22話 ワシは魔王の城へ向かう
広がる霧は単なる気象現象ではない。
魔王の魔力が形を成した侵入者の精神を蝕む障壁だ。
ワシは迷うことなく、不気味な霧の中へ一歩を踏み出した。
どす黒い霧と粘りつくような嫌悪感が全身を包み込む。
視界は数メートル先すら定かではないが、ワシの『気』は広がる霧の動きを捉えていた。
周囲に張り巡らせた感知網が、霧の中に潜む『明確な殺意』を次々とあらわにしていくことで、ワシの脳内に立体的な地図を描き出されていく。
全盛期の肉体であれば、このような小細工など気にも留めなかっただろう。
だが、今のこの身体が問題だ。肺に取り込む空気の重さや一歩踏み出す際の関節にくる大地からの反発、それらすべてがかつての記憶とは微妙にズレている。
そのズレをかつての勘や『気』の循環で補正しながら戦うことは、想像以上に体力を消費していた。
ワシは死地へと進む高揚感を噛みしめ歩いていると、霧の向こう側に巨大な影が姿を現した。
それは、ただの門ではなかった。どす黒い岩肌でできた城門は、まるで異形の巨人が地から這い出そうとしているかのような歪な威容を誇っている。その門の左右に、翼を生やした十メートル近い石像が控えていた。
魔王城の番人、石像鬼だ。
「わざわざ石像に命を吹き込んでまで、ワシを歓迎するか。魔王もよほど暇と見える」
ワシが鼻で笑った瞬間、石像鬼たちの瞳に紅い光が灯った。
ゴゴゴ……という地響きと共に、十体の巨体が石の関節を軋ませて動き出す。
一体ごとに巨鬼を凌駕する威圧感を放ち、その手には分厚い石の槌や重厚な大剣が握られていた。
「キィィィッ!」
先頭の一体が咆哮を上げ、それを合図に十体の包囲網が狭まる。
石の足音が周囲を揺らし、物理的な質量による重圧がワシを押し潰そうとする。
だが、ワシは黒剣を正眼に構えると意識の焦点を絞った。
どれほど強固な装甲を誇ろうと、動く物には必ず重心の移動が存在する。
「所詮はただの石の人形。ワシの剣で斬り砕いてやろう」
まず一体。
右手の巨大な槌を頭上高く振り上げて振り下ろそうとした瞬間、ワシは既にその懐へと滑り込むように潜り込んだ。
石像鬼が槌を振り下ろす初動。
そこにある僅かな隙……石の継ぎ目めがけて、黒剣を一閃。
ガキィンと鈍い音が響いて手が痺れるような衝撃が走る。
「この程度の硬度でこれほどの反動を食らうとは、やはり骨が細すぎるか」
全盛期の肉体なら、刃が触れた瞬間に跡形もなく粉砕していただろう。
だが、ワシは弾かれた衝撃すら加速に変換した。
一撃目の振動が消えぬうちに、同じ箇所へ二撃、三撃。
肉体から発する『気』を刃の先端に一点集中させ、岩の装甲を内側から爆ぜさせるように叩き込む。
「まずは一体」
装甲に深い亀裂が走ると石像鬼の核が砕けた。
石の巨体は音を立てて崩れ落ちる。
間髪入れず、背後から迫る二体の槌を最小限の回避で受け流す。
子供の小さな身体は、巨体にとっては死角そのものだ。
ワシがその場で身を屈めるだけで石像鬼たちの攻撃は空を切り、互いの胴体を激しく打ち据えた。
「仲良く砕け散るがいい」
即座に自滅する二体。
その首筋の接合点を、ワシは踊るような足捌きで次々と断ち切っていった。
一体、また一体と岩の破片が舞い、砂塵が霧を白く染める。
七体目を斬り伏せた時、ワシの筋肉が熱を持ち肺が焼けるような熱気を吐き出した。
「……っ。やはりこの身体、全盛期の出力には耐えられんか。連戦による消耗が想定よりも遥かに早いな。ロザリアとの戦いで慢心していたわけではないが、この身体に合わせた動きで慣らさねばならんな」
子供の肉体という制限を恨みはしないが戦いを楽しむならば、少なくとも戦い抜くための大人の体格と体力が恋しくなる。
ワシはさらに『気』を練り上げ、血流を強引に加速させた。
残る三体。
彼らは知能を持たぬはずだが魔王の意志か連携を深めて同時に突進してきた。
左右から挟み込みと中央の一体が捨て身の突進で圧殺を狙ってくる。
ワシの目に映るのは、三体の魔力が交差する中心点……そこにある、唯一無二の急所だ。
「螺閃」
黒剣に向けて極限まで圧縮した『気』を静かに流し込む。
ワシは空気を裂くような踏み込みと同時に、三体の中心へと飛び込み音もなく螺旋を描くような旋回と共に石像鬼を薙ぎ払った。
石の胴体が紙切れのように一瞬で両断される。
断ち切られた断面から魔力が漏れ出し、三体の石像はただの石くれへと戻りワシの周囲に屍の山を築いた。
静寂が戻った。
「……連戦で体力を消耗するとはな。だが、心地よい。この感覚を忘れていたわけではないが、改めて思い知らされるのも悪くない」
だが、それはさらなる嵐の前の偽りの静寂に過ぎなかった。




