雲を払って(3/5)
一年。たった一年会わないだけでモルアはより美しく成長していた。愁いを帯びたその姿はますます心を惹きつけ、真贋入り混じる舞踏会において間違うことなく本物だった。
戦争を嫌うモルアと主戦派の白の騎士。そしてモルアが継承した『白き剣』。そんなモルアを見て俺は全てを理解した。同時に周囲が騒がしくなる。
(俺のせいだ)
おそらく今白の騎士の家系はモルアが『白き剣』の持ち主であることを特定した。それは俺の姿を見たモルアが動揺して異能の気配をもらしてしまったから。俺が『白き剣』の気配をたどれるように、白の騎士の家系も似たようなことができてもおかしくない。
モルアが今家に捕まればどうなる?モルアはずっと異能を隠していた。まずそれが咎められるだろう。それだけですめばいい。だがそんなはずはない。白の騎士は苛烈な者が多い。戦争を嫌うモルアが受け継いだと知れば、最悪モルアを殺して異能を無理矢理誰かに継承させるかもしれない。いや、その可能性が極めて高い。そうでなくともモルアの意思が汚されることは確実だ。
「モルア!」
舞踏会に無粋な兵士が現れる前に。俺はモルアの手を掴んだ。始めて会った時のように。逃げるんだ。ここから早く。
「うん!」
俺はモルアを連れて城から逃げ出し、モルアもついてきてくれた。そして俺とモルアの逃亡生活が始まった。この時にはもう全てが手遅れだったというのに。
争いを嫌い、戦う術をもたないモルアが『白き剣』を継承できた理由は一重にその『白き剣』との適正の高さだった。俺が『黒き衣』を頑丈な鎧として発現させたように、モルアも『白き剣』を発現させることが出来る。しかしその能力は俺のそれとは隔絶していた。
概念を断つ。それがモルアの『白き剣』の能力だった。距離の概念を断ち、遠くへと移動する。光を断ち、空間に闇を作る。歴史書に記された初代白の騎士と同じ能力。下手をすれば生と死の境すら壊してしまう可能性を秘めた能力だ。もしこの力が戦争に使われたら、そう思えばモルアの苦しみの一端も理解できようものだ。
だがそんなモルアの苦しみを法国が斟酌してくれるはずがない。すぐに追手はかかった。俺はその全てを跳ねのけ、モルアの手を引いて逃亡を続ける。しかしいくら俺やモルアに才覚があったとしても、所詮は上流階級生まれの世間知らず。世間擦れした大人たちにだまされ、売られ、罠にかけられる。そんなピンチが何度もあった。それでも生きることができたのはモルアがいたからだ。苦難を乗り越え、追手から逃げ、淡く重なっていた想いが強く燃え上がるのは自明のことだった。追手から逃げつつ、農夫や商人の下働きのようなことをして路銀を稼ぐ。そんな日々の中でモルアの妊娠が発覚した。
「どうしようヌーベス」
モルアはガサガサの手でお腹を撫でる。2年にも及ぶ逃亡生活は、浮世離れしていた雰囲気の彼女の足を地につけるに十分だった。美しかった髪はみずみずしさを失い、滑らかで傷1つなかったその手には苦労をにじませる傷や潰れた肉刺がある。だがそのことも愛おしいとその時の俺は思っていた。
「生もう」
2年経ってもなお、度々刺客は襲ってくる。そんな状況で足手まといにしかならない子どもができることは危険。それは重々承知だ。だが俺は迷わなかった。
「子どもは平和の象徴だと思うんだ。世界全部の平和とはいかないけど、小さな家族にとっての平和や幸せの象徴。それにモルアだってまだ世界平和を諦めてないんだろ。世界を平和にする前にまずは俺たちが幸せにならなきゃ」
「そう、そうだね。ありがとうヌーベス」
それからしばらくして子どもが生まれた。男の子だった。俺たちはその子に「カーム」という名前をつけた。カームは逃亡を続ける俺とモルアにとっての救いとなった。
「何それ?」
「ん?これは俺の異能で作った虹色水晶だ」
カームが生まれてすぐ、俺は異能でナイフを作った。光の反射で七色に輝く虹色結晶。頑丈で切れ味がよく、手入れいらず。しかもあらゆる魔法の触媒としても使える俺の最高傑作。
