④
改稿しました。
トビアス十六歳、盛夏 (四年前)
「くそっ!あの蛇苺…貸し10個相当だと高笑いしやがった」
帰って来たオーランドが悔しげに上着をソファーに投げつけた。
エヴァンスはそれを拾い上げ自らの腕に掛ける。
「貸し…とは、また夫人とお出掛けになられるのですか?」
主人の口の悪さを窘める事もせず眉を顰める。
傍で聞くトビアスには会話の意味が解らない。
怪訝な顔を向けると
「…おまえのせいだからな…まったく」
溜息を吐かれた。
オーランドがシャーロットは王に瑠璃宮と言う所に軟禁されている──と言っていい状態だと言った。
でも幸い瑠璃宮に居ると言う事はまだ王の手は付いていないと言う事らしい。
手が付くと本宮の王の部屋の続き部屋、─かつて王妃が居た部屋─に移されるという。
そうなるともう誰も手出し出来ない。
瑠璃宮に居るうちに何とかシャーロットに面会したい。
オーランドは宰相を頼み夫人のペネロープを頼み手を尽くしてくれている。
だが王はオーランドの面会を拒み夫人だけなら瑠璃宮の訪問を許そうと渋々宣った。
それ以外にも彼女に頼る事はいろいろあって《貸し10個》と言う事なんだろう。
蛇苺とは夫人のペネロープの事らしい。
ペネロープは時々、仲良し偽装しましょ?と食事や買い物などにオーランドの同行を望む。
口には出さないがそれがエヴァンスはいたく不快らしい。
トビアスは思う。
分からなくも無いけどペネロープ様は悪く無くない?
だって夫人だろ。
「あの、気を悪くするかもだけど…どちらかと言うと……愛人?なのはエヴァンスの方だと思う⋯けど」
言いながら、ちらっと上目で二人を見た。
エヴァンスが目を伏せた。
オーランドはこちらを睨む。
「何も知らない癖に余計な口出しするな!」
「ごめん。だって何も教えてくれないから…」
トビアスは首を竦めた。
オーランドが再び溜息をつく。
「これだけは言っておくが僕のパートナーは生涯レオだけだ」
当然と言わんばかりの落ち着いた声音だ。
トビアスを見ながら伊達眼鏡を外した。
「蛇苺はお互い首根っこを押さえあっている共犯者に過ぎない」
眉間を指で揉んだ。
「あいつは僕とレオに嫌がらせをして楽しむ悪癖がある最悪な女だ」
「…だって赤ちゃん。出来たってバートン家に連絡来てたよ?」
トビアスはおずおず聞いた。
「ああ。身籠ったらしいな。生物学的には僕の子じゃないけど……あ、誰にも言うなよ」
事も無げに言い捨てた。
頭の中がパニック起こして脳みそが飛び跳ねた気がしたけど…。
トビアスはもう無言になって後ろを向いた。
聞かなかった事にしよう。
だってトビアスは今それどころじゃないのだ。
シャーロットの事で頭が一杯なのに…
キャパオーバーを起こしている場合じゃない。
そうだ。
何も聞いて無いんだ。
「……それでオーランド。シャーロットに僕が今、出来る事はある?」
そう聞いたら文を書けと言われた。
「長文じゃないぞ。握ると隠せるくらいの紙片に一、二行だ。彼女に伝えたい事だけ集約しろ」
「計画は伝えただろ。頭に叩き込んでおけ」
オーランドはそう言った。
頷いて文を書いて渡した後、参考書を開いた。
最近はオーランドに会う度に難しい問題の解き方を教わる。
今自分に出来る事はこれだけだ。
オーランドを頼って出来る事だけする。
仕方がない、
自分にはまだ力が無いから。
今、力のあるオーランドの邪魔をしない事。
最終目標はシャーロットを幸福にする事だ。
手探りでもいいから出来る事を増やして行くしかないと自身に言い聞かせる。
シャーロットを諦めない。
二人で幸福になる為に。
きっと助けるからシャーロット!
