雲を払って 幕間
息を止めた父は涙をこぼして幸せそうに笑っていた。名状しがたい感情が僕の中に渦巻く。
「何なんだ。本当に、一体何なんだよ!勝手にナイフを預けて!勝手に人の大切を殺して!勝手に僕と戦って納得して!勝手にこんな異能押し付けて!勝手に死んだ!何なんだ!あんたは結局何がしたかったんだよ!!父さん!」
「カーム⋯⋯」
頭を振る。分かっている。ここは戦場だ。感傷に浸る余裕はない。ここは戦場で、敵を殺さなくては自分や大事な仲間が死ぬことになる。
『死ななくて良かったはずの人の命が奪われる』
顔も思い出せない母の言葉。綺麗ごとだ。そんなの、しょうがないじゃないか。戦争は終わらない。人は一生戦い続ける。それこそ人が滅んでしまうまでだ。憎み、憎まれながら僕たちは戦う。なのに。
なんであんたはそんなに幸せそうな顔をしているんだ。
『死神』殺し。その計画が持ちあがったのは隊長会議の中、次の戦争で『死神』が出てくる可能性が高いという話が上がったからだ。
「近年『死神』の出現傾向には偏りがあります。以前は無作為に大小関係なく、それこそ災害のように現れていましたが、現在は二つ名持ちの出てくるような戦場に出てくることが多いようです」
と言うのが晴天傭兵団『鳥』の部隊長二クスだ。『鳥』部隊。晴天傭兵団の規模は年々膨らむばかりで、団長のアウィスは団を大きく3つの部隊に分けた。
まず傭兵団本隊でトオラが隊長を務める『陽』の部隊。最も数が多く、大規模な戦場で活躍することが目的だ。次に二クスが部隊長、アルが副隊長を務める諜報や後方支援を務める『鳥』の部隊。伝令や女衆もこの部隊に含まれる。要するに傭兵団の戦闘以外の全てを担う。トオラの伴侶であるアルカントゥームが副隊長なのもその兼ね合いだ。そして団の精鋭だけを集めた20人の少人数部隊『空』。この隊長を僕、副隊長をソウラがしている。
団長のアウィスを除けば全員が20代というとても若い面々だ。けれど団内での不満はほとんどない。命に直結する戦場で必要とされるのは年の功ではなく、確かな実績と能力だ。この場にいる全員が小さな国の軍隊ほどにまで膨れ上がった晴天傭兵団の長を務めるに足る人物であると団の皆が理解している。
「なるほど。それで『死神』殺しね」
「はい。我々晴天傭兵団は数ある傭兵団の中でもトップにいる傭兵団です。しかし最強の傭兵団ではない。最強の傭兵と言えば『死神』。一個人にして一傭兵団を凌ぐほどの名声。これは揺るぎない事実です。ここで確実に『死神』を打ち取ることで名実ともに我々が最強の傭兵団であることを証明しましょう!」
アウィスの冷ややかな声にも二クスは熱く返す。黒髪を後ろに撫でつけた糸目の彼は優秀な諜報員だが、晴天傭兵団への思い入れが強すぎる。こうした場面ではよく感情的な意見を上げることが多い。
「隊長。それをやる必要はあるの?次の戦場は規模が大きい分、戦場も広い。無理に打ち取ろうと思ったら、無駄な犠牲が出てくるんじゃないの?優秀な人を見つけるのも楽じゃないんだよ?」
『鳥』の副隊長にしてトオラの妻であるアルが、アウィスに続いて二クスに冷や水をかける。人の本質や感情を読み取ることのできるアルは、傭兵団に入ってくる人間の選別や素質の見極めを一任されている。
「アルさん。しかし我々にとって『死神』は目の上のこぶです。それに戦争であれば人が死ぬのは当然。こちらが何もしなくても『死神』は我々が敵である以上殺しにくるでしょう。ならば打ち取ることを視野に入れることは間違っているでしょうか?」
「無理に対抗する必要はないってことだよ。相手は最強の傭兵なんでしょ?前に出ればそれだけ多くの仲間が殺される。なら⋯⋯」
「はいはい。『鳥』の二人で争うのはやめな」
言い合いが加熱しかけたところでアウィスが止めにかかる。そして視線を僕に向けた。
「カーム。お前はどう思う?二クスの言うことにも一理はあるんだ。『死神』殺し。可能だと思うか?」
僕に聞いたのは傭兵団で一番実力があるからか、それとも『死神』がルリを殺した男だからか。天井を見上げる。確かに僕は『死神』のことを許せない。7年前のことではあるがはっきりと覚えている。ルリは僕をかばって『死神』に殺された。そう考えればルリを殺したのは僕だ。けれど僕をかばわなくても『死神』はルリを殺しただろう。それに『死神』は先代団長で僕の恩人でもあるルースや当時の副団長ロイを始めとして晴天傭兵団に大きな傷を残した男だ。討てるのであれば討ちたい相手だ。