「すごいんだぞ。このナイフには『黒き衣』の性質を利用した魔法がかかっててな。俺の血筋の人間以外が手にしてもいずれ持ち主のところに戻ってくるという優れものだ」
「そうなの」
自慢げな俺にモルアは口元に笑みを湛えて見せる。胸には眠ったばかりのカームを抱く彼女は、すっかり母親の顔になった。
「⋯⋯いつかカームが大人になって魔法が必要になった時に使えるように。ただのナイフとしても使えるし、そうじゃなくともこのナイフは異能も強化してくれるんだ。強い、強い感情があれば異能者の願いを聞いてくれる」
「この子にも異能が宿るかしら」
強い異能は人生を狂わせる。それは俺たち自身が証明している。けれど異能は本来その人間の本質を表すものだ。あるいは焼けつくような願いの産物。カームならきっと悪いようにはならない。
「どうだろうなぁ。だけど俺とモルアの子だ。きっと出来のいいすごい子になるぞ」
「親馬鹿なんだか。それに私には無いの?」
「ごめんなぁ。このナイフ、使えるのは俺とカームだけなんだ。まぁ男だけの友情かロマンってやつだな。うらやましいだろ」
「もうっ!」
「オギャァオギャァ」
「おっと!泣くなよぉ。カーム。おぉよしよし」
「アゥ⋯⋯アハ!」
「カームが笑った!」
暗くて狭い小屋の中の一幕。モルアがカームを抱き、俺が変な顔をしてカームをあやす。泣き止み笑うカームを見て、俺とモルアも笑顔になる。先行きの見えない日々の生活は苦しいまま。けれど確かな幸せがそこにはあった。
カームが1歳になった頃、これまでで最大の襲撃があった。黒の騎士と白の騎士の家の精鋭を集めた合同部隊。戦争の最前線を生き抜いた本物の強者たちだ。その中には現家長の父の姿があり、白の騎士の家長の姿もあり、兄や弟の姿もあった。
「モルアとカームはここに隠れていてくれ」
「でもヌーベス!」
「心配するな。俺は最強の黒の騎士と言われた男だぞ?任せておけ」
一度追手を振り切り、妻と息子を森の奥の茂みに隠す。俺は一家の大黒柱だ。こんなところで負けるわけにはいかない。戦争や世界の平和のためなどではない。俺は俺の家族のために戦う。家族の小さな幸せのためを思えばどんなに劣勢であろうと戦い抜く勇気が生まれる。
「誓うよ。俺は必ずお前たちを守ってみせる」
「ならもう一つ誓って。必ず生きて私達のところに帰って来て」
そして二人は熱い口づけをかわす。俺はモルアと彼女の胸の中で眠るカームを一度強く抱いた後、死闘に挑んでいった。
空は灰色と黒が混じり合った曇天だった。肌にへばりつく空気が気持ち悪かった。
「ちくしょう⋯⋯。そんなに『黒き衣』と『白き剣』が欲しいのかよ⋯⋯」
斬る。斬る。斬る。敵は多勢でこちらは一人。俺は『黒き衣』の鎧を身につけて戦った。数打ち品の剣はすぐに折れた。だから殺した兄から剣を奪い、それで戦う。剣が折れればまた別の剣を。水晶で敵を彫像にし、魔法で焼き殺し、溺死させ、剣で首を刎ねる。
『黒き衣』は並外れた防御力を誇るが、絶対ではない。特に相手は精鋭だ。それに黒の騎士の家は『黒き衣』の強みも弱みも知り尽くしている。
俺を休ませることなく、常に数人が前衛として張り付き、後方から強力な魔法が飛んでくる。精神は摩耗し、堅牢な鎧は砕け、肉体から血がこぼれる。骨が砕かれ、肉は斬られる。それでも誓ったから。必ず守ると誓ったから。必ず帰ると誓ったから。俺は戦い、殺し、戦い、殺し、ついに最後の一人になるまで戦い抜いた。
俺はひどいありさまだった。『黒き衣』はとうに剥がれ落ち、背中には何本もの剣が突き刺さったままだ。それを抜く暇もなかったから水晶を生やして強引に固定してある。体で血に濡れていないところはなく、折れていない骨はないのではないかというありさま。生きているのが奇跡という状態。
それほどまでに異能が大事かと、歴史や伝統が大切かと、四肢を砕かれ地に臥す父へ問いかける。
「当然だろう」
父はそう答えた。
「全ては法国のために必要なものだ。『黒き衣』も『白き剣』も法国にあってようやく意味を成す。⋯⋯貴様らのような不出来な輩に理解できる話ではないか」
