第二章 ずるい暮らし
畑で採れた野菜と薬草を籠へ詰めていると、ノームが一本の人参を引っ張っていった。
「それ、持っていくんだけど」
『小さい』
「小さくても売れるの」
ノームは人参を眺め、それから私を見る。
『小さい』
「二回言わなくていい」
返してもらおうと手を出したが、ノームは首を横へ振った。
仕方がないので諦めた。
「ちゃんと食べてよ」
返事はなかった。
庭を出ると、スプリガンが柵のそばにいた。
「行ってくるね」
手を振る。
スプリガンは昨日出てきた芽の方を見たまま、こちらを見もしなかった。
私より庭の方が大事らしい。
籠を持って村へ向かった。
家から村までは、歩いてそれほどかからない。道の途中で近所の女とすれ違う。
「おはよう、リーナ」
「おはよう」
「今日は市場?」
「うん」
「薬草ある?」
「少しなら」
「帰りに見せてもらっていい?」
「いいよ。残ってたらね」
「残しといてよ」
「覚えてたら」
「そこは覚えといて」
笑われた。
私もそのまま歩く。
市場へ着くころには、人もだいぶ増えていた。
いつもの場所へ籠を置いていると、向かいで野菜を売っている男がこちらを見た。
「今日は葉物が多いな」
「雨が続いたから」
「お前んとこはよく育つなあ」
「そう?」
「そうだろ。うちなんか虫に食われて半分駄目だ」
「それは大変ね」
「他人事みたいに言いやがって」
「他人事だもの」
「そりゃそうだ」
男が笑う。
そこへいつもの客が来て、籠の中を覗き込んだ。
「あら、今日はこれあるのね」
「あるよ」
「二つちょうだい」
「はい」
野菜を包んで渡す。
別の客が来る。そのあとも何人か立ち寄った。
私の野菜を特別ありがたがるわけでもない。安くも高くもない。
ただ、何度も買っているから今日も来る。
そういう人たちだった。
少し暇になったところで、パン屋へ寄った。
「リーナ、昨日の固いのでいい?」
「安いなら」
「そう言うと思った」
店主が棚の下からパンを二つ出してくる。
「一つは普通の値段。こっちは昨日のだから半分」
「じゃあ両方」
「毎回思うけど、あんた結構食べるよな」
「私だけじゃないから」
店主が一瞬黙る。
私の肩のあたりを見る。
もちろん、そこには何もいない。
「……例の連中?」
「たぶん」
「たぶんって何だよ」
「勝手に食べるのもいるから」
「相変わらず分からんなあ」
「分からなくていいよ」
「そうかい」
店主はそれ以上聞かなかった。
昔は何度か尋ねられた。
何が見えるのか。
誰と話しているのか。
本当に何かいるのか。
私はうまく説明できなかったし、向こうも途中から諦めた。
それでもパンは買える。
それで十分だった。
市場へ戻る途中、少し離れたところから声が聞こえた。
「またよく売れてる」
「土が違うんじゃない?」
「土だけであんなに育つかよ」
「何かいるんでしょ。いつも一人でぶつぶつ喋ってるじゃない」
足は止めなかった。
「楽でいいよなあ」
誰かが言った。
「こっちは朝から晩まで畑に出てるってのに」
「ほんと。ずるいよね」
私は市場へ戻った。
籠の位置が少しずれていたので直す。
それだけだった。
土は同じだと思う。
たぶん。
私も朝から畑には出ている。
けれど、それをわざわざ説明しに行く気にはならなかった。
言いたいなら言えばいい。
午後になり、売れ残ったものを籠へ戻してから靴職人の工房へ向かった。少し前に頼んでいた靴底の修理が終わっているはずだった。
「こんにちは」
「おう、リーナ。できてるぞ」
奥から靴職人が出てくる。
壁際には直し途中の靴が並び、革と油の匂いがこもっていた。
「ほら」
渡された靴を裏返す。
「きれい」
「仕事だからな」
『端が甘い』
横から声がした。
見ると、作業台の上にレプラコーンが座っていた。小柄な精霊が、靴底を覗き込みながら難しい顔をしている。
「うるさい」
「何が?」
靴職人が聞く。
「こっちの話」
「またか」
『そこ。端』
「十分きれいでしょ」
『甘い』
「自分で直せば?」
『私の靴じゃない』
「じゃあ黙ってて」
「今日は随分喧嘩してんな」
靴職人が笑う。
「見えないなら気にしなくていいよ」
「見えたら仕事にならなそうだな」
「たぶんね」
『失礼』
「聞こえてないから」
レプラコーンがむっとした顔をする。
靴職人は何も知らずに代金を数えていた。
「しかし、お前もよく靴を使うな。前に直したの、そんな昔じゃないだろ」
「森にも行くし、海にも行くから」
「今度は底が抜ける前に持ってこいよ」
「抜けてからでも直せる?」
「直せるけど、俺が面倒だ」
「じゃあ気をつける」
靴を受け取り、工房を出た。
振り返ると、レプラコーンはもう作業台の上で別の靴を見ていた。靴職人はその隣で革を切っている。
二人とも、自分の仕事をしているように見えた。
片方には、もう片方が見えていないけれど。
◇
数日後、森へ入った。
薬草が少なくなっていたので、籠と小刀を持っていつもの場所へ向かう。
