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「おい、佐伯」
中島が少し大きな声を出して言った。
「おまえ、ちょっと最近おかしいぞ。なにか悩みでもあるのか?」
いきなり核心に触れる質問をした。
「いや、べ、べつに」
佐伯はうつむき加減に答える。
「べつに、たってねえ。なあ加藤、なんか変だよな」
「あのなあ、いきなり悩みがあるかって、おまえどんな訊き方してんだよ。子供じゃないんだし、もうちょっと頭使えよ」
加藤は佐伯の目をのぞき込むようにして、落ち着いた穏やかな声で言った。
「ところで佐伯。おまえ、なにか重大な悩み事を抱えていやしないか? それはいったいなんだ? 女か?」
さらに直接的な訊き方で加藤は訊いた。
「ち、違うよ」
「やっぱりおんなか……」
中島は大きく頷いた。
「佐伯も年頃だからな」
「女なんかじゃないよ」
「じゃ、なんだよ?」
「そ、それは……」
色白で小太りの佐伯は顔を真っ赤にして、うつむいて、しばらく沈黙した。
「やっぱり女か」
中島と加藤は豪快にビールをあおった。女っ気なしの二人にはゆゆしき問題であった。
「佐伯に先を越されるとはな」
皮肉混じりに加藤が言った。
「まったくやってられねえよな。フランス語は落とすし」
中島はもう一回ぐびぐびやった。
佐伯は顔を上げ、口をぱくぱくさせて、
「そ、それ、ぼくのビール」
と言ったあと、
「ゆ、ゆ、ゆ」
と吃った。
「ゆ、ゆ、ゆ、て」
日に焼けた、がっしり体型の中島が佐伯の真似をした。つづいて加藤が、
「ゆ、ゆ、ゆ、ねえ。ということはゆうこか? それともゆか? あとはゆかり、ゆき、ゆみ、それからええと、ゆ、ゆ、ユンケル?」
つまらないボケをかました。中島は肉じゃがのじゃがにぶすりと箸を突き刺し、じゃがの一気食いをした。
「ゆうれい」
佐伯がか細い声で小さくつぶやいた。
「なに?」
中島と加藤は顔を見あわせ、それから佐伯を見た。佐伯はもう一度小さく、幽霊が出る、と言った。じゃがを大急ぎで飲み込んだ中島は、
「おまえなに言ってんだよ。あたま大丈夫か?」
「幽霊が出るとな。これは面妖な」
二人とも顔に満面の笑みを浮かべて座布団にあぐらをかいたまま飛び跳ねた。
「佐伯はお化けが怖くて寝不足だってよ」
「さすが、いいところのボンは違うなあ」
あまりのバカバカしさに二人はゲラゲラ笑いながら座卓を叩いた。
「おれもいっぺん幽霊見てみてえ」
「でも幽霊はデブじゃないと見られないんじゃないか」
「おれ、幽霊とか信じてるやつ初めて見た。しかも大学生」
「おれもおれも。おれなんか、ばあさんの骨喰ったことあるけど幽霊は見たことないな」
「おれのじいさんなんか、この前田舎帰ったら首吊ってやんの。でも幽霊は見たことない」
「おれの妹だって去年自殺した。でもまじ幽霊は見たことない」
「おれの母親だって……、え? まじ? それ」
「いや、うそ。だけど。おまえのは?」
「おれのも」
「そうか」
「そう」
佐伯はふてくされたような、半泣きのような顔をして屈辱に耐えていた。中島と加藤の二人は口も悪ければ性格も悪かった。しかし、それでも少しはいいところもあった。だからこそ今まで佐伯はこの二人と付き合ってきたのだし、いじめともいえる嘲笑にも耐えてきた。実際、彼らはこうして佐伯のことを心配しているのだ。たとえその大半が暇つぶしの、おもしろ半分の気持ちからであったとしても。
佐伯は決心した。
「ほんとなんだって。聞こえるんだよ」
真剣な顔をして訴えた。「ほんとに聞こえるんだって。うそじゃないから」
佐伯の目の下のくまが一段と青黒く変色した。
中島は足首をつかんで引き寄せ、座り直した。
「それでは、詳しく話を聞かせてもらおうか」
加藤も座り直して、膝に肘をついて頬杖をした。
「で、どんな感じなんだ?」
中島が訊いた。
「聞こえるんだよ。声が」
「声って?」
「女の人の」
「いつ?」
「夜遅く」
「夜中にか?」
「そりゃあれだ。よがり声だろ」
加藤が口を挟んだ。
「違うよ。だって隣は空き部屋だよ」
「じゃ、幻聴だな。病気だ。おまえは病気だ。いますぐ病院に行って診てもらえ」
加藤が身もふたもないことを言った。
「まあ、そう言うなや」
中島がさえぎり、つづけた。
「そういやおまえ、最近引っ越したとか言ってたよな」
佐伯は頷いて「そのときから」と付け加えた。
「で、その声はどんな声なんだ?」
「どんなって、すすり泣くような」
「すすり泣くような? 女のか?」
中島はピシャリと太ももを打った。
「それはなかなかいいじゃないか。まさしく女の幽霊だ。不気味で気味悪そうで、いいじゃないか。よし、じゃあ行くか」
「え?」と向かい側の二人は同時に中島の顔を見た。
「行くかって、どこへ?」
いぶかしげに加藤が訊く。
「佐伯の家に決まってんじゃん。幽霊を見に行こう。いや、聞きに行こう」
中島は今にも立ち上がらんばかりの勢いで座卓に手をついた。それを見た佐伯は慌てて腰を浮かした。
「でも聞こえるのは夜中だよ。夜の十二時くらい。今はまだ七時だし、それに」
「それになんだよ?」
「毎日聞こえるとは限らないし」
「んなことはどうでもいいんだよ。おれは見る。必ず見る。引っぱり出してでも見る。いや、聞く、だ」
中島は佐伯のビールジョッキをつかむと残っていたビールを白目を剥いて一気に飲み干した。
「よし、今日は佐伯の家で幽霊見物だ」
中島は立ち上がり、店員を探した。見つけると手招きして、
「生ビール二つ。それにさっきのまだきてないよ」
と叫んだ。
「人のまで勝手に頼むなよ」
加藤がぼそっとつぶやいた。
佐伯は壁により掛かってぼんやりと天井を眺めた。騒音と臭気が渦巻いていた。
三人のなかで中島だけが元気だった。