「正直な話分からないな」
「『蒼穹剣』でも、か?」
「茶化さないでよトオラ」
「すまんな」
『蒼穹剣』とは僕につけられた二つ名だ。青空のような髪の色と剣の腕が立つことから名付けられたのだろうけど、正直言われると恥ずかしい。『幽鬼』よりはましな二つ名なんだろうけど。
「7年前『無双の傭兵王』とまで言われたルースを無傷で倒したような男だよ?僕も一度戦ったことがある。けどお話にならなかった。⋯⋯いや違うのか?」
あの時、僕はナイフで『死神』に傷をつけた。傷をつけることができるということは倒すことも不可能ではないということだ。だが致命傷を与えることができるかどうかまでは⋯⋯。
「ならあたしと一緒ならどう?」
「ソウラ」
力強いソウラのまなざしが勇気づけてくれる。僕一人なら難しい。だけど僕とソウラの二人がかりなら。
「⋯⋯不可能、じゃないな」
僕の返事を聞いて、アウィスは深くうなずいた。そして真剣な表情で告げる。
「なら『死神』殺し、やってやろうじゃないか。7年前の恨みを果たさせてもらおう」
そういうことで晴天傭兵団による『死神』殺しが決まった。
結果は成功。『死神』は僕にとって一番の重荷だった。だからこの戦いで『死神』を討てれば、僕はもっと前を向いて進めると思っていた。なのに。
「終わったかカーム!」
水晶の覆いが砕けたことで、トオラが近くに寄ってきた。そして近くにたたずむウィースと呼ばれていた巨漢を見て頬を引きつらせる。
「こ、こいつは⋯⋯」
「降伏するから、剣を向けないで欲しいわね」
甲高いくせに野太いその声にトオラは後ずさる。だが毅然とした態度は辛うじて崩さなかった。
「降伏?まだ戦えそうなくせに⋯⋯」
「ええ。彼を弔ってやりたいのよ。できれば息子の近くで、ね」
「息子?」
ウィースは地面に倒れた⋯⋯ヌーベスと僕を見てバチンとウインクをする。トオラは「息子」という言葉に眉をひそめる。
「どういうことだ?」
「どういうこともなにも、『死神』は実は僕の父親だった。それだけの話だよ」
僕の言葉にトオラが目を見開く。
「トオラ。ソウラは怪我してる。二人でウィースを陣地の方へ」
「カームはどうするんだ?」
そんなの決まってる。
「戦うよ。戦争なんだから」
僕は今どんな顔をしているのだろうか。引き留める声を無視して『省略』。敵の密集地の中心に降り立つ。驚く敵兵の顔も見ずに剣を振る。首が飛ぶ。怯懦の情が伝わってくる。無心のままに剣を振る。かつて『幽鬼』と呼ばれた時のように。ヌーベスとの戦いで体は限界に達している。彼は強かった。誰よりも。『死神』は強く、ヌーベスは強かった。彼に殺意があれば死んでいたのは僕だったかもしれない。けれど僕は生きている。ほかならぬヌーベスのおかげで僕は生まれ、今生きているのだ。ルリを殺し、ルースを殺し、数多の兵士を殺したヌーベスのおかげで、だ。
ギリと歯を噛みしめる。飛んでくる炎の矢を打ち払う。僕の中に居座った新たな異能が使えと叫んでいる。
「『黒き衣』『白き剣』」
黒いロングコートが現出し、僕の持つ剣を白い光が包む。この異能が一体どんなものなのか、否応なしに理解できる。
「あぁっ!」
疲労で鈍る体が軽くなった。『黒き衣』の力だ。身を守り、その身を害する疲労や毒すらも無効化する異能。剣を振る。敵を斬った感触すらなく、その後ろにいる敵すらも切り裂いた。『白き剣』の力だ。触れた事象を断ち切る穢れなき白の異能。
強力な異能。この異能もヌーベスが押し付けてきた異能だ。
「くぅ⋯⋯」
そして異能が伝えてくる。父の記憶。母の記憶。親から子へ伝わる性質をもったこの二つの異能は、意思でもあるかのように僕に両親の真実を伝えてくる。ヌーベスとモルアがいかにして出会い、想いを重ねていったか。そして法国という国がいかにして二人を追い詰めていったのか。
そしてヌーベスとモルアが僕にどんな想いを抱き、託していたのか。
「なんでこんなことを伝えてくるんだ⋯⋯」
斬る。斬る。斬る。僕は日が暮れるまで敵を斬り続けた。
陣地に帰ってくるとアウィスが出迎えてくれた。その表情は複雑そうだ。事情は聞いているらしい。
