雲を払って(4/5)
それからの記憶はあいまいだ。あいまいな意識の中、『死神』は敵を殺した。目の前に立つのは全て敵。体に染みついた動作が『死神』を動かし、敵の攻撃が『死神』の『黒き衣』を貫くことはなかった。
ただ一つ言えること。俺は戦争を止めることなんてまるでできなくて、モルアが最も嫌った戦争や人殺しをやっていただけだった、ということだ。
あいまいな意識と蕩けきった世界の中で敵を殺す。虚ろなままに、乞われるがままに戦場に行って眼前の命を食い荒らす日々。何年経ったかは分からない、俺の前に一人の小年兵が現れた。小柄な体に剣を持ち、夜空色の髪に透き通った灰色の瞳をした少年。彼の面持ちはどこか懐かしいものを思わせ、俺の壊れちたはずの俺の心を揺さぶった。
だが揺れた心もすぐに蕩けてあいまいになる。手心を加えなければ『死神』と少年兵の実力の差は歴然だった。放った一撃を後ろにいた少女がかばい、『死神』は過去の己を想起した。ヌーベスという男がモルアを守れなかったことを思い出した。そして少年兵が取り出したナイフを見て、『死神』のあいまいだった意識は形を取り戻した。
「カーム⋯⋯?」
ずっと使っていなかった喉はかろうじてその機能を果たし、己の体に突き刺さった虹色水晶のナイフを見て、目の前の少年兵がカームであることを自覚した。自覚すれば耐えられなかった。
戦場を逃げ出し、カームの自分へ向けた憎悪の表情を思い出し、カームを『黒き衣』で貫いたことを理解し、今まで自分が為してきたことを悔いた。だからといって今更生き方は変えられない。カームが死ねば虹色水晶のナイフは俺のところに戻ってくるはず。しかしナイフは戻ってこなかった。つまりカームはまだ生きている。
「殺してくれ」
カームに殺してほしい。子に親殺しを願うなんてなんとひどい親だろうか。だがその願いは壊れた俺の心を繋ぎ止めるほどに強く、『死神』として傭兵稼業に営みながら、俺はずっとその時を待っていた。
だから。
いつものように戦場へ行き、慈悲もなく敵を殺す。だが敵の動きがおかしかった。彼らは命を賭して俺を誘導する。かすかな期待を胸にその誘導に乗る。そして俺は何もしてくれない神にすら感謝したくなった。
「久しぶりだな『死神』。僕のことを覚えているか?」
もちろん覚えている。あの日から忘れたことなど一度もない。俺の目の前に立つ蒼穹の髪の男。どこまでも透き通った灰色の瞳には憎悪で燃えていて、けれどそれ以上に強い戦意があった。銀色の剣を手に、俺のことを真っ直ぐに見据えている。
「あなたが最強の傭兵『死神』ね。なるほど。確かに強い」
カームの隣には太陽の輝きを幻視させる女が立っていた。野獣の如き獰猛な気配を漂わせて、両の手に刀を持っている。
『蒼穹剣』と『太陽姫』。カームとその伴侶がまさしくその傭兵なのだろう。カームの髪の色は黒が抜け落ち、晴天の青空のような色をしている。様々な苦難があり、二人で乗り越えてきたのだろう。その苦難には俺の存在もある。それを想えば涙がこぼれてきそうになる。だが駄目だ。俺は狂って壊れた『死神』でしかないのだ。自我もなく、慈悲もなく目の前の敵を全て殺す死を司る紛い物の神。
「ヌーベス。援護はいるかしら?」
ウィースの言葉に汚泥のような殺気で答える。不器用な『死神』のふり。ウィースはそれで全てを察したのか、「わかったわ」と言って遠くへ離れていった。本当にウィースは気の利く男だ。存外彼との出会いは俺にとってモルアやカームとの出会いの次にかけがえのないものだったかもしれない。
「ヌーベス⋯⋯そうか『死神』にも名前があるのか。⋯⋯ヌーベス?」
カームは遠い記憶を探るような表情をする。だがすぐに頭を振って俺に相対する。
「なら僕も名乗ろう。晴天傭兵団『空』の部隊長カームだ」
「カームの伴侶ソウラよ」
俺は名乗る言葉をもたない『死神』だ。名乗りの代わりに殺意を。返答に剣をくれてやろう。そして。
(俺を殺してくれ。カーム)
終わりの決まった戦いを始めよう。
最強の傭兵『死神』の戦い方は、元黒の騎士ヌーベスのそれとは異なる。堅牢な鎧の下で繰り出される剣技と異能によって生み出される水晶に、それを触媒に放たれる多彩な魔法を用いる魔法剣士としての戦いこそ、ヌーベス本来の戦い方だ。手札の多さとその一枚一枚の厚み。隙のない完成された騎士としての戦い方。