「⋯⋯そうか」
「ところで」
父はニタリと笑みを浮かべた。
「追手がここにいる全員だけだと思っているのか?」
頭が真っ白になった。父の頭に剣を突き刺す。親殺し。その罪すら頭に浮かばない。頭にあったのは笑うモルアとカームの姿。
「ま、さか」
俺は傷だらけの体を必死に動かして二人がいるはずの場所へ向かった。逸る気持ちに体がついていかない。歩みはあまりに遅く、俺は何度も倒れ込んだ。血反吐を吐き、痛みで全身が引き裂かれるような苦しみを味わう。その度に体を引きずるようにして動かし、また立ち上がって歩み出す。
ポツリ、ポツリと雨が降ってきた。
無事でいてくれという願いが叶うはずもなかった。二人を隠していた場所には何人もの追手の死体が転がっていた。
「これ⋯⋯は?」
モルアがやったのか?雨に濡れた唇を震わせる。
「モル⋯⋯ア。モルア!」
俺の叫びに誰かが反応した。土砂降りの雨で音がよく聞こえない。だけど分かる。『白き剣』の気配が俺を導いてくれる。
「モルア⋯⋯」
そして崩れ落ちた。背中に大きな切り傷。モルアは子どもを守るようにうつ伏せになって倒れていた。戦いになって相打ちになったのだ。カームをかばったのだ。いくら強力な異能を持っていようとモルアは素人。多数の精鋭を相手取って戦えるほどの実力はない。
「ぬ、べす」
「モルア!」
俺は崩れ落ちるようにしてモルアに近寄る。治癒の魔法を使う。だが傷が塞がらない。そしてカームもいない。
「だ、め」
「モルア⋯⋯」
モルアの息がだんだんと弱くなっていく。掴んだ手が冷たい。雨が彼女の体温を奪ってしまう。
「かー、む。きょ、た⋯⋯にが、だ、い⋯⋯」
「カームは、生きてるのか?」
弱々しいうなずき。モルアの瞼がゆっくりと閉じていく。駄目だ。閉じるな。閉じたらきっと、もう二度と開くことはない。
「ぬ⋯⋯す。あい、して⋯⋯」
「お、俺も⋯⋯」
「これ⋯⋯」
掴んだ手から真っ白な何かが伝わってくる。その気配には覚えがあった。
「『白き⋯⋯剣』?」
「た⋯⋯て。ぬ⋯⋯い、きて。ごめ」
モルアの瞼が閉じられた。その金色に輝く瞳をもう見ることはない。
「モル、ア」
俺は初めて神に祈った。モルアを救ってくれと。だが神が奇跡を起こしてくれることはない。モルアはもう二度としゃべらない。目を開けない。俺に笑いかけてくれない。
「もるあ⋯⋯」
考えるのが嫌で、俺はただその場に座り込んでいた。なんで。どうして。そんな言葉が頭の中でグルグル回る。モルアはただ平和を求めただけだったのに。俺はただモルアの幸せを求めただけなのに。どうして俺は今一人でこうしている?何が、何が悪かった。ああ、そうか。
「せんそうだ」
そうだ。戦争だ。戦争が全て悪い。もるあを悲しませていたのはせんそうで、おれがこうしてくるしんでいるのも皆せんそうがわるい。ならどうすれば戦そうがなくなるんだろう。
「てきがいなくなれば?せんそうは、なくなる?へいしがみんなしねば、せんそうは。なら、おれは」
もるあのいないせかいなんてかちはない。おれからすべてをうばってしまったせかいなんてきらいだ。あれだけねっしんにいのっていたもるあをたすけてくれないかみさまもきらいだ。
きらいだ。きらい。きらいだきらいだきらいだきらいだきらいだきらいだ。だいきらいだ。
「もるあ。かーむ。おれ、やるよ。せんそうで、てきをみんなころして、せんそうをおわらせる。なくす」
そうして俺は立ち上がった。俺の中にある『黒き衣』とモルアからもらった『白き剣』が混ざり合い、新たな形を為す。俺を包み込むように黒いマントのようなものが展開された。背中に刺さっていた剣がそのマントに喰われて消える。事象を遮る性質をもった『黒き衣』に事象を断つ『白き剣』が融合して生まれた新たな『黒き衣』は空間拒絶と世界との関係を断つことで触れるものを消滅させる性質の二つを併せ持つことになった。
こうして俺は戦争を無くすために戦争に加担し、『死神』として戦場を血に染めることになる。
欝々しい過去編は終わり。