「カーム⋯⋯」
「すみません。少し一人にしてください」
今はとにかく一人になりたい。駐屯地の隅にある小高い丘へ向かった。
幸運なことに丘には誰もいない。大の字になって寝転がり、空を眺める。空に広がる夕焼けの赤が抜け、黒に青を一滴垂らしたような藍色の夜空が広がる。その中央には優し気な光を放つ月とその周りに小さくも強い光を見せる星々。この星が死者だというのなら、ヌーベスとモルアも星になったのだろうか。
「⋯⋯」
無言のまま星を数える。100を超えたあたりで数えるのは止めた。あまりに無為だ。死者を忘れない。殺した人の存在を、守れなかった人の存在を忘れない。それは僕が自分自身に課していることで、ソウラが寄り添ってその重荷を分かち合ってくれるようになってからも、やはり重いものは重いと感じる。
「あらん?ここにいたのね?」
「⋯⋯あなたは一応捕虜だったと思いますが?」
駐屯地の方から歩いてきたのはヌーベスと共にいたウィースだ。声をかけるまで気づけなかった。
「ええ。実は私、フリーの傭兵ですらないのよ。ヌーベスちゃんにくっついていただけの、ただの戦士。だから晴天傭兵団に入れてもらうことにしたわ」
「そうですか」
アルがいるから悪い考えを抱いているかどうかは分かる。それにウィースからは悪意を感じない。彼もまた純粋だ。
「何をしに?できれば一人になりたいんですが」
起き上がることすら億劫で、寝転がったまま答える。
「伝言かしら。ソウラちゃんが心配してたわよ。女は大事にしなさいな。旦那さんなんでしょう?」
「ソウラは大事な人でパートナーではありますが、夫婦というわけではありませんよ」
「あらそうなの?」
本当だ。ソウラは人前では僕のことを恋人と呼び、伴侶だと名乗るが、実際のところ僕とソウラはそういう関係にない。隣を歩くことには慣れたけれど、僕の中ではパートナー止まりでどうしてもそれ以上の関係にはなれなかった。
不誠実なのは分かっている。ソウラは僕のことを本当に大切に思ってくれていて、僕のことを好いてくれている。その事実に甘えているのだ。
もしかしたら『死神』を倒すことで何かが変わるかもしれないと思った。ルリを殺した『死神』を殺すことでソウラとちゃんと向き合えるようになるのではないかと。実際はこうして悩みが増えるだけだったが。
(そろそろ戻らないとな。ソウラが心配する)
「それにしてもカームちゃん。あなたそうしているとヌーベスちゃんにそっくりね」
「そう、ですか?」
「ええ。いつまでも悩んでいるところとか。表情とか。まぁ表情は包帯でよく見えなかったから想像だけどね」
『黒き衣』と『白き剣』から流れ込んできた記憶は断片的で、とてもヌーベスの全てを追いきれるとは言えなかった。少しのためらいの後、口を開く。
「ウィースさん。あなたから見てヌーベスはどんな人でした?」
「いい男だったわ」
即答だ。
「けれど影を背負ってたヒト。真っ直ぐで、純粋で、私が彼と出会ったのは3年前くらいだけど、噂に聞いていたような狂人じゃなかったわ。包帯と衣で全ての想いを隠して、なのに隠しきれないくらいの後悔があった」
「そう、ですか」
ルリを失った僕。モルアを失ったヌーベス。形は違えど親子か。僕とヌーベスはよく似ている。
「ソウラちゃんには、カームちゃんは一人になりたいみたいだからそっとしておいてあげてって言っておくわね」
ウィースはそう言うと駐屯地の方へ帰っていった。僕は再び一人になる。
「ヌーベス⋯⋯父さん」
ああ、何度考えても彼のことを父だとは今は思えない。しかし彼が命を落とす直前、彼のことを「父さん」と呼んだことは紛れもない事実だ。あの時僕は後悔したくないと思った。あの人には安心して逝ってもらいたいと思ったことも僕にとっての真実。
「父さん、か」
親子の情なんてわからない。そもそも物心ついた時には一人で、少し時間が経ってからはアガラと二人でいたのだ。親の庇護を受けないことは当たり前。自分の食い扶持は自分で稼ぐ。傭兵団に入ったからもそれは同じことだ。
『カーム。生きて、生きて幸せになって』
『白き剣』から流れ込んできたモルアの記憶。僕を距離の概念を断って遠くへ飛ばす時、彼女は最後にそう言ったのだ。僕は今生きている。なら今僕は幸せか?