対する『死神』の戦い方はヌーベスのそれと比べればあまりにお粗末としかいいようがない。『黒き衣』による絶対防御に守られた状態から剣技を繰り出す。使う剣は名のある名も知らぬ剣士から奪った黒塗りの剣。それを腕力と半端な剣技任せに振り回し、隙を生み出して防御不可、万物を喰らう異能で止めをさす。それだけで、それが全てだ。
だが絶対的な防御と絶対的な攻撃を両立される『黒き衣』はそれだけで『死神』を傭兵の誰よりも強い存在にのし上げた。だがそんな『黒き衣』にも欠点がないわけではない。
青と緑に彩られた双刀が舞う。視認することすら困難で、風を切る音を聞いた時にはすでに刀は振るわれている。
カームとソウラはためらうことなく俺に2対1で戦いを挑んできた。正面切って戦いを挑むのがソウラ。そしてその背面、側面をつくのがカームだ。ソウラは己の剣技のみを頼りに戦い、カームは転移を繰り返しながら『死神』の隙を探す。
「ぬぅ⋯⋯!」
舞うように、廻るようにソウラは刀を振るが、俺はその全てを『黒き衣』で受け止める。守りは全て『黒き衣』に任せ、持った剣は攻撃にのみ当てられる。だがソウラの方はそうはいかない。『黒き衣』のような絶対防御をもたない彼女は、俺の剣を受けるために刀を使い、あるいは身のこなしだけで避けなければならない。その分攻めは遅れ、そこをつくように俺の剣はますますその苛烈さを増す。
ソウラ一人であれば、すでに決着はついていただろう。『黒き衣』は蠢く空間遮断物質だ。事象を喰らう能力を使うまでもなく、その性質をもった衣で叩かれれば痛いし、鋭い形にすれば刺さりもする。剣だけではなく、『黒き衣』を攻勢に回せば、手数の足りなくなったソウラに勝ちの目はなくなる。
だが俺は『黒き衣』をソウラへの攻勢に回すことはできない。俺の全身は全て『黒き衣』に覆われているが、一つだけ例外がある。頭だ。頭を『黒き衣』で覆ってしまえば俺は視覚、聴覚を失うことになる。だから俺は頭部だけは『黒き衣』を纏うことができない。これが『黒き衣』の欠点の一つ目。そしてそれはカームとソウラも分かっている。だからカームは俺の頭部を狙って攻撃を続けている。
『黒き衣』のリソースは最低限の防御として全身を包み込み、余剰をカームへの牽制のために割いている。だから俺は頑なに急所を狙い続けるカームの剣を、目を向けることなくあしらいながら、正面のソウラと戦わなくてはならない。
ソウラ一人では『死神』には勝てない。カーム一人でも『死神』には勝てない。けれどソウラとカームが力を合わせれば。その刃は『死神』にも届きうる。それは間違っていなかった。そう、俺がカームと出会う前の正気を失っていた頃であれば。
かつての『死神』は狂気によって突き動かされる獣と大差なかった。力はあれど技術はなく、意識はあれど意志はなかった。だが今は違う。力もあり、技術もあり、意識もあり、意思もある。ほかならぬカームの手によって『死神』は強くなった。獣同然の『死神』に騎士ヌーベスとして技量が加わってしまった。かつての『死神』ならば決着はついていただろうが、正気を取り戻した俺とならば二人との実力は拮抗する。
俺の願いはカームに殺されること。だがこの二人相手では下手に手心を加えることもできない。カームに決して疑いをもたれてはならない。『死神』は『死神』のまま死ぬべきで、カームの父ヌーベスとして死ぬわけにはいかないのだ。
カームは強くなった。俺とモルアの子なのだから当然だが、以前戦った時とは剣の冴えも速度もまるで違う。その領域に至るまでにどれほどの修行を積んだのか。俺には想像もつかない。
「あなた。何を笑っているの?それにあなたからは戦意は感じるけど殺意は感じない」
顔面に刀を突き出しながらソウラが問うた。その目には疑惑。思考が表情に出ていたのだろうか。顔中に包帯を巻いているというのに、敏い女だ。
返答に俺は『黒き衣』を攻勢に回す。事象を喰らう『白き剣』の亜種の力。発動は一瞬。だがソウラはすさまじい速度で後退した。この攻撃の危険さに気づいたらしい。簡単に人を殺してしまえる力だ。刀で受けることすらできない。