トビアス十六歳、晩夏 (四年前)
八月の最終日。
王宮の夜会が開かれているホールの扉近くにトビアスは居た。
従者に扮しているので貴族達の邪魔にならない様、廊下の端に控えている。
従者など誰も注視しないが一応、見咎められない為に出来る限り、顔を伏せていた。
顔見知りの貴族もちらほら通るのだ。
「やれやれ先日、王の生誕パーティーがあったばかりなのに…」
「立て続けに夜会とは…物入りですな」
「まぁまぁ…それだけ王はご執心なのであろうよ」
行き交う人々が小声で交わす会話が時折耳に届く。
皆似たような事を言っている。
主要な宮廷貴族のみの懇親会。
そう銘うった夜会の内情は公妾を承認させる為のものだ。
宰相は多忙の為、欠席。
もちろん建前だ。
名代として娘婿夫婦、次期ブレア公爵オーランドとペネロープが招かれていた。
ブレア公爵家には諜報活動や隠蔽、時に暗殺にまで関わる寄子の家門があった。
王家に連なる貴族家にとっては珍しくは無い。
その家門とは利害関係を含む硬い絆で結ばれており今迄一度たりとも仕事が露呈した事は無いらしい。
ペネロープはその家門の娘を侍女として付き従わせている。
トビアスはオーランドの従者に扮し廊下での待機を命じられた。
会場の中は伺えないが今は夜会の終盤に近いあたりだ。
たぶんもうすぐ出て来る筈のペネロープとその侍女をじりじりした思いで待っている。
人の出入りの度、頻繁に開け閉めが行なわれるホールの扉。
開く度に視線を走らせる。
もう何十回そうしただろうか…。
大丈夫、上手くいく。
オーランドがたてた計画なんだから。
落ち着け…
ふんわりと薔薇の香りがした。
ペネロープ様の香水だ… !
目を上げるとペネロープが扉から出て来ていた。
「おまえ、旦那様の従者ね。彼と陛下に暇の礼をとって来るわ。もう少し待っていなさい」
指示をして侍女をトビアスの隣に並ばせた。
「ああ…わたくしの侍女と一緒にね」
俯くその侍女の顔をそっと横目で伺う。
……!
喜びが湧き上がる。
胸の鼓動が早い。
涙が滲みそうになり慌てて袖で目を擦る。
侍女も横目で見て来るがその瞳も明らかに濡れていた。
互いに一歩だけ近寄り脇に下ろしたお互いの手の甲を合わせた。
体温が伝わって来る。
嬉しい。
でもまだここは王城の中。
何があっても対応出来るように身構える。
暫くそうしていると扉が開きオーランドとペネロープが出て来た。
ほっとする。
オーランドと目が合った。
ハッとして従者らしく持っていたサマーコートを着せ掛けた。オーランドはニヤリと笑って言った。
「さあ、行こう。うちに帰るぞ」
シャーロット十八歳、晩夏 (四年前)
シャーロットはファーストダンスで王とワルツを踊った。
本当はもう手にさえ触れられたくはなかった。
でも方法は分かなくても今日、助けて貰えるかも知れない。
妨げにならないようシャーロットなりに腹を据えた。
踊り終わると拍手に包まれる。
王は上機嫌で皆に手を振っている。
この拍手で公妾として貴族達に承認された事になるのだそうだ。
やはり馬鹿馬鹿しい。
「マーシャル辺境伯ご令嬢、なんて優雅でお美しい…」
「お若くてお美しい。これから王妃陛下の侍女の職務、お励み下さいませ」
皆口々に同じ様な言葉をかけてくる。
名目上は王妃陛下の侍女。
シャーロットは辺境伯家嫡子として貴族簿に名を記された。
そして、この場合の侍女の職務とは好色な意味が含まれ言外に蔑まれているのだ。
なんだろう…
貴族って案外下品な方が多いのね…。
挨拶も終盤近くなってブレア次期公爵夫妻が進み出た。
「お久しぶりでございます。オーランド兄様」
シャーロットは王に当て付けのつもりで親しげに話しかけた。
「うん。元気だったかい?シャル」
オーランドも親しげに合わせてくれる。
シャル?シャル…初めて呼ばれた。
でも親しさの演出、凄い!