「アガラ。ルース。ルリ。トオラ。アウィス。ソウラ。アル。二クス。⋯⋯いっぱいいるな」
幸せだ。そう思おう。不運に襲われ、苦しいことも多かったが、今は大切に思える人たちに囲まれ、こんな僕を慕ってくれる人もいる。
「母さん。僕は幸せだよ。⋯⋯もしこの星のどれかが母さんだというなら、この声が届いているなら。⋯⋯僕は幸せだ。だから安心してほしい」
ヌーベスは旅に出た。終わりの先にある旅へ。その果てに彼は最愛の妻の元へたどり着けたのだろうか。
「最愛。ヌーベスは僕のことも愛していた、か。⋯⋯最後の最後まで自分勝手で我儘な人だよ⋯⋯父さん」
夜空に広がる星々に二つ寄り添うものを見つけた。わずかに青みがかって光る星と、白く輝く星。
もう深夜。皆寝静まっている頃だ。僕は起き上がって駐屯地へ戻った。
真っ暗な駐屯地の中、僕の使っているテントはほのかに明かりが灯っていた。中に入ると案の定、ソウラが椅子に座って僕のことを待っていてくれていた。
「あ、おかえりカーム」
「ソウラ。起きてたんだ」
「眠れなくて?」
冗談めかして言うが、眠いのも我慢して起きてくれていたのだろう。炎に照らされたソウラの顔は眠そうだ。
熱い想いが胸に宿る。わずかに、声が震えた。
「怪我は?」
「大丈夫。優先して治癒の魔法をかけてもらったから。万全だよ」
「そっか」
微笑むソウラに胸が高鳴った。
「ねぇソウラ」
「なぁに?」
「やりたいことができたんだ」
「手伝うわ」
「まだ何も言ってないよ」
「カームの隣にずっといるって言ったじゃない。だからカームのやりたいことはあたしのやりたいことよ」
「そう⋯⋯いつもありがとう」
「お礼なんて。あたしがやりたいからやっているだけなんだから」
迷いのないソウラの言葉。彼女は全身で僕といれて嬉しいと伝えてくれている。父は母と共にいて幸せだった。なら僕は?ソウラはきっと今のままの関係でも良いと言ってくれるだろう。だけど待ってくれるからと言ってこの中途半端な関係をいつまでも続けていいものだろうか。
「いいわけがないよな」
「カーム?」
「ソウラ。僕のやりたいことはね。僕の母さんがやりたいと言ったことなんだ」
僕はソウラに『黒き衣』と『白き剣』から二人の記憶を受け継いだことを話した。
「⋯⋯そう」
「納得できないことも、理解できないこともある。だけど僕は確かに愛されていて、守られていて。なら今度は僕があの二人に『恩』を返すべき⋯⋯いや、返したいんだ」
生んでくれた恩。愛してくれた恩。守ってくれた恩。僕はもらってばっかりで少しも返すことができていない。人の世のことは人が為すべき。神ならぬ人が、やらなければならないことがある。
「でも僕のやりたいことは簡単にできることじゃない。10年⋯⋯20年。いや、もっと時間がかかると思う。もしかしたら僕が死ぬまでには終わらないかも」
「うん」
「きっとみんなにも迷惑をかけると思う。アウィスやトオラ。傭兵団の皆に苦労を背負わせて、命を落とす人もたくさん出てくると思う。だけど一番迷惑を、苦労をかけるのはソウラだと思うんだ」
「うん」
「だけど、だけどね」
言え。言うんだ。
「それでも僕はソウラに隣にいてほしいんだ。ずっと隣にいてほしい。迷惑をかける。苦労をさせる。でも⋯⋯」
「馬鹿ね」
ソウラは瞳にうっすらと涙を浮かべた。
「カームの重荷を半分背負わせてって何回も言ったじゃない。迷惑も、苦労も、あなたからもらうものならなんだって嬉しいのに」
こみ上げてくる感情に名前をつけるとしたらなんだろう。熱いものが喉にこみ上げてくる。
「ソウラ。僕と結婚してほしい。僕の全てをあげる。だからソウラの全てを僕に欲しい。そうやって、僕の重荷とソウラの重荷を分け合って、ずっと一緒に生きていこう」
僕はソウラを強く抱きしめた。細いけれど力にあふれた体だ。色んなものから目を背けていた僕に前を向けさせてくれた強い意志がこの体には詰まっている。
「もちろんよ。ずっと、ずっと一緒にいましょう。カーム」
ソウラは僕を強く抱きしめ返した。
世界平和。顔も覚えていない母の願い。父もそれを願い、ついに果たされなかった願い。これから僕が挑もうとしているのはそんな無理難題だ。
けれど、ソウラが隣にいてくれるなら、そんな不可能もどうにかできるんじゃないかと、僕は思うんだ。
後は後日談…