俺とソウラとの間に距離が生まれる。俺はソウラから目を離し、真後ろにいたカームに剣を振りかぶった。『黒き衣』のリソースを全てカームに使う。瞬きの間に剣で4撃。『黒き衣』で30撃。計34撃をカームに浴びせる。カームは神がかり的な剣技でそれに対処し、うち30撃は防いで見せた。
腕に一つ。足に二つ。腹に一つ。カームは衣の斬撃をくらう。だがその傷はすぐに消えてしまった。
(治癒の異能⋯⋯?いや、転移もある。なら複合型の異能か)
根幹となる性質があり、それに付随して複数の能力が発現するタイプ。俺の水晶もそのタイプに近いし、『黒き衣』や『白き剣』も継承や持ち主によって違う力が発現するなど複合型に近い。転移と治癒。二つあるならそれを踏まえた上で戦うだけだ。
背後に衣で壁を作る。そこに斬りかかるソウラ。
「くそったれ!」
ソウラの悪態をつく声が聞こえる。だが戦って押し負けているというわけでもない。カームとソウラの息はこれ以上ないほどに合っているし、二人の剣技は俺のそれを遙に上回っている。俺の剣技と『黒き衣』の通常態だけでは勝負がつかないことがこれまでの戦いで分かった以上、俺は『白き剣』を使わなくてはならない。
『黒き衣』には二つの欠点がある。一つは外界の情報を得るために頭部を隠せないこと。そしてもう一つはこの『白き剣』の存在だ。食らう能力は衣の一部分にのみ発動する。だが発動している時は他の部分の守りが脆くなる。絶対防御が絶対ではなくなる。少なくともカームの持つ虹色水晶でなら疎かになった守りを抜けることは分かっている。
カームがこの事実に気づいているか否か。それが俺に勝てるかどうかの分かれ目だ。手心を入れるつもりはない。全力の俺をカームには超えてほしい。カームはもう俺に勝つヒントは全て手に入れている。後はそれを実行するだけだ。
俺は『黒き衣』をいつでも『白き剣』にできるように意識する。秒単位での発動も危険が伴う。『白き剣』を使うのは一瞬だ。針の糸を通すような隙を二人がつけるかどうか。
第二幕の幕開けは俺の『白き剣』の瞬間発動から始まった。
「はっ⋯⋯く」
「ぐ⋯⋯」
待ちの戦法から攻めの戦法へ。『白き剣』を瞬間的に何度も発動させながらカームとソウラを追い詰める。『黒き衣』は蠢きながら時には鞭、時には広げた布のように姿を変えながら二人を追い詰める。常に『白き剣』を発動しているわけではない。だがいつ『黒き衣』が『白き剣』になるか直前まで分からない以上、二人は受けよりも回避に専念しなければならない。不定形の暴力が形を変えながら食らいつく。二人の役割は交代し、傷を負っても治癒できるカームが正面に回り、ソウラは側面から俺を狙ってくる。だがそれに俺が付き合ってやる義理はない。
カームを蹴り飛ばしソウラの真上に津波のような衣を降らせる。衣は斬れない以上、押し潰される前にかわすしかない。だがかわしたところに衣を向かわせる。その中の一筋だけを針で突くように伸ばす。『白き剣』を発動。
「かっ⋯⋯」
「ソウラ!」
伸びた『白き剣』はソウラの右肩の辺りを貫く。拳大の穴が空いた。これで片腕は使えない。双刀使いにはこれ以上ない痛手だろう。
「まだ!」
しかしソウラは攻撃を喰らって下がるどころか前進してきた。速い。一歩で間合いを詰められる。ソウラの顔が眼前に迫る。そしてまだ『白き剣』は発動したまま。
「シッ⋯⋯!」
左手の刀による一閃。衣を重ねて守りを固めるが、その守りを刀は易々と切り裂く。
「ぬぅ⋯⋯」
「やっぱり」
喉の奥から声が漏れる。ソウラが獲物を見つけた獣のように笑う。意趣返しのように俺の右肩が深々と斬られた。赤い血が『黒き衣』を汚す。
(血を流したのはいつぶりだろうか)
『白き剣』を解除。俺を中心に『黒き衣』を押し広げて距離を取る。
「カーム!」
「ソウラ⋯⋯分かってる!」
ソウラの負傷を心配するカームと、その心配は不要だと言うソウラ。二人の想いは通じ合っている。筋違いの喜びが俺の胸を満たす。
ソウラの傷は深い。まだ戦えるだろうが、片腕を潰された代償は大きい。今までのような猛攻はできないはず。だが俺も右腕を潰された。五分にあった戦況がどう傾くか。
「ソウラは休んでて」
「カーム」
「いいから」
ソウラを後ろに下げ、カームは一人前に出る。一人で戦うつもりか?今まで二人がかりでようやく互角だったのに?