王はそっと目を逸らしたようだ。
ほんの少し溜飲が下がった。
「やはりそのドレスにそのネックレス似合っておりますわ。」
「ありがとうございます。ペネロープ様のお見立てのお陰ですわ」
笑顔で挨拶を交わす。
王がこちらを見ている。
「陛下。とても良いパーティですね…」
オーランドが王に話しかけた。
「あ、ああ。そうだろう?実は…」と王も話し出す。
上手く王の注意を逸らした。
ペネロープが耳許で囁く。
「わたくしあとで扇を取り落としそう。その時あなたは一番奥の化粧室に行きたくなるかも知れないですわ」
シャーロットはしっかりと目で頷いた。
そして扇で口元を隠し「まあ、そうなんですの?」と調子をあわせておいた。
そしてブレア次期公爵夫妻はにこやかに離れて行った。
この夜会の開催時間は長くは無い。
皆、王との挨拶を終えると短い会話を交わし直ぐに暇の礼を取って帰って行く。
王が早く夜会を終えたがっているのを察しているからだ。
何せこの後は妾との初の褥が待っているのだから。
出席していた貴族の殆どの挨拶を終えた頃ホールの中央でペネロープ夫人が扇を取り落す。
カツーンと要に使われた金属音が意外に大きく響いた。
「まあ!わたくしったら…大変失礼いたしました」
よく響く花の美声でペネロープは謝っている。
夫のオーランドか扇を拾って渡している。
その姿を眺めていた王にシャーロットは声をかけた。
「わたくし少し水分を取り過ぎたようですわ。お側を離れさせて頂き化粧室に行ってよろしいですか?」
用を足したいと言うものを許さない訳には行かない。
「侍女を伴うように…」
鷹揚に頷いた。
見張りの侍女を扉で待たせ奥の化粧室に入る。
すると個室からすっと手が伸びた。
そこに入ると自分そっくりの装いの黒髪の女が地味な色味の侍女服を差し出す。
「これの着用、ひとりでお出来になれますか?」と聞く。
シャーロットはしっかりと頷いた。
「今着てらっしゃるドレスを脱ぐ手伝いを致します」
「お願いします」小声で言う。
「着終わったら直ぐここを出てペネロープ様の傍にお侍り下さい」
後ろの釦を外しながら早口で言う。
また、しっかり頷く。
脱がし終わるとドレスを宝飾品ごと纏めて隅にあった大振りな化粧箱にねじ込んだ。
そして自分は扇で顔を半分隠しシャーロットに目で急ぐよう合図を送って出て行った。
その間、五分もかからなかった──早業だ。
言われた通り急ぎ侍女服を身に着けて黒髪を団子に纏める。
渡された地味な飾り帽で隠した。
恐る恐る化粧室の扉を開けると付けられた侍女は居なかった。
シャーロットは化粧室を出ておずおずとホールに戻る。
「胸をお張りなさい。不審ですわ」
驚いて背を伸ばしながら振り向くとペネロープだった。
腕をそっと掴まれ出口扉に誘導される。
そして扉の外。
「わたくしの侍女と一緒に待っていなさい」
命じられた従者は…。
──トビアス!
鼓動が跳ねる。
目が潤む。
縋り付きそうになる自分を必死に制した。
俯いて彼に並んだ。
彼は横目でシャーロットを確認すると一歩身を寄せてくれた。自分も一歩身を寄せる。
手と手が触れ合う。
久々に胸の奥まで空気が吸えた。
吐息が慄きはするけれど。
浮かんた涙は瞳に盛り上がって横目に見えるトビアスの姿を滲ませている。
トビアス十六歳シャーロット十八歳、晩夏 (四年前)
ホールの扉を限り無く緊張しながら通過した。
見咎められそうで顔を上げられない。
でも俯向き過ぎても不審。
恐怖で指先が震えていた。
馬車寄せに着くまでの時間が永遠のように感じた。
二人でやっと乗り込む。
小振りの従者用の馬車だ。
出発したのを確かめると、少し緊張が解けた。
向かいのシートを離れトビアスが隣りに座る。
どちらからとも無く身を寄せ合う。
見つめ合い二人はやがてきつく抱き合いくちづけを交わした。
シャーロットの頬を両手で挟み忙しく瞳を動かして顔を眺めるトビアス。
やがて眉を下げた。
「随分痩せた…辛かったんだね。」
呟いた。
「ごめん…助けが遅くなって」
ああ、優しい…
こんな優しさ誰からも貰った事がなかった。
