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「それはいいのですが」不機嫌そうな伊織の声が、真広の意識を現実に引き戻す。「今までは色々あってお聞きしませんでしたが、あなたはどこの誰なのですか。兄様が聞かないのならそれほど問題ではないと思いあまりかまわないようにしていましたが、我慢の限界です。
私たちの家で勝手なことばかりして……
この際だから全て言わせていただきます。そもそもなぜあんなところで倒れていらっしゃったのですか?
それから、その剣はやはり返していただけませんか。この街でそんなものを持っているということがどういうことか、お分かりですよね?」
話しているうちに感情が昂ってきたのか伊織の声がゆっくり、強いものに変わっていく。このままふざけたことばかりやっているようなら警察に突き出してやると言わんばかりの伊織。彼女がここまで怒るところを、真広は数えるほどしか見たことが無い。基本的に物静かで、いつも真広の横を半歩下がってついてくるような印象の伊織が、何が原因か知らないが声を荒げている姿は、真広にとっても驚きだった。ただ、声を荒げているとは言っても、おとなしい伊織のことなので、大声を張り上げる、と言うよりも、声に含まれる怒気で相手を圧倒しそのせいで声を荒げているような印象になる、と言うのがより正確だろう。現に、伊織の声は、普通に会話するほどの大きさであり、声帯の許容量を超えたせいでかすれることもなければ、激情を整理しきれずに途切れるようなこともない。いうなれば淡々と敵を攻撃していく滑らかな声だ。
だが、普通の人ならば何も言えなくなるほどの静かな圧力のこもった伊織の声を聴いても、少女は一瞬たじろいだだけで、すぐに余裕の表情を取り戻す。それどころか、先ほどよりもさらにゆったりとした笑顔を浮かべる。少女の顔は、傲岸不遜、と言い換えてもいいかもしれない。『余裕を持った笑顔』が行くところまで行ってしまったせいか、どこか人を食ったような印象を真広は受ける。そして、そんな顔をしているせいで、ただ敬語で返事をしているだけなのに、声がネットリと耳にまとわりつくような気がして、若干不愉快だ。
「申し訳ないが、それは出来ない。この剣は、手放すことが出来ない、大切なものなのだ」
「先ほど手放していたじゃないですか」
「え、あいや、そういうことでは、ゲフン、ゲフン。とにかく、これは、どうしても渡せないんだ」
しかし、真広の嫌な気分はすぐに取り払われてしまう。伊織の言葉に慌てた少女は、表情の読めない笑顔の裏から、ベッドの上で見せたようなコロコロとよく変わる表情をほんの一瞬のぞかせる。それはすぐに消えてしまったが、少女の表情が本心からのものではなく、少なくともどこかで作った部分があるとわかり、真広は少しだけ安心する。確かに怪しい少女ではあるのだが、こういう部分を見ているとどこかで少女のことを面白いと思ってしまうのは、真広の警戒心が足りないからだろうか。他の面々、特に伊織は、思い切り少女のことを胡散臭く思っているようであるし、少女の言葉に対しても、一番納得がいっていない様子である。
「でも……」
どうしても少女に刀を手放させたいらしく、伊織はさらに言い募ろうとするが、少女はそれをサラリと受け流すと、余裕で落ち着いた声音で話を先に進める。
「さて、まずは私の名前だったね」
伊織の質問に答えようとする少女に、流石の伊織もこれ以上口をはさめなくなり、おとなしく引き下がる。それでも、視線だけは少女に固定し、負けじと睨み返してはいるが。
「すまない。こちらも余裕を失って、すっかり忘れていたみたいです。私の名前はリーシャ。リーシャ・ユエリアだ。助けてもらったことに、感謝します。あなた方は……」
緊張でもしているのか、少女――リーシャの言葉遣いはバラバラだ。しかし、そんな言い様でも慇懃無礼の見本みたいに聞こえるリーシャの声に神経を逆なでされたらしく、坂を下るように伊織の機嫌も悪くなっていく。初めて目にする伊織の不機嫌ぶりに、真広を含めて誰も言葉を挟めない。伊織の放つ圧力は、下手に間に入ればリーシャよりも先に自分が押しつぶされることになるということを思わせるのに、十分なものだった。
「私は霊螺子伊織です。伊織で結構です。それはわかりましたが、あなたはなぜあんなところでものすごい重症を負って倒れていたのか、という疑問にはお答えいただけないのですか?」
