01 柳橋美湖 『アッシャー冒険商会 43』
〈梗概〉大航海時代末期、英国冒険貴族ファミリーが織りなす新大陸冒険活劇。掌編連作。今回は、植民地総督を仏軍の刺客が襲撃。情報を得たアッシャー家三人衆が立ち向かう! お話。
43 復活
――ロデリックの日記――
ボストンの夜は、塩害を含んだ霧を漂わせていた。
マサチューセッツ総督私邸。その二階の書斎で僕は、懐中時計の針が刻むリズムに耳を傾けていた。アッシャー冒険商会に持ち込まれた「植民地政府からの極秘依頼」――それは、開戦して間もない敵国、フランスのカナダ植民軍が放った刺客を、こちらの都合の良い戦場で「処理」せよという、歪な自己矛盾の解決であった。
「ロデリック様。密偵の報告によれば、標的の侵入経路は西側の庭園、時刻は午前二時零分。誤差は三十秒以内かと」
背後に立つ執事、アランの声には、感情の機微など微塵も混じっていない。彼はすでに、私が設計した迎撃陣形に合わせ、施設騎兵たちの配置を完了させていた。
「アラン、フランス植民地軍、ルイ・ド・ボーマルシェ中尉は軍人としては優秀だが、戦術パターンが意外に短調だ。この霧こそが、奴の判断を狂わせる最大の要因となるだろう」
僕は傍らに置かれた家宝の〝ルトゥール〟の柄に手をかけた。
視線を転じれば、窓辺に立つ妻のマデラインが、漆黒のドレスを翻して微笑んでいた。彼女の瞳には、常人には見えぬ「色のない炎」が宿っている。
「ねえ、旦那様。敵刺客を逃がしてはまずいことに。ここでお片付けして差し上げませんこと?」
「ああ。だが、彼を動かしているのは、手引きした身内である植民地議会の議員、リチャードソンだ。枝葉を刈るだけでは、根を腐らせることはできん」
午前二時。霧の向こうから、軍靴が草を踏む音がした。一、二……全部で十二。
彼らは、総督私邸がすでに死の檻へと変貌していることに気づいていない。
「……撃て!」
僕の号令のもと、庭園を囲む石壁の影から、施設騎兵たちの放つ一斉射撃が夜の静寂を切り裂いた。
悲鳴と硝煙。フランス軍の精鋭たちは、自らの立ち位置がすでに死角であることに絶望しながら崩れ落ちていく。その混乱の渦中、一人、異常な反応速度で弾丸を回避し、邸内へ突入してくる影があった。ボーマルシェ中尉だ。
奴は白兵戦用のサーベルを抜き、階段を駆け上がる。その動きは、まるで何かに取り憑かれたような、不自然なまでの鋭敏さを伴っていた。
「アッシャーの化け物どもめ! 新大陸の未来を、貴様らのような得体の知れぬ商人に委ねはしない!」
書斎の扉が蹴破られ、中尉が飛び込んだ。だが、そこにアランが投じたナイフが飛んでくる。
「ぐっ……!」
中尉の肩に銀の刃が突き刺さった。さらにマデラインが舞うように、間合いを詰めてくる。彼女の動きには幻惑効果があるらしい。中尉は平衡感覚が狂ったようだ。
「終わりだ、ボーマルシェ中尉。君の暗殺のマニュフェストは見切った」
僕が剣を奴の喉元に突きつけた、その時。
階下から、不快な……まるで古い羊皮紙が裂けるような笑い声が響いてきた。
「流石はアッシャー会頭。素晴らしい。だが、この劇の幕を下ろすのは、貴方ではない」
その声の主を、私は知っている。ボストンの闇を金で買い占める富豪、リチャードソンの手の者だ。
*
不快な声の主は、書斎の影から現れた。富豪リチャードソンが飼っている、人買い上がりの私兵たちだ。彼らは総督府の警備に紛れ込み、この場に毒を撒く機会をうかがっていたらしい。
「旦那様、敵の新手。一度退きましょう」
マデラインの警告と同時に、床に投げ込まれた煙幕弾が炸裂した。ただの煙ではない。硫黄と、何らかの腐敗した有機物の臭気が混じる目くらましだ。
咳き込むアランを庇いながら、僕は霧の向こうを見据えた。ボーマルシェ中尉の気配が、僕の配下たちによって、追い立てられていった。
「逃がすか……!」
僕は開いていた窓から、中庭へと飛び降りる。足首に響ジーンときた。そこで散っていた配下の者たちを招集。
「全員、ボストン港の第四桟橋へ向かえ。敵の脱出経路はすでに計算済みだ。あそこには、リチャードソンが密航用に手配したスクーナー船が停泊している」
馬を飛ばし、深夜のボストンを疾走する。石畳を叩く蹄の音が、迫りくる破滅へのカウントダウンのように響いた。
潮の香りが強まり、立ち並ぶ倉庫の影が巨人のように行く手を遮る。桟橋にたどり着いた時、そこにはすでに帆を上げた黒い船体があった。
甲板の上、血の気が引いた顔でこちらを睨むボーマルシェ中尉が見える。その傍らには、漆黒の外套に身を包んだ男が立っていた。リチャードソンの代理人だ。
「アッシャーの当主よ、無駄な足掻きだ。中尉はカナダに帰還し、そこで新たな『火種』となる。君たちに勝算はない」
「計算式にないだと?」
私は馬を止め、懐中時計を一瞥した。
「リチャードソンは一つ、致命的な読み違えをしている。僕が奴を追い詰めたのは、殺すためじゃない。奴を手の内で操るためだ」
中尉が震える手で銃を向けたが、引き金を引くよりも早く、マデラインが詠唱にも似た囁きを漏らした。
海面が不自然に隆起し、船体が大きく傾く。
「……何が起きた!?」
中尉の叫びを、冷たい海風が掻き消した。船は波に弄ばれながら、沖合へと逃れるように滑り出していく。アランが私の隣で静かに告げた。
「ロデリック様、追撃しますか? 今ならまだ、ガイドの銃火で沈めることが可能です」
「不要だ、アラン。奴はカナダへ逃げ帰り、リチャードソンの罪状を暴露する呼び水となりうる」
遠ざかる船影を見つめながら、僕は鞘に収めた魔法剣を撫でた。微かな熱が、指先に勝利の感触を伝えている。
逃がしたのではない。放流したのだ。
カナダの凍てつく大地で、彼がどのような怪異を呼び覚まし、それが巡り巡ってボストンの富豪をいかに破滅させるか。
「さあ、帰ろう。冷たい紅茶を淹れてくれ」
私は背を向け、闇に沈む街へと歩き出した。背後では、ただ不気味に静まり返ったボストン港が、逃亡者の孤独な航跡を飲み込んでいた。
〈登場人物〉
アッシャー家
ロデリック:旧大陸の男爵家世嗣。新大陸で〝アッシャー冒険商会〟を起業する。魔法貴族、〝怠惰の女神〟ザトゥーが守護女神た。
マデライン:男爵本家の養女を経て、世嗣ロデリックの妻に。一子ハレルヤを産んだ。
アラン・ポオ:同家一門・執事兼従者。元軍人。マデラインの体術の師でもある。
その他
ベン・ミア:ロデリックの学友男性。養子のアーサー〝胡桃屋敷〟に暮らしている。幼馴染に神出鬼没のレディー・ティターニアがいる。
シスター・ブリジット:修道女。アッシャー家別館で診療所を営み童女ノエルと暮らす。




