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居酒屋の座敷で三人はビールを飲んでいた。
連日の記録的な暑さのためか、いつもは比較的すいているはずの店内もその日はほとんど満席状態だった。学生街にある居酒屋にもサラリーマンのワイシャツ姿が目につき、普段とは違った低い地鳴りのような騒音がこだましていた。
「おい、もっと飲めよ」
ビールジョッキを片手に中島は座卓を挟んで真向いの佐伯に声をかけた。佐伯は片肘をついたまま緩慢な動きでジョッキを口元に運び、喉仏をごくりと動かした。中島と、中島の斜め向かいの加藤はお互いに顔を見あわせ、目配せしてからぐいとジョッキを持ち上げて豪快に喉を潤した。
「しっかし暑いな」
腕をおろしながら中島が顔をしかめた。
「この店のクーラー、ぶっ壊れてるんじゃねえのか?」
彼らの定位置ともいえる座敷の左隅の席は、エアコンの吹き出し口から最も遠い場所にあった。
「じゃ、確かめてこいよ」
加藤はあごをしゃくった。
中島はエアコンの位置を確かめようと首をねじ曲げた。が、サラリーマンの赤ら顔や禿げ頭を目にすると変なものでも見たといったように片目をつぶって向き直った。
「それより今日のフランス語はやばかった」
枝豆をつまみながら中島はつづけた。
「かなりやばい。まじ」
加藤は鼻で笑って応じた。
「そりゃ講義に出てないからだろ」
「出てないどころかテキストすら」
「テキストくらい買えよ」
「いまさら仏語のテキストなんてね」
中島は吐き捨てるように「んなもん買えるかよ」と付け足した。
「じゃ、後期も落として四年まで引っ張ってってくださいよ。いくらパラダイス学部だからって選択必修の語学を取らないわけには……」
加藤の言葉が途切れ、騒音が一段と大きくなった。
中島はぬるっと枝豆を口の中へ押し込むと、にちゃにちゃと噛んで、それから勢いよくビールを喉に流し込んだ。
騒音は渦を巻くように座敷の上を旋回していた。
「おい、佐伯」
加藤の声がした。
「大丈夫か」
加藤が佐伯の肩を突ついている。
佐伯は右手でビールのジョッキを握りしめたまま額を座卓に押しつけていた。
「やっぱりちょっとおかしいよな」
中島は頷いてから、あごに手をやり、自分の空になったジョッキをじっと見つめた。佐伯はまだ半分ほどしか飲んでいなかった。だから酔いつぶれたとは考えにくい。うーむ、と中島はうなり声を上げた。
と、ちょうどそのとき店員が近くを通りかかった。
「あっ、これおかわり」
声の大きさに店員は一瞬驚いたようだったが、受け取るとカーペットの上におろし、伝票に印を付けた。その娘はまだ十代と思しきアルバイトで、少しだけいい匂いがした。中島はエプロンの腰ひもの下で揺れる丸い臀部のふくらみを見送ってから、ゆっくりと視線を元に戻した。
佐伯は上半身を起こして半ぼけ状態の顔で正面を見ていた。寝ぼけ顔というのはまさにこういう顔のことをいうのだろう。心ここにあらずという感じで、目も虚ろだった。中島はここ最近の佐伯の様子を思い浮かべた。
血色不良。生気に乏しく、口数漸次減少傾向。寝不足気味なのか目の下にくまを作っていることが多く、時折まるで物思いに耽っているかのようにぼんやりと宙を見つめている。かと思うと、はっと我に返ったようにあたりをきょろきょろ見まわしたりする。どう考えてもおかしかった。はじめは試験勉強疲れかとも思われたが、佐伯に限ってそれはないだろう、と中島も加藤も即座に断じた。一見まじめなように見えて、勉強しないことにかけては中島と双璧の佐伯だった。睡眠時間を削ってまで勉強するなどということはあり得ない。
それでは原因はいったい何だろう?
ひょっとして恋の悩み? いやいや、それは……。しかし……。
というわけで、佐伯に対する励ましと好奇心あふれる詮索とを兼ねて、前期試験の打ち上げを口実に三人で飲み会をすることにしたのだった。
三人は学部はそれぞれ異なっていたが、同じサークルの仲間だった。映画関係研究会という、なんだかよくわからないサークルに属していた。そのサークルは『映画』よりも『関係』のほうに重点が置かれているらしく、要は何でもありのサークルだった。人数は僅少、女子学生は皆無、唯一の利点はといえば学生会館に部屋があるくらいで、その昔、学生運動に力を入れていた頃の名残りだという。映画を隠れ蓑にして学生運動でもしていたのだろうが、今ではほとんどただの喫煙所&休息所と化してしまっていた。年に一度か二度、誰かが何かをして部屋を維持しているとの噂だったが、三年生の中島たちでさえ詳細は不明であった。とにかく部屋があるので誰かが勝手に入ってきて、だべったり食べたり飲んだりして自由に利用していた。中島たちを引き入れた謎の人物もいつの間にか消えていた。