それでもやはり、普通の人であれば心をズタズタにされて再起不能になりそうなほどの棘を含んだ伊織の言葉にも、リーシャという少女は――少なくとも表面上は――一切臆することなく答える。その様は、今はもう存在しない、外交官という職業を思い起こさせた。今の少女は、真広たちに手の内を読ませないように必死になっているように見える。
「それは、その……」
言葉を濁して助けを求めるように剣を見る少女。先ほどまでと違って目が泳いでいる様を見ると、こちらが悪いことをしたような気分になってしまう。流石にやりすぎだろうと思った真広が、伊織とリーシャの間に割って入ろうとしたときだった。今までうつむいていたリーシャが、高層ビルの屋上から飛び降りる覚悟を決めたような固い表情をして、勢いよく顔を上げる。そして、今まで以上に丁寧な口調で言った。
「申し訳ないが、ここで詳しく答えるわけにはいかないんです、伊織様」
「『様』などと媚びないでください。何も出しませんよ」
「では、伊織さん。ここで答えれば、君たちにも迷惑がかかるんだ」
目の前の少女は、何を隠そうとしているのか。ここまでの少女の言葉を聞いて真広の頭に浮かんだのは、そんな疑問だった。ベッドを出てからというもの、リーシャは妙にしゃべり方がしらじらしい。勿論、先ほどと今とでは状況が異なる部分も多いが、それ以上に、今の彼女の言葉には、子どもが親に隠し子をするような、なんとも言えない意図が働いているような気がしてならない。
真広の意図を読んだのか、それともどうすればいいのかわからずに首をかしげているクシャナとイリックに気を使ったのか、はたまた真広の横でとてつもない圧力を放っている伊織に気圧されたのかはわからないが、リーシャが言葉を繋ぐ。
「それでも――」
大きく息を吸い込み、わずかに身を乗り出すようにして告げられたリーシャの言葉は、先ほどまでのものと違い、リーシャの本音が含まれている気がした。
「それでも一つだけ、言わせてもらうならば、あなた方が推測している通り、私はこのドームの中の存在ではない」
その言葉を聞いて、場の空気が凍り付く。この場にいる誰一人、リーシャの言葉に対してどう答えればいいのか、とっさにわからなかったのだ。
「え! あ、いやいやいや!」
最初に口を開いたのは、やはりクシャナだった。
「外って、つまり、外?」
ただし、頭の中身が整理できている訳はなかったらしい。
「ああ」
「だって、おかしいでしょう。外の世界は滅んだんでしょ、マキナちゃんたち!?」
クシャナがテーブルの上に置かれた電子機器を振り返る。先ほどからものすごく静かだからすっかり忘れていたが、マキナもこの場にいることをいまさらにように思い出す。それは真広以外の人も同じだったらしく、リーシャを含む全員の視線が携帯端末とPCに集中する。
『ええ、そうです。私たちが、確認したことです』
『ああ、間違いないぞ』
二人が、やけに機械的な声で口をそろえて言う。
「ほら、やっぱり」
マキナ達の言葉を聞いた伊織が、薄い胸を張って言う。
「ん………………ああ、まあ、そうだな」
しかし、リーシャの方は心ここにあらずと言う感じで、答えが三テンポ分遅れて帰ってくる。やはり、先ほどからどこか様子がおかしい。どうにも、リーシャは重大な情報を隠しているような気がしてならない。
「あの……」
そのことについて、真広が訪ねようとするが、そのタイミングで伊織の詰問が再開してしまう。
「リーシャさん。あなた、もう少し真面目に答えたらどうですか? あなたは外から来たと言いますけれど、嘘なのですよね?」
「いや、そんなことはない。これは、事実だ」
マキナの援護を得たせいなのか、鬼の首をとったように責め立てる伊織だが、リーシャはかたくなに答えを変えないどころか、話しているうち何かの覚悟が固まったのか、ますます態度が硬化する。
これでは埒が明かない。そう思った真広は、助け船を出してみる。
「リーシャさ――」
「リーシャで結構です真広『さん』」
『さん』の部分を強調して言うリーシャ。なんとなく呼び捨てにするのも失礼な気がするが、こちらが敬称を付けるとまた『様』呼ばわりされそうなので、おとなしく従っておく。
「それじゃあ、リーシャ。自分は外から来たが、それについて詳しくは話せないというのですか?」
「はい、そうです。ここでは、答えられません。あと、敬語も結構です」
「何か事情が?」
