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2-9

「この箸……」

 メイが手に取ったのは、箱善の上に置かれていた何の変哲もない漆塗りの箸だ。

「この箸、どう思う?」

 どうと言われても、箸は箸だ。

「えと、ただの箸ですよね?」

 あんまり間の抜けたことを言うとまたメイに火のついたタバコを投げつけられるのではないかと思ったが、他に答えようもない。

「そう、箸だな」

 しかし、メイは真広の回答に満足したかのように、手で箸をもてあそびながら言う。メイの態度からして、今の質問は、わざと答えようもない漠然としたものにしていたようだ。それからメイは、逸らされていた他の人の視線が箸に集中するまでたっぷり十秒ほど、見せつけるようにもてあそんだのち、

「えい!」

 いきなり箸を両手でつかむと、ぼっきりと真ん中のあたりでへし折ってしまう。真広たちがその光景を見てあっと声をあげる頃には、畳の上に投げ捨てられていた。四角く並べられた箱善の中心に落ちた箸は、その断面に茶色い木肌をさらしている。木を取り巻く漆は厚く、木の部分も別段傷んでいるようにも見えない。まだ新しい箸だったのだろうか。そんな箸を折ってしまうなんて少しもったいない気がする。

「……ところで」

 なぜか急に悲し気な声になって、メイは先を続ける。

「実は、死んだおばあちゃんの形見だったんだ。とっても優しい人だったんだけど、足が悪くて、それであんまり裕福じゃなかったおばあちゃんは、いつもあたしに、『小遣いの一つもやれずにすまない』『何も買ってやれなくてすまない』って言っていたんだ。

 でも、そのおばあちゃんが、死ぬ間際に、『頑張ってお金を貯めたんだけど、こんなものしか買えなかったよ。許してくれるかい?』って言ってくれたものなんだ。だからあたしにとってあのお箸は、とっても大事なものなんだ」

 途中からメイの声は、朝会ったときのようなわざとらしい子どもの声になっていたが、箸のほうに気を取られている真広に、それに気づく余裕はなかった。真広の視線は、メイが大事なものと宣言しながらへし折った箸に釘づけだ。畳の上に無残に転がる箸が、急に存在感を増大させる。自分が犯罪行為に手を染めてしまったような罪悪感が芽生え、急速に大きくなっていく。何かをあきらめるように首を横に振るメイの動きが、真広の中に芽生えたその思いを爆発寸前にまで膨張させる。

 この話題にたどり着く前に、メイは、全てを説明してやると、そう言った。だから、もしかして自分たちのせいでメイは大切な形見の下を壊す羽目になってしまったのではないか。

 あまり考えたくない考えが頭の中を行ったり来たりして、冷や汗が背中をつぅーっと伝っていく。頭の中を行き来する考えの真偽を確かめようと、真広は顔をあげてリーシャの顔を見る。しかし、真広の視線に気づいたリーシャは視線を合わせることなく、苦笑いしながらゆっくりと首を横に振る。そんなリーシャの様子を見て、真広の中の疑念が確信に変わる。

 メイがいきなり笑い出したのは、自分の顔から血の気が引いていくのを真広がはっきり感じた時だった。

「あっはっはっは! ひー、ひひひ。苦しい。ああ、悪い悪い、ちょっと、お前らが思った以上に真剣な顔をするから、おかしくてな」

 自分の膝をバンバンたたいて笑いまくるメイ。苦虫をかみつぶしたみたいな顔をしてじっとメイの横に座っているリーシャの前では、真広たちが狐につままれたみたいな顔をしている。そんな真広たちにただ一つわかることは、先ほどのリーシャの表情は、取り返しのつかないことに対する諦め、ではなく、メイの悪ふざけに対する苦笑いだったらしい、ということだ。

「いやいや、この話の導入としていつもこれをやるんだが、そこまで真剣な顔をしたのはお前らが初めてだ。ここのリーシャなんか前に同じような話をしたら、話し始めた途端にあたしの正気を疑いやがったんだぞ」

 そこまで話したメイは、どうしていいのかわからなくなってしまった真広たちがあいまいに頷く間に息を整えると、咳払いを一つして話を続ける。

「ふう。それで、もう察していると思うが、形見の話は全部大嘘だ。あたしの作り話だから気にしなくていい。本題はこの話の前と後ろにあるんだ。

 率直に聞くぞ。お前ら、あたしの話の前と後で、箸に対する印象がどう違った?」

 どう、と言われてもメイが作り話を始めた時は箸のことで頭がいっぱいだったせいで何も覚えていない。

「なら、話をする前はどうだった?」

「ただの箸? 突然折るから、何事かと思いましたけど」

 それ以外に答えようがない。強いて他の言い方をするならば、メイが使っていた漆塗りの箸、だろうか。

「なら後は? お前らは随分と慌てていたようだが、なぜだ?」

「それは、あなたにとって大切なもので、なのにそれを壊してしまって、もしそれが自分たちのせいだとしたら、とても大変なことになったと……」

 真広の言葉の途中で我が意を得たりとばかりにメイの視線が鋭くなる。真広も途中でメイが言いたかったであろうことをなんとなく察して、次第に言葉がしぼんでいく。真広の様子を見てニヤリとしたメイが言う。

