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「さて、皆さま揃っていますか」
話が途切れたすきをついて、リーシャが口を挟む。地面に突き刺していた剣を再び手にし、壁から一mほど離れて立っている。目の前の壁はドームを形成しているために、内側に向かってわずかに湾曲し、頭上には壁に沿って街を一周している電車の軌道が見える。
「これから、これを壊します。少しうるさくなりますので、どうか皆さまは耳を塞いでいてください」
その言葉に、この場にいる全員が驚愕する。先ほどの戦闘行為を見せられたせいで、それ以前の言動については、リーシャを信じる気持ちがないわけではない。しかしリーシャが目の前にあるのは、厚さ五mの鉛とコンクリートの複合材である。実際に壁を目の前にしても、これを破れるとはにわかには信じがたい。伊織やイリック、クシャナも、流石にこれをどうにかできるとは思っていないらしく、特に何も言わずに、リーシャの動きを見ている。
「では、いきます」
考えている間にも、リーシャはさっさと壁に向き直ると、剣を構える。
すぅーと、静かに長く息を吸い込む音が聞こえる。周りにある空気がリーシャに向かって収斂し、この場の温度が下がっていくような気がする。剣を使う人間が纏う独特の空気、とでもいえばいいのだろうか。ただ一度、呼吸を整えただけなのに、この場にいる全員がすっかりリーシャの発する空気に呑まれてしまっている。
「は!」
短くリーシャが声を発した瞬間、あの音が、窓ガラスを震わすほどの音量で鳴り響く。慌てて耳を塞ぐ真広。だが、そんな状況でも、視線はリーシャから離せなかった。なぜなら、視線の先では、リーシャの握る剣が、壁に深々と突き刺さっていたからだ。しかも、鍔元まで刺さった剣が、ゆっくりと横に動いている。あの剣は刃渡り百二十㎝ほどなので、コンクリートだけでなく鉛の部分にまで刃が達しているだろう。それを少しずつでも動かしていくなど、普通うではあり得ない。そういえば、先ほども鋼鉄でできているはずのバグを易々と切っていたなと、今更思い出す。この音といい、あの剣にはどんな仕掛けがあるのだろうか。
「う……おおおおおおおおお……」
呻くような声が、リーシャの口から漏れ出す。それに応えて、剣が発する音がより一層強まる。そして、剣と壁の間からは、最初に弾丸を切ったときに見たような、サラサラとした細かい何かが漂ってくる。しかも、それは量が目に見えて増えていく。煙突から立ち昇る煙のように、全てを覆い隠す勢いで上に向かって伸びていく。その中心に居るリーシャは、上半身がすっかり煙におおわれてしまって、肩幅に開かれて踏ん張っている足しか見えない。
きっと鈴か風鈴を作っている工場がテロリストに爆破されたら、こういう光景が見られることもあるのだろう。そんな間の抜けたことを真広が想像していると、二度ほど短く鳴った後、唐突に音が途絶えた。煙で覆われてしまっているせいでリーシャが何をしているのかはよくわからないが、どうやら終わったらしい。足がこちらに振り向き、煙の中から出てくるのが見えた。
「ケホ、ケホ」
煙の中から姿を現したリーシャは、可愛らしく咳をしながら顔の周囲を手で扇いでいる。その肩は服の皺には、白い埃がたっぷり乗っていた。
「成功です。こちらに」
真広たちに視線に気づいたのか、リーシャはハッとしたようになり、急いで表情を取り繕う。傷や刃こぼれどころか曇り一つない剣で、早くも煙が晴れつつあった。そこにある光景が目に飛び込んできた瞬間、リーシャ以外の全員が驚いて息をのむ。
