雲を払って(5/5)
「は⋯⋯?」
カームの剣が、ソウラの刀が俺の心臓を斬る直前で止まった。いや、止められた。何に?俺はこのまま息果てるつもりだった。一体何が。
『黒き衣』がモルアを失ってから初めて解除された。黒の装束が消え、モルア、カームとともに過ごした日々の服装に戻る。戦士足らぬ粗末な服。しかし敵と己の血でぬれた服だ。カランと音がして、俺の命を繋ぎ止めたものが落ちた。それを見たカームが目を見開く。
「どう、して」
「馬鹿野郎⋯⋯」
過去の自分を罵る。虹色水晶のナイフ。幸せの一幕が、虹色水晶のナイフを作った時の記憶がよみがえる。
『どうだろうなぁ。だけど俺とモルアの子だ。きっと出来のいいすごい子になるぞ』
『親馬鹿なんだか。それに私には無いの?』
『ごめんなぁ。このナイフ、使えるのは俺とカームだけなんだ。まぁ男だけの友情かロマンってやつだな。うらやましいだろ』
『もうっ!』
「男だけの友情かロマン」。そうだ。虹色水晶のナイフは二本あった。俺に一本。カームに一本。モルアには分からない男の世界。男のロマン。そんな馬鹿なことを考えていた。本当に馬鹿だ。昔の俺も、そのことを今の今まで忘れていた俺も。
どうして捨てておかなかった。こんな、親子だと証明するようなものを、なぜ。これでは、ここまで『死神』として戦ってきた意味がないじゃないか。こんな後生大事に胸に潜ませておく必要なんてなかっただろうが!
「まさか⋯⋯」
カームの声は震えている。俺と同じ灰色をした瞳が俺を見る。頼む。気づくな。気づかないでくれ。言わないでくれ。ではければ俺は⋯⋯。
「とう、さん?」
カームの剣が俺の体から抜け、手からも滑り落ちた。ソウラの刀も体から抜ける。俺は崩れ落ちた。
「父さん、なのか。まさか、いや⋯⋯そんなことって」
カームは事実を否定するように何度も首を振る。
「そういえば、カームとあなた。顔がよく似ている」
「あ⋯⋯」
顔は何度か斬られた。そのせいで古びた包帯も解けて落ちていた。ああもうこれで言い逃れできない。
「答えて、下さい。あなたは⋯⋯僕の」
「すまない」
俺は一言だけ答えた。それが全てだった。
なんてひどい男だろう。何が神童。何が歴代最強の黒の騎士。何が『死神』。俺はただの息子に守り通すべき隠し事一つできないだけの大馬鹿野郎だ。
崩れ落ちた俺から流れる血は止まらない。このまま死のう。もう、これ以上カームを苦しめないように。
「何へこたれてんのよ。あんたは」
誰かが俺の肩に手を置いた。温かい光が俺を包む。ゆっくりと傷が塞がっていく。顔を上げるとそこにいたのは精悍な顔つきをして、分厚い唇に真赤な紅を塗った男。ピチピチの服を着た2メートルを優に超す巨漢。
「ウィース⋯⋯」
「傷は塞がったわ。立ちなさいヌーベス。お父さん、なんでしょう?遠くから話は聞いていたわ」
パンとウィースが俺の背中を叩く。目の前には呆然とするカームとウィースを警戒するソウラの姿。カームの灰色の目と、俺の灰色の目が合う。
「⋯⋯あ」
「カーム」
名前を呼んだ。だが俺に何をしろと言うのだろうか。こんな空っぽで、無為な時間を過ごしただけの愚かな男に、俺が息子にかける言葉なんてあるのだろうか。俺にあるのは身に余る武力だけ。人を殺すだけの殺戮の技術だけなのに。
空を見上げる。晴天がどこまでも広がっている。けれど真上に居座る太陽のところにだけ雲がかかっていた。そして俺は見つけた。
「そうか」
俺には殺戮の技術しかない。平和のため、モルアのためにと鍛え、しかし平和を為せずに、モルアも、カームも守ることができなかった力しかない。けれどまだその力が残っている。俺には人を殺すことしかできなかった力が。けれどカームなら。全てを乗り越えて俺の元までたどり着いたカームなら。
「⋯⋯昔の俺ならこういうんだろうな」
「え?」
「親子同士の戦い。男のロマンだ」
戦場の中心に水晶の舞台が咲いた。
「これは⋯⋯」
「すまない。俺にはこうすることくらいしかできないんだ」