「行くぞ。『死神』」
カームの姿が掻き消える。右、左、後ろ、いや違う。下だ。
俺の真下から剣を振り上げるカームの剣に俺も剣を合わせる。衝撃。剣がさっきよりも重い。実力が伸びている?
再び消える。今度は背後。打ち合い。次は正面。打ち合い。右に一瞬見せて左へ。打ち合い。カームは転移を繰り返し、俺を翻弄する。より速く、より重く、より強く。剣圧はますます増していき、剣だけではもう追いつかない領域に至る。
『黒き衣』を攻勢に。無数の刃でカームと打ち合う。それでもなお拮抗。俺の攻撃はカームに届くが、すぐに治癒で消えてしまう。
「⋯⋯っ!」
カームは俺を中心に舞うように剣を振るう。ああそういえばあの時も俺とカームはこうやって戦っていた。俺の周りをグルグルと。当時のカームの全力もこんな戦い方だった。
〈剣舞を御見せ 奉る〉
剣舞!?カームの剣が俺の眼前に迫る。首をひねって回避。頬が浅く斬られる。包帯がばらける。カームがより速く、精密に剣を手繰る。だが俺の心は動揺していた。
剣舞を習得していることはまあいい。法国にも伝わる神へ剣技という舞いを捧げることで魔法の触媒とする秘術だが、他にも伝わっているところはあるだろう。だが「神」。モルアがあれだけ祈ってなお、何もしてくれなかった神。モルアの祈りは聞かずに、剣舞を通じれば聞いてくれるのか?
心の乱れを押し隠すように『白き剣』。カウンターで腹を切られる。その傷をえぐるように懐に潜られ、拳をくらう。
「がっ⋯⋯!」
足が宙に浮き、姿勢が崩れる。そこにカームの上段蹴りが迫る。『白き剣』で防御。カームの姿が消える。
「しまっ⋯⋯!」
思わず声が上がる。カームがいるのは俺の真後ろ。背中ががら空きだ。カームは剣を両手で構えている。その剣が突き出され、俺の背中から胸を通すように剣が射し込まれた。
「ごふっ」
口から血がこぼれる。剣はギリギリ身を反らしたことで心臓ではなく、肺を穿った。呼吸が乱れて、『黒き衣』の操作が乱れる。
魔法で治癒を。いや駄目だ。『死神』は魔法を使わない。狂人は魔法を使えない。『黒き衣』も『白き剣』も癒しの力はない。『死神』にもう打つ手はない。ならここで終わりにするか?それもいいかもしれない。俺は本気で戦った。ならばここで仕舞いにしよう。『死神』は『蒼穹剣』によって殺される。それでいいではないか。
「カーム!」
ここでソウラが俺の間合いまで躍り出てきた。片腕に穴は空いたまま。だがもう片方の腕がある。
〈双剣舞〉
〈互いに舞いて〉
〈想い交わす〉
〈重なる演武〉
〈此処にて〉
〈御見せ〉
〈〈奉る!〉〉
互いに言葉を重ね合う詠唱。カームの銀閃とソウラの蒼閃が俺を中心に舞い踊る。二人の剣舞が俺の命を止めんと駆け巡る。
乱れに乱れる『黒き衣』でその猛攻を受ける。だが二人の剣は人の領域を踏み越え、神の域へ。紛い物の神たる『死神』の域へと到達し、追い抜いていく。
カームが俺の目前にいる。ソウラが俺の背面にいる。二人の剣舞によって高められた剣は『死神』の衣を凌駕する。守りに使った黒剣は中ほどからへし折られる。同時に繰り出される横薙ぎの一閃。それは『黒き衣』を引き裂き、俺を分断する。
(ああ、これでやっと⋯⋯)
「死ねる⋯⋯」
言葉がこぼれた。命を奪う剣の煌めきの何と美しいことか。この煌めきの中で死ねるのなら、俺は。剣と刀が俺の中に入ってくる。衣を抜け、肉を裂き、心臓を斬らんと剣が迫る。
ガキン、と剣を止める音がした。




