21話 ワシは魔王の手下に案内される
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ワシが語り終えた後、周囲には重苦しい沈黙が降りた。
膝を突き肩で息をするレリアは、信じられないものを見る目でワシを凝視している。
「将軍、だった? 神様と本当に戦った?」
その声は震えていた。
馬鹿げた御伽話だと笑い飛ばすには、ワシから放たれている『気』の威圧がただの子供にはありえないものだと感じたのだろう。
ワシは黒剣を肩に担ぎ冷徹に、どこか憐れみを込めて彼女を見下ろした。
「信じる信じないはレリアの勝手だ。だが、現にワシに敵わずに這いつくばっているだろう。それがすべてだ。……もう嘘はやめろ」
ワシは一歩、彼女に歩み寄る。
「冒険者どもを喰ったというのも嘘だな? 確かに奴らを襲い、その返り血を浴びたのは事実だろう。だが……殺せなかったのだろう」
ワシの言葉にレリアの肩がビクリと跳ねた。
レリアから感じる魔力は確かに強いものだが、中身が伴っておらん。
戦いの素人である女が吸血鬼の力だけでこのありさまだ。
おそらく、返り血のみの量しか血を得ていないのだろう。吸い尽くしていたらこの程度ではなかったと戦いの中で理解できた。
ワシは彼女の目の前でしゃがみ込み、その白く震える掌を強引に取った。
そこには、剣の切り傷が小さく残っていた。
「あの子……バル君に、斬られたんです。暁の太陽の三人を殺そうとしたはずなのに、あの子の一撃が当たった瞬間、私は……」
レリアは、信じられないものを見るように自分の傷跡を見つめた。
「ただの村人のあの子が守るように攻撃してきて……その攻撃で痛みを感じて、急に頭が冷えて殺せなくなりました」
泣き崩れるレリアを見て、ワシはふっと口角を上げた。
バルの奴め。ワシが教えたことを守り一撃を入れるとはな。
「あいつも村を守る戦士に目覚めたようだな。稽古は無駄ではなかったというわけだ」
バルの勇気に敬意を表するように、ワシは一度だけ深く頷いた。
そして、震える肩を落とす彼女の傍らに寄り添うように腰を落とす。
「レリア、吸血鬼の力に呑まれかけたお前を、バルの『守りたい』という意志が引き戻したのだ。おおかた、あの鱗を移動させたのもお前なんだろう。もう隠す必要はない」
「……そうです。鱗の存在が知られれば、聖水と同等の加護を失ったロザリア村は魔王の手で滅んでいました。シド君が目覚めた時、あまり回復させてあげられなかったのも私が自分の腕の治療に集中していたからです」
ワシは一点の曇りもない眼差しで、迷い続けるレリアの瞳を真っ向から捉えた。
「自分の絶望で手一杯だったはずのレリアが何故、死にそうだったワシに貴重な『血』を分け与えた?」
レリアの瞳から、透明な涙が溢れ出した。
「……シド君を見つけた時、あなたは傷だらけで辺りは血が散乱していて酷いくらいの重症でした。本当は眷属なんて作ったことはありませんでしたけど、私の血を分ければ死なせずに済むと思いました。……妹と同じような年齢のあなたが、独りで死んでいくのをどうしても見ていられなかった!」
彼女が独りで背負い続けてきた、あまりに不器用で必死な情があった。
ワシを救ったのは魔王への忠誠などではない。
ただ、目の前の命を救いたいという、かつての神官としての本能だったのだ。
ワシは重いため息をつき、レリアの頭に無造作に手を置いた。
「……やっと本当のことを話したな。ワシの命を、勝手な情けで繋いだのだ。その責任は最後までとってもらわねば困る」
「責任って……?」
「ワシは神を倒した男だ。そんな男が、これしきの絶望で終わると思うな。レリアが守りたかったのは妹の未来だろう?」
ワシは立ち上がり、澄み渡る夜空を仰ぎ見た。
「レリアの絶望も妹の未来も、すべてワシが引き受ける。次は魔王を倒してみせる。……だから、もう泣くのはやめろ。ワシの恩人が、そんな情けない顔をしていては格好がつかん」