涙が後から後から零れ落ちる。
見つめ続けたい人の顔が霞んでしまうのに。
冷たい宮で焦がれ続けた人の顔が…。
シャーロットは堪らなくなってトビアスの首に抱きついた。
「いいえ……いいえ私が悪い…の」
喉が詰まって言葉が出ない。
「私が愚か…だった。苦し…め…てごめんなさ、いっ…」
無言で幾度も首を振るトビアス。
ああ、愛しいシャーロットがこの腕の中に戻った。
胸がぎゅっと縮まる。
可哀想に。
可哀想にこんなに窶れて。
儚くて消えそうな程に痩せた。
僕がちゃんと守れなかったせいだ。
僕が弱かったからだ。
もうずっとこの腕の中に閉じ込めてしまおう。
たとえこの身がずたずたになろうと守り抜こう…。
守り抜けるようになろう。
「もう、決して…離れないわ」
耳元に細くか弱く囁くような声がした。
力いっぱい抱き締めた。
「うん。もう離さない、決して」
トビアスが頬ずりをしてくれる。
強い力で抱き締められて息が詰まる。
でもそれが心地いい。
シャーロットは涙でぐしゃぐしゃな顔だった。
でも心の底から湧き上がる喜び。
ずいぶん久し振りにとびきりの笑顔を浮かべていた。
最後の客の退出を待たず王は王家の控えの間に急いでいた。
「シャーロット様は少しお疲れのご様子で化粧室を出られた後、控えの間に入られました」
付き添った侍女からの報告。
「休みながら陛下をお待ち申し上げると仰せにございます」
「さもあらん。あれは数多の貴族の挨拶など受けるのは初めてだからな」
鷹揚な所を見せなければ。
王は妾にいい所を見せたかった。
「ゆるりとするよう伝えよ」
王の心は弾んでいた。
一年前に見初め、求め続けた美姫がやっと手に入いるのだ。
あの白磁の肌、黒檀の髪、黒真珠の瞳。
正直、我が妃より余程、好みだ。
待ちきれない。
ああ、一刻も早くあの、細腰を組み伏せたい。
王家の控えの間の前は先程の侍女が立って守っているようだ。
「ご苦労であった」
声を掛けて慇懃に開けられた扉を潜る。
王は浮かれていた。
だから、付添い、報告、控えの間、全て違う侍女だった事に気が付か無かった。
控室の中央には異国風の寝椅子が置かれていた。
その上に薄い絹の被せ衣がこんもり盛り上がっている。
裾から我が妾のドレスが覗いている。
王は相好を崩し近寄った。
「シャーロット…我が妾よ。待たせたな」
王は横たわる女の肩の辺りを優しく揺すった。
「さあ、シャーロット本宮に帰ろう。やっとそなたとひとつになれるのだ」
反応が無い。
寝込んでしまったのか。
王は背を向ける女の顔を覗き込んだ。
そして。
王は一瞬、沈黙した。
自分の目を疑う。
何だ?
この女は何だ。
老けている。太っている。色白…ではある。
だが、醜い。
全てがシャーロットより醜い!
その女は実際は結構美しい。
だが、今の王は自分の妾以外は全否定だ。
驚愕と怒りに顔を紅潮させて怒鳴った。
「お前は何者だ?!ここで何をしている!」
怒鳴りながら控えの間を飛び出した。
周囲は騒然となる。
パーティーホールのある棟はその夜、上を下への大騒ぎとなった。
馬車はオーランドの別邸に着いた。
だが今はシャーロットだけが降り、他の三人は再び乗り込まねばならない。
「仕方が無い…たぶん今夜は、王宮からの呼び出しがあるだろう。ブレア邸に居なければ不審だ」
後ろに立つペネロープが面白そうに笑った。
「かしこまりました」
そう頷くエヴァンスはいつもと変わらない。
その微妙な変化に気づくのはオーランドだけだ。
口を近づけオーランドが眉を顰めて囁いた。
「おい、そんな顔するな」
「…そんな顔とは?」
「不機嫌だろう…明らかに」
「……」
「ここにシャーロットを置いて行く僕の方が余程不安なんだ。僕と違っておまえは女もいけるんだからなっ…」
心外そうな顔でむっとするエヴァンス。
小声の二人の諍いをトビアスは聞こえない振りで流す。
そして言った。
「エヴァンス、シャーロットの事頼みます。疲れているので…」
もちろんトビアスはバートン邸に帰る。
シャーロットと名残り惜しく見つめ合っていた所でこの諍いだった。