木々の間は村より涼しい。湿った土を踏みながら奥へ進むと、途中で枝が低く垂れていた。
「これ、前はなかったよね」
『伸びた』
「見れば分かる」
幹の陰からドライアドが姿を見せた。
髪にも腕にも葉が混じっていて、動かなければ木の一部に見える。
「通りにくいんだけど」
『森だから』
「私も森なのは知ってる」
『なら避けて』
「はいはい」
枝をくぐる。
ドライアドはついてこない。
私は少し先へ進み、目当ての薬草を探した。
「この辺、採っていい?」
『少し』
「どのくらい?」
ドライアドが指を三本立てた。
「三本?」
頷く。
「少な」
返事はない。
仕方なく三本だけ摘んだ。
別の場所を探せばいい。
森は私の畑ではないし、全部好きにしていいわけでもない。
帰り際、ドライアドが小さな実を一つ投げてきた。
受け取る。
「何これ」
『甘い』
「食べていいの?」
頷く。
齧ってみる。
酸っぱかった。
「嘘つき」
ドライアドはもう木の陰へ消えていた。
◇
その次に海へ出た日は、風が強かった。
砂の上を歩きながら、波打ち際へ打ち上げられたものを拾っていく。使えそうな貝殻を一つ見つけ、籠へ入れた。
波が足元まで来る。
「濡れる」
後ろへ下がる。
もう一度、波が来た。
「わざとでしょ」
『何が?』
海の方から声がした。
少し沖に、セイレーンがいた。波の間から上半身だけを出し、こちらを見ている。
「さっきから波」
『海だから来る』
「ドライアドと同じこと言うのやめて」
『誰?』
「森の」
『知らない』
「そう」
別に知り合いではないらしい。
セイレーンが少し近づいてくる。
『今日は何してるの?』
「拾い物」
『それ、いらない』
私の籠を指す。
「いるから拾ってるの」
『海にはいらない』
「私にはいる」
セイレーンは不思議そうな顔をした。
それから波の下へ潜る。
しばらくして戻ってきたとき、手に大きな貝殻を持っていた。
『これ』
「くれるの?」
『いらない』
「じゃあもらう」
受け取った。
さっき拾ったものより立派だった。
「ありがと」
セイレーンはもう別の方を見ていた。
海鳥が飛んでいる。
私も籠を持ち直した。
「帰るね」
『うん』
「また来る」
『海はいるよ』
「あなたに言ったの」
『私もいる』
「ならいいけど」
帰り道、海から吹いてくる風に髪を押さえた。
家へ帰れば、家には家の、庭や畑には庭や畑の顔ぶれがいる。森や工房や海へ出れば、そこにはそこの連中がいる。
みんなが私の家に住んでいるわけではない。
それぞれ勝手な場所にいて、私も勝手にそこへ行く。
たぶん、それだけだった。
◇
翌朝、村へ持っていく野菜を入れようとして、籠がないことに気づいた。
「……どこ置いたっけ」
昨日は軒下に置いたはずだった。
庭を見る。
ない。
物置も見る。
ない。
スプリガンに聞く。
「籠知らない?」
『知らない』
「ノームは?」
『土』
「聞いた私が悪かった」
畑にもなかった。
しばらく探して、結局、家の裏にある茂みの奥から見つけた。
自分で置くような場所ではない。
葉を払いながら引っ張り出す。
「面倒なことするなあ」
壊れてはいなかった。
泥がついていたので洗えば使える。
村へ行くのが少し遅れた。
「今日は遅かったな」
市場で言われた。
「籠がなくなってた」
「なくなった?」
「隠されてたみたい」
向かいの男が眉をひそめる。
「誰がそんなことするんだ」
「知らない」
「探さないのか?」
「見つかったし」
「いや、そういう問題じゃ――」
「野菜いる?」
「……いる」
「じゃあそっち先にして」
男は何か言いたそうだったが、野菜を選び始めた。
私はそれでいいと思った。
犯人を探して何になるのかも分からない。
次から籠を家の中へ入れておけば済む。
それからまた何日か経った。
畑へ出ると、畝の間に石が落ちていた。
一つ。
二つ。
三つ。
「何これ」
しゃがんで拾う。
畑の土にはない種類の石だった。
道の方を振り返る。
誰もいない。
ノームが土から顔を出した。
『邪魔』
「うん」
石を籠へ入れる。
少し離れた場所にも一つ落ちていたので、そちらも拾った。
『誰?』
「知らない」
『捨てる?』
「道の端に置いとく」
ノームは不満そうだった。
「作物には当たってないから大丈夫」
『邪魔』
「分かったって」
全部拾い終える。
七つあった。
腹が立たないわけではない。
籠を隠されたときもそうだった。
わざわざ人のところまで来て、どうしてそんな面倒なことをするのかとは思う。
けれど、怒鳴り込むほどでもない。
誰がやったのか探して回るのも面倒だった。
放っておけばいい。
私が気にしなければ、それで済む。
石を入れた籠を持ち上げる。
「ほら、もうないよ」
ノームはまだ道の方を見ていた。
「畑見よう」
声を掛けると、少しして土へ潜った。
私はいつものように葉を確かめ、伸びた草へ手を伸ばした。
風が畑を抜けていく。
今日はシルフではないらしい。
静かな風だった。




