第十四話 時を刻む機械
はい!時間がかかりました!やることは決まってるのに指が動きません!!
二〇二二年 四月二五日 一六時〇〇分。
エクウス・カバリュス号、出港。
「おお……」
思わず、感嘆の声が漏れた。
視界を埋め尽くす光。絢爛豪華に磨き上げられた装飾と鏡の数々。吊り下げられた巨大なシャンデリアが無数の煌めきを反射している。全長三六五メートル、総トン数二五万トン、二十階に及ぶデッキ構造。数千人を収容するその内部は、もはや一隻の船ではない。
──海上都市だ。
視界の先には、ガラス張りで装飾されたショッピングエリア。吹き抜けの中央には緑が植えられ、小さな公園のような空間が広がっている。さらに奥にはプール、劇場、コンサートホール──人が生きるためのすべてが、この船の中に詰め込まれていた。
「すっご〜い! 大きいよぉ〜!?」
朝乃が天井を仰ぎ、背筋を伸ばしてはしゃぐ。そんな様子を落ち着いた夜が宥め、隷歌とそっと手を繋いでショッピングモールを指差した。
「私たちは買い物でも楽しみましょう? 三人は仕事ですしね」
このクルーズ船は大きく三層に分かれる。上層、中層、そして下層。下層には秘匿された会議室がある。これを知るのは一部の人間のみであり、ここを護るのが俺たち「七家」の本当の任務だ。
「俺も休み〜。チョコ買おうぜ、チョコ」
「そ・う・く・ん?」
「はい……行ってきます……」
そんなやり取りをしていると、呆れた声が投げかけられた。
「うるさいバカップルだ。重ねて四つに切り分けるよ?」
車椅子で運ばれる青髪の青年。名を**数宮殺理**。数宮家の現当主である。彼はずば抜けた才能を持つが、捜月とは幼少期から犬猿の仲らしく、顔を合わせれば場所もお構いなしに煽り合いが始まる。
殺理の車椅子を押しているのは、数宮雪雫。数宮家の長女、十二歳。
「当主の失言、お聞き流しください」
その若さとは対照的な、毅然とした振る舞い。彼女が次期当主候補であることに疑いの余地はない。
「気にしなくてもいいよ、雪雫ちゃん」
「俺らは余命幾許もない奴らだ。死なんて考え抜いたからな」
殺理と衣明は、捜月と同じく先天性の「異病」を患っている。
治療法は確立されておらず、殺理は足元からじわじわと筋肉が硬直する病に侵されている。捜月は心臓に穴が、衣明も同様に肺の穴が時間と共に広がっている。今、彼女がここまで元気でいられるのは、捜月と殺理が共同開発した薬があるからだ。二人の協力がなければ、この奇跡は成し得なかっただろう。
「少し時間を貰うよ、零人」
殺理が口にした途端、空間のすべてが数字に姿を変え、羅列される数が地平線の彼方まで続く光景に息を呑む。
淡々と、しかし日常的な表情で殺理は告げた。
「正義とは、過ちを犯すことでもある。すべてが正しいことなどないんだよ」
「……」
言葉に詰まる。胎児を殺してから、何度もあの日の記憶がフラッシュバックする。
向日葵に似たあの子の姿が頭にこびりついている。朝乃が隷歌に見せていた動画の蝉の鳴き声さえ、ナイフを振るった感触を思い出させるには十分だった。
俺はそれほど疲弊しているのだ。あの日の後遺症が、否応なしに記憶を抉る。
「何度……声を枯らせば、君に真の意味で言葉が届くのだろうなぁ?」
「ごめんな。心配かけて」
「……捜月に言え。ボクは余命があと半年かそこらだ。十一月には消える。頑張れよ」
正直、彼らが分からなくなることがある。生命として「生きる」ことは最優先事項のはずだ。
だが彼らは、最期のゴールテープが目前に迫る状況下で、それでもなお他者のために命を懸ける。
俺たちもいつ死ぬか分からない。けれど、逃げられない「終わり」を見据えている彼らの心情は、一体どんなものなのだろうか。
ふと、殺理が着けている腕時計が目に入った。
「なぁ、それって──」
「ん? ああ、最新モデルだね。雪雫が誕生日に買ってくれたんだ」
嬉しそうに時計を撫でる姿に、思わず声が出た。
「良かったな。時計、好きだもんな」
「もうじき必要なくなるんだがねぇ」
その自虐的な言葉に、彼の真意が少し分かった気がした。『すべてが正しいことなどない』には、この腕時計も含まれている。余命僅かな自分へのプレゼントは非合理的だが、それは兄の心を生かす原動力になっている……ということなのだろう。
パチンッ! と殺理が指を弾く。視界は元の豪華な船内へと戻っていた。
「そうそう。この船には、捜月の馬鹿がパイプオルガンを載せたから、気分転換に聴いてくるといい」
「ありがとうな、殺理」
「礼には及ばんよ。コンサートは二時間後に始まる。それまで、妹たちと遊んでくるといいさ」
穏やかに笑う彼の姿は、久々に等身大の青年に見えた。
「隷歌、兄ちゃんと一緒にコンサートに行かないか?」
「行く。でも、零人お、お兄ちゃん……大丈夫なの……?」
恥ずかしいのか、両目をぎゅっと瞑り、消え入りそうな声で呼ぶ隷歌。俺はその頭を優しく撫でた。
「大丈夫だよ。じゃあ黒兎、コンサートが終わったら予定通りみんなを頼む」
「はいはい」
去り際、隷歌が雪雫にぎこちなく手を振った。雪雫は少し頬を緩め、深く頭を下げた。殺理もその妹の姿を見て、屈託なく笑っていた。
「まったく、何度見ても愉快な仲間たちだね、捜月」
「ハハハ、よく集めたろ。俺の家族だ!」
隷歌と手を繋ぎ、久々に笑うことができた零人の脳裏に、幼い少女の歌声が木霊する。
それは幼い頃に耳にした、正義を語る優しいあの子の願い。
──『聴いてください。始まりの歌』
なぜこの瞬間に思い出したのか、自分でも分からない。だが、きっと彼女も《おれ》に向けた感情は、今の俺と同じようなものだったのだろうか。
「嬉しそうだね、零兄ぃ」
「ん? ああ……昔のことを思い出したんだ」
十一年前、俺は山奥の施設にいた。記憶は断片的だが、今でもふっと思い出すものがある。
懐かしい少女の歌声、底の見えない深い飢餓。そして、誰かと見た北極星を中心とした星々の輝き。
すべてが美しく、今となっては「笑える思い出」とは言えない。けれど、俺は今、確かに生きている。──彼女の意思と共に。
第二章豪華客船編……設定するの忘れてた……。
さてさて、ようやく船に乗りましたね。一章の使い捨ての弾丸編とはうってかわり、キャラクターの暗い過去や、テーマである『常識』と『手を繋ぐ』事に対する意味を見てくれると嬉しいです。
メタファーなんかも考えてくれてもいいだよ?