「あるが……」
答えられない、か。助け船を出してみたはいいものの、やはりリーシャの本音を引き出すことは出来ない。まるで、何かに恐れをなしているように、言葉を重ねれば重ねるほど固く口を閉ざしていってしまう。
これ以上話しても状況を悪化させこそすれ改善はしないだろうと考えた真広は、話をさっさと切り上げようとするが、次は真広に代わってイリックが口を開く。その口調は、相手がおとなしいせいか、どこか調子に乗っている。
「おいおい、それじゃあ君のことを信頼できる訳がないだろう」
イリックは、肩をすくめると、PCの前に移動して、「名前はイリック・ヒューズ。イリックと呼んでくれ」と背中で自己紹介をしながらタッチパネルになっている液晶を操作する。
「なぜだかわからないが怪我をしている、武器を持っているかと思えばそれとおしゃべりを始めて、挙句には自分は外から来たというけれども――」
目的のものを見つけたイリックが、モニターをリーシャに向ける。
「外から来たとしたら、これをどう説明するつもりだい?」
そう言ってPCを操作するイリック。そこに映し出されたのは、焼け野原を映した写真だった。真広たちにとっては、歴史の教科書でうんざりするほど何度も見た、外の写真だ。人類が生存をかけて引きこもる寸前に取られた写真。焼け焦げて色を失った世界に、ビルの残骸が林立している様を映したものだ。
だがリーシャは、見飽きたものとしてすぐに目を放すでもなく、つまらないものを見たと息を吐くでもなく、珍しいものを見たというように、視線をモニターに釘付けにする。きっと、今まで一度もIT機器に触れたことのない老人にパソコンを与えると、こういう表情をするのだろう。
「そうか。この世界ではそのように教え込まれているのか。やはりと言うか、私たちの常識とは大分違うようだ」
その信じがたい一言に、真広たちはまたも言葉を失う。今のリーシャの言葉は真広たちにとって、「世間の皆さまの認識とは正反対ですが、実は地球が太陽の周りをまわっているのではなく、太陽が地球の周りをまわっているのでした。すごいでしょ?」と言われるようなおのである。当然、こんなことを言われて信じる人なんかいないし、信じるとしたらよっぽどのバカか、数百年前の常識そのものが違う時代の人か、さもなければ|人と違う自分に酔っている若者《中二病患者》である。
だから、もしかしたら自分たちはキチガイ寸前のとんでもないアホを相手にしているのではないか、という思いが真広たちの頭の中をよぎったのも無理からぬことだ。いや、そういう視点から見てみれば、出会ってから今までの少女の言動全てが、中二病患者の妄想に見えてくるから不思議だ。
「なるほど。君は確かに、外から来たのかもしれない」
不思議ではあるのだが、真広はどうしても、そう頭から思い込むことが出来なかった。
「でもそれなら、一体何のためにここまで来たんですか」
別に、確証があるわけではない。ただなんとなく、そう思っただけだ。しかし、それは真広にとって、皆が呆れた目を向けるなかでさらに言葉を重ねるには、十分な理由だった。もしも勘が外れていたら、その時に諦めればいいだけのことである。
「この街は、強固な壁で覆われている。それを乗り越えてまで一体何をしに?」
マキナが管理するこの街は、外の汚染が及ばないように壁で密閉されている。その壁は放射線を防ぐためにコンクリートと鉛の複合構造になっていて、厚さ五mの壁が魔法瓶のように中空の二重構造になっている。当然それを破ればマキナに通報が行くし、そもそも破ること自体簡単ではない。もしそれを無理にでもこじ開けてここに来たというのなら、リーシャには何かかしらの目的があってしかるべきなのだ。
「すまない」
だがリーシャは、最後の希望を託した真広の言葉も、軽く受け流すだけだった。
「それもここでは詳しく言えないんだ。だがやはり、一つだけ言わせてもらうなら、あこがれの人に会いに来た、と言っておけばいいのかな?」
その人を食ったような言葉に、さすがの真広も肩透かしを食らったようになり、今度こそ彼女に対して否定的な評価を下しそうになっていた。これだけ話をはぐらかされれば、外から来たかどうか以前に、リーシャに対して良くない感情すら抱きそうになる。もしかしたらあのまま路地に放っておいた方がよかったのではないかと真広が思い始めた時だった。
「んふふーん。まあまあ。いいじゃん真広!」
