安全保障のジレンマ・・・
まえがき
本稿は、現在のイラン情勢や軍事衝突について断定的な解釈を行うものではない。また、ここで述べる内容が実際に現在の状況へ当てはまっていると主張するものでもない。
あくまで国家が置かれる地理的・戦略的条件と、安全保障上の行動原理について考えるための思考実験としてまとめるものである。
この思いをまとめたいところから始まっている
その国、地域がある場所において、どうやっても戦略的拠点となる場所が存在し、それはその国を縛る事象になっている・・
それはイランなどの中東では原油が取れることにより、有益に作用すると考えられ始めた、近代史において、国がいつでも略奪を生む構造になっているとかんじる・・・
それはいい悪いではなく
自分を守るのは武力でしかなく、それは災厄自衛のための核を持つという発想になる・
ただ、イランほどの太国なら核ミサイルを購入することはたやすく感じ、それをしないことを考えると、それは他国を攻撃したいのではなく、自国を守りたいという結論が導き出される、簡単に考えているだけだが・・
それをどの国も否定することはできない・・・
それは生きるために行っていることなので・・
1. 国には避けられない地理的宿命がある
ある地域には、歴史的・戦略的に重要にならざるを得ない場所が存在する。
例えば、
中東の石油地帯
海上交通の要衝
資源が豊富な地域
大国同士の緩衝地帯
などである。
そこに住む国々は、自ら望まなくても国際政治の中心に引き込まれる。
「その国が重要なのではなく、その土地が重要なのである」
という側面がある。
2. 資源や戦略的重要性は利益と危険を同時に生む
石油は豊かさを生む。
しかし同時に、
外国の干渉
侵略
政権転覆工作
経済制裁
などの対象にもなる。
「価値があるから狙われる」
という構造が生まれる。
これは善悪ではなく、国家間の力学として繰り返されてきた。
3. その結果、国家は自衛を最優先に考える
国家にとって最大の目的は、
生き残ること
である。
民主主義か独裁かより前に、
国家が消滅しないことが優先される。
軍隊を持つ
ミサイルを持つ
同盟を結ぶ
核抑止力を求める
という発想が自然に生まれる。
4. イランの核問題もその文脈で理解できる
「イランは世界征服をしたいのではなく、自国が攻撃されない保証を欲しているのではないか」
という見方だと思います。
実際、
イラン は長年制裁を受けてきた
周囲には核保有国が存在する
外部から軍事的圧力を受けることもある
「核は攻撃のためではなく抑止のためだ」
という論理は、イラン側から見れば十分成立しうる。
5. しかし他国もまた同じ論理で動く
一方で、
アメリカ合衆国
イスラエル
サウジアラビア
などから見れば、
「防衛目的と言われても、本当にそうかは分からない」
という問題がある。
核兵器は持ってしまえば攻撃にも使える。
だから相手が防衛目的だと言っても警戒する。
6. これが安全保障のジレンマ
ここで起きるのが、
安全保障のジレンマ
である。
A国は自衛のために武装する
B国は脅威だと感じる
B国も武装する
A国はさらに不安になる
すると、
誰も戦争を望んでいなくても軍拡が進む。
つまり、
「自分を守るための行動が、相手には攻撃準備に見える」
のである。
まとめ
国家には、その土地が持つ地理的条件や資源によって、戦略的な拠点とならざるを得ない場所が存在するように思われる。
それは国家の意思とは無関係に、その地域を国際政治や大国間の競争へ巻き込む要因となる。
中東における石油資源はその一例であり、豊かさを生み出す一方で、外部からの干渉や争奪の対象にもなり得る。
その結果として、国家は生き残るために自らを守ろうとする。
軍事力の保持や同盟の形成、さらには核抑止力を求める発想も、その文脈から生まれる可能性がある。
この視点に立つならば、核開発や軍備増強は必ずしも侵略意思のみから生じるのではなく、自国の存続を確保しようとする行動として理解できる場合もある。
しかし同時に、他国もまた自らの安全を守ろうとするため、防衛目的の軍備であっても脅威として認識される。
ここに、安全保障のジレンマが生じる。
自国を守るための行動が、結果として相手国の警戒心を強め、さらなる軍備増強や対立を招く可能性がある。
あとがき
もちろん、以上の考察は一つの思考実験に過ぎず、現実の国家や紛争の動機を説明し切るものではない。
また、これらの考え方が現在のイラン情勢や中東情勢にそのまま当てはまると断定することもできない。
ただし、もし国家が生存と安全確保を最優先に行動する存在であるならば、自衛のための行動が相手国の不安を増大させ、その結果としてさらなる対立や軍備増強を招くという安全保障のジレンマは、今後も繰り返し現れる可能性がある。
皮肉なことに、平和や安全を求めて行われた行動そのものが、別の不安や緊張を生み出してしまうこともあるのかもしれない。
その意味で、この問題は善悪だけでは語れない、人間社会と国家の根源的な課題の一つであるように思われる。




