20話 ワシはレリアに過去を話した③
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突然に去ってしまった剣聖を、ワシは呆然と見送った。
何故、いなくなったのか理解できなかった。
一人山頂に放置され、静寂が戻るにつれてワシの腹の底から沸々と熱い怒りが湧き上がってきた。
「勝負はまだ終わっておらんぞ、アレス! 雑音だから何だというのだ! ワシはこの戦い方しか知らん。この一振りで、あらゆる敵を打ち倒して勝利を掴んできたのだ! 何が不満だというのだ、貴様ぁ!!」
返事があるはずもなく、ワシは震える手で握り締めていた黒剣を見つめた。
鞘に収まったままの無骨な黒剣。
長年、戦場で命を預けてきたこの剣の一体何が悪いというのか。
抜けない剣の何が不足だというのか。
ただ硬く、ただ折れず、ただ鞘に収まったまま獲物を打ち砕く。
それだけで、武器としては完成しているではないか。
手にしている剣は、鍛冶師に『失敗作』と見放された頑丈なだけの鉄の塊だ。
だが、共に死線を潜り抜けてきた唯一の相棒を馬鹿にされ、挙句の果て勝負からも逃げられた。
その苛立ちからくる怒りを、ワシは居るかも分からぬ神に向けて天に吠えるしかなかった。
「剣聖ですらワシを見放した!!」
ワシは自身の力で戦うことが間違っているとは微塵も思わん。
ただ、剣聖はそれが気に入らなかっただけのこと。
そうだ……ただそれだけだ。
そう自分に言い聞かせねば、立っていられるはずもなかった。
何もする気力が起きず、ただ流れる雲を仰ぎ見ること数日。
不意にアレスの動きを思い出し、何が「技」なのか分からぬままその軌跡を真似る。
雨が降ろうが雷が山肌を叩こうが関係なかった。
吹雪が荒れ狂い、視界が白銀に染まっても動きを止めることはできなかった。
剣聖に見放されたことで世界そのものがワシを拒絶したのだと、そんな錯覚に囚われていた。
何日も何十日もアレスの放った神速の五連撃を思い出すように剣を振り、技とは何かと動きを真似ながら考え抜いた。
手にしている黒剣を振り抜き血を吐くような思いで足掻いた末に……結局、ワシには何も理解できなかった。
動きは真似できる。だが、打ち合えば必ずワシが負けるだろう。
「もう誰もワシとまともに戦う人間は現れないだろう!」
ワシは自嘲の混じった大声で叫びながら、黒剣を天に掲げた。
どこにも吐き出す場所の無い、単純な怒りからくる完全な八つ当たりだ。
何となく見上げた青い空があまりに澄み渡りすぎていて、それが無性に腹が立った。
この絶望をあざ笑うかのような雲一つない空を天そのものを斬り裂いたならば、この鬱屈した気は晴れるのだろうか。
ワシは自身の持つ『力』のすべてを再び日が昇るまで、何時間もかけて黒剣一点へと凝縮させていった。
集められた『力』が刀身を包み、揺らめく陽炎となって天へ昇る。
かつてないほどに高めた『力』に当てられたせいか、魂が震えるほどワシ自身がかつてない高揚感に震えた。
「斬るぞ、天を! ワシを見放したすべてを!!」
今この時、斬れるという確信が身体を動かす。
渾身の力を込めて黒剣を振り抜こうとした、その時だった。
「よさぬか、愚か者めが。本当にこの空を斬るつもりか?」
鈴を転がすような、だが底知れぬ威厳に満ちた声が脳髄に直接響いた。
ワシは振り下ろしかけた剣を強引に止め、声の主を睨みつける。
そこにいたのは、金髪をおかっぱに切り揃えた幼い子供の姿をした少女だった。
だが、その身に纏うのは見たこともない豪奢な着物。腰には一振りの刀。
何よりその小さな体から溢れ出すのは、魔力などという低俗なものではない。
ワシが一生をかけて磨き上げた力すらも飲み込み、この世界の法則そのものを書き換えかねない……圧倒的に濃縮された、魔力の次元を超越した『格』の違い。
一見すれば、どこにでもいるただの女の子供だ。
だが、その黄金の双眸に見据えられた瞬間、ワシの全身の細胞がかつて感じたことのない本能的な警鐘を鳴らした。
「……何者だ、貴様」
ワシの声は、知らず知らずのうちに低く震えていた。
恐れではない。あまりの異質さに、魂が歓喜と戦慄を同時に上げているのだ。
対する少女は、面倒そうに鼻先を鳴らした。
「見れば分かるであろう? 貴様ら人間が言うところの『神』というやつじゃ。管理者とも言うがの」
ワシは目を疑った。
こんな小さなただの子供が神だというのか?