エヴァンスは頷いて優しく笑った。
「はい。お任せ下さい」
シャーロットの肩を抱くトビアス。
そこにオーランドが言う。
「僕が連絡する迄おまえはここ出禁だからな。分かってるな?」
トビアスは頷いた。
頷き返したオーランドはエヴァンスに視線を移す。
そして眉を下げて小首を傾げた。
この仕草をすれば高確率でエヴァンスの機嫌が直る事を知っているからだ。
シャーロットとエヴァンスを残し三人はまた馬車に乗り込んだ。
トビアス十六歳シャーロット十八歳、初秋 (四年前)
予想通り王宮からの使者がブレア公爵邸にやって来た。
日付が変わる少し前だ。
オーランドはノロノロと出仕用のコートに着替えた。
公妾様失踪対策の開始は少しでも遅い方が良い。
招集されたのは諜報外交大臣、近衛隊長、侍女長と侍従長そしてオーランドだけらしかった。
少し驚いた。
会議のテーブルには王まで居て不機嫌な顔を向けている。
結構ご執心だったのだな。
「ブレア宰相補佐、遅かったではないか」
オーランドは片膝を付く正式な礼で頭を下げた。
「申し訳ございません。急ぎ馳せ参じたつもりでございましたが…」
オーランド以外は今夜王宮詰めだった。
眠っていて当り前の所を呼び出した王はそれ以上の文句は言えなかった。
「それで…昏倒した後は何もわからないと」
会議はまず侍女長の報告だった。
王が控室に入った時、寝椅子に居たのは最初にシャーロットに付き添った侍女であった。
化粧室から出たシャーロットが休みたいと言ったので控えの間に案内したのだ。
入って直ぐに刺激臭のある何かを嗅がされ気を失った。
先程医務室で目を覚ますまでの事は分からない。
まあ、それはそうだろう。
控えの間の前の侍女は更に無関係。
廊下を歩いて居たら扉の見張りを頼まれ従っただけらしい。
「…では報告に来た侍女は」
王が唸る。
「…犯行に及んた者でしょうな」
大臣が申し訳なさそうに言った。
「昏倒した侍女に被せられていたドレスは偽物です」
侍従長は瑠璃宮の侍女の証言を取っていた。
酷似しているが安価な材質で光沢が安っぽい。
デザインも少し異なる。
「誰かが偽物を用意したのですな」
大臣がドレスを見知って居たのは瑠璃宮の者だけかと聞いた。
侍従長はちらとオーランドを見た。
「ブレア公爵夫人が瑠璃宮を訪ねられた時に…」
皆の視線がオーランドに集まる。
オーランドは両手を広げた。
「…妻が偽のドレスに着替え控えの間に忍び込み侍女を昏倒させ公妾様を拐ったと?」
「だが…可能性は…」
王が言い一同は黙った。
「お聞き致します」
立って一同を見回す。
「妻は夜会中一度でも私の傍を離れましたか?」
「私共の滞在はごく短時間で、しかも常に皆様の目に触れておりましたよね」
「共に王宮を出、共に邸に戻り、隣で寝ておりました」
「何処にそんな真似をする時間が?」
静かに、だが捲し立てた。
──まあ…隣で寝てた、は嘘だけどな…。
「誰かに依頼したという事は?」
騎士団長が目を向けて来た。
「…確かに、それは可能でしょう。しかし動機は?妻がなぜ公妾様を拐う必要が?」
騎士団長を見据えた。
「金銭目的?国家予算に匹敵する額の宝石もサインひとつで買える妻が?…それとも」
「公妾様に道ならぬ恋でもしたとか?まあ女性同士でもあり得なくはないが、それだと妊娠中の妻は、かなりの冒険好きですね。」
そして静かに座った。
「………皆様」
「誘拐の動機って…他に有りましたっけ?」
静まり返る。
依頼の可能性、がある。
だが今…まさか王の前で公妾様が逃げ出したかった可能性を有する指摘は誰も出来ないだろう。
──僕以外は。
大臣が頭を下げた。
「宰相補佐殿、申し訳無い。奥方を疑うのは浅慮であった」
皆も頷き頭を下げた。
「では大臣閣下。王都中の衣装店を探って偽ドレスの注文主を探す事を提案いたしますよ」
一同が頷く。
オーランドは微笑んだ。
「皆様今日はもうお疲れでしょう」
「如何ですか、大臣の調査結果が出てからまた話し合うと言うのは…」
王が気色ばんだ。
「いや!駄目だ。何をそんな悠長な!」
唾を飛ばしながら喚いた。
