23話 ワシは死の群れを打ち払う
城門の前に築かれたのは、かつて番人として君臨していた石像鬼たちの無惨な残骸だ。
石の破片からは彼らを繋ぎ止めていた魔力の残滓が陽炎のようにゆらゆらと揺らめき立ち、冷たい霧の中に溶けては消えていく。
ワシはわずかに乱れた呼吸を深く吐き出すことで整えて、黒剣の鞘に付着した石の粉塵を無造作に払った。
十体の石像鬼を大した苦戦もせずに倒したワシを、城の奥にいる魔王はどう見ているのか。
試すような沈黙の末、巨大な門が耳障りな重低音を響かせてゆっくりと開いた。
それはまるで獲物を誘い込む口のように開かれた。
「……さて。お迎えはこれで終わりなのか?」
ワシが歩みを進めようとしたその瞬間、門の奥から地響きのような足音が響き渡った。
それは石像鬼のような重い足音ではない。
もっと卑俗で、もっとおぞましく生理的な嫌悪感を呼び起こすような狂った人間たちの足音だ。
「ウオォォォ! 血だ! 新鮮な血を主様に!」
「死んで救われろ、小僧ぉ! お前も魔王様の一部となるのだ!」
門の隙間から溢れ出してきたのは、鎧を身に纏った『人間の眷属』たちだった。
だが、その姿はもはや人間とは呼べない。
瞳は濁った紅に染まると剥き出しの肌には、呪詛の紋様が血管のように浮き出ている。
魔王の魔力に魂を塗り潰されて、ただ殺戮を繰り返すだけの肉の塊へと変えられた哀れな操り人形たちだ。
その数は、百や二百ではない。
門の奥の暗闇から湧き出す黒い泥のように次から次へと眷属たちが溢れ出してくる。
何よりも厄介なのは生物が本来生存のために持っているべき「恐怖」という防衛本能が、魔王の呪いによって完全に欠落している点だ。
前の者が斬られれば、その鮮血を浴びて歓喜の声を上げ仲間を踏み台にしてでもワシの喉笛を狙ってくる。
「面白い。さしずめ小さな戦場といったところか」
ワシは黒剣を横一文字に構え、押し寄せる眷属の波を見据えたまま『威圧』を放つ。
本来、ワシの『威圧』に触れれば並の戦士であれば恐怖心で身動きが止まるほどの衝撃を受け、魔物ですら本能的に平伏すはずだが、押し寄せる敵は止まらずに襲い掛かってくる。
それを一人、また一人とワシの黒剣による攻撃は正確に彼らの命を刈り取っていく。
だが、どれだけ数を斬っても終わりが見えて来ない。
一撃で五人を斬り捨てれば十人がその死体を乗り越えてくる。
こういう時ばかりは、全盛期の肉体で力任せに振るう攻撃で全部を吹き飛ばしたい衝動に駆られる。
子供の身体は正直だ。剣を振るたびに肩の筋肉が悲鳴を上げ、視界が僅かに明滅し始める。
「キリがないな……まさに、ドブネズミのような数だな。数で押し潰せると思っているのか」
人であればワシを前にして無闇に突っ込んでくる愚か者はいない。
だが、理性を失ったこいつらには戦術も矜持もない。
今の身体でこの物量をいちいち相手にするのは効率が悪すぎる。
魔王の狙いは明白だ。
ワシをこの消耗戦で疲弊させ、その後の本番でなぶり殺しにするつもりだろう。
「ならば……まとめて吹き飛ばしてやろうか。ワシの力を測り損ねた代償、その眼に焼き付けるがいい」
ワシは黒剣を天に向けて全身を駆け巡る『気』を一点へと強引に引き上げた。
未熟な肉体が全盛期の出力を受け止めきれずに軋み、骨が限界を訴えてピシリと鳴る。
だが、ワシはそれを無視して『気』を剣に流し込む。
刃を持たない鞘に収まったままの黒剣が漆黒を帯びて、月光すらも飲み込み禍々しささえも感じられないくらいのただの黒になる。
それは、周囲の空気すらも激しく震動させ始めた。
ワシを中心にして、大気が螺旋を描いて渦巻き始める。
それは荒れ狂う竜巻のように渦巻き、周囲の石畳を粉砕し眷属たちの悲鳴をかき消すほどの轟音を上げ始めた。
「まとめて消し飛べ! 螺閃!!」
ワシは渾身の力で薙ぎ払うように剣を一閃した。
放たれたのは、単なる剣の軌跡ではない。
流し込んだ大量の『気』を高密度に圧縮して一気に解き放つ。
それは爆発的な烈風となって破壊の奔流と化した。
ロザリアの時とは比べ物にならぬほどの密度の『気』を完全開放しすると螺旋を伴った衝撃波は、目の前に広がる眷属の群れを紙屑のように飲み込んでいった。
ドドォォォン!!
城門全体が耐えきれず激しく揺れ、衝撃の余波で全体を覆っていた霧さえも一瞬にして晴れ渡る。
一拍遅れて、空間そのものを抉り取ったかのような真空の波動が残りの眷属たちを塵一つ残さず吹き飛ばした。
先ほどまで城門の前を埋め尽くし、狂乱の声を上げていた亡者の群れは跡形もなく消え失せていた。
残されたのは、深く抉り取られた巨大なクレーターのような地面と衝撃波で半壊し歪んだ城門の無残な姿だけだ。
「この程度、あの忌々しい神のハンマーに比べれば……そよ風にもならんだろう」
ワシは膝が折れそうになるのを気力で支え、黒剣を杖代わりにして立ち上がった。
久しく忘れていた疲れに、全身の穴という穴から熱気が噴き出している。
視界は赤く染まっているが、心臓は狂喜に震えていた。
これだ。この死の淵を歩く感覚こそが戦場だ。
ワシは乱れた呼吸を無理やり肺に抑え込み、ゆっくりと吐き出すと確かな足取りで門の向こう側へと歩み出した。
「さて……次は、誰がワシを楽しませてくれる」
半壊した城門を潜り抜けた先。
そこには、魔王の城の真の恐怖と血の匂いが漂う暗闇が広がっていた。