クシャナが、背中から真広に抱き着いてきた。固い肋骨と柔らかい微乳の感触に、今までリーシャに向いていた意識が一気に背中に集中する。
「おっほ」
ついつい変な声を上げてしまったところで、いつの間にか全身の筋肉に力が入っていたことに気づき、こわばっていた筋肉から力が抜けていく。せっかくなのでそのままクシャナの感触を味わおうと背中に全ての神経を集中する真広だが、力を抜けたことを確認するなり、クシャナは真広の背中を離れ、今度はリーシャに歩み寄っていく。
「ん! な、なんだ?」
リーシャが驚きの声を上げ、真広が声を出しせいで全員の注目を集めてしまっているクシャナだが、そんなことはお構いなしでクシャナはリーシャの後ろに回ると、椅子事ごとリーシャの体を抱きしめる。
「おっほ」
途端に、リーシャが嬉しそうな声を出す。そう、嬉しそうな。
「ゲフンゴホン! なにをなさるんですか? ご無体な! このようなところでこんな」
しかも、取り繕えていない。
いつの間にか毒気を抜かれてしまった真広や伊織、イリックの前で、クシャナの攻撃はまだまだ続く。
「別にぃー。ていうか、リーシャちゃん本当に外から来たの? あ、わたし、クシャナ・アルケミーって言うんだよっろしくー。クシャナちゃんって呼んでね!」
そう言いながらクシャナは、猫が人にじゃれつくようにリーシャの体にますます絡みついていく。それを振り払うべきか放っておくべきか判断がつかないらしいリーシャは、結果的に動けず、クシャナのなすがままにされる。
「クシャナ、さん?」
せめてもの抵抗とばかりに、上目遣いでクシャナを見上げて名前を呼ぶが、そんなことでクシャナが止まるようならば、真広は何の苦労もしていない。
「外には食べ物ないんでしょー? なのにこんなに大きく育つものなの?」
クシャナが、リーシャの胸の下に手を入れて、手のひらに胸を乗せる。グラマラスなリーシャの体がクシャナにもてあそばれる様に、ついつい、真広とイリックの目は釘付けになる。思わぬ眼福に、ちょっとだけリーシャに感謝する二人。
「え? や、ちょ!」
が、やられている方はそういう訳にもいかない。かといって、クシャナの手を掴んで止めるのも憚られるらしく、リーシャの手は空中を右往左往し、指を握ったり開いたりする。
「いいなぁー。わたしなんかよりもずっと大きいんだもんなー。しかも太ってるってわけでもないし」
「ひゃん!」
言葉の途中で、リーシャの指に一瞬だけ、本気の力がこもる。
ああ、本人が貧しいから、ついつい本気だしたんだろうな。かわいそうに。合掌。
心が幸せになっているせいか、広い心でクシャナの行動を見守る真広とイリック。伊織も、クシャナがいじられている状況に文句はないらしく、静観を決め込んでいる。誰も止める人がいないのをいいことに、クシャナの攻撃(?)はさらに続く。
「でもさぁ、外から来ました! って口だけで言っても、信じられないんだよねぇ。ほら、食べ物ないのにこんなに育ってるし(モミモミ)」
「やめてくださ、い」
「それに、剣だって、何か調達する手段があるのかもしれないし、イリックの言ったとおり、壁はすっごく厚いんだよ?(タプタプ)」
「や……」
「怪我をしてた女の子が、こんなこと言うってことの怪しさが、分かる?(ペシペシ)」
「だから、やっ」
「って、ことで、何か証拠見せて!?(ペシーン)」
「うひ!」
「あ、どうしたの真広とイリック、前かがみになって?」
リーシャから手を放したクシャナが、こちらを振り返り、顔にニタニタ笑いを張りつかせたまま真広に絡んでくる。
騙された!
い、いやいや。別に、騙されてなんかないぞ。それに、前かがみでもない。だから、煽るみたいにこっちの顔をのぞき込むんじゃない!
別にやましいことなど何もないのだがなんとなく前かがみになっている真広とイリックの前で、さっさとクシャナの攻撃から立ち直ったリーシャは、うつむいて剣の柄を眺めながら、何かを呟いている。
「証拠、証拠……あるにはあるが、出しても……やはり賭けになるか。すでにアレがいる以上、その方がいいか? 古い記録によれば、水に……」
ふざけた雰囲気の真広たちとは違って、一人で真剣に悩むリーシャ。その空気が、騒いでいる真広たちに伝播し、徐々に場の空気が元の張り詰めたものに戻っていく。
そして、
「よし! 証拠を見せよう!」
修正と言いつつ全て書き直している今日この頃。もうすぐ終わらせて先に進めると思います。