「シャーロットに何かあったら!今も何処かで助けを求めているかも知れないのだ」
皆に沈黙が広がって行く。
オーランドも暫し俯向いた。
だが意を決したような振りで顔を上げる。
「…これは、陛下に大変…大変!。申し訳無く、かつ申し上げ難い事で…控えておりましたが」
一同が何事かと目を向ける。
オーランドは躊躇うような喋り方だ。
「残ったドレスが…偽物なら…。本物はシャーロットが着たままと言う事であり、高価な宝飾品など…併せると充分………逃走資金たり得ます」
深く頭を下げる。
「不敬かと漏らさずにおりましたが、シャーロットはお召を、ずっと悩んでいたと辺境伯は申します」
公妾様が公爵夫人に誘拐依頼などしない事を強調する。
「瑠璃宮に参じた時が初対面だった─妻─を含め、親族一同皆、光栄な話だと喜んでおりましたが…」
王側がつけ込んだシャーロットの弱みを逆手に取る。
「シャーロットには…領で姉に迷惑をかけた以外にも下賤の者との悪い噂があり。それに若干の出生の事情も…」
領での根拠の無い悪意の噂も使いようだ。公妾様には下賤の者との関わりが必要なのだ。
「なにぶん身内の事で恥ずかしく、また申し訳無く存じます」
目を固く閉じ再び頭を下げる。
「しかし私には自身で…その……逃げたのでは、と思えて…。方法は存じませんが、下賤の者にあらかじめ下準備を頼んでいたのではと」
項垂れ手を当てて口元あたりを隠す。
「ですから……陛下の深いお心遣いが、却って申し訳無く…心が痛……ん…で」
ついでに涙を拭うふりもしておいた。
シャーロット十八歳トビアス十六歳、仲秋 (四年前)
「それで今日やっと決着がついたのですね…?」
トビアスが聞くとエヴァンスも微笑んだ。
「ああ。これでめでたくシャーロット・マーシャル辺境伯令嬢は死人だ」
オーランドは並ぶシャーロットとトビアスを見て笑う。
あの日以来オーランドの別邸で匿われているシャーロット。
自身の希望で掃除や洗濯の仕方を学び別邸のメイドの振りをして暮している。
最初は渋い顔をしたエヴァンスとオーランド。
だが世間からの良い隠れ蓑だと本人から説得されてからは放置していた。
シャーロット死亡確定の今日。
出禁を解かれたトビアスが秒で飛んで来たのである。
シャーロット失踪当日の会議。
オーランドの弁舌に王は肩を落とした。
そしてメンバーも捜索意欲を半減させた。
出来る手は尽して捜索した。
──と大臣は言っている—─
何の手掛かりも無くずっと真相は闇の中だった。
今日の会議で大臣は言った。
「拐われたなら脅迫があるか遺体があがるか…ありそうな物だが」
「無いですね」
一同は首を振る。
「宰相補佐殿の言葉の信憑性がさらに増すと言う事ですな」
近衛隊長の言葉だ。
頷いて立ち上がったオーランド。
「提案なのですが…無かった事に致しませんか?」
「無かった事とは?」
一同は宰相補佐を見上げた。
「失踪を、です」
眼鏡を直した。
「親戚の娘の事で、本当にお恥ずかしい限りですが、王に望まれたものを後ろ足で砂をかけて逃げたのです」
ここは大きく強調。
「しかも公妾発表当日に…」
身を乗り出しテーブルに手を着く。
「王に大恥をかかせたのです。そんな者がやすやすと王宮の警備をすり抜けて逃げた。即ち」
ちらっと近衛隊長に目をやる。
「堅固な筈の警備体制への信頼も揺らぐ…とお思いになりませんか?」
近衛隊長の目が泳いだ。
オーランドは一同を見回す。
「騒ぎがあった事は隠蔽出来ません。なので遺体が発見された事にするのです」
驚愕がひろがった。少しざわつく。
「王宮内の…例えば西の庭園の深い蓮池…などで」
「あの日はパーティーで庭も火が灯っていた。だから可愛い悪戯心で、隠れ遊びを思い付き、陛下に見つけて頂こうとした」
考えてでもいるように数回頷く。
「だが池にまで灯は届いていなかったのです。瑠璃宮から出た事がなかった為の不幸な事故です」
侍従長が手を挙げた。
「…少し、強引すぎるのでは?証人も物証もありません」
「必要ありません。噂をまことしやかに流せば、やがて皆が信じ本当の事になります。世間とはそういう物ではありませんか…?」