『黒き衣』を発動する。その形は『死神』としての黒装束、ではない。初めて『黒き衣』を使った時と同じ、全身を覆う鎧に形を取った。今まで使っていた剣は折れた。だが俺にはモルアからもらった憎悪すべき、大切な剣がある。
「『白き剣』発動」
『死神』の黒装束は『黒き衣』と『白き剣』が混じり合って作られていた。ならば『黒き衣』が元の姿に戻った今、『白き剣』も違う姿を取るはずだ。
俺の手に白い薄絹が幾重にも重なって、風に靡きながら剣の形を為すものが現れる。これこそが本来俺がモルアから継承した『白き剣』の姿。これこそが壊れた俺の心が取った『黒き衣』の一部分ではない本当の姿か。
透明な水晶で戦いの場を作る。これからのことを誰にも邪魔されたくなかった。中にいるのは俺とカーム。そしてウィースとソウラの4人だけだ。半球状に囲まれた水晶の世界をウィースは物珍しそうに眺めている。
「これで、最後だ」
「と⋯⋯あなたは」
さすがに父さん、とは呼んでくれないか。
「この戦いを亡き妻モルアに捧げる」
カームが息を止める。
「ヌーベス。参る」
『白き剣』を構える。
「⋯⋯カーム。参ります」
大きく息を吸ってカームが剣を構える。
「行くぞ!」
最期の戦いを始めよう。
始まりと同時に俺は『白き剣』を大きく横薙ぎに振った。『白き剣』の使い方は発動した時に頭が理解している。薄絹の剣は薄く伸び、斜めに大きな剣閃が奔った。カームはしゃがみ込んで回避する。そのまま加速。カームが俺の懐に迫る。
そうはさせない。カームの進行方向に水晶を生やす。六角形状の尖った水晶がカームの腹に突き刺さる。
「くあ⋯⋯」
〈風よ〉
後方に飛んだカームに追撃。生やした水晶を触媒にカームのいる一帯を包み込むような風の奔流が襲う。続けて水晶の弾丸を生み出し、放つ。転移は⋯⋯しない。弾丸はカームを直撃。風の魔法が途切れ、回転しながら地面に着地したところで姿が消えた。俺は剣を後方に振る。
衝突。カームの剣と『白き剣』がぶつかり合う。鍔ぜり合いになった瞬間にカームを包み込むように5枚の分厚い水晶版を生み出しカームを閉じ込める。そうするにカームは『白き剣』を払い、水晶を破壊して脱出する。
(また転移はしないか)
おそらくカームの転移は無制限にできるものではない。何らかの制約が存在する。そして剣技において俺とカームの間には深い溝がある。正面きっての戦闘は避けるべきだ。
(恰好はよくない⋯⋯が!)
触媒となる水晶を作り、魔法を放つ。無詠唱で放たれる水や風、炎や雷の魔法。カームはそれを剣で斬り払っていく。カームの足が止まった。俺はカームの足を封じるように水晶で足を括り付ける。転移は⋯⋯しない。からくりが読めてきた。
「くっ⋯⋯」
動けないカームに水晶の柱を飛ばす。赤、青、緑、黄。カームは水晶を剣で壊す。同時に魔法を行使。黄の水晶を土に。カームに固めた土の弾丸が迫る。命中。土まみれのカームに青の結晶を水にして泥まみれに。今度は緑の水晶を植物の種に。泥に種が植わり草が生える。蔦上の植物がカームにまとわりつく。
「まずっ⋯⋯!」
カームは俺の目論見に気づいたようだ。足元の水晶を叩き壊す。その瞬間に俺は赤の水晶を炎に変える。草を体中に生やしたカームの体に炎が燃え移った。
「ああぁぁぁぁぁ!」
悲鳴を上げ、だがすぐに火は消える。そしてカームの姿も消える。右か。『白き剣』でカームの斬撃を受け止める。カームは全身に火を浴びながらも未だに健在。体中にすすをつけてはいるが、体はほとんど焼けていない。これも異能の力だとすれば、カームの異能の正体について大まかな予想はついた。だがもう状況は出来上がってしまった。
避けたかった剣通しでの打ち合い。速度でも一撃の重さでも劣る俺が勝る点は剣の技術にはない。俺は『白き剣』を振るいながら空中に水晶の刃を生成する。その間にも俺の『黒き衣』をカームの剣が削り取る。空中を踊る刃が完成、巡る刃でカームに斬りつける。
カームの異能はおそらくできることの結果を先取りすること。だから移動できないくらいに水晶の密度を増して、手札を増やす。しかし手数で勝ってもカームの剣技は意にも解さない。俺の鎧はあっという間に削り取られていく。
