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04 奄美剣星 著 『エルフ文明の暗号文 27』

【梗概】飛行型甲殻虫の空襲で内港が壊滅す。将兵33万脱出計画を担うシナモン少佐は防波堤を接岸地点に指定。さらに軍用トラックを沈めた「鉄の桟橋」を考案し、救出効率を劇的に高める。

     27 成長


「……なるほど。干潮のうちに車両を波打ち際へ縦列駐車させ、その上に足場板を敷き詰めるというわけか。満潮になれば駆逐艦クラスも接岸できる。一度に数百人を回収できる計算だな。――相変わらず、恐ろしいほど冴えた頭脳だ」

 受話器越しに響くドンファン殿下の声には、隠しきれない感嘆が混じっていた。

 視線の先では、軍用トラックを幾重にも積み上げた異形の「鉄の桟橋」が、工兵たちの手によって形を成しつつあった。本来ならば打ち捨てられるはずの鉄屑を、数万の将兵の命を繋ぐ「希望の道」へと変える。これこそが、かつてコンウォールの才媛と謳われたレディー・シナモン――シナモン少佐の真骨頂であった。

 殿下は満足そうに一つ息をつくと、チェスの駒を進めるような気軽さで話題を切り替えた。

『ときに少佐、朗報がある。この撤退作戦に、本国から空軍の新型機二百機が支援に回ることになった』

「迎撃機を二百機、ですか?」

 即座に問い返すシナモンの表情は、依然として険しい。彼女の脳内では、常に冷徹な数式が弾き出されている。

「レーダー観測班と偵察機の報告から算出した推定値では、敵の飛行型甲殻虫はおよそ一千体。……数的に圧倒的に不利ですわ。旧態依然とした二百機で、一体何ができますの?」

『まあ、そう言うな。僕にも秘策というものがあるのだよ』

 殿下の言う「秘策」。それが新型機の性能以上に、甲殻虫の生態を逆手に取った「不気味な周波数」の解読装置であることを、彼女たちが知るのは数時間後のことになる。

 その時、頭上を銀翼の群れが通過した。甲殻虫の不快な羽音を切り裂くような、鋭く高いエンジン音が鼓膜を震わせ、砂浜に長い影を落としていった。


 同日、二十時。

 戦況は一変した。ヘラクレスオオカブトムシを彷彿とさせる巨躯を持つ「野砲型甲殻虫」が、その角を天に向け、粘着質の体液を纏った榴弾を雨あられと降らせ始めたのだ。

 爆発の衝撃で砂が舞い上がる中、一隻の快速汽船が水柱を割って強行入港してきた。重たい無線機を背負った通信兵が、泥にまみれながら叫ぶ。

「報告! 快速汽船、仮設桟橋に接岸! 現在、第一陣五十名を収容中です!」

 シナモンは、地図を押さえる指先に力を込めた。

「接岸を急がせて! 潮が引き始める前に、一人でも多く」

 しかし、通信兵の顔が苦渋に歪んだ。受話器から漏れる怒号を必死に聞き取り、彼は絶望を告げる。

「……ダメです! 港湾責任者から直命。敵の射程圏から離脱せよ、と! 本船は一旦、沖合一キロへ退避。以降の回収は、ボートによるピストン輸送に切り替えるそうです!」

「ボートですって? それでは効率が悪すぎますわ。……夜が明ければ、空からの餌食になるだけですのに」

 彼女は唇を強く噛んだ。その横顔には煤煙と泥が混じり、気品あるモスグリーンの軍服は、戦場の汚泥に黒く汚れきっていた。だが、その瞳に宿る知性の火は、吹き荒れる砲火の中でも決して消えてはいなかった。

 それからの作業は、まさに遅々として進まぬ地獄の引導だった。暗闇の海を四艘のボートが往復するが、一艘が敵の至近弾により行方不明になる不運にも見舞われ、収容できたのはわずか二百名に留まった。

 だが、その停滞を打ち破ったのは、天を駆ける二百機の「猟犬」たちだった。

 洋上をゆく新型迎撃機の脚部には、奇妙な風車型のサイレン機が取り付けられていた。そこから発せられるのは、飛行型甲殻虫が求愛の際に翅をこすり合わせて出す特定の周波数――かつてシナモンが古文書から導き出した仮説を具現化したものだ。

