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「よし、始めよう!」
唐突にメイが手を打ち鳴らした。あまり大きな音ではなかったが、不意打ち気味だった為、真広はその音に驚いて、慌てて体を正面に向ける。すると、さらに驚いたことに、真広たちが入って来たのとは違う襖から、料理を乗せたお盆を持った給仕の人が、まるでメイの合図を待ち構えていたみたいに続々と部屋に入って来る。そして、声を失っている真広たちが冷静さを取り戻すよりも早く、持ってきた品々を真広たちの目の前にある箱の上に並べていく。どうやら箱は本当にテーブル代わりだったようで、しかも綿密に計算されているのか、一人分の料理がぴたりと上に乗るようになっていた。
「そりゃな、箱善つってな。本当は一人分の食器をその中に入れておいて、使うときには自分で取り出して上に並べる入れ物兼机なんだが、こういう風にただの机として使ってもいいだろ?」
その様子を珍しがっている真広たちに気づいたのか、メイが目の前で起こっていることについて説明してくれるが、箱善の存在をしらないのと、今朝の一件のせいでメイにどう接してい良いのかわからないせいで、
「はあ」
という中途半端な返事をすることしかできない。だが、メイは真広の生返事を慣れない場所で恐縮しているせいだと思ったのか、
「ま、飯ぐらい遠慮せずに食ってけよ」
そう言って笑うと、顔を自分の箱善の方に戻す。
そして、給仕が終わった時には、真広たちの箱善の上には、白米、菜っ葉の味噌汁、魚の焼きもの、漬物という、見事な和風朝食が完成していた。起きてから汁ものを流し込んだだけの胃を、魚の匂いが刺激して、見ているだけで胃液が出てきそうだった。こういう朝食も、勿論壁の中で食べたことはあるのだが、ここの物はそれの何倍も美味しそうに見える。
目の前の物を食べてもいいのか迷った真広が視線をメイに向けた時だった。
「さて、自己紹介が遅れて失礼した。わたくしは、この村の村長をしている、メイ・エルダーだ。朝の失礼のお詫び、という訳ではございませんが、心ばかりの食事を用意いたしました。どうぞ、お召し上がりください」
朝初めて会った時の子どもの声とも、タバコを投げつけて来た時の誰かを威す声とも違う、演説をしている時のようなよく通る声でメイが言った。しかも、言葉を発している時のメイの顔は、この上ないほど完璧な、営業スマイルだった。
メイが今語ったことは、今朝のリーシャとメイの会話からおぼろげながら見当がついていた真広たちだが、改めて本人の口から語られると、どうしてもメイの顔を凝視せずにはいられなかった。
「どうも、宜しく……えと、俺……いや、僕は、霊螺子真広と言います」
我ながら残念な返事が口から出たものだと思う真広だが、これが出ただけでも褒めてもらいたかった。タバコを吸って人に向かって唾を吐く少女が、さも当然という顔をして自分は村長だと主張している。そんな状況にどのような言葉を話すべきかは、残念ながら真広の脳みそではわからない。だがそれはクシャナ、伊織、イリックも同じらしく、三人とも真広と同じような調子で返事をしている。
先ほど傍若無人の限りを尽くしたメイのことだから、こんな歯切れの悪い返事ではまた何か言われるのではないかと思ったが、意外なことに、メイは満足そうに一回だけ頷くと、同じ調子で口を開いた。
「よし、それでは、お互いの名もわかったところで、いただくといたしましょう。せっかくの朝餉が覚めてしまっては、作った者に悪いですから」
そういうと、率先して箸手に取り、食事を始める。それを見ているうちに、ここ一週間ほどまともな食事をしていないことを急に思い出した真広は、腹の虫が急激に騒ぎ出すのを感じた。
「いただきます」
食事に向かって手を合わせると、橋を持って目の前のものを食べ始める。初めは、ゆっくりと。だが、一口、二口と食べていくうちに、だんだん制御が効かなくなってきて、終いには食事のマナーなど放り出して、食事をがっつく。出された料理は、どれもシンプルだがとてつもなく美味しく感じられたが、それが空腹のせいなのか、それとも料理そのものが本当においしいのかすらわからないありさまだ。それほどの勢いでもって、食物を胃に流し込んでいく。それは、クシャナ、伊織、イリックの三人も同じで、誰も会話をしながら食事を楽しむような余裕などなく、広い部屋の中には食器がぶつかる固く高い音が時折響くけで、話し声の類は一切しなかった。
しかし、それも無理からぬことだろう。何しろ、真広たちはここ一週間ほど、まともな食事をとっていなかったのだ。
四人で決を採った後、最終的には伊織も納得してくれて、四人――終始気絶していたリーシャも含めるなら五人――でリーシャの村を目指すことになった。なったのだが、そこには一つ問題があった。目指すべき方向と大まかな所要日数はわかっていたのだが、真広たちは全員、街から出るなどという事態は初めてのことだった。ましてや、進むべきなのは、道らしい道もないような野山だ。村にたどり着くまでの一週間に真広たちが経験したものは、苦労などという言葉ではとても表現しきれないものだった。ここにたどり着くまでにかかった一週間という日時も、もしかしたら途中で数え間違っているのではないかと、そう思わられるような苦労の連続だった。
一夜明けていざ出発する段になって最初に問題になったのは、進むべき方向だった。リーシャは南に進めと言っていたが、着の身着のままで出て来た真広たちは方位磁石のような方角を知る為の道具を一つも持っていなかった。木の年輪の広がり方を見れば方向が分かるだの、ここでもう一晩待って星を見ればいいだのと言いあった後、太陽の動きを見ればすぐに分かるということに気づいたのは問題が発覚してから一時間後だった。それから太陽の動きを見定めて、東西南北の見当をつけてようやく出発することになった。
その後も、方角一つすぐに決められないほどこの手の知識に乏しい真広たちにとっては、とてつもない苦労の連続が待っていた。
水が手に入らないからとその辺に生えていた木の枝を齧ったり、食料が無いからと森の中をかけずりまわったり、数えればこの他にも際限がないほど問題に直面した。水と食料の問題は最後まで解決せず、日を経るに従って真広たちは判断力も体力も奪われて行き、この村に着いた時には、文字通りの限界を迎えつつあった。そのせいか、村に着く直前の記憶は完全に吹き飛んでいる。真っ暗闇の中で微かな灯りを見つけ、そこからようやく途切れた記憶が再スタートしていた。いや、もしかしたら、この記憶も本物ではなく、真広の思い込みかもしれない。それほどまでに、終盤の真広たちは弱り切っていたのだ。もしも村に着くのが後数日遅かったら、最悪の場合は全員野垂れ死んでいたのではないかと本気で思うほどだ。
だが、兎にも角にも目的の村にはたどり着いたのだ。朝は疲れと空腹、不意打ち気味なメイの登場と豹変にすっかり押し切られてしまっていたが、目的の半分は果たされたわけだ。いや、半分しか、というべきだろうか。むしろ、真広にとって重要なのは、果たされていないもう半分の目的である。いきなり現れて、理由も告げずに真広を銃撃戦のさなかに叩き込み、あれよあれよという間にこの場に連れてきてしまった、その理由。それについては、まだ何も明らかになっていない。前までの日常と今ここで畳に座って食事をしている自分。こうして対比してみると、現実感を失わせるほどに違っている。なぜ、自分はこんなことになっているのか。なぜ、リーシャはあそこに現れたのか。今まではさんざんはぐらかされてしまったが、ここならそれに対する回答を聞かせてもらえるのだろうか。
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