俺の『黒き衣』は全身を覆う黒い金属鎧の形を取る。本来金属鎧は高い防御力に比例するように重く、着ているだけで体力を消耗し、動き自体も鈍らせる。だが俺の鎧は異能で作られた鎧だ。重さはなく、俺の動きを遮ることはない。それでよかったとも思う。もし俺の鎧が重ければ、俺はとっくに負けているだろうから。
カームの剣技はもはや神の域に至っている。凡人には触れることも叶わず、才ある者でも剣に全てを捧げた者にしか届かない。手札を増やし、一枚一枚を厚くすることで強くなった俺では、そのたった一枚を極限まで厚くしたカームの剣技には敵わない。いくら手札を出したところでそれは変わらない。剣での戦いに持ち込まれた時点でもう、俺の敗北は決まっていた。
ああ、なんて清々しい気分なのだろう。自然と口元が緩む。もはや俺の鎧ははがされ、水晶も尽きた。それでも俺は『白き剣』を振る。斜めからの切り落とし。フワリとカームは俺の剣を受け流した。そのまま流れるように剣が俺に迫る。それを防ぐ手段は俺にはない。
「モルア。俺たちの子は⋯⋯」
ザン、とカームの剣が俺の体を切り裂いた。
これで全部終わり。俺たちを囲っていた水晶の覆いが崩壊する。カームは複雑な表情をしている。仕方のないことだ。何せ復讐したかった相手が実は生き別れた父親で、俺はカームを殺すつもりなど最初からなかったのだから。
仰向けに倒れた俺は空を見る。青々とした晴天を見る。太陽は空高く昇り、雲はどこにも見られない。
「いい空だ」
「僕には⋯⋯あなたが分からない」
カームの言葉。それを俺は黙って聞く。
「ルリを殺し、僕も殺そうとした。そのくせこの戦いであなたは一切殺気がなかった。あなたは一体何がしたかったんですか」
「俺は⋯⋯」
戦争を終わらせたかった。モルアの願いを叶えたかった。カームを俺とモルアの平和の結晶を幸福にしたかった。
「平和ってやつを見てみたかったんだ。モルアが⋯⋯カームの母さんがいつも言っていたことだ」
「母さんが?」
「ああ。死ななくて良かったはずの人の命が奪われる。それが嫌なのだと。モルアは言っていた。だが俺は間違えた。モルアを失い、カームも失った俺は、人を殺すことで平和を作ろうとした。そんなこと⋯⋯できるはずないのにな」
「⋯⋯」
何かを押し殺すようなカームの表情。
「ああ、そうだ。カームに渡しておくものがある」
「渡す、もの?」
俺は内にある『黒き衣』と『白き剣』に呼びかける。俺はもう死ぬ。だから次の持ち主を探せ。ちょうど隣には俺の息子がいる。俺とモルアの息子、俺たちの自慢の息子だ。もし俺たちのことを気に入ってくれていたのなら、これからを生きるカームの力になってくれ。
喪失感が俺を襲う。『黒き衣』と『白き剣』の譲渡はなされた。カームの戸惑いを感じる。急に二つも異能が増えたのだ。手足が新しく生えたどころの話じゃない。
「これで⋯⋯全部だ」
もう悔いはない。空を仰いでため息をこぼす。意識が遠くなってきた。ここまで、か。思えば散々な人生だった。束縛の多いばかりの家に生まれ、愛する人と結ばれることを誰からも祝福されず、妻や我が子とともに生きることも叶わなかった。神を嫌った俺は『死神』と呼ばれ、しかし最後に神の域に至った息子を見た。最愛の我が子の成長を見届けることができた。
終わりよければ全て良し、だ。憎まれているとはいえ息子に見届けられながら死ねる。なら俺はきっと幸せだった。そう思おう。
「モルア⋯⋯」
今からお前のところに向かおう。こんな愚かで馬鹿な俺だが、それでも君は俺を許してくれるだろうか。受け入れてくれるだろうか。
「⋯⋯さん」
「カー、ム?」
今、なんと。
「父さん。良い旅を」
目尻に熱いものが浮かぶ。こんなに幸せでいいのだろうか、俺は。許されてもいいのだろうか。
雲は払われ、世界はこれほどまでに美しい。
「あり、がとう」
熱いものがこぼれて、俺は目を閉じる。最期に見た光景は息子の髪の色と同じ、どこまでも広がる蒼穹の空だった。
雲を払って 終わり
これにておしまい。もう少し続きます。