が底知れぬ恐れを込めて『魔王』と呼ぶ存在だ。私の眼前に立てたことを、冥土の土産として誇るがいい」
自らを『魔王』と称するその男、ルーファスの態度はまさしく傲岸不遜そのものだった。
その全身から周囲の空気を物理的に凍てつかせるドス黒い魔力の波動が、波紋のように絶え間なく放たれている。
だが、その程度の威圧は道端に転がる石ころの重みにも満たん。
かつて対峙した神は存在しているだけで世界そのものが軋み、空間が歪むほどの絶対的な力だった。
それに比べれば、赤子の泣き声と変わらないだろう。
「お前が魔王か。あの程度の雑魚を並べてワシを倒そうとしたのか。随分とご苦労なことだ。あまりに退屈すぎて、道中で欠伸を堪えるのが大変だったぞ。魔王を名乗るなら、もう少し骨のある相手を用意できんのか。それとも貴様の配下にはあの程度の無能しかおらんのか」
「勘違いするなよ。殺すつもりなら、門を潜った瞬間に既に終わっている。これでも、私は小僧を認めているのだ。ただ、貴様に私の高潔な配下になる資格があるか、その実力を確認したのだ。私の軍門に降るという栄誉は誰にでも与えるわけではない」
「配下だと? 誰がお前のような三流の駒になるか。ワシの前に座る資格がある者など、この世に神以外は存在せん。ましてや、石の瓦礫や魂を失った亡者に頼るような臆病者の下になど、誰が付いて行くというのだ」
ワシの不遜極まる言葉に魔王は不気味に目を細め、その薄い口元を醜く歪めた。
「丁度、使い物にならぬ手駒が一人いなくなったところだ。確か、名はレリアといったか。あの救いようのないできそこないの代わりに、貴様を新たな手駒として迎え入れてやろうというのだ。貴様の無駄に強情な魂を一枚ずつ剥ぎ取って折るのも、また一興というもの」
レリアを「できそこない」と侮辱したその言葉に、ワシの心底で冷たく激しい殺意が沸点に達した。
全身の血が猛烈に逆流するような怒りがワシの理性を焼き切る。
「その汚い口で二度とレリアの名を呼ぶな。お前のような人質をとる卑怯者に成り果てた者が、軽々しく口にするな!」
ワシは弾かれたように爆発的な勢いで地を蹴り、一気に魔王との距離を詰めた。
一足飛びに玉座の段に乗り上げ、黒剣をその傲慢な首に叩き込もうと振り上げた。
そして、魔王と視線が交差した瞬間、ワシの身体は煮えくりかえる熱い鉄を流し込まれたように突如として硬直した。
「できそこないとはいえ、レリアには私の高貴な配下の血が流れている。そして、その女の血を分け与えられた貴様もまた、私の呪縛からは決して逃れられんのだ。自由に動けるなどと思わぬことだ。貴様の肉体は既に半分私の支配下にあるのだからな」
「ぐっ……! 身体が動かんだと!? 内側から鎖で縛られている!?」
いや、鎖で縛られるなんてものじゃない。指一本、瞬き一つすら思い通りに動かせない。
完全に浄化したと思い込んでいたがレリアから分け与えられた血が、まだワシの体の奥底にほんのわずかな量が根深く潜んでいたということか。
魔王の視線という強力な呪いの引き金が引かれたことで、体内の血がワシの意志に反して暴れだしていた。
血管を煮えたぎる呪いが駆け巡り、肉を食い破り神経を焼き切る不快感にワシは奥歯を砕けんばかりに噛みしめた。
「いい景色だ。その膝を地につけ、惨めに私の足元で命乞いをしろ。そして、私に永遠の忠誠を誓うのだ! 貴様のその誇り高き美しい魂が、屈辱と絶望に染まり黒く濁る瞬間をここで存分に見せてもらうぞ!」
ワシの足が脳からの命令ではなく外側からの呪縛によって勝手に動き出す。
内側から身体を操られるという、かつて経験したことのない底知れぬ嫌悪感に歯を噛みしめ必死に抵抗する。
だが、一歩また一歩と魔王の前へと歩み寄ってしまう。
足が床を重く擦る音が今のワシの無力さを強調しているようで、胸が張り裂けるほどに耐え難い。
やがて、屈辱と共にワシの膝が冷たい石畳の床に着いた。
跪いた姿勢でワシは魔王を、眼光だけで殺さんばかりに射抜くように睨みつけ喉の奥から搾り出すように声を放った。
「お前の配下に……なるくらいなら、舌を噛み切って死んだほうがマシだ!」