 偽りの求愛歌に誘われ、暗雲のごとき甲殻虫の群れが、本能に突き動かされて洋上へと引きずり出される。そこには、牙を研いで待ち構える四十隻の駆逐艦隊がいた。

「全艦、対空斉射開始!」

 漆黒の海上で、無数の火線が交差した。対空砲火の網に捉えられた甲殻虫たちは、次々とその硬質な翅を砕かれ、黒い雨となって海面へと沈んでいった。

 一方、陸上でも絶望的な防衛戦が、科学の力によって「虐殺」へと塗り替えられていた。

 ダンケルクの市街地を囲む運河。そこを最終防衛線とした友軍は、岸辺に野戦砲と対空砲を隙間なく並べ、文字通りの要塞へと変貌させていた。さらにその前面には、幅二百メートルに及ぶ広大な地雷原が横たわっている。

 押し寄せる甲殻虫の大群は、まず地雷の連鎖爆発によってその脚を奪われ、肉塊へと変えられた。生き残った個体も、防衛線の火砲による容赦ない掃射の前に、その自慢の甲殻を無残に散らしていく。この時点で、敵の主力であった重戦車型甲殻虫の大半が、鉄の残骸に等しい状態へと追い込まれていた。

 これらすべての反撃の根幹には、ある発見があった。

 以前、古代エルフの都城遺跡で発掘された、水力式コンピューターと甲殻虫製のレコード盤。本国王立アカデミーに送られたそれらの解析結果は、レディー・シナモンの仮説を完璧に裏付けたのだ。

「彼らは、意志ではなく『旋律リズム』で動いている」

 戦場に響く砲声の裏で、彼女は確信していた。この戦争は、勇気の衝突である以上に、周波数を巡る情報の奪い合いなのだ。

 泥にまみれたシナモンは、再び受話器を手に取った。 ⤵


 黄金の髪を煤に汚しながらも、シナモン少佐の眼光は鋭く前方を射貫いていた。

「今です! 通信兵、洋上待機の全艦船へ信号。防波堤および仮設桟橋に強行横づけさせなさい。一分一秒を惜しむのです!」

 夜十一時。甲殻虫の第一波が弾切れ――あるいは生物的な限界――によって一時的に止んだ。その一瞬の空白を、彼女は見逃さなかった。

 漆黒の海面に、駆逐艦四十隻と、白く塗られた客船や病院船が滑り込む。さらにその隙間を埋めるように、漁船、ヨット、徴用されたはしけなど八百隻もの小型船舶が、満ち潮に乗って「鉄の桟橋」へと殺到した。

 それは、巨大な内燃機関のピストン運動を思わせる、狂気じみた移送作業だった。日付が変わる頃には、数千、数万の将兵が、泥にまみれた長靴で甲板を踏みしめた。

 午前三時。船団は重い波を切り裂き、自由の地・ドーバーへと針路を向けた。

 だが、撤退の歓喜に、冷水を浴びせる悲報が飛び込む。

「緊急入電! 先行した汽船が、〝トンボ型〟の巨大な特殊個体』急襲を受けました!」

 通信兵の悲鳴が作戦室に響く。

「直撃か?」

「……いえ、直撃は免れましたが、超高速飛来による至近弾……その水柱の衝撃で竜骨が破断! 本船、沈没します!」

 場に絶望が立ち込めた。冷たい夜の海に投げ出されれば、重い軍装を纏った兵士たちに助かる術はない。しかし、夜明け前の深淵で、奇跡は起きた。

 SOSを傍受し、現場へ全速で舵を切った者がいたのだ。乗員わずか十三名の、錆びついた不定期貨物船である。

「貨物船、現場到着! 溺れる撤収兵を、ほぼ全員救助したとのことです!」

 通信兵の報告に、シナモンは初めて安堵の息を漏らした。執拗に追いすがる飛行型甲殻虫に対し、貨物船の老練な船員たちが放った曳光弾の筋が夜の闇を裂き、異形の怪虫を次々と撃ち落としたという。