「じゃあもう一度聞くぞ。話の前と後で、何が違った?」

 ゆっくりと問い質すメイ。それに合わせて真広もゆっくりと、慎重に言葉を選びながら答えを口にする。

「それは、箸の持つ意味合い、でしょうか。話の前は、文字通りのただの箸でしたけど、話の後は、その、あなたにとって、特別な意味のある……」

「そう、それだ!」

 真広の言葉を遮って、メイの声が部屋の中一杯に響く。ズビッと真っ直ぐ突き出されたメイの人差し指の先で、真広たちは一切の動きを止めてメイを注視する。

「あたしが言いたかった人間の本質は、価値と意味を作り出す存在としての人間ってことだ」

しかし次の瞬間には、視線をメイに固定したままで、真広たちは一斉に首を左右に傾けてしまう。

「なんのことかわからないというような顔をしているが、安心しろ。もう少し説明してやる。

例えば、この箱善だ。あたしにとってはこれは食事をとるための道具だが、お前らは最初に見た時には、これが何かわからないと言った。きっと、謎の箱が置いてあると思ったんじゃないのか?」

 メイの言葉を受けて素直にうなずく真広たち。

「そう、普通はそうなんだ! 人間以外の動物にとって、箱は箱でしかない。そこらにある四角い物体を指して、ただ箱と言うんだ。せいぜいが、上に座るか、物を載せておく程度の存在だ。わかるか?」

「箱は箱だから箱であって、だから箱である?」

 クシャナが熱に浮かされたみたいに意味のわからないことを口にする。どうやらメイの言葉の意味を理解できていないのは自分だけではないらしいということが分かり、真広は少しほっとする。

「クソ。やっぱりまだ理解出来ないか。意味のある世界で暮らしていると、どうもそれがどういうことか説明するのが下手になるな。

 まあいい。そうだな。誰でもいいから答えてくれ。この箱は、何に使うものだ?」

「食事に使うもの、ですか?」

 食事の前に自分で説明していたではないか、と言いたげに伊織が答える。

「その通りだ。なら、なぜこの箱は、食事に使うものなのだ?」

 出来の悪い生徒をヒントを与えながら徐々に正答へと導いていく教師のように、メイは伊織に倒して更なる質問をぶつける。が、当の伊織は、本当に出来の悪い学生になってしまったみたいに当惑顔をするばかりで、なかなかメイの質問に答えることが出来ない。そしてそれは、伊織以外の面々も同じだった。聞かれていること自体はしごく単純なはずなのに、どうしてか、明確な答えを、自信を持って返すことが出来ないのだ。

「そういう目的で作られたから、ですか?」

 固まってしまった伊織の代わりに、真広が答える。

「そう! その通り! で、それを言い換えると?」

「言い換え……」

「だから、つまり。その箱を作った時、それには何が与えられた? 目的を言い換えると、なんだ?」

「えー……箱善を作った時に、目的、じゃなくて……だから、食事に使うものだっていう定義づけとか、意味づけとか?」

「よし! やっときたか! つまりはそういうことだ。いいか、この箱はな、作られた時に、人間によって、食事に使われるものであるという意味が与えられた。わかりやすく言うと、定義されたんだ! そして、その瞬間から、こいつは食事に使われるものとしてしか存在出来なくなった。例えば、今あたしが、さっき食事をするのに使った箱善の上に座ったとする。どうだ、大きな違和感があるだろう?」

 だんだん話がまゆつば物になって来たと思いながらも、真広はとりあえず首を縦に振っておく。

「もう一つ例を取るならこの煙管だ」

 カカンと、興奮気味にメイが煙管で箱善の淵を二回続けて叩く。

「こいつは当然中が空洞になっているんだが、そう……あたしがこれを綺麗に洗って、水を飲むのに使い始めたらどうだ? 普通のストローよりも長くて頑丈で、吸い口もあたしの口にぴったりだ。水を飲む道具として、割と理に適っている。でも、違和感があるだろう?」

「そうですね」

 ようやく頭の中の整理がついたのか、固まっていた伊織が答える。

「いいぞ! いいか、もう一度繰り返すが、人間の本質は、意味と価値を作り出すことにある。

 意味というものは、文字通りにその物事が持つ意味のことだ。人間から見た森羅万象の本質のことだ。箱善は食事に使うもの。煙管はタバコを吸う道具。こんな具合にな。価値というのは、その作り出された意味が自分にとって有用であるときに、意味は価値に変化するんだ!」

「はあ……」

「そして、人間の意味と価値の創造作用は強力だ。何しろ、彼らによって一度定義されてしまったものは、そこから外れて存在することが限りなく難しくなってしまうからだ。これはとんでもないぞ。何しろ、大古の昔からこの惑星を支配してきた集合的無意識と滅法相性がいいからな。これによって発生する力は、世界を改変する!」

当初の計画では、この辺までこの文字数の三分の一で行くはずだったんだけどぁ・・・どうしてこうなった・・・


まだこのパートを全部書き終わっていないので、億が一ぐらいの確率で、この部分に後から手を加えるかもしれません。たぶんないと思いますが。

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