もう一度一同を見廻してから腰を下ろした。
「……如何でしょう?皆様」
場はしんと静まりその後、次々に頷き賛成を表明した。
大臣が「王に図ろう…」と出て行った。
王は初日に肩を落として以来、会議には出席していない。
その会議があったのが午前中だった。
決着の知らせは退官少し前に届いた。
王は公妾への執着より体裁を選んだようだ。
公妾捜索会議は解散。
早速、明日から諜報部は公妾様発見の噂を出処不案内で発信するだろう。
「オーランドの計画、僕は一部しか知らないんだけど…」
トビアスが目を上げた。
「それでいいんだ」
とぼけようとした所にシャーロットが頼んだ。
「私、知りたいわ、オーランド兄様。助けて頂いた女性が誰なのかも知らないんですもの…」
溜息をついて首を振るオーランド。
「話せる所だけでも…駄目かな?」
シャーロットと視線を合わせたトビアスが便乗して来る。
詳しく知らない方がいいのは確かだか、ある程度は知っていい事もあるだろう。
「では…話せる所だけ。質問は無し」
ブレア家の寄子家門に関する事は秘してオーランドは話し始めた。
シャーロットを見る。
「君の代わりになった女性を選んだのは僕だよ。君に身長と、幅が似ている娘」
「……は、幅?」
オーランドは苦笑した。
「ドレスの交換しただろ?髪は染められるし顔は扇で隠して俯向いていればいい」
「あ……だから」
トビアスが少し挙動不審になる。
「そう。抱きしめた時の頭の位置やおまえの腕の位置…」
「オーランド!」
「…おまえが聞くからだろ」
トビアスとシャーロットは顔を見合わせ赤くなった。
「も、もうそこはいいよ。それで?」
「似たドレスはペネロープの絵図と見本色を見て技術者が縫った。衣装店とかの外部に依頼はしていない。」
口元を曲げ苦笑いした。
「あいつの記憶力は凄いんだ。まあ、普段は碌な事に使わないけどな…」
シャーロットは目を見張りトビアスは目を伏せた。
「侍女役は僕の指示通りにした筈だ。同じドレスを着て顔を扇で隠し気分が悪いと言えば侍女は疑いもしないだろう」
指を一本立てる。
「なぜなら公妾様が逃げるとは微塵も思っていないから」
「そして控えの間で侍女を気絶させると今度はその侍女の服を着て脱いだ服を被せてから逃げ出す」
「あ、そう言えば」
オーランドは思い出した顔をした。
「運好く他の侍女を捕まえたと言ってた。扉の前なんか誰も居なくて良かったけど」
「あとはホールに戻って侍女の振りで、妾は控えの間だと王に報告をする。時間稼ぎさ、不在に気づくのは遅い程いいだろ?」
今度は二人で目を丸くした。
「侍女役はその後、化粧室に寄り化粧箱を回収し、退出する貴族の後に少しの距離を置いて続けば…」
「あ…」
「そう、僕の従者役で経験したろ?その貴族の使用人に見えるんだ。誰の関心も引かず抜け出せる」
オーランドはシャーロットに目を向けて笑う。
「化粧箱のドレスや宝飾品は今頃は出処の不明な商品として闇のどこかに流れているだろうね」
トビアスとシャーロットは半ば口を開けたままお互いの顔を見合わせたがシャーロットが思わず訊ねた。
「なぜ…闇になんか…?」
「質問は禁止」
「あ…」
口元を押さえた。
発見されれば公妾様が下賤の者と逃げた決め手に使える。
見つからなくても家門の資金源になる。
王宮から王が堅固に囲う者を逃がす…王を欺く。
常識では有り得ない大仕事だ。
ひとつでも時機が崩れれば関わった者、全ての首が飛んだだろう。
ブレア家の闇の家門がなければ成し得なかった工作だ。
考え無しでブレア次期公爵である僕の所に飛び込んで来たトビアスだった。
だがそれが功を奏したのだ。
この二人の想いに運命が味方したのかも知れない。
オーランドは三つの意味で笑顔になった。
その三つとは─
工作の成功
──ほっとした安心感と達成感
トビアスが無事にシャーロットを取り戻せた。
──嬉しく見守る事の幸福感
王が一年余りを費やしてまで執着した女性をまんまと取り逃がした。
──いつも面倒事を押し付けやがって!ザマァ、感
で、あった。