そこにあったのは、地面から十㎝ほどの高さのところに壁の一部を囲うように縦横一mほどの切れ込みが四角く入れられた壁と、その囲みの真下の場所が、楔形に切り取られた光景だった。楔形の傷だけに限って言えば、木こりが木を切り倒す為に斧を入れた、という感じだ。コンクリートの壁に剣でそんなことが出来ることにも驚きだが、もっとすごいのは切り傷の方だ。近寄ってよく見てみると、剣の厚みの分だけ、壁と壁の間に隙間が出来ている。加えて、そこから漏れてくるひんやりとした空気には、なぜかカビと金属の臭いが混じっていた。金属の臭いは、きっと壁の内部に埋め込まれている鉛の物だ。しかし、カビの臭いはどこから漂ってくるのだろうか。もしかして、この隙間は、壁の向こうに貫通しているのだろうか。これを貫通したとすると、合計で二mの厚みがあるコンクリートに加えて、厚さ三mの鉛板を切り裂いたことになる。そもそも剣でそのようなことが出来るのかと言う疑問以前に、刃渡りが百二十㎝しかない剣でそんなことをすることなど、可能なのだろうか。
「では、仕上げです」
しかしリーシャは、眉間に縦皺を刻んで壁を凝視している真広たちを壁の近くまで連れていくと、自信満々といった様子で手にしていた剣を、四角く囲った壁の真ん中に突き刺した。しかし、今度は先ほどとは違い、剣を鍔の近くまで深々と壁に突き刺したところで、すぐに剣から手を放してしまう。リーシャが剣から手を放すと、風鈴みたいな音を立てていた剣が、急に静かになる。おまけとばかりに、剣から上がっていた煙のようなものも止まってしまう。何が起きているのか未だよくわかっていないが、察するに、リーシャが手を放したことで剣の何らかの機能が停止し、地面と水平に壁に刺さった状態で停止する。
「それを、思い切り引っ張ってください」
剣から手を放したリーシャは、真広たちから少し離れたところまで歩いていくと、何かを堪えるように壁に背中を預ける。そして、さあ早く、と目で訴えてくるが、リーシャの言いたいことが飲み込めない真広の視線は、リーシャと剣の間で何回も行ったり来たりしてしまう。しばらくしてそのことに気づいたのか、リーシャが補足で説明する。
「私がその剣に触れていると、能力が発動して真広さんが手に持っている鞘以外の物を全て切り裂いてしまうんです」
リーシャの言葉につられて、家から今までずっと握りしめていた鞘に視線を移す真広。驚くべき出来事の連続でいつの間にか手に力が入っていたらしく、鞘を握る右手は赤くなっている。
「今そこの壁は、四角い切れ込みが向こう側まで貫通しています。剣を差して引っ張れば簡単に穴が開きますが、私では無理なのです」
「はあ……」
納得したようなしないような、リーシャの説明で余計にもやもやしてしまう。だが、今の真広たちは、追われる身である。いつまた銃撃にさらされても、きっとおかしくない。
「ふ……ん……ん? …………んん?」
そう考えた真広が剣に手をかけて手前に引っ張ってみると、ゴリゴリゴリという重苦しい音を響かせながら、剣はあっさりと手前に動いた。まさか動くとは思っていなかっただけに、驚いて剣から手を放してしまう。試しに引いては見たが、目の前にある物体は一m四方のコンクリートと鉛に固まりである。普通に考えて、重量は一トンを優に上回るはずだ。まさかそれが、軽く手前に引いただけ動くとは、思いもしなかった。リーシャと真広のやり取りを黙ってみていた他の面々からも、息を飲む音が聞こえてくる。
「うそでしょ?」
大概のことには動じないクシャナもこれにはさすがに驚いたのか、剣に近寄ってきて柄の先っちょを親指と人差し指恐る恐るつまみ、引っ張る。すると、またゴリゴリと音を立ててコンクリートの塊が手前に動く。
今度は全員の視線がリーシャに集中するが、彼女からしてみればこれらは全て予想通りのものであったらしく、悪戯っぽい表情で続きを促してくるばかりだ。どうすればいいのか迷った真広たちは視線を見合わせ、次いで頷き合い、無言のままに合意を形成して全員で剣に手をかける。
「「「「うおおおおお」」」」
綱引きの要領で剣を引っ張ると、それは何の抵抗も示さずに一気に動いた。厚さ五mの物体を心太みたいに引っ張りだす作業はなかなかにシュールで、面白く、最後には、楔形の切れ込みに沿って、切り出したものが壁から地面に滑り落ちる。