 歓声が沸き上がる作戦室で、私はモスグリーンの戦闘服をまとった淑女の背中を見つめていた。埃まみれのその背中に、私は人類の底力を見た。どれほど強大な「虫」がそのあぎとを鳴らし、絶望を撒き散らそうとも、サピエンスが土壇場で見せるこの「生への執念」までは焼き尽くせはしないのだ。

「少佐、三十分後には数千規模の第二波が押し寄せます。……これが最後です。駆逐艦に乗船いたしましょう」

 私の進言に、レディー・シナモンは黙って頷いた。彼女は泥にまみれた軍服の裾を翻し、フランクリン将軍も乗艦している、最後の駆逐艦へと飛び乗った。


 六月四日、午前三時四十分。

 殿しんがりの将兵を収容し、最後の一隻となった駆逐艦「シカリ」が、傷ついた波止場を離れた。

 後で知ることになるのだが、この駆逐艦はすでにミッションを果たしており、艦長は海軍主催の祝賀会に出席するところだった。そこを未だに空中空母で指揮を執っていたドンファン殿下が、艦長以下乗員にな気を入れ、最後までダンケルクに残っていたフランクリン将軍とレディー・シナモンの救助に向かわせたとのことだ。

 だが、海はまだ我らを放さなかった。高波を切り裂くシカリの艦底を、鋼鉄をも噛み砕く巨躯が、音もなく潜航して追っていたのだ。体当たりで艦を沈めんとする、水中特化型の刺客。艦長はその殺気を敏感に察知した。彼は臆することなく伝声管へ怒号を飛ばす。

「爆雷、投下!」

 艦尾から放たれた鉄塊が海面を叩く。刹那、海面が猛烈に盛り上がり、巨大な水柱が天を突いた。凄まじい衝撃波と重低音が深淵を揺るがし、海水を凶器へと変えて潜航する怪物を圧し潰す。

 震天動地の爆砕音が止んだ後、白く泡立つ海面に浮かび漂っていたのは、鋼の破片ではない。鈍く光る甲殻の欠片と、触覚、引き裂かれた異形の肉塊であった。

 ――海老に似ていたな。新型か。

 海中に潜む甲殻虫は、強固な鎧ごと粉砕されたのだ。

 このとき頭上でエンジン音が響いているのに気づく。甲板から見上げれば、銀翼の水上偵察機が、別れを告げるように旋回している。先日、瓦礫の聖堂で、敵第五局のアベラールの銃口から我らを救い出してくれたバティスト大尉。その人の愛機だった。

 遠ざかってゆくダンケルクの街を、私はいつまでも遠望していた。軍用トラックを積み上げて築いたあの「鉄の桟橋」も、今や重い波に洗われ、その役目を終えようとしている。

 当初、副王府参謀本部が予測した救出可能兵員は、絶望的にも四万人とされていた。しかし、フランクリン将軍の不屈の指揮と、レディー・シナモン少佐の冴え渡る知略、そして名もなき船乗りたちの勇気が、その数字を十倍近くにまで塗り替えた。

 救出された将兵、三十万人。それは、虫けらのように踏みにじられる運命を拒絶した、人類の輝かしい反撃の序曲であった。


                                続く

【登場人物】


01 レディー・シナモン少佐:王国特命遺跡調査官

02 ドロシー・ブレイヤー博士:同補佐官

03 グラシア・ホルム警視:新大陸シルハ警視庁から派遣された捜査班長

04 バティスト大尉:依頼者

05 オスカー青年:容疑者。シルハ大学の学生。美術評論家。

06 アベラール:被害者。ジャーナリスト。洗濯船の貸し部屋に住む。

07 エロイーズ:被害者。アラスの寄宿学校教師。アベラールの妹。

08 シャルゴ大佐:シルハ副王領の有能な軍人。

09 フルミ大尉:ヒスカラ王国本国から派遣された連絡武官。

10 トージ画伯夫妻:急行列車ラ・リゾンで同乗した有名人。

11 サルドとナバル:雑誌社〈ラ・レヴュ〉報道特派員。記者とカメラマン。

12 フランクリン将軍(大将):ヒスカラ王国海外領土シルハ副王国駐留軍総司令官。


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