だが、その身から放たれている圧倒的な魔力と存在感は、神と呼ぶにふさわしいものだ。
「本来ならば、我は魔力の異変を感じて降りるのだがな。魔力でもない妙な気配がこの空を通してワシにまで届いて気になって来てみれば……まさか、ただの人間がこれほどの『気』を練っていようとは」
「そうか、意識していなかったが、この力は『気』というのか」
「まったくこれだから、昔から人間というものは手がかかるのじゃ」
少女……いや、神は呆れたようにため息をついた。
「こいつはもう小僧でよいよな、よし小僧にするのじゃ」と神がぶつくさと呟いている。
「よいか、小僧よ。今、その”バカ”みたいに高めた『気』で剣を振り抜けば空は裂け、この世界は下手をすれば修復できぬほどの傷を負うのじゃ。そのような”バカ”な真似はやめよ」
「バカバカうるさいわ! 空が裂けるだと? それがどうした。ワシにはもう、戦う相手もおらんのだ」
ワシの言葉に、神は黄金の瞳を細めた。
「相手がおらぬ、か。……ふむ。我も似たようなものだった。まあ、管理者の椅子に座るのも退屈なものじゃ。本来はあってはならんことだが、本当に、本当~~~~に特別じゃぞ?」
神は腰の刀に手をかけた。
自身の身長を優に超える長大な刀を滑らかに引き抜くと、もはや不要と言わぬばかりに鞘を虚空へと投げ捨てた。
抜かれた刀身は、冷たい月光を宿したかのように妖しく煌めいている。
「これはな、かつての管理者から譲り受けた『妖刀村正』という代物じゃ。その鋭利さは触れるものすべてを断ち、持ち主の理性を喰らう呪いすら孕んでおる。そこいらの鉄くずとは別次元、格が違うのじゃ」
少女の姿をした神は、自身の身長を優に超える長大な刀を抜き放つと、重さを微塵も感じさせぬ手つきで掌の上を滑らせた。
妖刀はまるで意思を持つ生き物のように彼女の細い指先や腕の上を舞うようにクルクルと旋回し、空気を鋭く切り裂く。
長大な刃が描く円舞は、残酷なまでに美しく淀みがない。
ひとしきりその重みと長さを確かめるように弄び、神はピタリと動きを止め妖刀を正眼に構えた。
「魔法だとすぐ終わってしまうからのう。退屈しのぎに小僧の『土俵』に乗ってやろう。条件は剣一本の立ち合い。我は魔法も神としての権能も使わぬ。ただの武人として相手をしてやろうというのじゃ」
神の口角が、残酷なまでに美しく釣り上がる。
黄金の双眸が「受けるか?」と問いかけてくるが、その瞳の奥にはワシを見下すような絶対的な強者の余裕が透けて見えた。
「当然、受けるのだろう? まさか、逃げるなどとは言うまいな!」
こちらの返事など百も承知のくせに、どこまでも煽ってくる神だ。
ワシは歓喜に身体の震えを抑えきれず、黒剣を正眼に構えて応じた。
長年抱えていた退屈も空しさも、すべてが一瞬にして消し飛ぶ。
相手が神だろうが何だろうが、そんなことはもうどうでもいい。
今、目の前にいるのはワシが人生ですべてを投げ打ってでも求めていた、真に最強の『強者』だ。
「受けるに決まっているだろう! 尋常に……勝負だ!!」
そしてプロローグの話に。




