創作への思い
私はこれまで、さまざまな題材について考えてきました。
AI。
シェルター。
核抑止。
富豪。
国家。
企業。
株主。
社員。
一見すると、それぞれまったく違うテーマに見えます。
しかし振り返ってみると、私はいつも同じ問いを追いかけていたように思います。
人間は恐怖から逃れるために仕組みを作ります。
危険から身を守るために法律を作り、組織を作り、技術を発展させます。
より安全に。
より効率的に。
より合理的に。
より完璧に。
それ自体は決して間違ったことではありません。
むしろ文明の発展とは、その積み重ねだったのでしょう。
しかし私は、ときどき不思議に思います。
私たちは何のために、それほどまで完璧を求めているのでしょうか。
完璧な安全を求めれば、人間は信用できない存在になります。
完璧な効率を求めれば、人間は無駄な存在になります。
完璧な管理を求めれば、人間の自由は不確実性として扱われます。
そして完璧な判断を求めれば、人間の意思そのものが不要になるかもしれません。
そこに悪意はありません。
誰も世界を滅ぼそうとしているわけではありません。
むしろ誰もが世界を良くしようとしている。
だからこそ私は怖いのです。
人類を脅かすのは悪意ではなく、善意と合理性の果てにあるのではないかと。
もし、あらゆる問題が解決された世界が訪れたとして。
もし、あらゆる危険が管理された社会が実現したとして。
そのとき私たちは、本当に人間らしく生きているのでしょうか。
私の作品に登場するAIも、国家も、企業も、シェルターも、その問いを映し出すための鏡に過ぎません。
私が書きたいのは技術ではありません。
終末でもありません。
権力でもありません。
悲劇でもありません。
私が書きたいのは、人間です。
完璧さと人間らしさは両立できるのか。
人類は安全を求めながら、人間であり続けることができるのか。
その答えを私は知りません。
だからこそ、物語を書き続けるのだと思います。
あとがき
同じようなことを同じようにこれからも書いていくと、思います・
前回書いたものを全く見ずに・・・
それは全く同じようなことが書かれている可能性が否定できません・・・
それはこの場を螺旋階段という思考の場として使用しているで
読者の方はまたかといって、スルーしてもらえるとありがたいです・・・