ワシが魔王を倒すと宣言してレリアがようやく救われたような顔を見せた。
だが、その直後だった。
「……あ、……ぁぁ!!」
レリアが突如として自分の頭を抱え、激しく悶え始めた。
先ほどまでの透明な涙は止まり、代わりに見開かれた両目からどす黒い負の魔力が噴き出す。
「レリア!? どうした!」
ワシが駆け寄ろうとした瞬間、彼女の体が不自然なほど鋭い動きでバックステップを踏み、ワシとの距離を取った。彼女の顔は苦痛に歪み、必死に自分の右腕を左手で押さえつけている。
「だめ……シド君、逃げて! 魔王様が私の意識を、殺せって聞こえてくるの!」
彼女の声は、自分自身の意志で必死に紡がれていた。
だが、その言葉とは裏腹に彼女の指先からは、漆黒の魔力が爪のように伸び大地を容易く切り裂く。
「嫌……動かないで! お願い、動かないで!!」
悲痛な叫びと共に、レリアの肉体が弾丸のようにワシへと肉薄した。
先ほどまでの素人同然の動きではない。
魔王の膨大な魔力が彼女の関節や筋肉を強引に駆動させ、人の限界を超えた殺戮の動きへと変貌させている。
ワシは咄嗟に黒剣を盾にするように構え、迫りくる漆黒の爪を受け止めた。
ガギィィィン!と火花が散りワシの小さな体ごと後方へ数メートル押し込まれる。
「……無理やり操るか、魔王め」
レリアの瞳は意志の光を残したまま赤く燃え上がり、涙を流しながらも次の追撃のために地を蹴る。
彼女の心は『止まって』と泣き叫んでいるのに、その腕は正確にワシの喉笛を狙って振り下ろされる。
その腕を黒剣で受け流して、ワシは背後を取る。完全な無防備状態になった。
全身の『気』を練り上げ、ワシは未熟な肉体が軋む音を無視して剣の腹を振り返ろうとしている彼女の背中に押し当てた。
「しばらく眠っていろ!」
当身のように、剣の腹越しにその心臓めがけて拳で撃ち抜く。
拳から放たれた衝撃は、彼女の体を背後から突き抜けて前面の空気さえも震わせた。
「……っ!」
レリアは悲鳴を上げることすら叶わず、その場に崩れ落ち膝をついた。
意識を根元から刈り取り、内臓にまで衝撃を受けて肺から全ての空気を吐き出すほどの衝撃だ。
吸血鬼の再生能力をもってしても、意識はしばらく戻ることはないだろう。
倒れ伏したレリアの体から、どす黒い霧のような魔力が霧散していく。
ワシの一撃が無理やり流し込まれていた魔王の支配を一時的に遮断したのだ。
静寂が戻った山頂にパサパサと不気味な羽音が響いた。
「キキッ……。まさか、一撃で支配を解くとはな。この吸血鬼の出来損ないめ、結局は役立たずだったというわけか」
暗闇から現れたのは、一匹の異様な蝙蝠だった。
その瞳は赤くレリアが先ほど見せたものと同じどす黒い魔力で満ちている。
「魔王の手下か。随分と趣味の悪い偵察だな」
ワシが黒剣を向けたが蝙蝠は逃げる様子も見せず、嘲笑うかのように空中で旋回した。
「我は魔王様の意志を運ぶ影。……我が主はお前に興味をお持ちだ。直接、主の城へ招待してやろう」
蝙蝠がバサリと羽を広げると山頂の奥へと続く獣道が、どす黒い魔力の霧に覆われた。それは魔王の城へと誘う不気味な道標だ。
「主がお待ちだ。せいぜい、どこまで抗えるか楽しませてくれ」
蝙蝠はそれだけ言い残すと、霧の奥へと消えていった。
ワシは、眠るレリアを抱きかかえると近くにある大樹の根元へと運んだ。
彼女の背をそっと木に預け、その安らかな寝顔をしばし見つめる。
「……ここで待っていろ。お前を苦しめた元凶をワシが叩き潰してきてやる」
ワシは周囲に『殺気』を放つと、近くにいた小動物が逃げていった。
これでしばらくは魔物や獣が近寄れんだろう。
今のワシにできる、精一杯の守りだ。
立ち上がり黒剣を強く握りしめる。
案内役の蝙蝠が残した、どす黒い霧の道を見据えた。
「魔王に首を洗って待っていろと伝えておけ。ワシが斬り落としに行ってやる」
ワシは迷うことなく魔王の住処へと続く不気味な霧の中へ、力強く一歩を踏み出した。




