5-2
「さあ、行きましょう」
剣を持ったまま差し出されるリーシャの手を見て、だんだんと正気が戻ってくる。気が付いてみれば、五分以上も口を開けたまま突っ立っていたようだ。
リーシャの笑顔と差し出された手を見比べた真広は、リーシャの手を握り返すために、恐る恐る、手を差し出す。しかし、その手がリーシャの手に触れる直前で、誰かに反対の手を引っ張られる。伊織だった。何かを言いたげに、強い意志のこもった瞳で、真っ直ぐに真広のことを見据えている。
「うん?」
その様子に、リーシャが首をかしげる。伊織が、ゆっくり口を開き、言葉を放とうとする。
「伏せろ!」
が、それよりも早く、リーシャが有無を言わせぬ声を発し、手の中の剣を、鞘ごと横に振る。風音、火花、金属のひしゃげる音が渾然一体となって、真広や伊織、リーシャに襲い掛かる。
何が起きているんだ? という疑問が言葉の形を取った時には、伊織に引っ張られたのかリーシャに突き飛ばされたのか、真広は尻もちをついていた。何が起きているのか、事態を把握できない。
「ち、もう来たのか。仕事熱心なことだ」
今この場で、全てを把握しているのはリーシャだけなのだろう。リーシャのつぶやきは、そう思わせるのに十分なものだった。
リィーンと、妙に澄んだ音がする。音の出どころは、リーシャの剣。すでに鯉口が切られ、綺麗な刀身の一部が見えている。鞘を足で挟んだリーシャは、片手で器用に剣を引き抜いていく。虫の鳴き声のような透明な音が、長く殷殷と響く。音が止んだのは、刃渡り百二十㎝の光の塊が鞘から完全に抜け出た時だった。リーシャは、逆手に持っていた剣を持ち直し、窓に向かって構える。割れた窓から差し込んでくる陽光が刀身に反射し、室内をまぶしく照らすその様は、さながら一服の絵画だ。
「申し訳ないのですが」
呼吸することすら忘れていた真広に、リーシャが声をかける。
「これを、持っていてくださいませんか?」
そう言って足だけで器用に投げてよこしたのは、鞘だった。見事な彫銀の施されたそれを落としてはいけない気がして、慌ててそれを空中で受け止める。
「お願いします」
それを確認したリーシャは、改めて真広と窓の間に割って入る。
「それから、私よりも前に出ないようにしてください。できれば、私の後ろに固まっていてくださると、助かります」
「どういう意……」
真広と同じように床の上で転んでいる伊織が言葉の意味を問おうとするが、それは出来なかったし、必要もなかった。
リィーンと、先ほどのような澄んだ音が響く。だが、その音は、先ほどよりも少し高い。最初は、長く尾を引く音が一つ。次は、怒涛の如く、虫時雨のように、合唱の渦中にいるのかと錯覚するほどに、無数の音が降り注ぐ。その音は、リーシャから、リーシャの手中の剣から聞こえてくる。
剣が歌っている。そうとした、表現のしようがなかった。
剣の歌声に聞き入っていた真広の顔に、何か固いものが当たる。服の上に落ちたそれを拾い上げてみると、鈍く輝く、金属の欠片だった。それに、やけどしそうなほどの熱を持っている。何が起こっているのかとリーシャの手元をよく見てみれば、剣から何か細かい靄のようなものが、天に向かって立ち昇っている。どうやら、欠片はそこで煙になり切らなかったもののようだ。では、煙になり切れなかったこれは元々はどんな物だったのか。その答えは、存外すぐにわかった。
よく耳を澄ませてみれば、歌声の間に、パスパスパスというちょっと気の抜けた音が混じっている。それに誘われるように目をリーシャから窓の方に向けてみると、銃で撃たれているみたいにサッシや壁に大小の穴が無数に開いている。
つまり、今自分たちは消音器の着いた銃で撃たれていて、先ほどの欠片は銃弾だろう、と言う推測を真広の頭がやっとの思いで吐き出した頃には、事態はさらに進行していく。
「行くぞ!」
銃撃が僅かに緩んだ瞬間を狙いすまして、リーシャが剣を構えなおす。大きな剣を片手で扱っているので、その構えを見ただけでも真広などはどこかおかしな印象を抱いてしまうのだが、リーシャの方は違うらしい。
剣を構えなおしていた一秒の半分にも満たない時間の間に完璧に体勢を整え、素人からすれば見事としか言いようのない剣筋が描かれる。真っ白な剣戟が真広の視界を埋め尽くしたと思った時には、窓の下の壁が幅一mにわたって切り取られていた。どうも、その剣の扱いに関しては相当に習熟しているらしく、片手で扱うには大きすぎるその剣を見事に操っている。きっと腕を失くす前は両手で扱っていたのだろうが、「片腕? それがどうした」と言わんばかりの腕前だ。
先ほどとは違う、鈴の音みたいな小さな音を立てて、リーシャは剣を外に向ける。その先では、街中でよく見かける、アサルトライフルを持ったタイプのバグが十体ほど道を挟んで向かい側にある畑の中に立ち、引き金を引いたり再装填したりしている。
銃撃が緩んだと言っても、完全に止んだということではない。今も、銃弾が描くオレンジ色の線が、リーシャの体の周りを飛びぬけていく。その風圧のせいでリーシャの長い髪は舞い上がり、空中に銀色のビロードがはためいているかのようだ。
「恰好、良い」
真広の口は自然とそんな言葉を紡いでいたが、歌声に変わって轟き始めた腹の底を揺さぶるような着弾の音のせいで、自身の耳にすら届かない。
「ふっ!」
そんな中、リーシャの息遣いだけがやけにはっきりと聞こえたと思った瞬間、リーシャは自らが穿った穴をくぐって、外に飛び出していた。
低く、地面を這う蛇のようにバグに迫る。銃撃がリーシャを追って地面を縫うが、今度は兎のように鋭角的に左右に飛び回り、一発としてリーシャを捉えられない。
数舜の内にリーシャはバグの足元まで到達する。しかし、身を起こすことはなく、走り込んだ勢いのままバグの一団の右横を通り過ぎる。
いつの間にか左肩の方まで引き絞られていた腕と剣が、巨大な力を開放する。虫のような風鈴のようなあの音が鳴り、最も右に居たバグが足を切断されて地面に倒れる。
あの独特の音は、物を切ったときに鳴るらしいと真広が気づいた頃には、百八十度の超鋭角ターンを決めたリーシャが、倒れたバグを細切れにし終えていた。
そこから先は、表現しようのないほど一方的な殺戮だった。リーシャがバグを、料理人が魚を裁くような手慣れた動きで、一体一体丁寧にスクラップにする。それは、見ていて退屈を覚えるほどに綺麗で正確で、予定調和的な動きだった。きっとリーシャは、日常的にバグと戦っているのだろう。そういう考え方が一番しっくりくる動きだ。
すぐ近くに人の気配を感じて視線を家の中に戻すと、クシャナ、伊織、イリックの三人が真広の周りに集まっていた。真広も、いつの間にか立ち上がっている。銃撃にさらされたときに唯一の安全地帯だったリーシャの背中追いやられたのか、それともリーシャの剣に見惚れているうちに無意識に集まって来たのかはわからないが、少なくとも、皆一様にその場に突っ立って口を開け、リーシャの動きに視線を集めている。




